10 取引と視線の先
「ちょっと、君たち!」
闇無さんが校門の前から声をかける。
振り返った生徒会長が深津君を突き飛ばして走り出す。深津君も別の方向に走り出した。
通用門を開けて、私は言った。
「闇無さんは深津君を、私は会長を追いかけます」
「わかりました!くぉら、待てー」
闇無さんが右手をクルクル回すクセのある走り方で深津君を追う。
私は生徒会長の兼子君の背中を見て、一度深呼吸した。
「ほっ」
万が一に備えて、走れる靴をはいてきて良かった。
早朝の風が頬を撫でていく。追いかける背中が大きくなってくる。
振り向いた兼子君が目を見開き、さらに加速しようとする。私は精一杯手を伸ばし、シャツの背中をつかむ。
「止まりなさい!」
「わかった!わかりました!もう逃げませんから!」
兼子君がつんのめりながら立ち止まり、両手をヒザに置いて息をつく。私も呼吸を整え、彼の正面に立つ。
「どうして逃げたの?」
「いや……追いかけてきたから」
「逃げたのが先でしょ?私たちは声掛けただけよ」
「……そうでしたっけ」
捕まって開き直ったのか、昨日生徒会室で会った時と同じ顔になった。余裕のある涼しい顔。
「崑野さーん」
振り返ると、闇無さんが深津君の襟首をつかんでずるずる引きずってこちらに向かっている。息も切れていない。
何かすごい。
「やー、やっぱり速いですねえ。さすが元陸上部」
「何言ってるんですか、闇無さんこそすごいですよ」
「いやあ」
誉め合いはこれくらいに留めておいて、私は兼子君と深津君、二人を校舎の陰に連れて行った。朝練に来ている子たちに見られるのは避けたい。
「さて」
壁際に立たされ黙ったままの二人に、闇無さんは両手を腰に当てて言った。
「まずは深津君に聞きます。こんな早くから何をしに学校へ来たんですか?吹奏楽部の朝練はまだですよ」
「……その、準備を」
「その準備室の鍵は?君が管理してるんですか?」
「あ……いえ、その」
もごもごと口ごもり、足元をじっと見つめている。
闇無さんはそんな深津君をしばらく見つめた後、兼子君に向き直った。
「それでは兼子君に聞きます。生徒会長である君が、なぜあんなことをしたんですか?」
「は?僕は何もしてませんよ」
「逃げましたよね?」
「刑事さんたちが急に声掛けたから怖くて」
シレッと涼しい顔をして、兼子君は言った。やっぱり生徒会長になるくらいの子は肝が据わっている、と変なところで感心してしまう。
「ではこんな早朝に何をしに?」
「会長ですからね。みんなが見てないうちに色々と下準備がいるんですよ。あまりネタバレはしたくないですけど、何気ない場面でタイミングよく行動することが、人望につながるんです」
「具体的には?」
「それは言えません」
闇無さんはアメリカ人のように両手を広げ、首を振った。
「ではしょうがないですね。兼子君、君を深津君への暴行容疑で逮捕します」
「はあ!?何言ってるんですか。何もしてない未成年を逮捕できるわけないでしょう」
兼子君の反応を見て、闇無さんは満足気に笑った。
「相手の胸倉をつかんで、壁にドスンと押し付ける。これ、立派な暴行ですよ」
「ちょ、そんなわけ」
「確かに私の誤認逮捕の可能性もゼロじゃありません。多分、処分無しで解放されるでしょう。しかしそのためには、裏付け捜査がいるんです」
「う、裏付け……」
兼子君の顔から余裕が失われていく。
「生徒会のみなさん、クラスメート、先生方、ご家族のみなさんに、兼子君にこういう行動がありました、と話して、それが誤解であるという証言を集めないと」
「そ……」
兼子君が不安げな目で私を見た。
「今闇無さんが言ったことは少々大げさかもしれませんが、警官二人が実際に、君が深津君に暴行を加えた、または加えようとした場面を直に目撃した以上、見なかったことにはできません」
うそ。楽勝で見なかったことにできる。見よう見まねだけど、良い警官悪い警官みたいな効果が出ないかなって。
すると今度は深津君が口を開いた。
「あ、あの、彼を責めないでください。僕が悪いんです。その、単なる個人間の行き違いというか……」
闇無さんの片眉が上がる。
「どういうことですか?」
「だ、だからその、ただのケンカです。大人の人から見ればバカバカしいかもしれませんけど」
「……ふーん」
闇無さんは私をチラリと見て、言った。
「ま、被害者の君がそういうなら、こちらとしては何ともできませんけどね。被害届が無ければ事件になりませんし」
そして再び兼子君に向き直る。
「もう一つ聞きます。兼子君は、深津君を日常的にいじめているとか、そういう行為をしてるんですか?」
兼子君は首を横に振った。
「まさか。何で僕がこいつをいじめなくちゃいけないんですか。僕は生徒会長ですよ。そもそも……」
「そもそも?」
「……いや、何でもありません」
また二人とも黙ってしまった。
「兼子君が、深津君をこの時間に呼び出したんですか?」
私がトーンを変えて聞くと、兼子君は首を振った。
深津君も、
「いえ、呼び出されていません」
と小声で答える。
どうしよう。このままでは何も進まない。私の勘では、絶対事件に関係があると思うんだけど。
「兼子君、取引しましょう」
すると闇無さんが天使のような笑みを浮かべて言った。
「何ですか、取引って」
「私たちは、今君がやった暴力行為を見逃します」
えっ。
驚く私に構わず、彼女は続ける。
「その代わり、お願いを一つ聞いてください。それでチャラ。どうですか?」
兼子君は隣に立っている深津君を見て、私を見て、再び闇無さんに向き直る。
「本当に、教師や親に報告しませんか?」
「取引が成立すればね」
「約束ですよ」
「ええ。お姉さんを信じなさい」
闇無さんが自分の胸をドンと叩いた。
しばらくの後、ふう、と大きく息をついて兼子君が言った。
「分かりました。で、お願いって何ですか?」
「どうぞこちらへー。さあさあ、こちらへ」
闇無さんが愛想よくイスをすすめる。
昼休み。
私たちは生徒会室にやってきていた。総務の小坂さんには内緒だ。生徒の勉強や部活の邪魔をしない限り、拳銃の捜索はしてくれていいと(面倒くさそうに)許可を
もらったものの、生徒を大人の同席無しに呼び出して聴取する許可は下りていない。バレたら結構怒られる。出禁になるかも。
闇無さんが取引で持ち掛けたのは、まさにそこだった。
生徒会室を提供して、そこに特定の生徒を呼び出せるようにすること。もちろん、表向きは生徒会に呼ばれたという理由で、先生たちには内緒。
もしバレそうになったら、あくまで生徒会長に学校のことを色々聞くために生徒会室いたら、たまたま別件でその子が来たというテイにすることになっている。
少々苦しい気もするけど、何も準備しないよりはいいとは思う。
「……何ですか?生徒会に呼ばれたはずなんですけど」
けげんな顔でイスに腰掛けたのは、吹奏楽部の佐宗麻衣さん。昨日音楽室で会った、クラリネット担当の子だ。事件当夜、遅くまで残っていた子の一人。
「会長はちょっと席を外してて。戻ってくる間、私たちとおしゃべりしませんか?」
「はあ?何ですか、それ」
佐宗さんはクールな表情を崩すことなく、私たち二人を見比べた。
「刑事とおしゃべりするのが気が進まないなら、一つだけ質問に答えてくれませんか?その後すぐ帰りたいなら、私から会長に言っておきます」
闇無さんが言うと、佐宗さんはうなずいた。
「それで早く済むなら、別にいいですけど」
「ふふーん、そうですか?それは良かった。じゃあ、単刀直入に聞きます」
私は手帳を開いてメモの準備をする。
「吹奏楽部の深津君て、どんな子ですか?」
聞かれて一瞬戸惑ったような顔になり、私を見る。私はうなずいて、促すように闇無さんを手で指し示した。
「どんな子……って急に言われても困るけど、見た通りのヤツですよ」
「というと?」
「おとなしくて、あんまりしゃべるヤツじゃない」
「あなたは仲良し?」
「男子でクラリネットやってるヤツそんなにいないから、曲についての話はするけど別に仲良いってわけじゃないかな」
「じゃあ、嫌い?」
「嫌う理由もないでしょ。練習はちゃんとやるし、下手でもないし。今の曲ではピアノやってるからあんまり絡みないですけど」
「深津君が誰かに意地悪されてたり、暴力を受けたりしてる噂は聞いたことありますか?」
「いじめってことですか?それこそ親しくないと分からないと思いますよ。でも部の練習で見てる限りは、顔にアザ作ったりしてるのも見たことないですけど」
少し間を開けて、今度は私が聞いた。
「最近、深津君に変わった様子は無かった?」
「どういう意味でですか?」
「うーん……例えば練習中にミスが増えた、ぼんやり考え事してて先生に注意されたり、とか。後は、不自然に朝早い時間に部室にいたとか、そういう行動です」
「あー……そう言われれば」
「何です?」
闇無さんの目が輝く。
「別に大したことじゃないんですけど、練習中にクラリネットのことでちょっと聞こうと思ったら、視線が全然違う方に向いてて」
「それは、ぼんやりしてるって意味じゃなくて?」
佐宗さんがうなずく。
「どこ見てんの?って聞いたら誤魔化したんで、多分あれですよ」
彼女がこの教室に来て、今日初めて笑った。
「あれとは?」
「決まってるじゃないですか。女ですよ。外の女子でも見てたんじゃないですか?」
とりあえず佐宗さんには帰ってもらい、引き続き加納玲さんに来てもらった。同じく吹奏楽部でサックス担当の女の子。この子も事件当日の居残り組だ。
彼女にも深津君について聞くと、佐宗さんと同じような回答だった。地味で目立たないけど、楽器はまあまあ上手い。しかもピアノはかなり上手いと。
「ところで、つかぬことを聞きますけど」
闇無さんが言った。
「はあ、何ですか?」
「吹奏楽部の窓から、何が見えますか?」
「は?何って……」
加納さんがいぶかしげな顔をした。
「窓からは、空が見えます」
「……もう少し視線を下げてもらえると助かります」
「そしたら、反対側の校舎が見えます」
「校舎、ですか」
「ええ。旧校舎であんまり使われてないんですけど、少人数の文化部とか同好会みたいな人たちが部室として使ってます」
「ほうほう」
闇無さんは満足げにうなずき、早々に加納さんを帰してしまった。
「いいんですか?もう帰しちゃって」
「ええ、聞きたいことは聞けましたから」
言うと、彼女は立ち上がって大きく両手で伸びをした。
「ずっとイスに座ってると疲れますねえ。お腹も空いちゃいました」
お腹。確かに。
「購買部に行きましょうか。まだパンかサンドイッチが残ってるかもしれません」
「購買部!いいですねえ、その懐かしい響き。行きましょう!」
「ちなみに、お昼食べた後はどこへ行くんですか?」
「どこだと思います?」
闇無さんがニヤリと笑う。
「露骨に試しますねえ……えー、今の流れなら、まず吹奏楽部の部室に行って、窓から何が見えるか確かめるとか」
「正解です!さすが我が相棒」
わ、ちょっと嬉しい。
「で、でも、窓からどこかを見ていたからって、事件に関係するとは限らないんじゃ」
「関係してますよ、きっと」
「なぜそう言えるんですか?」
「人が普段と違う行動をとる時は、必ず何か理由があるんです。しかも、たいていは良くない理由で」
そう言うと、彼女はさっそうと歩きだした。
つづく




