決意の始まり(3)
集落から三時間ほど離れた森の中。
時折見かける獣道以外は雑草が腰ほどまで生い茂り、重なり合う木々が太陽の日差しを遮る。そのため日中にも関わらず、周囲の暗さから今が日没前と勘違いさせるほどだった。
現在の場所は集落でも手つかずの未開拓地であり、この辺に足を踏み入れるのは野生の動物を狩る時のみらしい。それも年に数回程度のことで、ほとんどの住民は足を踏み入れる事は無いらしい。
そんな未開拓地にやってきたのは俺を含めて六名。俺とスノーのセットと、拷問を参加したハルカを初めとした蜥蜴人だ。
俺自身はそれほど気にしてはいなかったけど、村長としては何かしらの罰則を与えなければ気が済まなかったらしく、今回の調査に強制参加を言いつけた。半分は道案内役と監視役が含まれていると思うが、まぁ戦闘力は俺より数段高い彼らだ。この世界の戦闘事情は全く分からないが、素人の俺より期待が持てるだろうし、何かあればお任せしても大丈夫だろう。
さて、村長の依頼とやらだが、昨日から森中が騒がしいらしい。気にかけた村人が全身ピチピチの服を着込んだ者を見かけただの、爆発音が響き渡っただの、聞いた事のない甲高い音が森に響き渡っただの、集落の畑に泥棒が入っただの――と、まぁ他にもダラダラと噂話を聞かされた。明らかに嘘っぽい話もチラホラと混ざっていたが、共通して住民が心配しているとのことらしい。
俺からすれば『それって人間の仕業じゃ……?』と心の中では既に確定していた。王都と集落までの距離がだいぶ離れているとは思うが、次回の侵略場所の諜報行為だと思えば納得する。爆発音が何なのかは分からないが、何かしらの問題が生じたのだろう。
もちろんそれを口に出すことはない。だっていらぬ混乱を招いても仕方ないし、またスノーが暴走しても困るのは調査しに来た俺らだし……。
それはそうと、今回の調査を決行するにあたってスノー達を許したのだが、それがまずかった。今までは俺の腕の中にすっぽりはまる程度だったスノーだが、それ以降は不意に体臭を嗅いでは「あぁ、魔王様のか、お、り」やら、生肌に触れると「あぁ、魔王様のなまはだぁ~、なまはだぁ~」と自身を擦ってきたりやら、なんだか気持ち悪い行為をしてくるようになった。見た目がぷっくりした鳥なので許されるが、これが可憐なレディーだったとすると……実にけしからん。
「あぁ、魔王様。どうして魔王様はこんなに私を惑わすのですか? 罪なお方ですわ」
「……」
「もう、魔王様ったら恥ずかしがり屋さんですわね。それもまたす、て、き」
「……」
「あぁ、魔王様。こんなところに生肌が……。んん~、なまはだぁ~。そして魔王様の香り……。んん~、これこれぇ~」
「……」
何度目かになる不意な発言について行けず、俺はひたすら沈黙を貫き通しているが、なにこれ? どうしたスノー?
もう訳が分からなかった。飴と鞭の飴を与えたらコロッと態度が急変して、今回の様な事を言い出すようになってきた。あまりにもチョロすぎる性格なのは良いのだが、鳥にここまで言われる日が来るとは思ってもみなかった。まぁ仮にもスノーは女性だ。見た目はともかく、女性にここまで慕われるのも悪くはない。そう思う俺もチョロすぎるのかもしれないけど……。
っていかんいかん。二人きりならまだ我慢はできるけど、スノーの変貌を他のメンバーは誰一人知らない。いらぬ勘違いをされても困るし、変な噂が立ってもどうしようもない。
ここはスノーには悪いけど少しの間だけ大人しくしてもらうため、スノーをわしずかみにして最後尾を歩くハルカの胸元に押し付ける。何の前触れもない行動に「えっ? えっ?」とハルカは混乱しているようだが気にしてはいられない。
「あぁ、魔王様の後姿もす、て、き」
あまり効果は無いようだった。典型的な重い女になっているけど、どうなっているスノーよ?
俺が盛大なため息をついた時、安全確認のために先行していた若い蜥蜴人が戻ってきた。魔王と知らずに俺を殴った彼は相当後悔しており、偵察の話をしたら真っ先に名乗り出てくれた。少しでも印象を緩和させたいのだろう。
「魔王様、この先に動物の死骸が多数ありました。ここら辺で野営していると思われます」
「そうか……。偵察ご苦労さま。取り敢えずそこまで案内してくれるかな?」
「はい! 分かりました!」
「ここに何がいるか分からない。皆も十分に警戒するように!」
そうして先行していた蜥蜴人を先頭に、野営地と思われる場所に向かった。
そうはいっても、さほど離れた場所にあった訳ではなかった。十分もしない内に目的地に到着した。足元が悪い道での十分だ。距離にして数百メートルなのだが、そんな短距離を先行して偵察する意味が果たしてあるのだろうか?
それはそうと確かに彼の言った通り野営の跡があった。焚き火でもしたのか地面は炭で黒くなり、その付近に野兎と思われる動物が無残にも食べ散らかしてあった。それだけでも知性のある者の行為なのは明白なのだが、更には周辺の雑草は刈り取られ、森に火の手が移らないようにしてある。ここまで手の込んだ事をするとなれば、今も付近に潜伏している可能性は大いにあった。
ただ気掛かりな点が一つある。動物を食べ散らかしてはいるが、焚き火の周辺に散乱している訳ではなく、一塊に放置してある。食べ散らかすほどのガサツな人物が、食べ残しを一か所にまとめるだろうか?
それはつまり複数で行動しているのではなく、単独で行動しているとしか思えない。だが周辺の雑草を一人で、それが大の男でも刈り取れるほど容易な作業でもない。
「魔王様、炭は冷えています。この場を離れてだいぶ時間が経ったと思われます。早朝と同時に発ったと思いますが、今後の方針をどういたしましょうか?」
「そうだな……。取り敢えず周辺をくまなく調査してみようか。もしかしたら塒は別の場所にあるかもしれないし」
「分かりました。ですが仮に相手が敵対を見せてきた場合はどう対処すれば……」
「その時は……穏便に済ませようか。こちらが敵対する意思を見せなかったら大丈夫じゃないかな?」
平和ぼけの甘ちゃんと思われるかもしれないけど、何事にも武力で解決するのは好まない。それに双方に被害が出ても得をする者は誰もいない。仮に相手が予想通り人間族だったとしても、全ての人間族が戦闘教とも思えない。これに関しては俺の願いも多少は含まれているが、現実世界では俺も人間だ。そう願っても仕方がないだろう。
もしかしたらスノー辺りが不満に思うかもしれないが、今回は特に発言する事は無かった。ただ蜥蜴人に関しては眉をしかめ、俺の決定に不満を募らせていた。たぶんだが命のやり取りが激しいこの世界で、その反応こそが正常かもしれないが。
何はともあれ、俺たちは噂の真相を探るため再び歩き出す。
雑草をかき分けた形跡があれば後を追い、雑草をかき分ける音がすれば様子を見に行く。それらを繰り返して探索を進めるが、最初の野営以降は特に発見も無く時間だけが無情にも進んでいく。
ほどなくして周辺の探索を初めて二時間が経とうとしていた頃。
風に吹かれて鼻を衝く臭い――焦げ臭さが漂ってきた。その場の一同も気が付いたのか、一瞬にして場に緊張が走る。
ただ風は縦横無尽に吹いているため、場所の特定まではいかず、臭い自体もそれほど強烈ではない。発生源からまだ距離はありそうだ。
それでも警戒を大にし、誰かが指示を出した訳でもなく一同は姿勢を落とす。スノーも先ほどまでとは打って変わり、真剣な眼差しで俺を守るために腕の中に戻ってくる。
「魔王様、もし何かありましたら私が囮となります。すぐさま集落の方に逃げて下さい」
「それだと示しがつかないじゃないか。大丈夫なんとかなるさ」
「いえ、そのような問題は些細な事です。魔王様の身になにかありますと魔王軍――いえ、全ての魔族の士気に関わります。ここは――」
「ほら、静かにして。何者かも分からない相手に見つかったら面倒だろ?」
「ですが!」
「はいはい、これが終わったら聞くから今は静かに」
頑固な態度に諦めたのか、それ以降は静かに俺の腕の中に納まっていた。
中腰の態勢で足元に気をつけながら進むごとに臭いは徐々に増していく。気が付けば目にまで痛みが走り、更に進めば煙まで確認できるほどまで接近してきた。
このままいけば発見するまで時間の問題かと思った時。先頭を歩く蜥蜴人が何かにつまずいて前のめりになる。
――カランカラン。
それと同時に周辺に木の板がぶつかり合う音が響き渡った。
あまりにも原始的だが、雑草が生い茂る立地では効果は抜群の罠が仕掛けられていた。前方にだけ集中していた俺たちは、その罠にまんまと引っかかり、これからの予想もできない展開に背中には汗が滲む。
『誰だ! 人間なら俺の言葉が分かるはずだ! さっさと答えなければ発砲する!』
声音だけなら中年男性と予想されるが、どうにもその声は無理をしている様に聞こえる。今も苦しみの唸り声を上げている。
それにしても発砲とは実に物騒だ。王都の襲撃された時はミサイルを使っていた。だから現実世界の軍事力は最低でもあると思っていたが、その読みは正解のようだ。
「魔王様、人間族が何か騒いでいます。人間族がなんと言っているのか分かりませんが、こちらから先手を打って出た方がよろしいかと」
つまり魔族と人間族の言語は別で、人間族が言うように今の叫び声もスノー達には理解できない様だ。俺が理解できるのは【常時自動通訳】のスキルがあるからだろう。これと【擬人化】スキルのコンボは中々に使えそうだ。
『おい! さっさと――』
『俺も人間だ! だから撃つな! 今からそっちに行くから銃を下ろしてくれ!』
そうなったらやる事は一つだ。【擬人化】のスキルを使って接近しなければ俺たちは全滅する。
「皆はその場で伏せて待機してくれ。俺が【擬人化】スキルで探ってくる」
「魔王様、それだけは黙認できま――」
「静かにしろ。俺が行かなければ撃たれて全滅する。それに大丈夫、きっと上手くいくから」
スノーは食い下がらず何かを言いたげにしているが、強引にハルカに渡す。
そりゃ俺だって怖いけど、俺が行かなければ助かる可能性は低くなる。それなら少しでも確立の高い方法を選択するに越したことはない。ただ【擬人化】を人間族の前で披露するのは初めてだ。本当に誤魔化されるのかが不安ではある。
かといって後には引けない。俺はすぐさま【擬人化】スキルを発動し、念には念を入れて【常時詳細確認】で発動を確認する。
間違いなく発動しているのを確認し、雑草から立ち上がり深呼吸を一つする。こんな体験は今まで一度もなく、俺の心臓は今にも破裂しそうなほど高鳴る。
『俺はここだ! 撃つなよ!』
両手を上げてゆっくりと一歩、また一歩と近づく。
ほどなくして先ほどの野営地と同じ、雑草が刈り取られた空間が見えて来た。それと同時にアサルトライフルを構え、未だに臨戦態勢を崩さない人物が視界に入ってくる。
そんな彼――人間族は異常な姿をしていた。全身にピッタリと張り付き、体つきがよく分かる紺色のタイツの様な物を着込み、頭にはフルフェイスのヘルメットを着用している。肌の露出は全くなく、声音を聞かなければ年齢すら分からなかっただろう。ただ腹部には大きな赤いシミをつくり、一見して怪我をしているのが分かる。どうりで唸り声を上げていた訳だ。
『おい! 軍服はどうした!? 貴様の所属を言え!』
『見た目通り俺は丸腰だ。まずは落ち着いて銃を下ろしてくれ。そうすれば俺も所属と経緯を話すから』
『さっさと言え! 貴様が人間とはいえ、そのまま何も言わなければ容赦はせんぞ!』
威嚇のつもりか銃をガチャリと鳴らし、今の言葉が本気だと突き立てる。
『わ、分かった! 今から言う――』
錯乱状態の彼に何を言っても無駄だと察し、すぐさま【常時詳細確認】のスキルで詳細ステータスを覗き見る。
なになに、名前はジョン・サンダーで状態は中傷。ありがたい事に称号欄に部隊名が記入されており、十三部隊の部隊長らしい。そんな彼がどうしてここにいるのかは分からないが、あまり良い経緯ではなさそうだ。
『俺は二十一部隊に所属しているマエケンだ! ここには偵察で来ている!』
『嘘をつくな! 二十番台の部隊はC区域だろーが!』
『知らねーよ! 隊長の指示で偵察を任されただけだ! 信用できないなら二十一部隊の隊長に連絡とってみろ! 連絡ができるならの話だが、な!』
半ばやけくそで嘘を並べているけど、いい加減に苦しくなってきた。特に俺の心臓が。
それに『連絡』は賭けだった。怪我を負っている状態で付近に潜伏しているほどだ。きっと連絡を取りたくても取る手段が彼にはないとみた。
俺の迫真の演技、というより命の危機からマジな反応なのだが、どうあれ人間族のジョン・サンダーは言葉をつぐむ。その間の俺は気が気でなく、心臓の高鳴りも最高潮に達していた。
ゆっくりと間を開けてジョン・サンダーは向けていた銃を下ろす。どうやら俺の嘘を信じてくれたみたいだ。
『……すまなかった。気が動転していた。許してくれ』
『いや、仕方ないって。逆の立場なら俺も同じ事をしたさ』
『そう言ってもらえると助かる。俺は十三部隊所属の部隊長をしているジョン・サンダーだ。十三部隊は俺を残して全滅したが、君を歓迎する』
『あっ、これは部隊長殿でしたか。今までの失礼な発言をお許しください』
まっ、自己紹介される前から知っていたけど話を合わせるのは大切だよね。
それはそうと十三部隊の全滅か。王都での一方的な殺戮しか知らないし、てっきり魔王軍はボコボコにされている物だと思っていた。意外にも魔王軍の戦力も侮れないのかもしれない。
そしてジョン・サンダーは俺との会話でだいぶ落ち着いたのか、ヘルメットを外して銃と一緒に地面に置く。そのままヘルメットを椅子代わりにして座り込んだ。
傷の痛みからか、それともヘルメットが蒸れやすいのか、ジョン・サンダーの額には大粒の汗が流れ落ちる。そんな彼の容姿は日本人とはかけ離れた――西洋人を沸騰とさせる彫の深い男前な容姿をしている。短く揃えられた髪と伸びきったダンディーな髭も相俟って、彼を現実世界に連れていけば一躍スーパースターになるだろう。
『なーに、気にしてないさ。それよりマエケンと言ったかね? すまないが救急薬を持っていないか? 持っていたら一つだけ分けてもらえると助かる』
『すいません。見ての通り軍服と装備一式を所持しておりません』
『そうか……。それはそうと、一体何があった?』
『ええ、魔王軍から奇襲をうけまして、その時に一式は……』
『そうだったのか。それは災難だったな。まっ、命あっての戦場だ。それだけでも儲けものだな』
『ええ、その点は私も幸運だったと思います。……失礼ですが先ほど部隊が全滅したと言っていましたが、一体何があったのですか?』
『ん? あぁ、先日決行した魔王軍の本拠地――王都を襲撃した時だ。魔王軍の主要部隊と戦闘になり、激戦の末に勝利をもぎ取ったのはいい。そこからだ。どんな魔法を使ったか分からんが、どういう訳か俺らの部隊だけがここに飛ばされた。そこからは地獄の日々だ。俺らを飛ばした張本人と戦闘を繰り返し、気が付けば一人、また一人と命を落としたよ……。それでついさっきの事だ。ほら、そこを見てみろ。その張本人を仕留めたが、その代償として十三部隊は全滅よ。くそったれが!』
ジョン・サンダーの指さす方、そこには一度だけ見た事のある人物が全身から血を流して横たわっていた。
まだ息があるのか、胸がゆっくりと上下に動く。ただ出血の量からして悠長にしている時間は無いだろう。早く打開策を練らなければ助かる同志も助からないだろう。
あぁ、これは責任重大だよ、まったく……。
ここまで見ていただきありがとうございました。
甘口から辛口の感想やご意見、お気軽に下さると嬉しいです。
以前の執筆した作品なので当分は毎日投稿となります。
よろしくお願いします。