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婚約破棄された雑用係の私、公爵様の甘々な求愛に無自覚なまま愛されすぎている件  作者: おーちゃん


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6話

第6話 公爵邸、恋と混乱の来訪者


 ラインハルト公爵邸の昼下がりは、いつもよりざわついていた。

 理由は簡単だ。


「レティ、聞いた? 今日、閣下のご友人が来るらしいわよ!」


 ドロシーが、洗濯物を抱えたレティシアの耳元で爆弾を落とした。


「ご友人? 閣下に?」


「そう! しかも、王都でも有名な社交界の貴公子なんだって。名前は」


「ウォーレス・アシュレイ・マクラレン様です」


 横からすっと割り込んできたのは、副官ハンス。

 彼はいつものように青ざめていた。


「ハンス様、その顔色は?」


「決まっているだろう。閣下の友人が来る。閣下がまた何かやらかす、ということだ。胃薬が足りない」


(ああ、いつものことね)


 レティシアは心の中で同情しつつ、洗濯物を干し場に運んだ。


 その頃、玄関ホールでは。


「やあ、ヴィクトール。相変わらず鉄血の名に似合わず、顔は天使みたいだね」


「やめろ。私は鉄血だ」


「寝起きは?」


「改善中だ」


 ウォーレスは、柔らかい灰茶の髪を揺らしながら笑った。

 その笑顔は、社交界の令嬢たちが一斉に卒倒するレベルの破壊力を持っている。


「で、例の運命の人は?」


「……」


 ヴィクトールは、ちらりと廊下の奥、レティシアがいる方向を見た。

 その視線を追ったウォーレスは、にやりと口角を上げた。


「なるほど。あの子だね?」


「違う。あれは雑用係だ」


「雑用係をそんな目で見る公爵がどこにいるのさ」


「見るな。見るなと言っている」


 ウォーレスは楽しそうに肩を揺らした。


 その時、レティシアは廊下で毛布を抱えて歩いていた。

 ウォーレスが彼女を見つけるのに、時間はかからなかった。


「やあ、君がレティシア嬢だね?」


「え?」


 初対面のはずなのに、なぜか名前を知っている。

 レティシアは一瞬身構えた。


「僕はウォーレス・マクラレン。ヴィクトールの友人だよ。よろしく」


 その瞬間、彼は彼女の手を取り、


「えっ!」


 手の甲に軽く口づけた。

 昨日の温室事件で鍛えられたレティシアでも、これは予想外だった。


「な、なにを!」


「礼儀だよ。君のような美しいレディには、これくらいが普通だ」


(この人、危険だわ)


 レティシアは本能的に悟った。

 この男は、ヴィクトールとは別の意味で厄介だ。


「ウォーレス。何をしている」


 低い声が響いた。

 振り返ると、ヴィクトールが氷点下の表情で立っていた。


「挨拶だよ。普通の」


「普通ではない。離れろ」


「嫉妬?」


「違う」


「じゃあ、なんでそんな顔してるのさ」


「雑用係に無礼を働くなと言っている」


 ウォーレスは、ますます楽しそうに笑った。


「ふーん。雑用係、ねえ」


 その目は、完全に面白いものを見つけたという輝きだった。


「レティ。午後の仕事は終わったのかい?」


「いえ、まだ排水溝の掃除が」


「なら、私が手伝おう」


「閣下が排水溝を?」


「問題ない。私は鉄血だ」


「鉄血は排水溝に入らないよ、ヴィクトール」


 ウォーレスが横から突っ込む。


「それに、僕はレティシア嬢と話がしたいな。温室の噂は聞いたよ。君、なかなか面白い子だね」


「温室の噂?」


(誰が広めたのよ!)


 レティシアのこめかみがピクッと跳ねた。


「ウォーレス。彼女に近づくな」


「どうして?」


「危険だからだ」


「危険なのは君の方じゃない?」


「違う。私は紳士だ」


「温室でマカロンを口に突っ込んだ紳士?」


「えっ!」


 レティシアは思わず顔を覆った。


(あああああああああああああああああ!!)


 ウォーレスは、完全に確信したように笑った。


「なるほど。これは面白い」


「面白くない」


「いや、面白いよ。君が運命の人を上書きした瞬間を、僕は見逃したくないな」


「ウォーレス!!」


 公爵の怒号が響き、廊下のメイドたちが一斉に悲鳴を上げた。




 ウォーレスが去った後も、廊下には妙な熱気が残っていた。

 レティシアは毛布を抱えたまま、しばし呆然と立ち尽くした。


(なんなの、あの人。公爵とは別ベクトルで疲れるわ)


 そこへ、ひょこっと顔を出したのはドロシーだった。


「レティ! 見たわよ、さっきの! あんた、閣下のご友人に手の甲キスされてたじゃない!」


「見てたんですか」


「見てたどころじゃないわよ。廊下の角から屋敷中のメイドが覗いてたわ。あれはもう事件よ、事件!」


(この屋敷、情報伝達速度が軍隊より早いわね)


 レティシアは頭を抱えた。


 その頃、ヴィクトールの執務室では。


「レティが、危険だ」


 机に突っ伏した公爵が、低く唸っていた。

 ハンスは書類を抱えたまま、深いため息をつく。


「閣下、危険なのはウォーレス様ではなく、あなたの方です。嫉妬で顔が死んでいます」


「嫉妬ではない。私は鉄血だ」


「鉄血は嫉妬しない、という新しい理論ですか?」


「……」


 ヴィクトールは黙り込んだ。

 その耳がほんのり赤いことに、ハンスは気づいていた。


(ああ、これは重症だ)


 レティシアが毛布を抱えて執務室に入ると。


「閣下?」


 机に突っ伏したまま動かない公爵がいた。


「レティか」


 顔を上げたヴィクトールの目は、ほんのり赤い。

 酒ではなく、感情のせいだとレティシアはすぐに察した。


「ウォーレス様はお帰りになりました。毛布を持ってきましたので、今日は早めにお休みください」


「レティ」


「はい?」


「君はそのウォーレスのことを、どう思った?」


 レティシアは一瞬固まった。


(ああ、これは)


 面倒な質問だ。


「どう、とは?」


「その紳士的だっただろう。礼儀正しく、優しく、社交界でも人気で」


「閣下」


 レティシアは、彼の言葉を遮った。


「私は雑用係です。紳士的だろうが、貴公子だろうが、関係ありません。私の仕事は、閣下の世話をすることです」


 その瞬間、ヴィクトールの肩がわずかに震えた。


「そうか」


 彼は、ほっとしたように微笑んだ。

 その笑顔は、いつもの鉄血ではなく、どこか少年のようだった。


「では、毛布を。風邪を引きますよ」


「ありがとう、レティ」


 レティシアは毛布をそっと彼の肩にかけた。

 その手を、ヴィクトールが一瞬だけ掴む。


「レティ」


「はい?」


「君がどこにも行かないと、信じていいか?」


 レティシアは、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。


(この人、本当に不器用ね)


「行きませんよ。排水溝の掃除が残っていますから」


「そこかい!」


 ヴィクトールが情けない声を上げ、レティシアは思わず笑ってしまった。


 レティシアが部屋を出ると、廊下の陰からドロシーとエリンが飛び出してきた。


「レティ! 今の聞いた。閣下、完全に落ちてるわよ!」


「落ちてません。排水溝の話をしただけです」


「いや、あれは恋よ。恋以外に説明がつかないわ!」


「閣下があんな顔するの、初めて見た」


 レティシアはため息をついた。


(本当に変な屋敷)


 でも。


(悪くないわね)


 そう思いながら、レティシアは静かに微笑んだ。


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