お父様におねだり
ローテーブルの上に置かれたティーカップをぼんやり見つめていると、頭の中で、ハイテンションに踊り狂う芋虫が「あんたは死ぬんだよん」と言い出した。「死ぬんだよん」が響いている。とてつもなく嫌な幻聴である。チッと小さく舌打ちをしたのが聞こえたのか、向かい側のお父様がビクリと肩を震わせた。
「エ、エリス?王宮に行くのがそんなに嫌だった?」
嫌に決まっている。どこに死亡フラグが潜んでいるのかわからない状態で、危険そうな王宮になんて行きたくない。私は遠慮することなく頷いた。貴族のくせに一般家庭みたいなやり取りが許される家で、本当に助かっている。
「ごめんね。断れないんだ」
申し訳なさそうに言われても。そんな美少女の困った顔で言われても。
「どうしても行きたくない」
「そんなに!?」
「うん。でも絶対に断れないんだよね?」
「そうだよ。陛下から直々にお願いされてしまったからね」
流石に陛下のお言葉を無下にはできないだろう。しかし、道中事故に遭うとか、王宮で殺されるとか……そういう心配はないだろうか。金さんに詳しく教えてもらえれば一番いいんだけど。あの子、早く進化してしゃべるようにならないかな……。
「うーん……」
5歳にして王宮に強制召喚されるなんて。前世を思い出していなかったら、きっと頭の中お花畑で粗相しまくりの強制退場もあり得たかもしれない。いや、そもそも、第一王子の婚約者探しの一環なわけだよね?粗相した方が、候補から外されていいような気もする。
「王子の婚約者なんて絶対ならないし、お父様が私のお願いを聞いてくれないなら絶対に行かない」
「王家になんて嫁がせないから!絶対阻止するし、お願いも聞いてあげるよ。だから、行くだけ行ってはもらえないかな?」
そうかあ。私のお願い聞いてくれちゃうのか。きっと他所のお宅なら、こんな会話をすることもなく了承して王宮に行くのだろう。むしろ、殿下の婚約者!?絶対になれ!的な勢いかもしれない。
「……それって、嘘じゃないよね?」
「大丈夫。お父様は嘘なんてつかないよ」
「何でもお願いを聞いてくれるの?」
「いいよ」
ふうん。そう。お父様ってばお願いの内容も聞かずにそんなこと言っちゃって。少し心配だわ。一応侯爵家の御当主様なのにね。
私がニヤリと笑っているのに気付いたのか、お父様の口元がひくりと震えた。
「あの、エリスちゃん?その悪徳商人のような笑顔は一体何かな?まさか、お父様に無理難題を吹っ掛けようとしているんじゃないよね?」
「まあ。お父様ったら」
お上品に、ほほほと笑ってみせる。
「そうだよね。お利口さんなエリスがそんなことするわけないよね」
ほっと息を吐いたお父様に、さっそく私はお願いを言ってみることにした。
「竜の祝福に関する本。あるだけすべてを貸して欲しいんだけど」
まさかそんなことを言われるだなんてと、ピシリと固まってしまったお父様。さて、お願いが一つだなんて言っていないし、追加で幾つか言っておこう。
「生き物を飼いたいからそれを許して欲しいし、運動したいから剣の先生をつけて欲しいな。あと、家の中ではドレス以外のシンプルな服で過ごしたい」
「エ、エリス?」
「それから街に行く許可が欲しい。あ、もちろん婚約者はまだ決めないでね。貴族の義務だろうけど、まだ早いってば」
「ちょ、ちょっと待ってエリス」
「お父様?何でも聞いてくれるんだよね?」
「うっ……」
じっとお父様を見ていると、しばらく考え込んでから大きな溜息を吐いた。勝った。ただ王宮に行くだけで様々な権利を手に入れた気がする。後は、無事に生還できれば文句はない。
「……もう、仕方ないなぁ。その代わり、街の中でも馬車から出ないで、窓から様子を見るだけだよ。顔も隠すこと。それと、剣の先生は家の騎士の中から見繕うからね。それでもいいね?」
馬車から出られないのは残念だが、屋敷の外に一応出れるなら随分な進歩だろう。ここで食い下がって、やっぱり禁止と言われるよりは素直に従っておいた方が良さそうだ。
「ありがとう!お父様大好き」
「お父様もエリスのことが大好きだよ。でもね、本当に大人しくしていてね。お父様は心配で心配で堪らないんだよ」
お父様ってばストレス溜まってるのかな。胃の辺りを擦りながら唸っているけど。その美少女顔でハゲたら本当に嫌だわ。頑張って育毛剤でも開発しようかな。売れそうだし。きっとこの世界にも薄毛で悩んでいる男性、いると思うんだ。
「うんうん、わかった」
「……エリスのことはちゃんとお父様が守ってあげるから、安心して大人しくしているんだよ?」
「大丈夫だって。自分の身は自分で守るし」
「エリス?大人しくしていてね。お返事は?」
「…………」
「お返事は?」
「……はーい」
お父様、笑顔がとっても怖いです。
竜の祝福に関する本は、隠し金庫に入っていた。通りで見付からないわけである。数冊の本を手に取り、お父様は何やら考え込んでいる。ちらりと表紙を見ただけだが、相当高そうな本である。私が汚すとでも思っているのだろうか。
「……祝福持ちなら大抵読んでいる本がこれなんだけれど」
テーブルの上に二冊の本が置かれる。まだお父様の手には白い本が残っている。私がそれを見ていると、お父様は盛大な溜息を吐いた。
「この本は、とても貴重なものでね。祝福持ちでも知らないと思う、白竜について書かれた本なんだ。エリスはこれも読みたいんだろう?でも、この本の存在や内容を人には言ってはいけないよ。約束できるなら読んでもいいよ」
「絶対に言わない」
「メイドやお友達、陛下から聞かれても言わないように」
え、そんなに危険な内容なのか?そんな代物なら読まない方が良いような気がしてきた。
でもそこまで言われると氣になるし、読ませて貰おう。私は良い子返事をしてみせた。