表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイツ、ナニカ、ヤッタラシイ〜物語が拡散する世界で〜  作者: 藤紫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/11

第1話 鈍感男爵の恋

「隣の領の男爵様、最近もっぱらの噂ですわよ」

「ええ、鈍感で難聴で、おまけに色男だなんて、贅沢な話ですこと」

「令嬢様との、あのじれったいやり取り。見ているだけでニヤニヤが止まりませんわ」


城下の茶会は、今日も上機嫌だった。貴婦人たちは扇を揺らし、紅茶の湯気の向こうで、隣領の男爵と令嬢の話に花を咲かせている。誰かが「昨日も告白未遂があったらしい」と囁けば、別の誰かが「またギリギリで邪魔が入ったんですって」と笑い、さらに別の誰かが「もう何回目かしら」と指折り数え始める。空気は甘く、穏やかで、どこか不健全だった。


同じ頃、男爵領の庭園では、当の本人がベンチに座り、三年分の覚悟を口にしようとしていた。


「……ロゼ嬢。今日は、その、天気が――」


エドヴァルドは、喉の奥で言葉を転がした。三年温めた台詞だ。今日こそ言い切る。風向きもいい。庭のバラも適度に咲いている。完璧な状況だった。


「男爵様、お茶のおかわりです」


侍女が、まるで地中から湧き出たかのように現れた。ポットを傾ける速度が、明らかに通常の三倍遅い。湯気がロゼの顔の前でゆらゆらと立ち上り、視界を遮る。


「いや、今、大事なところ……」


「あら、お召し物に染み。すぐお着替えを」


執事が、どこからともなく現れた。エドヴァルドの袖を指差す。染みというより、ただの光の加減だった。というか、さっきまでなかった。


「これくらい別に……」


「いけません。ロゼ様の御前です。すぐに」


有無を言わさず腕を取られ、別室へ連行された。着替えて戻ると、ベンチにロゼの姿はもうなかった。代わりに、バラの茂みの陰で庭師が小さな手帳に何かを書き込んでいる。


「……またかよ!!」


エドヴァルドの絶叫が庭に響いた。庭師は顔も上げず、手帳を閉じて「本日も、じれったい男爵様、絶叫。ネタ帳、更新」と小さく呟き、さっさと去っていった。

その夜、私室でエドヴァルドは執事を問い詰めていた。


「お前、絶対わざとだろ! あの染み!」

「滅相もございません。あれは、太陽光の反射による錯覚かと」

「反射で染みに見えるかよ! しかも毎回同じタイミングで反射しすぎだろ! 太陽が俺の袖を狙ってるのか!」


執事は目を逸らしたまま、涼しい顔でお茶を注ぎ足す。カップの縁に、わずかに手が震えているのが見えた。


「旦那様、落ち着いてお茶でも」

「落ち着けるか! 侍女もだぞ! なんであいつ、俺が喋りだすと必ずおかわり持ってくるんだ! おかわりの精度、異常だろ! 俺の口が動いた瞬間に、ポットが反応してる!」

「侍女の観察眼が優れているだけかと」

「観察眼で邪魔してくるなよ!!」


エドヴァルドは頭を抱え、机に突っ伏した。額に冷たい木の感触が染みる。今日こそ、と思っていた。ロゼの顔を見て、天気の話から始めて、三年前の約束を思い出させて、それから――。


「もう、無理だ……今日こそ言うつもりだったのに……」


執事が、そっと耳打ちする。


「実は旦那様、城下では、本日の告白未遂も既に噂になっております」

「はぁ?! もう広まってんの?!」

「はい。『今日もお二人、ギリギリのところで邪魔が入ったらしい』と、大変な盛り上がりで。茶会では『今週のハイライト』として語られていたとか」

「誰が広めてんだよ、それ!」

「さあ。誰が広めたというより、皆が自然と、同時に」

「気持ち悪いこと言うな!」


執事は丁寧にお辞儀をして部屋を出ていった。ドアが閉まる寸前、エドヴァルドは小さな声を聞いた気がした。


「頑張ってください、旦那様。私も、なぜか応援したくなってしまうので」

「お前が邪魔してるんだろうが!!」


叫び声は廊下の向こうまで響いていったが、誰も気に留めなかった。むしろ廊下ですれ違った女官が、その声を聞いてにっこり微笑み、「今日も、お二人、絶好調ですわね」と隣の女官に囁いた。隣の女官は嬉しそうに頷き、「次は雨の日の告白未遂が来るかしら」と期待を込めて答えた。


エドヴァルドは私室の窓から外を見た。城下の明かりが、いつもより少し明るく見えた。まるで、どこかで誰かが、自分の失敗を肴に酒を飲んでいるような気がした。


「……ロゼ。俺は、本気なんだぞ」


誰にも届かない呟きだった。窓の外では、風がバラの香りを運んでいた。いい匂いなのに、なぜか腹が立った。


そして、その夜――遠く離れた王都でも、同じ夜風が吹いていた。

宮廷の廊下では、貴族たちが、隣領の「じれったい男爵様」の話をひとしきり笑ったあと、ふと話題を変えていた。


「そういえば、あの勇者様も、最近ずいぶんと変わった噂が立っているとか」

「ええ。今度は、無自覚に強すぎるとかで」


風に乗って、噂はまだ、次の獲物を探して静かに移動を続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ