72.先行
木村とゆかりのふたりは翌日の朝待ち合わせをした後、ある場所にいた。
〜前日の夜〜
「そりゃ、検索すればどんなデータだって家にいながら取り出せるさ。でも、いくら検索エンジンが進化していても、本当にピンポイントに目的のものが探し出せるかってのは蓄積されたデータの優劣やその量にもよると思う」
「そうなんだよね。なにこれ?ってのが一緒に出てきて探すのに時間が掛かっちゃう。でもやっぱりそれで地道にしなきゃだめかな。気が滅入るわ」
「ゆかり、俺たち新聞記者は自社の資料室やアーカイブに無いものを調べる時にはどうすると思う?」
「太郎ちゃん、もう新聞記者じゃないじゃん。まだ癖が抜けないのね」
そう言って笑うゆかりに木村はいつもの独特の笑顔でこう答えるのだった。
「今の世界は紙の媒体って無くなったろ?でも昔は紙媒体だけが情報だったんだよ。そう云う媒体が集められてる場所に行くんだよ。意外に情報量も限られてるから探しやすいんだ」
「へえ、じゃあ本屋さんを探すのね」
「違うよ、ゆかり。図書館に行くんだ。昔の書籍が山程眠ってる」
「図書館?」
〜
〜
「取敢えず、これとこれを持ってきたぞ。ええっとこれは『幕末明治の日本︰ベアト』こっちは『明治大正の歴史風俗写真集』それに『昭和の時代』って本だ」
「わあ、面白い〜、お侍さんが大勢いるわ。でもこの頃の女の人達はみんな和服よね。洋装も少しあるけど違うわ」
ゆかりは次の時代の本を手に取ってページを進めていく。
「明治大正も違うかなあ。こんなのじゃないのよ。あの女の人はワンピースを着ていたけど、この時代でも無さそう。今のとそんなに変わらないんだけど、よく見ると違うのよ。ああ、どう言ったらいいんだろ」
「まあゆっくりと見ろ。今日は一日付き合ってやる。だから時間はたっぷりあるさ」
「太郎ちゃん、優しいんだね。知ってたけど」
「ばかっ、照れるじゃねえか、やめろ」
ゆかりは微笑したまま次の本をめくっていった。そして、少しずつ見進めていた時、ゆかりはその一頁を見たまま止まっていた。
「これだわ。この時代。昭和35年、やっぱり随分と昔だった。110年前よ。でもこれだけじゃ、あの人が生きていた年月を特定できないわ」
「そうだな、プラスマイナスで5年は誤差があるだろうし、可能性として見当違いの年代かもしれないぜ。何か他に思い出すことは無いのか?」
ゆかりは目を瞑って何かを思い出そうとしている。木村はそんな彼女を根気よく見つめ続けていた。
〜
〜
「あなたはこの国に大昔から住む“もの”と繋がっている。だが、それらに住むことを許可したのもわたし達・・・だった筈なの。それをあれ等は認めようとしない。自分たちの上にいる者こそが地上の神だと思っている。邪悪の化身と化したわたし達の片割れを15年前に封印したのもあれ等。あれ以来、あれ等はわたし達に敵意を持ち続けている」
それを静かに聞いていた女が口を開いた。
「その片割れがこの世界を破滅に導くような事をしたからよ。封印されて当然だわ。でも、あれのせいで私たちの国は一度滅びた。なぜその前にあなた達は動こうとしなかったの」
「合う者がいなかった。貴女はまだ小さなお人形だった。それに貴女の能力の前の持ち主は随分と前の人間だったから」
「時代が合わなかったとでも言いたいのかしら」
女のその言葉を無視するように黒衣の老婆は話し続けていく。まるでそこにいる他の誰かに聞かせるように。
〜
「そう、わたしは今時点で能力を持ちながらも何も出来ないって事だけは理解したわ。だけどどうするつもりなの。わたしの子供たち、そのまた子供たちをずっと監視するつもりなの?やめて頂戴。こんな目に遭うのは私だけにしてほしいわね」
老婆が言う。「妙子、貴女たちに危害を加えるつもりはない。それは以前からずっと言ってきた事。子供たちにも孫たちにも」
〜
〜アラームの音♪
「ぎゃっ、また遅刻だ!早く早く!」
三度停止させていたアラームに再度起こされたゆかりは布団を跳ね除けた。
「遅刻、遅刻、あぁ髪が纏まんない!」
顔を洗った後、昨晩作っておいた軽食を半分だけ食べたゆかりは大急ぎで自転車に乗って駅までの道を走り始めた。
「ぎゃー、寒い寒い!上着をもっと厚いものにしたらよかった!」
なんとかいつも乗る列車に乗れた彼女はドア横に立ったまま外の風景を眺めている。そしてドアのガラスに薄く映っている自分の顔をまじまじと見た。
『ああ、ひどい顔!あたし、なんでこんなに朝に弱いのかしら。たえこさんならこんなひどい顔にならないだろうなー。え?たえこさんって誰だっけ?』
駅でシャトルバスに乗り換えて一番後ろに座ったゆかりはいつもの様にうとうとと眠りだした。
〜
〜
生まれたばかりの新生児を看護婦から受け取った女性はベッドの中で呟いた。
「あなたは幸子。この平和の時代に生まれた幸せな子供。あなたに私のような体験はさせない」
〜
〜
「あなた!瑠美が立ったわ。ビデオはきちんと撮れてる?」
よちよち歩き出した子供の脇を父親が抱き上げ、母親が寄り添う姿。
〜
〜
母親が子供を産み、そしてその子供が成長して親となってくる過程を短い夢の中で長時間にも感じる走馬灯を彼女は観劇していた。
〜
「瑠美、おばあちゃんが来てくれたわよ」
「わあい、おばあちゃん大好き。お母さんよりも好きー」
〜
「幸子、ここに座りなさい。貴女に言っておくことがある」
「なあに?母さん。改まって一体なんなのよ」
〜
「瑠美は変わった子だ。俺にはもう理解できない」
〜
「お母さん、おばあちゃん死んじゃった」
「ええ、死んじゃったの。哀しいけどあの人は・・・お前のあの人は」
〜
「おばあちゃん、瑠美おばあちゃん。おばあちゃんはずっと昔に産まれたの?」
「おばあちゃんが産まれたのは2001年よ。ちょうど世紀が変わった頃。日本は平成13年」
「へいせい?」
「そう、平成。おばあちゃんは三つの年号を生きてきたの。とても平和そうに見えていたけど、みんなが苦労していた時代ね」
〜
「隔世遺伝?女子にだけ遺伝するというのかね」
「教授、でもわたしは祖母の能力を引き継ぎませんでした。多分祖母の代でそれは途絶えたのかも知れませんね。母方の伝承では多くの場合そうなっていたと口伝されていたんですが、わたしにはその能力はありませんでした。ですから内心ほっとしているんですよ」
「いや、君、隔世遺伝というのはね二世代またぎだけとは限らんぞ。しかし、君のお婆さんの能力というのは非常に興味深いな」
「でも今の時代には全く必要とされなさそうな力ですよ」
「かもしれんな。でも君の娘さんに発現したらどうするね」
「教授!わたしはまだ結婚も考えていませんし、子供なんて考えられませんよ」
〜
「じゃあ、いまここに、君のお腹にいる赤ちゃんが女の子だった場合、その能力が開花してしまうかもってこと?おお、それはすごいな。じゃあ僕と娘と二人で地球を救ってヒーローにでもなるか。親子二代ヒーローってのも面白い」
〜
無人バスが前方を横切った人物を検知して急停止した。
バスの中で目覚めたゆかりは放心状態でいた。彼女はこの短時間に観た長い夢を思い出そうとしていた。
〜
〜
研究室〜
「どうしたの?中野さん。作業に身が入ってないように見えますけど?」
その声に振り向いたゆかりは持っていた試片を危うく落下させそうになった。
「すみません小畑主任。なんだか寝不足なんでしょうか。頭がぼうっとしてしまって。いえ、もう大丈夫です。私はこれくらいへっちゃらです」
それを聞いた小畑は首を振りこう言った。
「だめよ、健康管理はここの社員として最低限自覚してもらわなくちゃね。それが原因でミスでもしたら取り返しがつかないわ。ここはそういう場所なの。いい?少し休んできなさい。一時間差し上げますので厚生棟に行ってきなさい。これは命令です」
〜
ガラスの渡り廊下を中央にある厚生棟に向かう彼女はひっそりとした中庭のベンチにひとつの人影を見ていた。
「彼女も休憩なのかな。どこの所属なんだろう」
その後はそれを忘れたかのようにリクライニングソファに横になってアイマスクをして目覚ましアラームを設定した。
アイマスクによる暗がりはとても自然なものとは言えず、ゆかりは何度も身を捩っては少しだけでも眠ろうとしていた。何度も左右反転しては身体のラインに合わないソファに苛立ちを感じていた。
「もう、人体工学とか四肢の補助の為の付帯装置を作っている会社なんだからソファくらいちゃんとして欲しいわ」と独り言をつい漏らしてしまった。
その時、自分一人しか居ないはずの安息室にくすっと笑い声が聴こえた気がしてアイマスクを外して起き上がった。
しかし、周りを見回してみても誰もいない。こんな時間に休憩している人間など私だけだ。
「ねえ、誰かいるの?まさかカトリーヌじゃあないでしょうね?もう、あたし寝るんだから邪魔しないでね。一時間だけ主任に貰ったんだからね。邪魔はし・・・」
そこまで言うとゆかりはばたっとソファに倒れて目を瞑ってしまっていた。
〜
〜
『ゆかり・・・・、聴こえる?ゆかり。あなたに順番は回すつもりはなかった。でもおそらく私たちの輪廻はもう終わりに近づいている。あなたが最後の守護者・・・』
ゆかりは訊いた。
「え?なになに?なんなの?順番ってなに?」
『・・・ふふっ、あなたは気付いている筈。いつも戯けていてふざけた真似をして他人に道筋を示してきたのはあなたでしょう。もう自分を解放なさい。もうあなたは自分が持っている能力に気づいている筈。だから"永遠の老婆"はあなたの前に現れた』
「永遠の老婆?カトリーヌのこと?」
『そう、そんな名前もあるわね。でもあれはひとつじゃないの。複数の意識体が一つになっている。あれらは人間を使って自分の思いを遂げさせるのが目的。操られた人間は不幸になる。彼女たちは星の意思などと言ってはいるが本当は星の意志などないって事だけは夢から覚めても覚えていて。ねえ、ゆかり。あなたはずっと連綿と続いた明石家の末裔・・・』
「なになに?明石家って何なの?え?それは何?・・・」
〜
〜
40分後、ソファから半身を起こした状態の彼女はアイマスクをしたまま、まるで凝固した剥製のように固まっていた。
何かの夢を見た。しかし思い出せない。内容が脳から消失している。欠片を探りだそうと頭の中でもがいているが何も引き出せない。
「何だろう。なにか夢を見た。けど思い出せない。起きた瞬間に今見ていたはずの夢を全て忘れるのが人間の常なのかな。何か大切な事だった気がするのに」
そんな独り言をソファの上で漏らした彼女は、その瞬間にまた誰かの笑い声を聴いた気がしてアイマスクを取り外して周りを見渡した。
無人の薄暗い部屋に小さな照明が数個灯っているだけだった。
ふうと彼女がため息を漏らした直後、セットしていたアラームが身体に振動を与えてきたのを確認し、立ち上がり、身支度を整えて元来た道を研究室に戻ることにした。
厚生棟のシャフトを降り、中庭に続く、格子に守られたガラスの専用通路を歩く彼女は、先ほど見た女性がベンチに腰掛けているのを発見した。立ち止まりぼうっとその人物を眺めていたゆかりは、お洒落な帽子を深めに被った対象を既視感と共に絶句してしまった。
「あ、あの人は・・・」
彼女はそこで立ち止まり、前方左のベンチを凝視した。
ミストラルへ通じる格子の通路は外の温度や音など全てを遮断していたので、無音の風景がガラスの全方向に拡がっている。しかしゆかりは音を感じていた。もうすぐ来る冬の足音たる風の音、中庭の樹々から舞い落ちる広葉樹の葉の擦れる音。そしてその女性が広げていた紙の本の頁を風が揺らす音を。
「紙の本?今時珍しいわね。彼女はどこの部署なのかな。こんな時間に休憩?研究棟所属じゃなきゃあり得ない」
その時、ガラスのチューブの中から自分を見つめる白衣の存在に気がついた女性はベンチから立ち上がって歩き出した。
「あ、見過ぎちゃったのかな。そりゃこんなに見られてたら居心地が悪いもんね」
そう独り言を言ったゆかりはミストラルへ戻ろうとした。
白いワンピースと深めに被った帽子の女性と格子越しにすれ違う瞬間その人物は方向を変えて格子の方に近づいてきた。
女性の視線は明らかに自分を見つめており、そのままこちらに向かって歩みを進めている。その姿に動揺したゆかりは立ち止まってしまった。明らかにこちらに向かっている女性の顔は硝子の廊下から見下ろす形なのと大きな帽子のせいでよく見えない。しかし白いワンピースはどう見ても半袖だった。この晩秋にはどう考えても似つかわしくない。ゆかりの背筋は氷のような冷たいものが滴り落ちる感覚に囚われた。
「え?え?なに?なぜあたしに?」
音が遮断されたはずの硝子の廊下になぜか女性の足音が響き、ついには目の前に立ち止まった女性と対面する形となった。
「あ、貴女はどこの部署の人なの?」
帽子のつばで顔が見えないが、見え隠れする口が開いてふっと笑いを漏らした気がした。いや何処かでその笑いを聞いた記憶があった。
その時、女性が手を伸ばし硝子に触る動作をした。
その掌は硝子面に密着された。
瞬間、ゆかりは大きな耳鳴りに襲われた。
「え?何これ?なにも聞こえない」
しばらくして高音の振動が耳から遠ざかり、遠くに小さな声が聴こえる気がする。暗い洞窟の奥から響いてくる声とも音とも解らぬものだった。
しかしゆかりは後退りしたその位置から白い服の女の口が動いているのを見てとった。
明らかに洞窟の声とその唇の動きは同調していた事に改めて驚いたゆかりだったが、彼女特有の、おそらく男にはないほどの決断力が目を覚ましていた。
女の前に進み、そしてしゃがみ込んで今度は女の顔を見上げるような姿勢をして恐る恐る硝子越しに女の掌に触れてみることにした。
相変わらず女は微笑をしていたし、その顔をゆかりは見覚えがない事も自覚した。
その刹那、女は再度口を開き何かを言った。
〜
休憩室のソファに横になっていたゆかりはアラームの振動に起こされる形で半身を起こした。
アイマスクをしたままの彼女は独り言を呟いた。
「夢、そう夢をみた。普通は起きた瞬間に記憶の紐が燃えてなくなる。けどあたしの紐は燃えなかった」
ミストラルへ通じる硝子格子の通路を職場に戻る彼女は、左前方にひとつのベンチを見ていた。
無人のベンチを横切ったゆかりはふっと笑いとも取れるため息をひとつついた。顔はため息顔などではなく確かに笑っている。
硝子の終端でミストラルのゲートでのセキュリティを通り抜けたゆかりはもう一度そこで立ち止まり振り返ってベンチを見た。
落ち葉がベンチの上に降り積もり、かさかさと音を立てているような気がした。
ゲートの中に入ったゆかりを感知したゲートは自分自身でそれを閉じてゆかりにエアシャワーの洗礼を浴びせた。
強く激しい風がゆかりの身体と髪を揺らしている。
その音と同調するように硝子格子の外では冬の足音のする風が吹きベンチの落ち葉をこそぎ落とした。
〜
〜
「ねえお母さん。あたしね、どうして我が家には親戚がひとりも居ないのか今までは不思議に思ったことなんて無かった。でもその理由をお母さんは知っているのよね」
章子は娘の真っ直ぐな眼を感じ、つい目を逸らしそうになった自分を感じたが、視線を向き直しゆかりを抱きしめた。
「そろそろ話さなきゃって思ってたわ。ごめんねゆかり、隠すつもりは無かったのよ。でも話さないで済むならそれでも良いかと考えてた」
ゆかりは母の態度と体温を感じながら考えていた。
やはり自分には何らかの力があって自分の意志に反してそれが発現してしまうかも知れぬと。
「ゆかり、わたしのおばあちゃんが言ってたの。自分には祖母から引き継いだ力があってそれはとても呪われた力で女だけに遺伝するんだと」
「呪われた?」
「そう、ひとつはあなたも感じていた親戚が居ないって事にも繋がる」
「じゃあ、お父さんが死んじゃったのもそれが原因なの?」
「それは違うわ。お父さんのは本当の事故。予測できないものだった。だけど子としての男子は早死にしてしまう。そして直系の女の子だけが残されていったの」
「それが明石家というの?」
「女子だから名前は変わっていった。でもその本流は明石という家」
ゆかりは母からこんな話を聞くことになるなど思ってもいなかったので、先程までの笑顔すら保てなくなっていた。
「ねえお母さん。もしかして、たえこさんって人が私たちの先祖にいる?」
章子はそれを聞いて驚いてしまった。
何故娘がその名前を出せたのか。母方の系図について娘に詳しく話した事がなかったからだ。
〜
その数日後、地下〜
いつもより照度が上がっている地下実験室。
公聡と美月の前にふたりはやってきた。
公聡は言った。
「俺たちのパズルを完成させるためだって?」
ふたりは黙って頷いて真っ直ぐに公聡を見ている。
「そうか。婆さんたちの贈り物の使い方を理解するためだってのか」
ゆかりは公聡に言う。
「そうなんです。わたしは自分自身の役割を知りたいんです。今ある認識が間違っていることも証明したいし」
「ふむ、そして昭和35年に行って君の母方の女性を探したいと言うんだな」
公聡は頭を掻きながら少し考えた後それに了承する事にした。
「ただし、その格好のまま行くのは目立つな。当時の服装と現金を再現してやる。木村君も同行するんだろ?二人分用意してやるから数日待ってくれ。それと当時の地形は今とは少なからず違う。俺が以前飛んだ時のような着地失敗をさせる訳にはいかんからな。わははははは」




