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スフィア  作者: ハーブスケプター


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68.もうひとつの悪意


 〜2057年3月

    太賀家葬送式 〜


 喪服に見を包んだ由美子は式を終え安堵していた。

喪主を立派に努めた長男の公聡がやって来た。


「お母さん、済みましたね。後は隣りにある火葬場に。公臣はもうあっちへ行ってますよ。さあ、お母さんも行きましょう」


「公聡、話しがあるの」


公聡は今更何だと思いながらも、話を聞いてやることにした。


「私はもうあの人の妻では無くなっているの」


「それは知っています」


「先日、弁護士の先生とは関係なく、あの人の生きている間にある文書を書かせました。それは遺言状ではありません」


「なんですって?遺言状はあの先生にまだ預かってもらってますよね。それ以外にまだ別のものがあるって言うんですか」


「ええ、それは遺産相続とかそう言う、どろどろした類のものでは無いから安心して」


「いったい何を書かせたんですか。お父さんに」


「ええ、あの人のやり遂げたい事というのを」


公聡は呆れてしまった。


「なんです?それは。バゲットリストってやつですか」


由美子は一枚の封筒を彼に渡して言った。「これを読んで」


公聡は封を切り、中にある折りたたまれた紙を取り出した。


「馬鹿らしい。これを死ぬ前にしたかったと?でも、もう無理ですよ。親父は死んでしまった」


しかし由美子はこう言った。「死んだ後にも出来るらしいの」


「え?何ですって?それはその意思を俺たちに継げって意味ですか」


公聡は笑っていた顔をやめて聞き直した。


「お母さん、気は確かですか。俺もこれまでかなり不思議な体験をしてきましたが、それは驚きの発言ですよね」


由美子は鞄の中からまた別の封筒を取り出して公聡に見せた。


「今度は何ですか。また別の遺言が?」


公聡は封筒の中身を確認して驚いてしまった。


「まさか・・・お母さん、これを何処で?」


「これはあの人が持っていたものよ。悪魔に魂を売った報酬だと言っていたわ」


公聡はそれを聞き「悪魔か。たしかに悪魔かも知れねえな」と言った。


その瞬間、部屋の隅から黒い煙がしゅるると伸び、その回り込むような煙が実体化し、黒い服を着た老婆に替わった。


由美子は初めて見るその情景に尻もちをつくほど驚いて悲鳴を上げた。


「何?なんなの。あなたどこから来たの」


公聡は「お母さん落ち着いて。今言ってたその『悪魔』ですよ。でも憑りついたりはしないから」と言った。


「あら、あなたはカンダタの奥さんかしら」


「カンダタ?カンダタって何なの」


「ねえ、カンダタの奥さん。それをあなたが持っているという事は彼は死んだっていう事かしら」


「カンダタって公央さんのことなの?」


「そう、そんな名前だったわね、シャイボーイのお父さんは。でもその絵札の使い方をあなたは知ってるのかしら」


「ええ、あの人に聞きました。一緒に棺桶に入れて焼いてくれと」


カトリーヌは少し考えてからまた言い始めた。


「カンダタが死んだとき・・、その瞬間・・それはどこにありましたか?」


「わ、私のバッグの中に・・」


「あら、それはいけないわね。いつも肌身離さず持っていなさいと言っていたのに。それでは無理と言うものよ。彼の願いは聞き入れられないわね。その絵札はもう紙くずよ。棄ててしまってもいいし、カンダタと一緒に燃やしてもいい。でももう何も起こらないわ。蜘蛛の糸と金の糸を取り違えたのね」


それだけを言うとカトリーヌは部屋の隅に吸い込まれていった。


「き、公聡。これはどういう事なの?」


「ああ、お母さんはあれを見るのは初めてでしたか。あれは俺達の小さい頃から常に俺たちを見張ってる。危害は加えることはないが、何やら俺たちにやらせようとしているんですよ。お父さんに接触していたとは初耳なんですがね。いいですか、お母さん。公臣の奴には内緒にしておいてください。お願いしておきます」


由美子はそれを聞いて癇癪を起こした。


「何?何なの!あれを実現出来るならと協力してきたのに!今さら何よ!何?蜘蛛の糸を取り違えたって!」


そう叫んで由美子はふたつの封筒を破り散らかした。


「さあ、公聡!焼き場に行くわよ」


彼女はそれを言うと足早に焼き場へ去っていった。


公聡は紙で散らかされた部屋を片付けながら「お母さんはいつもそうだ。癇癪を起こして俺たちや親父を叱りつける。うちの家ががたがたになったのはお母さんのせいだ」


封筒の切れ端を拾い上げ、その中にあった絵札を取り出した。


「なんだこれは?直線的に斜めにカットされている。お母さんは手で破ったはずだ」


慌ててもう片方を探す公聡だったが、どこを探しても残り半分が見当たらない。


『どういう事だ?』



「皆様、故人への最後のお見送りです。どうぞ皆様、棺のお近くまで」


 兄弟は棺に寝かされている父親と最後の対面をした。

その後親族が次々に遺体の頬や頭を触り祈りを捧げている。

最後に由美子が公央の鼻を抓り去った。


その時、由美子が何かを棺に投げ入れたのを誰も見ることはなかった。



「なあカトリーヌ、あんたはうちの家ががたがたになっていったのを見ていたろ。父親にまで近づいたのは何が目的だったんだ?もう話してくれてもよかろう」


老婆はいつものように表情を一切変えずに震えるような声で話し始めた。


「あれはこの計画を成し遂げるために協力してくれた報酬です」


「報酬?父親は何もしていないだろう?」


「この計画にはあなた方、“双子”が必要だった。双子の特殊性と双子の相互伝達能が。双子でなければならなかったの」


「え?ちょっと待て。お前さんは俺たちが産まれることを知っていたって言うのか?」


「・・・・・」


「おい、黙るんじゃねえ。お前さんたちが双子のふりをしている事と何か関係があるのか?」


老婆はその問いには答えなかった。


「あんた達は都合が悪くなると途端に黙り込む。しかも難解なことしか言わねえ。何なんだ!珠の意思ってのは!お前さん達に翻弄されるのにも慣れた感があったが、これは勘弁ならねえ」


黒衣の老婆は黙ったまま公聡を見ている。


「なにか言ったらどうだ!え?カトリーヌ」


「双子の意思を取り戻すには双子が必要だったのです。シャイボーイ、それを貴方のお父さんに頼みました」


公聡は老婆が何を言っているのか最初は解らなかったが、徐々に何を言ったのかが解ってしまった。


「ああ、なんてこった。まさかお前さんたち、お母さんに新薬を投与したのか!当時うちで開発中だった承認前の新薬を!あれは開発中止となったと聞いたぞ!まれに脳に障害が・・・。ま、まさかお母さんは!て、てめえら許さねえぞ。父親も許さねえ!まとめて赦さねえぞ。ああ、なんてこった。母さん。すまない。俺は家がばらばらになったのはあんたのせいだと思ってた。違うんだな。こいつらとくそ親父のせいじゃねえか!」


公聡の叫びは、カトリーヌが煙と消えても止むことは無かった。



「こんな事、公臣の奴に言える訳ねえ。お母さんの精神不安定は親父に打たれた薬のせいだなんてな・・・。早く次元転移装置を完成させて、親父がまだ元気に生きてる時代に行ってよ、そう、あのくそ親父を殴らなきゃ腹の虫が収まらねえ」


公聡はこの後、次元転移装置の開発を通常ではない速度で成し遂げていく。家族の負の部分を弟に知られることが無いように細心の注意をはらって。


そして、半分に切られた絵札のことは誰にも明かさずにいようと決め、父親との過去での対面の時まで肌身離さずに持っていることにした。


その15年後の12月〜


 公聡は岩の塊が飛んできた衝撃による複数の骨折や内臓損傷と戦っていた。みんなでお揃いのユニフォームを作ってヒーローごっこをしていた自分を情けなく思い、部下をひとり行方不明にさせてしまい、弟も半死半生の怪我をさせてしまった。


ここ数日、その後悔の慟哭で、桐野医院の病室は叫び声で満たされていた。


その時、桐野が彼の様子を見に来てこう言った「おいおい、まだ起き上がるんじゃねえよ。お前さんはまだ動けるような状態じゃねえんだ」


「すまねえ桐野。居ても立っても居られねえんだ。早く会社に帰って帰りの切符を作らにゃならんのだ。あの人の大切な息子を探さなきゃならん。それまであの人に顔向けが出来んのだ」


桐野はあきらめ顔で公聡に接していた。


「お前たちがやっていた事、あの娘から聞いた。とんでもねえ事しやがって。俺になんの相談もしないでよ。ばか野郎め。医者は必要だろうが。冒険にはよ」


「すまねえ。桐野」


「お、そうだ。お前が着ていたあの服、ぼろぼろだったから捨てるぞ」


「あ、いやいや待て。あれには大事なもんがまだ入ってんだ。捨てるのはよせ」


「ポケットの中のもんは全て出しておいたさ。心配するな」


「いや、違うんだ。ポケットの裏に縫い付けてあるんだ。隠しポケットってやつさ。ここに丸ごと持ってきてくれや。面倒かけるな。ほんとすまん」


桐野が呆れた顔のまま病室をでて数分後に戻ってきた。


「ほらよ。自分で探せや」


「お前、さっきまで動くなと言ってたよな」


「ああ、わかったわかった。で、どこにあるんだ」


「背中側、右の腰の上辺り、どうだその辺は破れてるか?」


「いや、ここは破れてないな。おお、これか。裏にポケットがあるな」


桐野はそう言うと手術用の鋏で糸を切っていった。

「うん?何もねえぞ。何も入ってねえ」


公聡は桐野がいつもの様に自分をからかってると思い、笑った。


「冗談はやめろ、桐野」


「嘘じゃねえよ。ほら自分で見てみろ」


公聡はそのポケットの中を見て愕然とした。


外側は他の場所のように一切破れていない。

確かに自分でそれを入れて縫い付けたはずだった。


「こりゃあ、大変なことになったかもしれん」


 2262年春 〜


「総司、焦らなくていい。今はその段階ではないんだろう。投げやりにはなるんじゃないぞ。幸いボクには時間は腐るほどある」


 総司少年は先日までこの男の事を、ただのうるさいだけで自分には必要のない人間だと思っていた。

しかし、色んな話をしていくうちに、なにかは分からないが、気持ちが通じた部分を感じてもいたし、何よりこの人の事を助けたいと想い、そしてこの男の事が嫌いでは無くなっていた。


「おじさん、分かったよ。焦らないことだよね。じっくりやるよ」


「うん、偉いぞ。やっぱり君はあの人達の血を引いている気がする。気持ちの切替が早い」


それを言われた総司は照れ隠しのために話題を変える事を試みた。


「そう言えばおじさんは、帰ったらやらなきゃならない事が増えたって言ってたよね。何なのそれ?」


「そうだな、確か君には取っかかりの部分しか話してなかったよな。ボクがこっちに飛ばされた3年くらい経った時、そう正木さんと絵札をどうにか使おうと奮闘していた頃だった。あるお爺さんがボクたちの前に現れてね、自分は過去の人間の記憶を無理矢理に引き継がされていると言ったんだよ。それを過去に戻ってやめさせて欲しいって言うんだ」


「うん、そこまでは聞いた」


「その人はね、君のおじいさんの血筋の兄の記憶をずっと持ってるんだよ」


総司少年は公臣の直系だから、その兄と言えば公聡の記憶が受け継がれた人が同じ時間軸に存在するって事だと思った。


「無理矢理には辛いだろうね。その人は血筋でもなんでもないんだろ?尚更の事ひどい話だよね。おじさんはなんでそうなったのか知ってるの?」


「ああ、その八島っていう人が詳細に語ってくれたんだ。公聡氏の記憶をね。半分に切り取られた絵札は次の人に自動的に受け継がれていく。その絵札は実は半分になっても力を保ったままだったんだ。残りの半分がしでかしたことも彼は知っていた。だからその絵札がまだ一枚だった時に戻って処分しなければならない。それからボクはこの世界に飛ばされてきた意味を考えるようになったんだ。この人間同士の関わりが希薄になってしまった世界を変えるために来たんじゃないかとも思えるようになった」


「だったらおじさんは二回ジャンプをしなくちゃならないって事だよね」


「そうだ。先ず一回目はあの葬式の場面に行く必要がある。そしてその後は元居た時間へ戻ってお終いさ」


「でもここに戻ってくる方法はないんだろ」


「ある。チームのメンバーはボクを探すために何度もジャンプを繰り返したって記述が本に有った。それは彼らが帰りの切符を見つけたという事だ」


「その八島っていう人の記憶にあるんじゃないのかな」


「僕も最初はそう思って八島さんに聞いてみたんだ。だけど彼の記憶は岬の上で岩に吹き飛ばされた時間までしかない。その後の事は彼は全く知らないんだ」


「へえ、なかなか簡単にはいかないね」


「だから正木さんに協力をしてもらう」



「おいおい、もう当面は連絡してくるなと言ったろ。ヒーローさんよ」


「正木さん。貴方にこれ以上は迷惑を掛けるのは気が引けたんだけど、また協力してほしいんだ」


「次に連絡してくるのは決行二日前でいいと言ったろ。まだ準備不足なのは知っている。今はその時じゃあ無い筈だがな」


  ~


 正木は前とは別物のエズラ・ブルックスをテーブルに置いた。


「こいつは前のコルク栓の奴ほど美味くは無いんだがな、まあやってくれや」


祐介は前に置かれたグラスの上に手のひらを重ねてウイスキーを拒否した。


「今日は酒抜きで、真面目な話でお願いします」


「馬鹿言っちゃいけねえよ。俺はいつだって真面目なんだよ。くそが靴に付いてると言われるほどのな」


祐介はいつもこの男に助けられる。この世界に来た孤独感を、いつもこの警察官が和らげてくれるからだ。


「今日はお願いがあって来たんだ。あるものを調べてほしい」


「なんだそれは。一体何を調べろって言うんだ」


「タイガベルモンターニュが警察省に接収された時の事。そしてその押収物について・・・・です」


「馬鹿を言え。そんなもの一般人に知らせられる訳なかろうが」


「あなたはあなたの目的を遂行するためには何でもする男・・・の筈ですよね」


「そりゃあ、どえらい買い被りってもんだぜ、中村さんよ」


正木は言葉とは裏腹に祐介に笑みを返した。


 次の日 〜


「これだ。すべて持ってきた。遠慮せずに見てもいい。これはもう極秘扱いの類ではなくなっているから心配すんな」


 祐介は正木に礼を言い、リストを空間にディスプレイした。


「これが全ての押収リストですか・・・」


「どうだ?目当てのものはあるのか?」


祐介は何度もリストを眺めていたが、目的のものを見つけられずにいた。


「無い。あると思ったのに・・無い。あれが無いと二段階のジャンプは不可能だ。警察の次元転移装置を借りれるなら話しはまた違うが」


正木は呆れ顔をして言った。


「そりゃあ無理な相談だな」


「正木さん、このリストに嘘はありませんよね?」


「まあ、俺がやった訳じゃねえが、正確だろうと思うぞ」


「正木さん、リストにあれが見当たりません。あれの出処はどこからなんですか?」


「あれだと?」


「不用品廃棄品リストにもありません。あの本はどこから手に入れたのですか」


「あれか。あれは爺さんから貰ったん・・・・?いや、ちょっと待て、爺さんはどこから手に入れたんだ?」


祐介は可能性を感じ取り正木に訊ねた。


「正木さん、ボクは長年肝心なことを見落としていた。公臣邸は今もこの世に?」


「いや、それは分からん。公臣氏はどこに住んでいたんだ?」


「調布です」


「調布?そんな町は今は無えな。行けば分かるか、中村さんよ」


二人は公臣邸の情報を求めて、元の調布と言われていた辺りに行くことにした。


「街の様相が変わりすぎてよく分かりませんね。全く面影すらない」


「何か目印のようなものは無かったのか?」


「確か深大寺と言う寺が近くにあったと思います。木村くんが公臣邸に行く際によく立ち寄っていたと言ってた記憶があります」


「深大寺?その近くなのか?ならあっちだ。俺はその辺りには造詣が深いんだ。こっちだ行こう。案内してやる」


「正木さん、深大寺は今の世でも寺として存在しているのですか」


「ああ、寺や神社は30年ほど前にすべて国の所有になっちまったがな。まあでも、あんたらの生きていた時代と機能としては変わらんだろう」


深大寺の前に立った祐介は記憶の欠片を呼び戻していた。

当時と様変わりした街にそれをトレースしていった。


彼はその記憶の通りに歩き出し、やがて目的の地点にたどり着くことができた。

鬱蒼とした林の奥に記憶にある洋館があの時のままの形で現れた。


「ここです、正木さん。ここが公臣邸です」


「あんた、それは本当か?これがそうだってのか」


「はい、ここです。しかし100年以上経ってるのに、建物が保全されているのには驚きです」


「そりゃそうだろ。人が住まなくなった家屋は直ぐに朽ち果てる。人が住んでると何故かは分からないが元の形を保つことができる」


「人が住んでいるんですか?今も」


「ああ、住んでいる。但し、住んでいるのは俺の親族だ」


「親族ですって?」


「そうだ、そして俺の爺さんがあの本を手に入れた理由も分かったよ。ここには俺の叔母夫婦が住んでいる。入ってみるか?」


「はい、是非とも」



 二人は洋館の大きな門扉を開けて庭の中に入っていった。

少し先に老婆が庭木の手入れをしていたのを見つけて正木が声をかけた。


「叔母さんお久しぶりです」


「あら正人じゃないの。どうしたの?突然ね。お父さん!お父さん。正人が来たわよ」


庭の奥から白髪頭の背の高い老人が出てきた。彼は年齢の割に杖もつかず、背筋も真っ直ぐに天に向かって伸びているような人だった。


「正人、どうしたんだ連絡も寄こさずに突然来るなんてお前らしくもないじゃないか」


「叔父さん、すみません。今日は急用なんです。任務の一環と言いますか。何せ極秘なもんで」


「そちらさんは?見たところお前の同業者じゃ無いようだが?」


「ああ、こちらは中村さんと言いましてね。彼は一般人ですが、捜査に協力してもらってるんですよ」


それを聞いた老人は少ししかめ面をしたが、庭仕事を途中でやめて二人を居間に通した。



「正人、それで今日はなんの用だ。簡潔に話せ。くだらぬ嘘は抜きにしてな」


 正木はこの老人の睨めつける目が小さい頃から苦手だった。

祖父の子とはいえ性格が全く違っていて、少しもおおらかな所がなく、杓子定規を体現したような人だったからだ。


「お前も警察官の一家の出なら、私や、お前の父に嘘などつけぬことは分かっているだろう?」


「ええ、退官されたとは言え流石は叔父さんです。嘘はつけませんね。でも嘘は捜査に協力してもらっていると言う部分だけで、極秘というのは本当なんですよ。信じられませんか?だからいくら警察の先輩とは言え、捜査内容の開示は出来ません」


「ふん、出来たような事を。じゃあ、この人は何をしに来た」


祐介は正木が『叔母夫婦が住んでいる』と言った意味がわかった気がした。

正木はこの叔父のことが苦手なのだろう。


すると叔母のほうが口を挟んできた。


「まあまあ、あなた。もう警察官じゃないんですから、取り調べのような態度を初対面の人にするもんじゃありませんよ。ねえ?中村さん」


「うむ、分かった。母さんの言う通りだな。すまなかった客人に対して失礼をした」


そう詫びた老人は頭を掻きながら妻の眼の色をうかがっている。


祐介はこの人にこの人有りなんだなと思い、少し緊張もほぐれ、後の話は正木に任せることにした。


「それで叔父さんにお訊きしたいことがありましてね。参上したって事なんです」


正木は公臣邸がどうして祖父の手に渡ったのか、公臣氏と祖父は何らかの繋がりがあったのかを知りたかった。


「何だ、何が聞きたい。お前ももうすぐ定年退官じゃないか。もうあんまり無茶をするな。お前が警察官になった時は私も兄も喜んだものだ。だがお前は時空犯罪対策課などに願い出おった。私達がどれほど失望したかを忘れている訳じゃあるまい?」


そこに妻の芳恵が釘を差した。


「あなた、もうやめなさい。正人をこれ以上追い詰めないで。それは言わない約束でしょう」


 正木は叔母さんの芳恵は大好きだが、叔父の正彦の事は嫌いで仕方がない。

いつも小言や格言じみたことしか言わないし、芳恵にそれを指摘され反省したと思ったら、それを忘れてすぐに元の叔父に戻るからだ。


今日もまた同じことの繰り返しだった。

しかし今日はいつもの家庭内の話などではなく、一人の人間の運命を左右するような事柄なのである。

いつもは我慢して聞いていた正木であったが、今日はそれゆえに叔父の言動に勘弁がならなかった。


「叔父さん。俺の事は今までも、そしてこれからも言いたいことを言ってくれて構わないです。しかし今日は、彼の命運をここの家が握っているかどうかを調べるためにここに来たんです。今日の所は俺への当てつけや嫌味は無しにしてもらえませんかね」


そう開き直った正木に正彦は怯んでしまった。

いつもの正木ではなかったからである。


「お前が心の内に在るものを、わたしにぶつけてくることなど今まで一度足りともなかった」


そう言った正彦は安堵ともいうべき溜息を漏らしたのであった。


「お前、その人の事を大事に思っているのだな」


「ええ、そうなんです。彼を元居た場所へ送ってあげたいのです。叔父さん、協力してもらえますか」



「それでこの人の元居た場所と言うのはどこなんだね」


「叔父さん、ここから言う事は警察官としての職務を放棄してしまいかねない出来事なんです。それを聞いて叔父さんは黙っていられますか。黙る。それを約束してくれませんか」


正彦は甥の真剣な眼を久しぶりに見たことと、退官したとはいえ元警察官の習性が湧き出てきてしまったのである。


「わたしも興味を感じたことは死ぬほど突き詰めないと気が済まん質でな。もう驚きはせん。正人、事実を話してくれ」


正木はしっかりと目を瞑り十秒ほど静止したまま考え込んでいたが、眼を見開き話し始めたのだった。


 〜


 正彦は驚いた顔のまま静止してしまっていた。

横にいた芳恵もまた、現実を感じさせない正木の言葉に驚愕したのだった。


「この人が2070年から飛んできた人だって言うのか。お前それを何十年も隠してきたのか。ああ、それは懲罰もんだ、いや懲戒すら生ぬるい」


「叔父さん、彼は意図せぬタイムジャンプに巻き込まれた。悪意を持つ他の時空犯罪者とは違うんです。彼をあの時代へ返してやりたい。俺の意思はこの人を彼女の元に帰らせる事」


芳恵が不思議そうに訊いた。


「でも正人ちゃん、それがこの家となんの関係があるの?」


「叔母さん、太賀という名前をご存知ですか」


「いえ、知らないわ。どなたなの?」


「太賀は民間でありながら次元転移装置を2060年代に作り上げた兄弟です。彼らがそれらを使い過去の歴史を変えた。今の世があるのは彼らのお陰かもしれません」


正彦は怪訝な顔をして聞いていたが、その名前に聞き覚えが有ったらしく、何かを考え込んでいた。


「ここの家はその太賀の弟の家だったらしいんです。俺も今さきほど知ったところです」


正彦は言う。「ここの家がそうであると言うのは、中村さんが言っているのだね」


「そうです。俺もまさかこの家がそうだなんて思いもしませんでしたよ。その太賀とうちの家系になんの繋がりがあったのか。先ずそれを知りたいと思いましてね。協力して貰えますか?叔父さん」


 正彦はまだ警察官として退官まで勤め上げた自尊心があり、この一件に関わることを躊躇していたが、その太賀との関係だけ判れば済む話なのだろうと高をくくっていた。しかしこの後自分たち夫婦が巻き込まれる事件に発展するなどとは考えもしなかったのである。


「叔父さん、先ずはこの土地家屋の登記を確認させてください」


「良いだろう。母さん出してやってくれ」


しばらくして芳恵が分厚く製本された帳簿を持ってきた。


「拝見いたします」


そう言って正木は目を凝らしてある部分の表記を探した。


「所有権移転・・2220年、正木正彦・・・所有権移転・・2155年、正木正・・・所有権移転・・2118年、正木正志郎・・その前の所有者は、太賀公臣!この正志郎さんは俺の曾祖父さんですよね?叔父さん。この方も警察官だったのですか?」


「ああ、そうだ爺さんも警察官だった。そしてお前のいる課の設立に最終的に関与したのも爺さんだ」


「それは初耳です。課の設立は、省の山岸と言う方が中心になったと教えられましたが」


「山岸は爺さんの政敵だった奴だと聞いている。その政敵に与することになった事を爺さんは悔いていた。わしは小さかったが、爺さんのその姿をよく覚えている。父さんはともかくお前の父やわしがあの課に行くのを反対した訳はそこにあった」


「そうだったんですね。知らずに申し訳ない事でした。だけど祖父は何も反対せず喜んでくれました」


「ああ父さん、いやお前の祖父はそうだろう。あの人は警察官としての厳格さに欠けていた」


正木はそれを聞き黙ってしまった。


「ただ、お前の祖父さんはお前の事がお気に入りだったな。いつもお前の事ばかり言っていた。自分たちに子供ができなかった事もあって、初孫のお前は父さんの自慢だった。そう言うとても人間臭いところは愛すべきところだったし、ある種の尊敬もしていたけどもな」


うつむき加減の正木の顔に笑顏が戻ったのを祐介は確認した。

この人は祖父の事を父以上に慕っていたのだろう。


祐介は京都に居たはずの祖父母のことを思ってみた。

祖父母の事を思うと無性に会いたくなった。


会いたい人が大勢いる。

人を避けて生きてきた自分だけど、会いたい人がいることに、そんな自分にも大切な人々が出来た。

できる事ならば今すぐにでも帰りたい。この館にあった次元転移装置がまだあれば、すぐにでも帰ることができるかも知れない。


美月さんに会いたい。

美月は年老いた自分を見てどう思うだろうか。

あの時代に帰ったとして、あの時のままの幸せが手に入るのだろうか。

自分に時間は沢山あると言い聞かせてきた。

いやそんな事は嘘だ。

時間が僕達を引き裂いた。


「・・村さんよ、おい・・・」


祐介は考え込み周りの音が全く聞こえなくなっていた。


「中村さんよ。おい聞いてるのか?」


「は、はい。すみません。考え事を・・・」


「これを見ると、警察省がタイガを接収する随分前にうちの曾祖父さんに売り飛ばしてるみたいだな。正当な取引なら何も問題は無いだろうと思う」


「正人、それは何年になっているんだ?」


「2118年となっていますよ、叔父さん」


「正人、自分はそんな書類のことなど詳しく見た記憶はなかったんだが、その年代はおかしい」


「何がおかしいんです」


「おそらくその年なら爺さんはまだひよっ子の警察官のはずだ。そんな人間にこんな豪邸が買えると思うかね」


「確かに。当時はまだ貨幣経済活動もあって、それなりの取引が行われていたはずです。当時の警察官の薄給とその年齢での購入となると何か匂いますね」


「正人、わしは警察官魂が沸々と燃えてきた感がするぞ」


芳恵が不安気な顔をして言う。


「あなた、おやめなさい。歳を考えてくださいな」


 ここ数年、その傲慢な性格を芳恵に諭される毎日を送っていたせいもあって、正彦は老人が送る慎ましい生活に慣れてきていた。

しかし、現職警察官の甥がやって来て話す内容に、高揚感を覚えずには居られなかったのである。


「いや、母さん。正人の言う事を邪魔をするわけじゃない。ほんの少しだけ手助けが出来るんじゃないかと思ってな」


「正人はもう立派な大人なんですよ。しかも定年前の。あなたが思っているあの頃の正人じゃありませんしね。邪魔にならぬよう老害は遠慮をするものですよ」


「老害とは酷いじゃないか、母さん」


四人に笑いが起こり、この館に久しぶりの大勢での会話が生まれた。


「いやいや叔父さんの眼光は今も鋭く、我々現役の者を凌ぎますよ。でも大丈夫です叔母さん。叔父さんはそんな無茶をするような人ではありませんよ」


「まあ正人ったら。この人を煽てるのはやめてくださいな」


「叔母さん。曾祖父さんが残したような日記とか書物はないでしょうか」


居間から廊下を隔てて反対側にある書斎に通された二人は、空っぽになった書架を見たのだった。


「本はほとんど処分してしまったのよ。前は沢山あったんですけどね。今の時代、本など読みませんし。今はほらあそこに残っているだけよ」


「見ても?」


「どうぞ。ご存分に」


正木は一冊の本を手に取った。


「『海に還りし者の備忘録』か。これはお祖父さんの蔵書ですか?それとも曾祖父さんの」


「わからないのよ。ただお義父さんから何冊かは絶対に捨てぬように言われてたの。それはその一冊ね。その残ったものがお義父さんのお気に入りだったのでしょうね。あ、そうそう思いだしたわ」


芳恵は正木の祖父が亡くなる数ヶ月前に約束させられた事を思いだした。


「お義父さんが入院されてる時にね、遺言書を書くって言い出したのよ。書いてもらってる最中にね、私が冗談で言ったことがあるのよ。『お義父さん、あの大事にされてるご本を一緒に棺にお入れしましょうね』って。そうしたら、お義父さん、少し笑いながら『それはいかん。あれは正人が必要になるはずだから書斎に残しておいてくれ』って言って何冊かの本を残しておけって指定したの。その時は冗談で言ってたと思ったから何にも気にも止めなかったけど、今貴方がここに来たじゃない?お義父さんの預言かしらね」


「まさか。そんな事は無いでしょう」


と言いながら正木は持っていた本を函から取り出した。


「んん?これはあれだな。書店にディスプレイする為だけに製本された中身が真っ白な本じゃないか」


「おかしいわね。確かお義父さんはこの本をよく読んでいらしたわよ。わたし覚えているもの」


親指の腹で紙の背を押さえて頁を次々とめくっていった正木は、スピンが挟まった何かが書いてある頁を見つけた。


「これは・・・・」


祐介が正木に問うた。


「何かあったんですか。正木さん」


「中村さんよ、見てみろ。本の白紙を利用して日記の様なものが書かれているようだ」



 四月になった。病室の窓から桜が見える。年が変わり桜が咲く季節となったが、我々の気持ちは海の底に沈んでしまっている。



 外から来た仲間たちが世の中の変わりようを口を揃えて教えに来てくれる。

そんな事を教えられなくても、彼女が持ってきてくれた端末で世の情勢は全てわかるのだけど。。。。

彼らもまた虚無感の中で生きているのだろう。この快挙を誰かと共有しないと生きていられないから。



 六月になって会社に復帰した。残った者たちが奮闘して会社を動かしてくれていた。先に戻っていた兄が上手く会社を運営してくれていたおかげもあって会社はまあまあ下降せずに済んでいる。良いことだ。

風貌も実年齢も11歳上になっていた兄は地下に潜って復路の方法を探し求めているんだ。身体だけは大事にしてほしい。



「中村さんよ。おかしいじゃねえか。この本はこんなに前からあったってのか?装丁も函も同じだ?公臣氏がこの本を出したのは2100年あたりの筈だぜ」


「何か変ですね。でもこの文字は確かに常務の、いや公臣氏のものですね。読み進んでいくと謎が解けるんじゃないですか」


正木は頷き、頁を読み進めていった。



 あの事件で中村家に居辛くなったアマンダがこの家に転がり込んできた。


彼の妹はそんな彼女を心配して休み毎に訪ねてくる。

優しい心の持ち主だ。僕とは随分と違う家庭環境で育ったのだろう。心から羨ましく思える。


ただ、国に残してきたご両親にはこの家に来たことをまだ言えずに居るらしいから、早めに連絡してあげなさいとだけ言った。



 木村くんと中野くんは相変わらずだ。

社内で別部署にいるはずの二人だが、各々の場所で良い雰囲気作りを心がけてくれている。

彼らの存在が我々を救済してくれている事には感謝している。



 あれからの緑村女史の事が気の毒で仕方ない。やつれ切っている。体重も普段より格段に落ちた感じがするし、顔にも生気がない。

食事だけはとらせるように色々と考えて夕食に誘ったりするのだが、いつも断られる有り様だ。

彼女もまた地下をほとんどの活動の場所にして復路の方法を模索し続けている



「美月さん・・・。申し訳ないです。ボクがあの時早めにあの場所から動いていれば!」


正木は男は泣かぬものと教えられてきた。涙を簡単に見せるような者は男ではないとも。

しかし、本を抱きしめて泣いている男の事を見て自分も泣いてしまった。

それを隠すために窓の方に向かい空を見上げた。


その後の記述については日常の様々な様子などが書いてあったが、ある時を境に頻繁に次元転移装置を使う記述が増えていた。

それはまさしく公聡氏によって往路の確実な方法が策定されたことに起因していた。

血液中に、ある二種類の金属プローブをナノ化したものを注入し、全身に行き渡らせる。それは免疫反応的には赤血球の振りをしてなんの反応も示すことはない、ただ尿や便に汗、呼気からも体外排出されていく為に必要とされる量が体内に留まれるのは三日間しかない。


その三日間を利用して、チームが行方不明の中村佑介を探すことに全力を傾けていく様子が書かれていた。


そこから出版された本の内容に続いていくことと思われる。

公臣の日誌的なものはここで終わっていた。


空白の数頁があり、その後に別人の者と思われる日記が再開されていた。


 公臣のそれとは違い絵や図解を含めてランダムに文字を書き入れていくタイプのもので、見た者には何が書かれているのかさえよく分からないものだった。


「叔父さん、これは曽祖父さんの書かれた字なのでしょうか」


正木はそう聞くが正彦には確証が持てなかった。


「ちょっと待て。爺さんが書いた手紙や葉書が残っていたはずだ。たしか書き損じしたものをご丁寧に残す癖があった。そうだな。この机の引き出しの一番下だ」


「この机は祖父さんは使わなかったのですか」


「ああ、父さんはこの机の椅子には座らなかった。もっぱら和室が好きだったからな」


「これは公臣氏が使っていたものかも知れんな、中村さん」


「ボクは氏の書斎には入ったことが無いので何とも言えませんが、とても古いもののようですね」


曽祖父が書き残した手紙の文字と日誌的なものの共通の文字を探した。


『ある』だとか『時』と言う文字を照らし合わせてみると、やはり共通した書き癖があるようだ。


「曽祖父さんの字に間違いようですね。しかしこれは何を書いているのかさっぱり分からない」


祐介は前にこんな図形の羅列や数式の類をどこかで見ている記憶があった。


そう思いながら頁を進めていくと、何ページかはスケッチだけの描画が残された頁が何枚か続いていた。


そこにはあの護り石の造形や一枚だけ残された金属板、新宿のロックアウトされた町の高い壁を描いた絵、その次には月の裏と表の絵札、そしてスケッチの最後は見てはならないものが書かれていた。


「正木さん、これは・・・まさか」



 館を後にした二人は得も言われぬ不安感に襲われていた。

そして祐介はあの日誌に持った違和感と、もうひとつの違和感を持ったままでいた。


だがそれに加えて、もうひとつの何らかの思惑が働いていることについては気付くことが出来ないでいた。


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