序章:最強社畜の「真っ黒な手記」
窓の外には、平和な街並みが広がっている。
かつての戦乱が嘘のように、人々が穏やかに暮らすこの時代の学び舎で、一人の男の叫びが響き渡った。
「さぁ! やってまいりました! 異世界英雄史!
皆さん、準備はいいですか!?」
平和な午後の教室。
その静寂を切り裂くように、歴史教師の絶叫が響き渡った。
先生は教壇をバンバン叩きながら、まるで舞台俳優のような激しいステップで右へ左へと動き回る。
その眼鏡の奥の瞳は、異常なほどの熱量でギラギラと輝いていた。
「今日、私たちが学ぶのは……そう! 我らが人類の救世主、カイト・サカザキだぁーーっ!!」
先生は黒板に、太いチョークで大きく『神』と書き殴った。
「いいですか皆さん!
今、私たちがこうして平和にランチを食べ、スマホをいじれるのは、全部このカイト様のおかげなんです!
彼が異世界から召喚された当時、人類は魔王軍が放つ『死の瘴気』によってバタバタと倒れ、絶滅寸前でした!
しかし、そこにカイト様が降臨し、とてつもない奇跡を起こしたんです!」
先生は両手を大きく広げ、天井を仰ぎ見た。
「カイト様は野営地に降り立つなり、天に祈りを捧げました。
そして、拠点全体を覆う伝説の魔法……『聖なる大結界』を展開したのです!
するとどうでしょう!
兵士たちを苦しめていた瘴気は一瞬で浄化され、彼らは見違えるように活力を取り戻した!
これぞ神の御業! 慈愛の光! シビれる!!」
生徒たちが「おぉ……」と感嘆の声を漏らし、目を輝かせる。
俺は一人、机の下で冷めた息を吐きながら、掃除中に古い倉庫で見つけた一冊のノートを開いた。
『真っ黒な手記』
そこには、教科書の流麗なフォントとは似ても似つきつかない、疲れ切った汚い字で、英雄カイト本人の「本音」が書き殴られていた。
『〇月〇日。異世界に召喚された。帰りたい。
魔王の瘴気? 違う、ただの衛生環境の崩壊だ。
こいつら、生水を飲み、テントのすぐ裏で排泄している。
赤痢と感染症で死にかけているだけだ。馬鹿なのか?
放置すれば俺まで病気になるので、魔法で土を掘らせてトイレを作り、水は必ず煮沸しろと命令した。
ついでに石鹸を作って手洗い・うがいを徹底させた。
なぜか全員が「聖なる結界のおかげで体が軽い!」と泣いて拝んできた。
違う、今までがおかしかっただけだ。
……あー、下痢の兵士の看病とか絶対やりたくない。
俺に無駄なタスクを増やすな』
俺は改めて、教科書に載っている英雄の肖像画を見た。
光り輝くオーラを纏い、力強く前を見据えている超絶イケメン。
だが、瞳の奥をじっと見ればわかる。あれは人類の未来を見据えているんじゃない。
「自分の仕事が増えることを極端に嫌がり、周りのミスを未然に防ごうとする、神経質な社畜の目」だ。
「……皆さん! 見てください、このカイト様の鋭い眼光を!」
先生のテンションはもはや最高潮。
教壇から身を乗り出している。
「これは全人類の痛みを背負い、絶対に守り抜くという覚悟の瞳です!
カイト様のこの大結界があったからこそ、人類は立ち上がり、魔王軍に挑むことができたのです!
まさに希望の光!!」
教室中が割れんばかりの拍手に包まれる。
俺は静かに手記を閉じた。
どうやら、俺たちが学んでいるこの世界の「神聖な歴史」は、最強すぎる三十代の男が、「病気になって有給を消費したくないから」という一心で敷いた、ただの公衆衛生と労務管理だったらしい。
「はい、拍手! ありがとうございます!」
先生は満足げに頷くと、パンッと大きく手を叩いて教室の空気を引き締めた。
「ですが皆さん! 神の結界はあくまで準備にすぎません! 体力を取り戻した人類軍は、いよいよ魔王軍との最終決戦に挑みます!
教科書の次のページをめくって!!」
バサッ、と生徒たちが一斉にページをめくる音が響く。
先生は黒板を素早く黒板消しで拭き取ると、新しい章のタイトルを書き殴った。
「人類軍わずか五百に対し、魔王軍十万! 圧倒的な戦力差!
普通なら絶対に勝てないこの絶望的な戦いを、カイト様はたった一つの『伝説の魔法』で終わらせます!
さぁ、最強の救世主の真の力、皆さんにお見せしましょう!!」
先生の熱弁が、さらにギアを上げる。
俺は息を呑みながら、机の下で手記の次のページをめくった。
そこには、魔法の神秘など微塵も存在しない、あまりにも「現代的で非情なビジネス戦略」の記録が待ち受けているとも知らずに――。
はじめまして♪
ぱっちーと申します!
数ある作品の中から本作を見つけていただき、ありがとうございます。
この物語は、数百年前に世界を救った伝説の英雄が、実は「定時で帰りたかっただけの三十代サラリーマン」だった……という、歴史の授業から始まる異世界物語です。
最強の武力と、さらにえげつない「ビジネススキル」で異世界をねじ伏せた男の、ひどすぎる真実。
「教科書と実態が違いすぎる」おじさんの奮闘記をお楽しみください!




