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第12話 伴走したかった


  1


 やっと、伝えられると思ってたのに。

 もしかしたら彼の隣を伴走出来るかもと思っていたのに―。

 柏木くんは私を見るやいなや、「ごめんね」と言った。

「連絡出来なくてごめんね。待たせちゃったよね」

 そんな、優しい言葉をかけないでほしかった。彼は片腕に包帯を巻いていた。でも、それよりも顔に巻かれた包帯が気になって、包帯の下の目は見えづらい方の目だって分かってしまって―。

 私は柏木くんの顔をまともに見られなかった。目の奥が熱くなり、命が助かってよかったはずなのに、とてつもなく悲しかった。

「柏木くん……ごめんね。私のせいで……」

「全然藤原さんのせいじゃないよ。僕、信号無視しちゃってさ。百パーセント自分のせいだよ」

 柏木くんは慌てた様子で一気にまくし立てた。左目は相変わらず焦点が合わず、私を見ているのかすら分からない。

「今日、本当は楢山遊園地に連れてきたかったんだ。家族で一回だけ行った場所で。まだ父親がいた頃、姉が元気だった頃に――。あの頃は母親も今より少しだけ優しかったんだ。僕の目が弱視だと分かる前だった」

 彼はそこで言葉を切ったあと、

「僕の右目――見えなくなるかもしれないって」

 と呟いて、目を伏せた。

 後頭部を殴られたような衝撃が心奥に走り、私はそっと胸を押さえた。窓の外でうるさいくらいにアブラゼミが声を重ねあっている。

 私は彼に触れられない。抱きしめてあげることも、頭を撫でてあげることも出来ない。

 私たちは恋人同士ではないのだから――。

 でも、私の足は無意識のうちにベッドににじり寄っていた。なんて言葉をかけたらいいのか分からないけれど、扉の前で棒立ちしたままは出来なかった。

「柏木、くん……」

 柏木、悠真くん。

 どう声をかけたら、あなたは少しでも楽になりますか?

 何をしてほしいですか?

 私に出来ること、教えてください――。

 頭の中の声は泡のようにしゅわしゅわ消えてゆき、残ったのは「ごめんね」という何の救いにもならないメッセージだけだった。こんなのいくら伝えたって、意味なんてないのだ。

 だから私は代わりに膝を折り、しゃがんだ姿勢で柏木くんの顔を覗き込んだ。

「私……今日、柏木くんに伝えたいことがあったの」

 柏木くんはちらりと私を見た。布団の裾をぎゅっと握る手にアザが出来ていて痛々しい。

 私は息を吸う。

「私ね……柏木くんのことが好き」

 熱い息と共に、吐き出した。

 こんなときに言う私は酷いやつかもしれない。

 柏木くんの気持ちより、自分の気持ちを優先してしまった。

 でも、こんなわがままな自分がいることを許せる自分が、いた。

 柏木くんは左目を見開き、私を見つめた。

 そして大きく何度か瞬きをする。睫毛が下まぶたに触れる音がかすかに聞こえた。

 彼の瞳は段々湿り気を帯び、やがてぽろりと涙を零した。

 私は口を半開きにし、柏木くんを凝視した。

 涙は頬を伝い、掛け布団に染みを作る。

「ごめん、嫌だったよね……こんなときに……」

 慌てて弁明すると、彼は小さくかぶりを振った。

「違うんだ、そうじゃないんだ……」

 消え入りそうな声で否定すると左目を擦った。けれど涙は止まらないらしく、右目の包帯にもじわりと滲んできた。私はベッドサイドにあるティッシュを渡す。

 ティッシュで涙を吸い取りながら、柏木くんは言葉を紡ぐ。

「……もし本当に右目が見えなくなったら、僕は左目だけで生きていくことになるんだよ。視力0.01の生活がどんなに不便で、家族や恋人に迷惑をかけるか……。藤原さん、それ考えてちゃんと言ってるの?」

 私は立ち上がり、柏木くんを見下ろした。彼の身体がいつもより小さく見える。この人を守りたい気持ちは、どんな理由でも消えない気がしていた。

 たかが十五歳の女子高生だともし他人に馬鹿にされても、膝を折るつもりはなかった。

「ちゃんと、考えて言ってるよ。私、柏木くんの生活の伴奏者になりたい――」

  柏木くんは横を向き、嗚咽を漏らし始めた。

「藤原さんは、優しすぎるよ……」

 涙声でそう言うと、私から完全に顔を隠して肩を震わせる。

 私はその肩にそっと触れた。

「……駄目だよ……」

 何の『駄目』か分からず戸惑っていると、彼は身体を丸めて私の手から逃げていった。

「……ごめん。僕は、藤原さんと伴走出来ないから――」

 柏木くんは小さく呟き、鼻水をすすった。

 嘘でしょ? 私のこと気遣ってるだけでしょ? 湧き上がってきた言葉を口にしようとしたそのとき――。

「僕、藤原さんに恋愛感情はないんだ」

 鉄のような冷たい台詞が、私の恋心をさらうように抉りとっていった。


 2


 あれから、家に着くまでの記憶はぼんやりとしている。

 気付くとベッドの上で膝を抱えて泣いていた。お気に入りのスカートに出来たいくつもの斑点。鼻水もだらだら垂れていて、きっと酷い顔をしているだろう。

 夕食を告げる母の声を無視していたら、ノックもなしに部屋のドアを開けられた。

「美羽、何泣いてるの?」

 言語化なんて出来ない。言えないし言いたくない。私は膝に顔をうずめたままだった。

「カーテンくらい閉めなさいよ。そんな泣いてるとまた具合悪くなるわよ」

 カーテンの閉まる音と、母のため息。

 そんなことがどうでもいいくらい、私は柏木くんの言葉に心を砕かれていた。

「お母さん……」

 私は少しだけ顔を上げて言った。

「通信高校行きたいって話、あれ、なしでいいから」

 その言葉に母は眉根を寄せ、また一つため息をつく。

「あんた……中村先生が言ってたカウンセリング、受けたらどう?」

 カウンセリング――。

 何度か考えては消した選択肢。

 自分はそこまでじゃないと思いたくて消していた、有益であろう治療法。

 私はそこまで堕ちてしまったのだろう。

 二学期学校に行ける気なんて、正直していなかった。

 紗奈がいるからとかそんな単純な理由で救われないくらい、私の病気は悪化していた。

「……受けようかな」

 口に出した瞬間また泣けてきて、私はしゃくり上げた。母は消していた部屋の明かりを点け、

「今夜は肉じゃがだから」

 と言い残していった。


 3

 

 『ごめんね』と一言だけ送ったLINEは、何日経っても既読が付かなかった。

 何もしなくても、時は流れてゆく。

 八月半ばの投稿日、私は登校出来なかった。

 紗奈に遊びの誘いを受けたが、行けなかった。

 ある夜、ベッドに横たわりぼんやりと物思いにふけっているとLINEの通知音が鳴った。

 手だけ伸ばしてスマホを掴み画面に目をやった瞬間、心臓が跳ね上がった。

『今までありがとう。もう、連絡先消していいから。僕、引っ越すんだ』

 画面の文字は一気に滲んで読めなくなった。

 喉が縮こまり、息がうまく吐けない。吸えない。また来たか――と絶望する一方で、来てくれてよかった、と思う。

 私はちゃんと悲しめてる。

 柏木くんのことが、それくらい好きだったんだ――。

 肩で息をしながら、上半身を起き上がらせてうずくまった。

 世界が歪んでゆく。

 口の中が乾ききっておえっとなった。何度もえずいては涙が口に入る。

 びっくりするくらいに涙はしょっぱかった。

 布団から這い出てテーブルの上の頓服を飲む。そのとき、柏木くんが言っていたお姉さんの頓服の話を思い出してまたえずく。

 薬と共に胃液を吐き出してしまい、私はその場に倒れ伏した。

 乱れる息と手足のしびれに恐怖感が止まらなくなり、私の視界はブラックアウトした。

 薄れる意識の中、母の声とサイレンの音が遠くで聞こえた――。

 

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