第1章 見えざる前兆
【第1章 見えざる前兆】ーーーーーーーーーーーー
八月、東京湾岸の摩天楼を、湿った海風が抜けていく。
夜景に浮かぶビル群の明かりは穏やかで、誰もがこの日常が永遠に続くと信じて疑わなかった。
神城海斗、二十五歳。国際天文台の観測部に勤める青年は、人工衛星から送られる膨大なデータと向き合っていた。彼のデスクのモニターには、宇宙望遠鏡が捉えた木星外縁の映像が拡大表示されている。
「……またか」
海斗は眉をひそめた。ここ数週間、太陽系外からの微弱な電磁パルスが周期的に検出されている。それは明らかに自然の電波パターンとは異なり、人工的な“符号”を含んでいた。
だが、それを報告しても上層部は軽く受け流すばかりだった。
──人類は、地球外生命との接触をまだ公式には認めていない。
しかし海斗は、今まさにその境界が崩れかけていることを知っていた。
その夜、湾岸倉庫街で異変が起きた。
港湾警備隊のレーダーに、識別不能の高速物体が出現。秒速50キロで大気圏を滑り降り、湾岸埠頭に着水した直後、レーダーから消えた。
現場に急行した巡視船の隊員が目にしたのは、黒く焦げた金属片と、海面に浮かぶ青白い光の残滓。
「……船じゃない、これは……」
隊員の言葉はそこで途切れた。
湾の奥から、異様に高い金属音が響き、やがて水面を割って巨大な影が立ち上がった。
人型──いや、鋼の殻を纏った異形。
全長はおよそ七メートル、装甲は月光を反射し、肩部のエンブレムには見慣れぬ星図が刻まれていた。
海斗の携帯に、同僚の緊急連絡が入る。
『神城、例の電波パターンが……消えた! いや、変質した! これは……座標データだ! 場所は……東京湾だ!』
その瞬間、倉庫街の方向で爆発音が響き、夜空が紅蓮に染まった。
翌朝、ニュースは「原因不明の爆発事故」として短く報じた。死傷者ゼロ。港湾施設の損壊のみ。
だが海斗は知っていた。あの光と影は、人類の技術水準を遥かに超えている。
そして、同じころ──
東京の地下鉄構内、通勤客で溢れる駅の片隅で、一人の若い女性が突然崩れ落ちた。
橘玲奈、二十三歳。翻訳会社勤務。
彼女は意識を失う直前、視界の端に“宙に浮く人影”を見たと後に語る。
その人影は、透き通るような銀色の肌と深紅の瞳を持ち、何かを彼女の頭に直接送り込むような感覚を伴っていた。
玲奈は目を覚ますと、見知らぬ記憶の断片を抱えていた。
──漆黒の宇宙、赤く輝く恒星、燃え落ちる艦隊、そして“声”。
〈人類の時は尽きようとしている〉
数日後、海斗と玲奈は偶然出会う。
出会いは決して運命的な恋ではなく、ただの“必然的な交錯”だった。
国際天文台の技術者と、多言語翻訳の仕事を持つ女性。
だが、玲奈の中に流れ込んだ未知の記憶と、海斗が解析する異星からの信号は、不気味なほど一致していた。
「これ……あなたにも聞こえるの?」
玲奈がノートに描いた符号を、海斗は食い入るように見た。
「……この符号、俺の観測データに出てきた座標と同じだ」
次の瞬間、二人の背後の窓ガラスが共振音を立てて震えた。
空から、黒い流星群が降り注いでくる──
それは、高度なテクノロジーを有している異星間の戦火が、時空を越えてこの地球に迫ってくる最初の兆候だった。
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