国境の陰り
国境に張り付く兵たちの間に少しずつ違和感が漂い始めたのは、初夏の風が吹き始めた頃だった。
とっくに到着しているはずの兵糧が来ない。
ゼノは兵糧台帳を睨みつけていた。
「本来なら三週間前には次の兵糧が届くはずだったが……まだ来ない」
その声に苛立ちはなく、むしろ抑え込まれた不安が混じっていた。
副官が小声で応じる。
「事故か、あるいは運送の遅れでしょうか」
「原因がわからんというのが気にかかる」
ゼノは首を振った。
「……最悪に備えた方がいいかもしれん。配給を減らすことも考えなくては」
副官が慌てて口を開く。
「しかし、それでは兵たちの士気が……」
「餓えに直面してから減らすよりはましだ。それにこれは緊急事態の話だ。すでに周りの領主にも兵糧を分けてくれるように手紙を出してある」
ゼノは、ふと視線を窓の外へ向けた。
周りの領主に手紙を出してあると言っても、不安がないではない。
特にここら辺りで一番の有力者グリモー・ハルデン侯爵――彼とは昔から折り合いが悪い。
(まさか国境警備に支障が出るような事態にまで追い込んではくるまいが、何らかの無理難題を言いつけてくるかもしれんな)
胸の内で渦巻く疑念を押し隠しながらも、ゼノは表情を崩さなかった。
さらにゼノは考え事を続ける。
(リディアは大丈夫だろうか)
リディアがルナのことを調べに修道院に行った後、王都に向かうという連絡があった。
追放された身のリディアがもし見つかったら、どんな目に遭うだろうか。
自分も一緒に行きたかったが、国境の守備を担う自分が持ち場を離れるわけにはいかない。
だからせめて部下を連れて行かせようとしたのに、ガロに強硬に断られてしまった。
「だったら手紙くらい送ってこい」
ゼノはそうつぶやく。
いや、ガロがそんなに筆まめだとは思っていない……本当は、リディアに手紙を書いて欲しかったのだ。
けれど、そんな願いを抱くのはおこがましいのではないだろうか。
自分とリディアはそういった関係ではない……。
そこまで考えると、ゼノはため息を一つついた。
そこに部下の一人が入ってくる。
エディンというお調子者の騎士だ。
「団長、またリディア様のことを考えていらしたんですか?」
「な、何を馬鹿なことを!?」
「だって、リディア様が出て行ってから毎日一回はため息をついてますよ?」
「そ、そんなこと……!」
自分はそんな醜態を部下に晒していたのだろうか。
気持ちがたるんでいるのかもしれない、とゼノは自戒した。
だがその部下は言う。
「リディア様がいらっしゃってから隊長は変わりましたよ。雰囲気が柔らかくなって、話しやすくなった」
「そ、そうか?」
追放されてきた者に「いらっしゃる」は少しおかしい。
ゼノはそう思ったが、リディアが来てくれて良かったと思っていることは確かだ。
「ええ、以前は不愛想で話しかけにくくて。真面目で頼りになるのはわかってるんですが、困った時に相談したりしづらかったもんです」
「それは、良い方に変わったということで良いのか?」
「そりゃあもう。でもリディア様には早く帰ってきて欲しいもんですねえ。隊長が恋する乙女みたいにため息をついている様子は、少しなら笑えますが毎日だと気色が悪い」
「なっ……!上官をからかうと訓練を倍にするぞ!」
「そいつはご勘弁を。それにしても兵糧はまだですかねえ」
そう言いながら、エディンは出て行った。
ずけずけとものを言ってくれるエディンの存在は、実はゼノにとってありがたいものだった。
コミュニケーション能力が高いとは言えないゼノに、騎士団の空気を伝えてくれるのがエディンなのだ。
「リディアが来る前からお前は言いたいことを言ってただろうに」
そうつぶやきながら、ゼノは頭をかいた。
* * *
一方その頃。
グリモー・ハルデン侯爵の領地内にあるガロとヴォルドが見つけた隠し砦には、国境に届くはずの袋詰めの穀物や干肉が山積みにされ、細工の施された倉庫に収められていた。
「あとどれくらい国境の兵糧はもつんだろうなあ」
「そんなに長くはもたんだろう」
「じゃあ俺たちの出番も近いってことだな。腕が鳴るぜ」
「大きな手柄を立てて褒美をたくさんもらいたいもんだ」
―――ヴァルハルゼン訛りの兵士たちの声が砦内に響いた。
お読みいただきありがとうございます。ようやく40話です。
ゼノの部下エディン。一応名前は付けてみましたが、再び登場するかどうかは未定です。登場する時は「40話に出てきた」と後書きで言うようにします。




