兆しの星
夜の王都には、昼の喧騒とは異なるざわめきがあった。
表向きは美しき秩序に包まれた都でも、闇にまぎれて人々の囁きは止むことなく交わされている。
路地裏に落とされた一枚の紙には、緻密な筆致で詩が綴られていた。
「花冠をかぶせられし女王、その微笑はとても美しく深く底が見えない」
それはエリザベートを称えるふりをして皮肉った風刺詩だった。
誰が書いたのかはわからない。ただ、それを拾い読みした者の顔には、笑いとも憂いともつかぬ影が走った。
ユリウスは王宮の一室にこもり、机の上に広げた数枚の文書を前に沈思していた。
その目は、かつてないほど鋭く、同時に静かだった。
とある貴族の屋敷で手に入れた一通の写し――それは、リディア・グレイス・マクレインの罪状を裏付ける証言書の“原本”とされたものだったが、実際は筆跡も印の位置も不自然で、何より証人とされている者はすでに国外に去っていた人物だった。
「これは誰かが意図的に仕組んだものだ。そして、書かせたのは王太子の近衛だったローク……」
その名前を口にしたとき、ユリウスの胸には言いようのない悔しさが広がった。
レオン王太子の信頼を一身に集めていた男が、なぜリディアを陥れようとしたのか。
まだ全貌は見えない。だが、追放劇の背後には明確な“意志”があった。
一方、マクレイン伯爵家の屋敷には春の陽気が訪れていた。
中庭の温室には、鮮やかな新芽が顔を出し始めている。
その奥で、クラリス夫人は一つ一つの鉢に丁寧に手を伸ばしていた。
柔らかい指先が土を撫で、小さな苗をそっと植えつける。
「デルフィニウム……」それはリディアが幼い頃、嬉しそうに育てていた花だった。
背丈の高い花は、風に揺れながら天を仰ぐように咲く。
クラリスは誰にも言わず、ひっそりとその花を植えた。
庭師にも、侍女にも知らせていない。ただ、娘が戻ったとき、もしも目に留まれば――それだけを願って。
ギルベルト伯爵はその温室を通り過ぎ、書斎の窓から空を見上げていた。
日が沈みかけ、空の端に星がひとつ、淡く光っていた。
「潔白だったのかもしれん……」
小さく、誰にも届かぬ声でつぶやいた。だがすぐにその言葉を押し殺し、目を閉じた。
「今さら何を――」と自分を叱るように。家を守るために選んだ判断だった。
だが、正しかったとは言い切れない。遠くで鳥の影が横切り、静かな夜が訪れる。
辺境の村、王都から遠く離れたその地でも、春の陽気が大地を温めていた。
そして、そこにもデルフィニウムの花が揺れていた。
リディアは、今の暮らしに満足している。だが、その花を見た時、リディアの心の中には幼いころの記憶が蘇った。
リディアは丘の上に立ち、空を見上げていた。静かに風が髪を撫でる。都での日々。両親との思い出。
それらも、リディアにとっては愛おしいものだったのだ。
デルフィニウムの前で立ち尽くしているリディアに、ルナが「どうしたの?」と言うように鳴きかける。
「何でもないわ、行きましょう」
そう言うと、リディアは成長を続けている聖獣と共に家に向かった。
追放の日。あの瞬間、すべてが終わったと思った。でも、終わりではなかった。
リディアは、このミルファーレ村で幸せに暮らしている。しかし、お別れも言えずに家族と引き裂かれた悲しみは決して消えてはいない。
その日の夜、気が付くとリディアは手の中に小さな布切れを握っていた。母が作ってくれた刺繍の一部を模したもの。それは、自分が何者であるかを忘れないための印。
リディアの心に揺れが生じる。「このままでいいのだろうか」と。
リディア自身は幸せを感じているが、果たして犯罪者の家族となった愛すべき人たちはどうなったのか?
今までは理不尽に婚約破棄され、追放までされた自分の境遇に抗うことで精一杯だった。
抗っていないと、あまりにも悲しかったからだ。
「このままでは終わらせない」と思っても、何の力もないただの小娘にできることなど限られている。
だが、心に余裕ができて、さらにデルフィニウムの花を見ることで、リディアの心には揺れが生じた。
「手紙を書くのは……やっぱり迷惑かな」
自分は無実だと知っていても、リディアは公には犯罪者だ。犯罪者からの手紙なんて迷惑かもしれないし、それを理由に何らかの嫌疑をかけられるかもしれない。
そう思うとリディアは暗い気持ちになってしまったが、何かできることを探すべきなのではないか、という思いが湧き上がった。それは、家族への愛情と共に。
ユリウスが真実に辿り着こうとしていることなどリディアには知る由もないが、暗い夜を越えて新たな夜明けへと向かう兆しの星が空に瞬いていた。
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