接触
ラグリファル王国は、大陸でも一番の力を持つ国だ。
国王が病に臥しているため、今は王太子レオンが国の頂点にいる。
ただレオンは政治に興味がないため、婚約者のエリザベートが実際の政務を取り仕切っていると言っても良いだろう。
その北の隣国ヴァルハルゼン。
こちらも王が治める国で、ラグリファル王国とは友好関係にある。
国王のグラウベルトは思慮深く、賢君だと評判だ。
ただ、何を考えているかわからないところもあると評する者もいる。
その王の下に、あの黒ずくめの男が現れた。
「どうじゃ、新しい王太子妃候補は?」
「はっ、リディアを追放したことを後悔し始めているようですが、特別な動きはございません」
「うむ、エリザベートでは何もできまい。リディアと比べると扱いやすい者じゃ」
「しかし、その者もラグリファルに対する忠誠心は厚いものがあるようですが」
「あれだけの大国じゃ、中枢から裏切り者を出すのは簡単ではない。それよりリディアの奴めは人の心を見おるから、誤魔化しが見抜かれる。だがエリザベートめは数字を見るから与しやすい。おかげで、少しずつ成果が出ておるのだ」
「さすがはグラウベルト様」
「もうしばらくすればエリザベートにもやってもらうことがある。それまで、我が国の影を感じさせてはならんぞ」
「承知いたしました」
こうして、黒ずくめの男はヴァルハルゼン王グラウベルトの下から姿を消した。
***
ユリウス・グレイはエリザベートの侍女マリアンヌをずっと見張っている。
黒ずくめの男はとても用心深く、会う日にちも場所も規則性を持たせない。
だから、ずっと見張っているしかないのだ。
それも、あまり近くでは黒ずくめの男に見つかってしまう恐れがある。
その場合、先制攻撃を食らう恐れもあるのだ。
人数を揃えようともしたが、王太子に冷遇されているユリウスが声をかけても誰も協力してくれなかった。
エリザベートの侍女が怪しいなどと言うと、「まだリディア様にこだわってるのか、いい加減にしとけよ」とあしらわれる始末だった。
結果、ユリウスは一人でマリアンヌを追い続けることになっている。
次に会うのがいつかもわからない、本当に裏があるかどうかも分からないのに。
あの身のこなしは間違いなく諜報員だと思うが、会っているところに踏み込んでも「逢引きだ」などと言われてしまったらどうしようもない。
王太子の婚約者の侍女を強引に取り調べることもできない。
ユリウスは、今の自分の境遇にため息をついてしまうこともあった。
しかし、機会がやってきた。
マリアンヌが夜に外出し、倉庫街の片隅に佇んでいると黒ずくめの男が現れた。
黒ずくめの男の声は聞こえない。
マリアンヌが話している内容からすると、ラグリファル王国の内政についてのことのようだ。
だが侍女に過ぎないマリアンヌは、それほど内政に詳しくはない。
それでも男は笑みを崩さず、そのまま袂を分かった。
今はまだ手懐けている状態なのだろうか?
何にしても、我が国の情報を探っているからには敵に違いない。
ユリウスは、その男の後を追った。
その男は、まるで諜報など知らない普通の男のように足音を立てて歩く。
そして、何度も路地を曲がって人影のない方に向かう。
「気づかれている?」
ユリウスは焦った。もし気付かれていたら、今後さらに警戒心が強くなるだろう。
そうなると、情報を掴むのが今以上に難しくなる。
「ここで取り押さえたい」
ユリウスは、黒ずくめの男との距離を縮めようと歩む速度を上げた。
懐の中に短剣を握りながら曲がり角を曲がる——と、その瞬間火花が散った。
白い煙が広がり、灯りの光を乱反射させて視界を奪った。
ユリウスは怯まず前に出て短剣を振るう。
微かな手応えと共に「ちっ」という声。
そのまま、男は姿を消した。
ユリウスの頬を、冷たい汗が流れる。
視界を奪われていた自分は、あそこで襲われていたら命がなかっただろう。
こちらが前に出て相手に傷を与えたから、敵は逃げて「くれた」のだ。
「迂闊だった……」
ユリウスはそう呟いたが、本当に迂闊さを実感するのは次の朝だった。
……次の朝、マリアンヌが遺体で見つかった。




