密書
王都は奇妙な静けさに包まれていた。
広場では華やかな音楽が奏でられ、通りでは花飾りが揺れ、衛兵たちが整然とした動きを見せている。
だが、その美しさの下には、誰もが口を閉ざす沈黙と、あらゆる言動を監視する冷たい眼差しが潜んでいた。
「穏やかな日々ですね、王都は。」
と、エリザベートが窓の外を眺めながら呟いた。
その傍にはかつての王太子付き筆頭侍従だった男が、ぎこちない笑みを浮かべて立っている。
王政に仕える者たちは、今やその多くがエリザベートの意向をうかがいながら、慎重に行動するようになっていた。
そのころ、宮廷の奥まった一室では、諜報部のユリウスが机に広げた文書に目を走らせていた。
焼却処分を免れた数枚の報告書、その一つには、北の砦に関する記録が詳細に記されていた。
「ここが……意図的に薄くされている?」
ユリウスは目を細め、地図上の砦の配置に小さな印をつけた。
文書によれば、王国北部の防衛網に不可解な隙が生じており、しかもその改定に関わった人物の名は、かつてリディアを陥れた者と一致していた。
「偶然ではないな……」
ユリウスの手が、無意識にペンを強く握る。
一方、王城の別棟では、外交の名目で訪れたはずの小国の使節団が、通常の手続きを経ずにエリザベートの元を訪れていた。
応接間には王国の文官の姿はなく、代わりにエリザベートの侍女と数名の私兵が目を光らせている。
交わされているのは、物資と軍備に関する条件――王国としての承認が下りていない、非公式な取り引きだった。
「国の未来を案じるのなら、柔軟な対応が必要ですわ」
と微笑むエリザベートに、使節は一瞬たじろぎながらも頷く。まるで毒を含んだ蜜のように、言葉は甘く響いた。
そのころ、遠く離れた辺境の村では、冷たい風が木立を揺らしていた。
ミルファーレ村の老猟師のガロは村の広場を囲む小屋の裏手で、一通の密書に目を通していた。
差出人の名はない。だがその筆跡には、かつての戦で共に命をかけた仲間の面影があった。
「王太子レオン殿下の判断は、王国を脆くする。北の砦が危うい。そちらは無事か」
と短く記された文字に、ガロは深く眉を寄せる。
だが彼はその内容を誰にも伝えなかった。特に、リディアには。
彼女は今、村の少女たちに刺繍を教えていた。
囲炉裏の火を背に布を広げ、静かに糸を通す彼女の手元には、見覚えのある意匠が浮かんでいる。
それは、かつてのリディアの実家であるマクレイン伯爵家の家紋――花と剣をかたどった刺繍だった。
リディアは、今の生活に満足している。王都にいる時よりも幸せなくらいだ。
だが、それでも。別れも言えずに離されてしまった両親が愛おしくないわけではない。
だから、無意識のうちにその意匠を縫ってしまったのだ。
「リディア先生、これはどんな模様なの?」と少女の一人が尋ねる。
リディアは一瞬だけ針を止めると、柔らかく微笑んだ。
「別に何でもないわ。気にしないで」
そう言って視線を落としたまま、過去について語ることはなかった。
その横顔に、未練の色はなかった。
ただ、時折見せる一瞬の影が、全てを忘れたわけではないことを物語っていた。
ガロは小屋の屋根にもたれながら、東の空を見上げる。
冷たい風に乗って、どこか遠くの不穏な気配が微かに感じられた。
「まだ早い。だが……いずれ」
小さく呟くその声は、誰にも届かない。
王都の均衡は、まるで薄氷の上に立つが如きものだった。その美しさの裏で、静かに崩壊の兆しが忍び寄っていた。
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