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二十三、横恋慕

 定期演奏会が終わった市民吹奏楽団はいつも、次の一週間は休みだった。

 今日が演奏会以降、初めての楽団の練習だった。

 いつもの時間に練習場に入ると、フルートの女達が僕をジロジロと見ていた。クラリネットの女達は僕を指差していた。

 嫌な雰囲気だった。何となくその様子から悟るモノはあった。

 楽器を取り出して、演奏の準備を始めるとホルン吹きが飛んできた。

「おいおい、戸倉!」

 ホルン吹きは僕の肩に手を回し、僕の耳元で小さな声で言った。

「雨宮と何かあったのか?」

 僕はドキッとした。

 僕が上手く答えられないでいると、ホルン吹きのヤツはニヤリとしながら知ったかぶりで喋り始めた。

「やっぱりな」

 ホルンのヤツは知ったかぶりな感じでうなずき始めた。

「雨宮、楽団を辞めたらしいぞ」

 僕を指差して、ホルンのヤツはこう言い切った。

「やっぱり別れたんだ、こりゃ……そうか、そうか」

 そう言って、ホルン吹きは僕の言葉を聞かずにスーッと去って行った。

(そういうことか)

 僕は何もかも悟った。


 桜沢宗和を囲んだ食事会は十一時に終わった。

「駿平クン、またな。次回はアメリカで待ってるぜ」

 そう言い残して桜沢は、お付きの車に乗り込んで去って行った。

「アメリカって、なんだ?! さっきの話なんて冗談でしょ?」

 今の僕はその意味を理解しようとする気分でも気持ちでもなかった。

 一刻も早く、律子に連絡を付けたかった。だが、真理はそれを簡単には許さなかった。

 真理は僕を諭すように静かに言った。

「私には君が必要なのよ、音楽的にね」

 そして、僕の様子を下から舐めるように見上げた。

「考えておいてね、約束よ」

 僕はますます解からなくなった。戸惑いと不安とで呆然としている僕に、真理は僕の頬にキスをした。

僕の心臓はバクバクと鳴った。

「駿平クン、また連絡するわ。いい返事を期待してるわよ」

 そう言って真理はタクシーに乗り込んだ。

 僕はしばらくボーッとしていたが、すぐに大事なことを思い出した。僕は慌てて律子のところに電話を掛けた。

 考えれば当然のことだが、律子の携帯電話は電源が切られていた。しないよりはマシだろうと、メールを送って帰路に着いたのだった。


 それから楽団練習日の今日まで、律子からの連絡は全く無かった。そして、こちらから連絡しても何の音沙汰もなかった。

 自宅に連絡を入れると母親の奈津子が電話に出てくれた。だが、奈津子は僕に気を使いつつ応対してくれたが、奈津子から出てきた言葉は冷たかった。

「駿クン、ごめんなさい。律子、もう連絡しないでほしいって」

 その後何度か、携帯電話をコールしたが着信拒否され、自宅の電話も奈津子が出てくれたが相変わらず対応は冷ややかだった。

 僕の心の中は、絶望が支配していた。


 そして、今日の楽団の雰囲気だ。僕の心には「ブルー」以外の色はなかった。

 合奏が始まる前、指揮台にバンドマネージャーが立った。こういう時は、重要な話があるのが常だった。

「えー、ファースト・クラリネットだった雨宮律子さんですが、先日の演奏会をもって退団、ということになりました」

 練習場は一瞬、騒然とした。だが、それに関係なくバンドマネージャーは続けた。

「今後はピアノの方に専念されるということです」

 楽団員は更にざわめき、僕を横目で見る視線が痛かった。

 僕は、納得できない感じだった。どうにも腑に落ちない何かが、心の中に引っ掛かっていた。


 楽団の練習が終わって、僕はいつものライブハウスに行った。

 相変わらず、マスターがにこやかに声を掛けてくれた。

「よう、駿平。今日は一人か」

 マスターは、顎で店の中の方をしゃくった。

「今日も真理さん、来てるぜ」

 そう言って僕の背中を押して、店の中に引っ張った。真理はカウンター席でカクテルを飲んでいた。その様子を見て、マスターは僕に耳打ちした。

「真理さん、様子がおかしいんだよ。今日はピアノを弾かずにずーっと飲んでるんだ」

 不意に、マスターは僕の肩を叩いた。

「駿平、あとは任せたからな」

 マスターはそう言い終らないうちに、店の奥へと引っ込んで行った。

 僕は、真理の横に座った。

「誰?」

 真理は髪の毛を掃い上げて、こちらを見た。

 真理はビクッと驚いた。

「あ……駿平」

「ごめん」

「でも、嘘じゃないのよ」

 真理は、うわ言のようなことを言いながら、僕にしな垂れてきた。

 真理がどういう意味でその言葉を言ったのかは解からないが、僕は真理の背中に手を回し、そっと撫でた。

「アメリカ行きは本当のことなのよ」

 真理は下を向いて、僕に寄り掛かったまま、先程よりはシッカリとした声で言った。

 僕は鼻でフンと笑いながら言った。

「あの話は冗談でしょ?」

 真理は、僕の顔を見た。

「いいえ、違うわよ。本気よ」

 僕は、酔っ払いの真理の言葉はとても信じられなかった。

「それってどういうこと?」

 僕は真理の背中に回した手を離した。

 真理はムックリと起き上がった。そして駿平を見た。

「桜沢が言ってたことはホント。冗談のように話してたけど、ホントなのよ」

 真理は急に酒が抜けたような顔になった。

「私も録音が終わったらアメリカに行くの。そして、桜沢と組んであちらで活動する予定」

 真理はグラスのカクテルを一口あおった。

「そこに君も来て欲しいの」

 僕には寝耳に水だった。真理や桜沢が、そんなつもりだったなんてこれっぽっちも思わなかった。それに、僕には気掛かりなことがあった。

「でも、僕は……」

 そう言うと、真理は僕の目を見つめた。

「えぇ、分かってるわ。律子さんのことでしょ?」

 真理は、カクテルをもう一口あおった。

「私がピアノも弾かずに飲んでるのはそのせいよ」

 そして、真理はカクテルを飲み干した。

「大丈夫よ、そのことは。でも、今は何も言えないの、勘弁して。でも、必ず私が何とかするわ」

 そう言って、真理は僕の手を握ってきた。

 僕は小刻みにうなずいた。

「僕はどうすれば……」

 僕は不安げにそう言うと、真理は握っていた僕の手を更に強く握ってきた。

「時が来たら事が動くわ。それまではじっとしていて」

 僕は真理を見つめてうなずいた。

 真理は僕に抱きついてきた。

「私は、君の才能に惚れたのよ。律子さんとは違う愛し方なの。それだけなの」

 真理は涙ぐんでいた。

「考えておいてね、アメリカ行き。お願い、よ」

 そう言い終わると真理は席を立ち、フラフラしながらライブハウスを出て行った。

 僕は複雑な気持ちだった。


 律子との恋の行方。

 真理との音楽の行方。

 違う話のようでそうでもない。

 三角関係のようでそうでない。


 悲しい気持ちや絶望感を持ちながら、高揚感と嬉しい気持ちをも持ち合わせている、今の僕の心の中。

 僕はライブハウスに流れる音楽を、聴くともなく聞いて、時間を過ごした。

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