棒切れ一本でもあれば、負けないんだぞ
両手を地面に突いて身体を支え、逆立ちのような状態になったリタは、天へと突き出された右足でウィルの顎を狙う。
ウィルがそれをかわした直後、リタは左足をも突き出すが、ウィルは姿勢を少し崩しながらも、二段蹴りを何とかかわす。
が、蹴りをかわしたウィルが姿勢を立て直した時、反撃に転じるより早く、リタが地面を突いたままの両手、いや、両腕を軸に足払いを繰り出してきたので、ウィルは後ろに跳んでこれも辛うじて回避する。
敵地の只中、囚われの身でありながら仲間割れを起こしたリタの顔は怒気に満ち、ウィルは何か悟ったような、やっぱりこうなったかと言わんばかりの表情をしている。
ユリィよりつき合いは短いとはいえ、子供の頃より同じ孤児院で育った仲である。リタが動物好きも知っていれば、その際の触れ合いを邪魔すると不機嫌に、時に怒り出すわりと短気な性格もウィルはよく知ってはいるのだ。
だが、カヴィに注意された子供たちが水を食堂に運ぶ中、さすがに「もうちょっと」を繰り返し、邪神を手放さそうとしない仲間をそのままにできず、虎の尾を踏み続けるしかなかった。
ほどなく、リタは魔獣神を撫でるのを止めたのだが、その手足は水を運ぶのに使わず、しつこく注意してきた仲間への攻撃に用いていた。
そして、キレて見境のなくなっているリタの連続攻撃は間断がなく、機敏なウィルが反撃の糸口をつかめず、回避一辺倒になっているほどだ。
「あの兄ちゃん、弱いな」
「というか、あのお姉ちゃん、強すぎない?」
観戦するカヴィのつぶやきより、それに反応した女の子の評価の方が正しいだろう。
リタとウィルが始めたケンカは、再び水運びの手を止めさせただけではなく、寝床の片づけを終えた面々も騒ぎを聞きつけて呼び寄せさえした。
その中にはセラもおり、彼女は子供たちにせっつかれる形で仲間たちに制止を呼びかけたが、それにリタがまったく応じないので、ウィルも回避を続けるしかなかった。
「……まったく、何をしているのだ、あいつらは」
そう苦々しくつぶやいたのは、いつの間にかセラの傍らに来ていた、エプロン姿のユリィである。
このケンカ騒ぎはついに朝食の用意をしている面々、フォケナスを除くが、それ以外の全員を裏庭に引っ張り出すにまで至ったのだ。
「リタのヤツ。完全にヒートアップしているな。素手となると、ウィルでは荷が重いか」
そうつぶやくや、朝食の用意のために着けていたエプロンのみならず、覆面まで脱ぎ捨て、当たり前ながら人間離れした美貌をさらすと、相争う仲間の元へと駆け出す。
ユリィの救援は間一髪といったところだろう。
足元を狙うかに見えたリタの蹴りが軌道を変え、ローキックをブロックしようと前傾姿勢を取ったウィルの側頭部にヒットしたのだ。
仲間の蹴りを食らって派手に横倒しになったウィルだが、その実は自ら倒れてダメージを少なくしたのだが、倒れたことによって完全に姿勢を崩してしまう。
そこにリタが馬乗りなろうとする直前、ユリィの飛び蹴りが襲いかかってきたので、リタが前転してそれをかわしている間に、ウィルは這うようにその場を離れ、セラの元まで逃げて行く。
「……槍が、いや、棒切れ一本でもあれば、負けないんだぞ」
リタの前に敗走したウィルがそんな言い訳を口にする。
それは逆に言えば、パワーはもちろん、スピードでも手足のリーチでも勝るウィルが、棒切れなりを手にしなければ、リタに勝てないと言っているのだ。
そのリタに対して、素手で挑むユリィは、飛び蹴りをかわされた後、仲間に蹴りを繰り出し続けている。
ウィルには劣るが、手足のリーチはリタよりユリィの方が長い。加えて、機敏さもユリィの方がウィルやリタより上である。
その敏捷さでうまくを間合いを保ち、リタの手足では届かぬ距離からユリィは蹴りを繰り出すが、それでリタは防戦一方とならなかった。
リタの手足はユリィの体に届かないが、リタの両手はユリィのハイキックをつかむだけではない。
つかんだ右足をリタはひねろうとするが、それより早く右足をつかまれた状態でユリィは左足で曲芸的に蹴りを繰り出す。
リタは両手を放して後ろに下がり、ユリィの左足をかわすが、両手と右足で地面に着地したユリィは、リタに右足で足払いを仕掛け、さらに後退させる。
「力はなくても、肘や膝、踵といった硬い部分で打たれるとそれなりに痛いが、本当に恐いのは組み技や寝技に持ち込まれることだ。ユリィのような芸当ができないのにヘタに攻撃を仕掛けると、間接とかをあっさりと極めてくるからな、あいつら」
回避一辺倒に徹した理由と言い訳を口にするウィル。
さらに下がって足払いをかわしたリタだが、そこで両手と左足で体を支えるユリィへとダッシュする。
が、両手と右足で体を支えるユリィは、左足で下からリタの顎を狙って振り上げるが、それはあっさりとかわされる。
振り上げた左足が空を蹴ったユリィだが、その勢いを活かして一転して立ち上がった時には、リタはその懐に飛び込んで右の拳を繰り出していた。
ユリィも打ち下ろし気味に右の拳を繰り出すが、するとリタは右手を止めて左手を伸ばす。
伸ばした左手でユリィの右の袖口をつかんだリタは、腰をおとして体をひねり、ユリィの投げ飛ばす。
しかし、投げ飛ばされたユリィは両足で地面に着地する。
「片手投げなら、オレでも受け身くらいは取れる。が、あいつらに両手で投げられた場合、投げられるというより、落とす、叩きつけられるという感じだから、シャレにならん」
ウィルが解説している間に、うまく着地したユリィが強引に右腕を引いて自由を取り戻しただけではなく、
「まったく、何をしているんですか」
ついに痺れを切らしたのか、フォケナスも食堂からやって来る。
フォケナスは無造作に二人へと歩み寄って行き、
「朝ごはんにしますよ」
そう声をかけても、ユリィとリタの攻防は止まることはなかったので、さらに無造作に二人に近づき、両手を振り上げてその首筋に目にも止まらぬ早さで手刀を打つ。
それだけでユリィとリタは気絶して倒れると、フォケナスは二人を両肩に担ぎ上げ、
「冷めますから、食堂に急ぎますよ」
二人も担ぎ上げているとは思えぬほど、軽やかな足取りで食堂に戻って行く。
「じゃあ、食堂でメシにするぞ」
カヴィが号令をかけ、子供たちもフォケナスの後に続いていった。




