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境界線 ―1999、世界は十三分止まった―  作者: 夕花
第三部『継続』

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結果の先

青年は、一歩を踏み出した姿勢のまま止まっていた。


意識を失った覚えはない。


神崎と佐伯のあとを追い、床を横切る黒い帯へ向かって足を出した。そこまでの記憶は途切れていなかった。


だが、踏み出したはずの足は、何にも触れていない。


青年はゆっくりと足を戻そうとした。


身体は動いた。


それでも、足を下ろした感覚は得られなかった。


転倒もしない。浮き上がっている感覚もない。身体を支えているものがあるのか、そもそも支えを必要とする状態なのかさえ判断できなかった。


手には照明が残っている。


青年は前方へ向けたつもりで、光を確かめた。


点灯していることは分かった。


だが、光がどこまで届いているのかを捉えられない。


壁に遮られているわけではなかった。闇に吸い込まれているようにも見えない。照らされた範囲と、照らされていない範囲の境目が存在しなかった。


青年は周囲を見回した。


見回したつもりだった。


首を動かせば、視界もそれに合わせて変わる。それでも、右を見たのか左を見たのかが分からない。


振り返っても、背後を見た感覚がなかった。


「神崎さん」


呼びかける。


自分の声は聞こえた。


だが、声が口元から外へ広がったのか、耳の内側だけで響いたのかを区別できない。反響はなく、遠ざかっていく気配もなかった。


「佐伯さん」


返事はなかった。


青年はもう一度、二人の姿を探した。


どこにもいない。


そう思った直後、自分がどの範囲を探したのか分からないことに気づいた。


視界を遮るものはない。それでも、遠くまで見通せているわけではなかった。


遠くというものがなかった。


青年は照明を持っていない方の手を伸ばした。


何にも触れない。


さらに伸ばそうとして、腕がすでに伸び切っていることを知る。その動きを目で追っていたはずなのに、手が身体からどれだけ離れたのかを捉えられなかった。


指先は見える。


肩も見える。


その二つのあいだにある距離だけが、一つに定まらない。


青年は動くのをやめた。


呼吸はできている。


鼓動も感じる。


痛みもなく、意識にも異常はない。青森へ来たことも、入口の先で退路を失ったことも、一九九九年の記録と重なる通路を進んでいたことも覚えている。


記憶が抜け落ちたのではなかった。


気がついた、という感覚さえない。


青年にとっては、あの一歩と今が続いている。


ただ、そのあいだにあるはずの移動だけが存在しなかった。


足元へ視線を落とす。


そこに床はない。


そう認識するまでに、少し時間がかかった。


何も見えないからではない。足元という方向自体が、視線を向けたあとにしか成立しなかった。


視線を戻せば、どちらを下と考えていたのか分からなくなる。


青年は身体が傾いていないか確かめようとした。


判断できなかった。


上下がなければ、傾きも定まらない。


横になっている可能性を考えたが、その考えもすぐに意味を失った。立つ、浮く、落ちるという状態は、基準となる方向があって初めて区別できる。


ここには、その基準がなかった。


青年は呼吸を整えた。


自分の身体だけは、今までと同じ形を保っている。


手を握れば指が掌に触れる。胸へ手を当てれば、衣服越しに鼓動が伝わる。身体の内側では、距離も向きも失われていなかった。


だが、身体の外へ出た途端、あらゆる位置関係が成立しなくなる。


青年は神崎から預かっていた通信機を確認した。


表示は消えていない。


故障を示す反応もなかった。


呼びかけても応答はなく、接続の有無を示す表示も変化しない。機器が正常に動いているのか、同じ表示が残っているだけなのかを確かめる方法はなかった。


時刻表示を見る。


数字は読めた。


青年はしばらく待ち、もう一度確認した。


同じ数字だった。


止まっているのか。


一秒も経っていないのか。


それとも、時間の経過を比較する行為そのものが成立していないのか。


青年には判断できなかった。


神崎と佐伯がいない。


地下通路も、黒い帯もない。


それでも、別の部屋へ移されたとは思えなかった。部屋と呼ぶには壁も床もなく、広さも形も定まらない。


空間と呼べるのかさえ分からない。


青年は、自分だけが残されていることを確かめるように、もう一度声を出そうとした。


その直前、何かが変わった。


音はない。


光も動いていない。


周囲に新しい形が現れたわけでもなかった。


ただ、それまで何もないとしか捉えられなかった場所に、何かがあるような感覚だけが生じていた。





青年は、声を出すのをやめた。


何かが変化したのではない。


それまで気づかなかったものが、突然現れたわけでもなかった。


初めからそこにあり、今になって青年の側が、その存在を捉え始めたように感じられた。


青年は、気配のある方へ顔を向けた。


だが、どこを見ればいいのか分からない。


方向は定まらない。それでも視線を動かすたび、何もなかったはずの場所に、周囲とは異なる部分が生じた。


初めに見えたのは、細い線だった。


照明の光ではない。


線はどこかから伸びているわけでも、二つの点を結んでいるわけでもなかった。始まりと終わりを持たないまま、視界の一部を区切っている。


青年が目を凝らす。


線のそばに、もう一本の線が現れた。


二本は触れていない。


そう見えた直後には交差し、一つの角を作っていた。角の内側に別の面が重なり、さらにその奥へ、同じ形が幾重にも続いていく。


奥行きのない場所に、奥行きだけが生じていた。


青年は瞬きをした。


形が変わった。


先ほどまでの線も角も消え、代わりに複数の輪が組み合わさっている。輪は回転しているように見えたが、どの方向へ動いているのかは分からない。


一つが回るたび、別の輪がその内側と外側へ同時に移った。


部品が噛み合っているようにも見える。


だが、何かを動かしている様子はなかった。軸も接合部もなく、どの輪がどの輪に支えられているのかも定まらない。


青年は照明を向けた。


光は輪の表面を照らさなかった。


遮られた様子もない。


それでも、輪は消えずに見えていた。


物体へ光を当てているのではない。


青年がそう考えた瞬間、輪の形が崩れた。


無数の直線が折れ重なり、ひとつの大きな構造を作る。どこか機械の内部に似ていたが、同じ形を保っている部分は一つもない。


線は接続する前に分かれ、分かれた先で元の位置へ戻る。


平面だったものが厚みを持ち、その厚みの内側から別の平面が現れる。見えている部分が外側なのか、内部なのかさえ判断できなかった。


青年は視線を外した。


そこに何もない場所を見ようとした。


だが、何もない場所と、何かがある場所の境界を見つけられない。


視界の端にも、先ほどの構造がある。


正面から外したはずなのに、位置が変わった感覚はなかった。青年がどこを見ても、それは見ようとした先に形を作った。


囲まれているのかもしれない。


そう考えたが、その捉え方もすぐに違うと感じた。


周囲を覆う巨大な構造があるのではない。


一つのものが複数の方向に存在しているようにも見えたが、ここでは方向そのものが定まらない。大きさを比べる距離もなく、全体が自分の身体より大きいのか、指先より小さいのかも判断できなかった。


青年は照明を持つ手を胸元へ引き寄せた。


形は、その動きに反応しなかった。


輪が開き、線が重なり、面が折れる。


規則があるように見える。


同じ動きを繰り返している部分もあった。


だが、青年がその反復を追おうとすると、どこから見始めたのかが分からなくなった。形は途中で途切れたのではなく、初めから別の組み合わせで成立していたように見えた。


完成する瞬間はなく、崩壊しているわけでもない。


見ようとするたび、青年が理解できる形へ一時的に置き換わり、捉えた瞬間にはすでに別の形へ変わっていた。


機械そのものではなかった。少なくとも、青年が知っている機械ではない。


装置と呼ぶには用途がなく、構造と呼ぶには全体が存在しなかった。


青年は息を整えた。


「あなたが、俺をここへ?」


問いかけても、返事はなかった。


音も、動きも変わらない。


そもそも、自分の声が届いたかどうかも分からなかった。


青年は言葉を変えた。


「神崎さんと佐伯さんは、どこにいるんですか」


新たな形が生じた。


複数の面が重なり、その中心に空白ができる。


だが、それが問いに対する反応なのか、それ以前から続いていた変化なのかは判断できない。二人の姿も、居場所を示すものも現れなかった。


会話が成立しているようには見えなかった。


青年は口を閉じた。


形の変化は続いている。


青年が話す前から続き、話しているあいだも止まらず、話し終えたあとにも同じように繰り返されていた。


こちらの言葉を待っているわけではない。


それでも、青年は自分と無関係だとは思えなかった。


視線を動かす。


形が成立する。


目を閉じる。


見えなくなる。


だが、何かがあるという感覚までは消えなかった。


青年は目を閉じたまま、しばらく動かなかった。


気配は前にも後ろにもない。


身体の外側すべてに広がっているわけでもない。


それでも、自分ではない何かが存在している。


青年はゆっくりと目を開いた。


幾何学的な輪郭が、再び視界に成立する。


今度は、それを物体の形として追わなかった。


線がどこへ続くのか。


輪が何を動かしているのか。


全体がどれほどの大きさなのか。


それらを確かめることをやめた。


代わりに、形の中で繰り返されている部分へ意識を向ける。


同じ折れ方をした線が、離れた位置にも現れていた。完全に同じではない。それでも、異なるものとも思えなかった。


どこからどこまでを一つとして捉えればいいのかは分からない。文字に似て見えたが、読める形ではなく、区切りさえ定まらなかった。


すると、個々の形とは別のものが残った。


無数の変化が、青年へ向けられている。


視線ではない。


顔も目もない。


それでも、自分が見られているという感覚だけが、他のどの認識よりも明確だった。


青年がそこにいることを、何かが捉えている。


場所や姿ではなく、青年という存在そのものを識別しているように感じられた。


なぜ自分なのかは分からない。


青森で起きている異常との関係も、二十七年前の六名との関係も見えなかった。


ただ、偶然同じ場所にいるのではない。


それだけは、青年にも否定できなかった。


形の変化が、わずかに重なった。


複数の線と面が一つの配置を作り、青年がそれを認識した途端、また別の配置へ移る。


何かを示そうとしているのかもしれない。


あるいは、青年の側から何かが返されるのを待っているのかもしれない。


そう考えた直後、青年は自分の解釈に確信がないことを意識した。


相手が対話を望んでいるとは限らない。


待っているという認識さえ、人間の側が勝手に当てはめたものかもしれない。


それでも、変化の一部には空白があった。


欠けているのではない。


そこへ何かが置かれることを前提としているような空白だった。


青年は、その形にならないものを見た。


何かがいる。


それは青年を認識している。


そして、理由も方法も分からないまま、青年からの何らかの応答を求めているように思えた。





青年が応答の方法を考えるより先に、形の一部が重なった。


線と輪が一つの配置を作る。


それまでとは違い、青年が視線を向けても、形はすぐには崩れなかった。


中央にあった空白へ、別の線が触れる。


その瞬間、青年の視界から形が消えた。


代わりに、見覚えのない景色があった。


広い道路の上で、何台もの車が止まっている。信号は点灯したまま変わらず、歩道にいる人々も動いていない。


青年は一九九九年の十三分を思い浮かべた。


だが、そう認識したときには、景色はすでに別のものへ変わっていた。


誰もいない部屋。


壁に並ぶ時計。


異なる時刻を示す複数の表示。


地下へ続く入口。


見たことのない街。


どれも一瞬だけ現れ、前の景色を押し退けることなく重なっていく。


一つが消えてから、次が現れるのではない。


すべてが同時に存在していた。


青年の認識だけが、その一部を順番に拾っていた。


何が過去で、何が現在なのか分からない。


最初に見た道路が始まりなのか、最後に現れた入口がその結果なのかも判断できなかった。


さらに別の像が重なる。


何もない場所に、細い線が生じる。


線の先へ複数の形が集まり、一つのまとまりを作る。まとまりは別の配置へ移され、その先で異なる形に変わった。


変化が終わる。


次の瞬間、すべてが消えた。


消えたはずの場所に、初めと同じ細い線が生じる。


再び形が集まり、移され、変わる。


先ほどと同じように見えた。


だが、途中で重なる線の数が違う。最後に成立した形も、わずかに異なっていた。


青年が違いを捉えると、同じ流れがもう一度始まった。


始まりへ戻った。


そう思ったが、正確ではなかった。


前に成立した形は失われていない。最初の流れに重なるように、次の流れが加わっていた。


二つ目が終わる前に、三つ目が始まる。


そのあとにも、同じようで異なる変化が続いた。


道路、時計、地下の通路、知らない街。


止まった人々。


異なる位置に重なる同じ建物。


どこにもつながっていない入口。


青年が知る異常と、見たことのない現象が、始まりも終わりも分けられないまま流れ込んでくる。


青年は目を閉じた。


景色は消えなかった。


目で見ているのではない。


音を聞いているわけでも、記憶を思い出しているわけでもなかった。自分の内側にあるはずのない情報が、知覚の違いを無視して一度に入り込んでいた。


「待ってくれ」


青年は声を出した。


情報は止まらない。


問いかける前から続いていた流れが、そのまま青年を通過していく。声を発したことに反応した変化は見つけられなかった。


形の一部が、繰り返し現れる。


初めに生じる線。


線へ集まるもの。


その間で起きる変化。


変化のあとに残るもの。


そして、最後に成立する配置。


同じ関係を持つ形が何度も重なるうちに、その一部が、形ではなく意味を持つものとして感じられた。


文字ではない。


言葉でもなかった。


それでも青年の認識は、意味の定まらない形へ、人間の言葉を無理に当てはめようとしていた。


どこかに文字が現れたのではない。形の関係を捉えようとするたび、もっとも近い言葉が意識の内側に成立した。


最初の線。


《起点》


そこへ集まるもの。


《入力》


形が組み替えられていく過程。


《処理》


変化のあとに残る配置。


《結果》


最後に成立するはずのもの。


《終端》


五つの言葉が、順番に表示されたわけではなかった。


《結果》が《起点》より先に現れる。


《終端》が成立したまま、その内側で《処理》が続いている。


一つの形が《入力》であると同時に《結果》でもあるように感じられる。


対応させた言葉が正しいのか、青年には確かめられなかった。それでも、何度繰り返しても、同じ部分には近い意味が残った。


起点から始まり、何かが加わり、形を変え、結果が生じる。


その先に、終端としか呼べないものがある。


青年は流れを追った。


一つの処理が終わる。


結果が残る。


その結果と、終端として示される形は一致していなかった。


何が違うのかは分からない。


大きさも、数も、配置も比較できない。ただ、二つが同じものとして重ならないことだけが伝わってくる。


不一致が生じる。


すると、途中の形がわずかに変わった。


変わった位置から続けるのではない。


流れは再び《起点》から始まった。


新しい《入力》が加わり、前とは異なる《処理》を通り、別の《結果》が生じる。


それも《終端》とは重ならない。


また一部が変わる。


そして、起点へ戻る。


何度繰り返されたのか、青年には数えられなかった。


十回にも見えた。


一度だけにも見えた。


今も最初の処理が終わっていないようでありながら、その結果から派生した変化が、数え切れないほど重なっていた。


過去に生じた結果は消えていない。


修正されたものも、次の流れでは不要になったものも、そのまま残されている。


止まった時間。


一致しない位置。


別々の場所へ続く同じ入口。


互いに重ならない記録。


青年が見覚えのある異常は、それぞれ独立して現れたものではなかった。


少なくとも、流入する情報を青年が理解した範囲では、同じ反復の中から外れたものに見えた。


処理そのものが止まったのではない。


毎回、何らかの結果には到達している。


ただ、その結果が、求められている終端とは一致しない。


一致しないまま結果だけが残り、条件の一部を変えて、また起点から始まる。


繰り返すたびに、前の結果へ別の結果が重なっていく。


それらがどこまで積み重なれば、青年たちの世界で観測できる異常になるのかは分からなかった。


一九九九年の十三分が、最初だったのかも分からない。


青森で入口が現れたことも、今起きている世界規模の位置の不一致も、いつの処理から生じたのか判断できなかった。


ただ、何かが世界を壊そうとしているようには見えなかった。


壊れたかどうかを見ているのでもない。


青年や佐伯たちが失ったものを、人間と同じ意味で捉えている様子もなかった。


それは一つの結果を出し、求めるものと重ならなければ、条件を変えてもう一度始める。


その行為を続けているだけだった。


「これを、ずっと繰り返しているのか」


青年は問いかけた。


返答はない。


反復は青年の言葉と無関係に続いている。


《起点》


《入力》


《処理》


《結果》


《終端》


青年の内側で、暫定的な言葉だけが形を持つ。


だが、《終端》が何を意味するのかは分からなかった。


どのような結果を求めているのか。


なぜ、その結果でなければならないのか。


最初の起点がどこにあり、いつ処理が始まったのか。


流入する情報のどこにも、人間が理解できる答えはなかった。


青年に分かったのは、一つだけだった。


求められた終端へ至らないかぎり、結果を残したまま起点へ戻り、同じ処理が繰り返される。


そして、その反復はまだ終わっていなかった。





反復の一つに、見覚えのある場所が重なった。


地下へ続く通路。


壁面に残る継ぎ目。


奥へ延びる暗がり。


一九九九年の記録で見た青森の地下区域だった。


青年がそう認識した途端、通路は複数の形へ分かれた。幅も長さも異なる地下空間が、同じ位置に重なっている。


どれが記録に残された場所なのかは分からない。


すべてが同じ場所であるように見えた。


その内側に、六つの反応があった。


人の姿ではない。


顔も、声も、名前もなかった。大きさも形も異なる何かが、処理へ加わる直前だけ、六つに分かれて見えた。


青年は、佐伯が持ち帰った記録を思い出した。


一九九九年、青森地下区域調査班。


六名。


そのうち一人だけが、別の世界へ移行した。


「この六つが、あの人たちなのか」


問いかける。


返答はなかった。


六つの反応は、青年の言葉とは無関係に処理の内側へ重なった。


だが、六つの人間が取り込まれたようには見えない。


一人ひとりに対応して別の何かが生じ、それらが《入力》と青年が呼んだ部分へ加えられている。


対応している。


そう感じられるだけだった。


六名そのものなのか。


六名の位置なのか。


そのときの状態なのか。


あるいは、人間には知覚できない別の値なのか。


青年には区別できなかった。


六つに分かれた反応が、一つの《処理》へ重なる。


その瞬間、青年の内側へ別の情報が流れ込んだ。


六つは同時に存在していた。


六つは同じ時間に存在していなかった。


六つは一つの場所へ置かれた。


一つの場所に置くことのできる六つは存在しなかった。


意味を追おうとするたび、前後の関係が崩れた。


矛盾しているように見える。


だが、どの情報も打ち消されてはいなかった。


同じ世界にいる。


別の世界にいる。


同じ時刻に存在する。


異なる状態として記録される。


一つを正しいものとして選べば、残りの情報が成立しない。すべてを残そうとすれば、一つの結果へまとめることができない。


六つの反応は消えなかった。


一部が別の場所へ移り、一部は同じ位置に残り、一部は位置として捉えられなくなる。それでも処理の内側では、六つに対応するものが存在し続けていた。


青年は呼吸を忘れていたことに気づいた。


息を吸う。


空気が入ってくる感覚はある。


それでも、流入する情報は弱まらなかった。


見覚えのある表示が一瞬だけ成立した。


《処理結果 不一致》


文字は視界のどこかに現れたわけではない。


青年が、それまで形としてしか捉えられなかったものへ言葉を当てはめた結果だった。


表示はすぐに崩れた。


六つの反応が別々の形へ変わり、その一部が再び一つの処理へ集まる。


《入力》と呼んだものの数は六つだった。


次に見えたときには、六つではなかった。


増えたのではない。


減ったのでもない。


数えようとすると六つに分かれ、結果として捉えようとすると、別の値へ置き換わっている。


青年は、その値を読んだ。


《識別値 13》


十三。


数字だけが、他のどの情報よりも明確に残った。


青年は一九九九年七月十八日の記録を思い出した。


午後四時四十二分。


世界中で発生した時間停止。


十三分。


「識別値が、時間として出たのか」


口にした言葉は、何の変化も起こさなかった。


《13》が十三分を意味するとは限らない。


時間を示す値なのかも分からない。


ただ、《識別値13》が生じた処理と、世界が十三分止まった記録が、同じ位置に重なって見えた。


原因と結果なのか。


同じ現象を異なる側から捉えたものなのか。


偶然一致した数字なのか。


確かめるための情報はなかった。


一九九九年の景色が重なる。


道路で止まる車。


教室の窓辺に残る人影。


波を失った海。


動かない時計。


そのすべてが十三分という長さを持っていたのか、十三という値を人間側が時間として観測しただけなのかは判断できなかった。


景色の奥で、六つの反応が再び組み替えられる。


同じ世界へ置かれたはずのものが、同じ結果へ収まらない。


同じ時刻を与えられたはずのものが、異なる経過を持っている。


同じ状態としてまとめようとするたび、いずれかが外れる。


外れたものを残せば、別のものが一致しない。


《処理》はそれらを一つの形へ変えようとしていた。


しかし、どの組み合わせも《終端》と重ならない。


また別の言葉が成立する。


《要求形式への変換 不成立》


要求された形式が何なのかは分からなかった。


世界なのか。


時間なのか。


状態なのか。


人間一人ひとりを区別する、別の何かなのか。


六名がなぜそこにいたのかも、その六名でなければならなかったのかも示されない。


誰かが選んだという情報さえなかった。


ただ、六つに対応する何かが処理へ加わり、それらを同じ形式へ変換しようとした。


変換は成立しなかった。


それでも処理は中断されていない。


不一致を含んだまま結果が残り、《識別値13》が生じ、その結果が次の反復の内側へ積み重なっていく。


青年は佐伯の言葉を思い出した。


六名で地下区域へ入ったこと。


途中で分断されたこと。


戻ったときには、一人だったこと。


残る五名が、どこへ消えたのか分からないこと。


だが、目の前の情報は五名の行方を示してはいなかった。


死亡した者。


行方の分からない者。


別の場所で反応だけが観測された者。


それらが六つの反応のどれに対応するのか、青年には判別できない。


佐伯の姿も現れなかった。


六名のうち一人だけが、青年の知る佐伯であることさえ、この情報だけから確かめることはできなかった。


分かるのは、六つに対応する何かが一つの処理に関わり、同じ世界、同じ時間、同じ状態へ収めることができなかったらしいということだけだった。


処理は再び《起点》へ戻る。


だが、一九九九年に生じた結果は消えない。


十三分の停止も、地下区域から失われた六名も、それぞれの世界に残された記録も、そのまま次の反復へ重なっていた。


《処理結果 不一致》


《識別値 13》


《要求形式への変換 不成立》


三つの断片は、順番に並んでいなかった。


一つ目が原因で、二つ目が生じ、三つ目へ至ったとも限らない。


それでも青年の認識は、散らばった情報を、自分が理解できる一つの考えへ置き換えようとした。


六つの人間に対応する何かを、一つの処理へ加えた。


それらを、求められた同じ形式へ収めようとした。


だが、同じ世界、時間、状態のいずれかが重ならず、結果は一つに定まらなかった。


その不一致が、《13》として残った。


青年は、幾何学的な輪郭の向こうに重なる六つの反応を見た。


正しいかどうかは分からない。


何をもって同じ形式とするのかも、人間そのものと入力されたものの関係も理解できない。


それでも、人間の言葉にするなら、青年には一つの表現しか思い浮かばなかった。


型が一致しなかった。





型が一致しなかった。


青年がそう理解した直後、六つの反応が崩れた。


消えたのではない。


六つに分かれていたものが、別々の結果へ置かれたまま、一九九九年の景色から切り離されていく。


止まった道路も、動かない時計も見えなくなった。


《識別値 13》だけが一瞬残り、それも別の形へ組み替えられる。


青年は、反復が次の段階へ移ったように感じた。


幾何学的な輪郭の一部が重なり、それまでより長く、一つの配置を保つ。


線と面のあいだに、人間の文章に近いものが成立した。


《結果は保持されているため、起点へ存在しない》


読める。


だが、何を意味しているのかは分からなかった。


結果が残っているから、起点へ戻れないということなのか。


それとも、起点へ戻るためには、結果が存在していてはならないということなのか。


青年がどちらかへ意味を定めようとすると、文章は別の配置へ変わった。


《保持されない結果によって、処理は再び開始される》


《成立した選択は、選択される以前へ配置されない》


《終端へ至らない結果は、起点において完了する》


一つひとつの語は読めた。


《保持》


《結果》


《選択》


《起点》


《完了》


だが、並んだ言葉は一つの意味へ収まらない。前にある語が原因なのか、あとにある語が結果なのかも定まらなかった。


青年は流入する情報を追った。


《結果》と呼んでいた形が、複数の景色へ分かれる。


見覚えのある街。


知らない地下空間。


異なる時刻を示す時計。


一つの場所へ重なりながら、互いに交わらない人影。


それらの外側で、《起点》に対応する線が再び成立した。


次の処理が始まる。


そう思ったが、入力は加わらなかった。


代わりに、すでに生じていた結果が薄れていく。


景色の一部が消え、残された部分が起点へ近づいていく。反復のなかに積み重なっていた差異が、一つずつ取り除かれていた。


位置の不一致が消える。


異なる時刻が重なる。


別々だった場所が、一つの形へ収まる。


世界のずれが、なかった状態へ戻されていく。


《不一致は成立しない結果として保持されない》


青年の認識は、その文章へ一つの意味を当てはめた。


一致しなかった結果を消す。


すでに生じた差異を取り除き、処理が始まる前の状態へ戻す。


そして、もう一度選ばせる。


それが正しい解釈かは分からなかった。


解決方法が提示されているわけでも、青年の許可が求められているわけでもない。ただ、次に実行され得る処理の形が、青年の内側へ流れ込んでいた。


《選択は起点に存在する》


《選択後の結果は、再選択より前に成立しない》


《成立しない結果は失われていないため、存在しない》


矛盾した文章の奥で、景色が変わった。


灰色の地下通路が見える。


佐伯が一人で立っていた。


青年の知る現在の佐伯ではない。一九九九年の姿なのか、別の時点なのかも分からなかった。


その佐伯が、どこにもつながっていない暗がりへ足を踏み出す。


だが、帰ってこない。


帰還を示す変化は生じなかった。


地下区域から失われた六つの反応は、そのまま別々の位置へ分かれていく。佐伯に対応すると思われる一つも、α世界へ重ならなかった。


次の瞬間、佐伯の姿が消えた。


代わりに、青年が見覚えのない家が現れる。


食卓に複数の椅子が並んでいた。


だが、誰も座っていない。


生活の跡もなかった。


壁に写真が掛けられているように見えたが、青年が目を向けたときには、額縁も壁も存在していなかった。


その場所に誰がいるはずだったのか。


説明される前に、青年には分かった。


佐伯美琴。


名を思い浮かべた瞬間、その名前へつながる人の姿も、声も、時間も、どこにも残っていなかった。


美琴だけではない。


佐伯が帰還したあとに生まれたはずの関係が、初めから成立していない。


家族と過ごした時間。


日々の暮らし。


二十七年のあいだに重ねられた無数の出来事。


それらは破壊されたのではなかった。


起きなかったことにされていた。


青年が何かを言うより先に、別の景色が重なった。


白い線の続く地下空間。


その先に、青年とよく似た人物がいる。


顔は見えない。


声も聞こえない。


それでも、現在の青年自身ではないことだけは分かった。


佐伯が帰ることを選んだ場所にいた、別の世界の青年。


その人物の前から、佐伯の姿が消える。


だが、その先に帰還は生じなかった。


選択は行われた。


帰るという意思も、送り出そうとした行為もあった。


それでも、その選択から生じた結果だけが存在しない。


青年が知る佐伯の帰還へはつながらず、選ばれたことそのものが、結果を持たない形へ置き換えられていく。


別世界の青年が何を失ったのか。


その後、どこでどうなったのか。


青年には分からない。


ただ、誰かが選んだという事実まで、意味を失っていくように見えた。


「やめろ」


青年は声を出した。


流入する情報は止まらない。


声に反応した変化もなかった。


今度は、自分自身が見えた。


青森へ向かう前の青年。


佐伯と会う前の青年。


神崎から資料を見せられる前の青年。


どれが先で、どれがあとかは分からない。複数の自分が同時に現れ、それぞれの前から、選んだ結果だけが取り除かれていく。


佐伯に会ったこと。


調査を続けると決めたこと。


危険を知ったうえで青森へ行くと答えたこと。


神崎と佐伯のあとを追い、地下区域へ入ったこと。


一つが消えるたび、その先にあった別の選択も成立しなくなる。


青年自身は残っている。


だが、ここへ至るまでに重ねたものがない。


何も選ばなかった自分へ戻されるのではない。


選んだという事実だけが、結果へ届かなかったものとして切り離されていく。


《起点は結果を含まない》


《結果を含む起点は起点ではない》


《再選択の成立により、成立した選択は未発生となる》


文章は読めた。


そのどれもが何を示しているのか、一つには定められない。


それでも、景色の変化は同じ方向を示していた。


佐伯が帰還しない。


美琴へつながる時間がない。


別世界の青年が選んだ結果も残らない。


青年自身が重ねてきた選択も、ここへはつながらない。


起点へ戻る。


そのために、途中で生じた結果を消す。


不一致だったものを一度すべて取り除き、初めから処理をやり直す。


そうすれば、次には異なる結果へ至るのかもしれない。十三分の停止も、世界のずれも、六名に起きたことも、今と同じ形では残らない可能性がある。


だが、その結果を得るために失われるものも見えた。


処理上は、期待された終端へ届かなかった出力にすぎない。


修正されるべき差異。


保持する必要のない不一致。


それでも、そのなかで人間は生きていた。


佐伯は帰ることを選び、帰還した。


失われた記憶を抱えたまま、二十七年を生きた。


その時間の先に美琴がいて、家族がいて、今の生活がある。


別世界の青年も、自分の意思で佐伯を送り出そうとした。


現在の青年自身も、何も知らなかった場所から一つずつ選び、ここまで来た。


どれも、期待された終端へ至るための値ではない。


処理のために生じた差異でもない。


人間が、そのとき選んだ結果だった。


「違う」


青年は、幾何学的な輪郭へ向かって言った。


返答はない。


《結果は起点へ戻されることで保持される》


読めるのに理解できない文章が、青年の内側へ流れ続ける。


景色がさらに薄れる。


佐伯の帰還した時間が消える。


誰もいない家が消える。


別世界の青年の姿が消える。


最後に、ここへ至らなかった青年だけが残る。


「それは、戻すんじゃない」


聞かれているのかは分からなかった。


言葉の意味が伝わっているとも思えない。


それでも青年は、消えていく結果から目を逸らさなかった。


「なかったことにするだけだ」


形の変化は止まらない。


起点へ向かう線が、すべての結果を内側へ集めていく。


不一致だった世界も、選択も、その後に生きられた時間も、一つの開始状態へ収めようとしていた。


青年は首を横へ振った。


その動きが何かを伝えるとは思わなかった。


拒否という概念が、人間と同じ意味で伝わる保証もない。


だが、青年のなかでは、すでに答えは定まっていた。


処理が期待値へ届かなかったとしても。


型が一致しなかったとしても。


その結果のなかで生きた時間まで、誤りにはできない。


「戻さない」


青年は言った。


「それを消して、選び直すことはしない」


返答はなかった。


ただ、起点へ集まりかけていた複数の線が、青年の言葉と重なる。


拒否が伝わったのか。


新たな処理が始まったのか。


それとも、青年の声も思考も、意味のない変化として取り込まれただけなのか。


何も確かめられないまま、消えかけていた結果が、その位置に留まった。





消えかけていた結果が、その位置に留まった。


佐伯の帰還した時間。


美琴へつながる生活。


別世界の青年が選んだ結果。


青年自身が、ここへ至るまでに重ねてきた選択。


景色として見えていたものはすでに崩れ、輪郭のない情報へ戻っている。それでも、起点へ集まりかけていたものが消去されずに残っていることだけは分かった。


青年の拒否が何かを止めたのかは分からない。


言葉の意味が伝わったとも思えなかった。ただ、青年が「戻さない」と告げた時間に重なるように、それまでとは異なる配置が生じていた。


《結果は起点へ帰属しないことで保持される》


新たな文章が、青年の内側に成立した。


それが新しい処理の成立を示しているのか、まだ形の定まらない一つの配置にすぎないのかは分からなかった。


続けて、別の情報が流れ込む。


《結果[保持]/選択→未完了――戻る≠帰る:その先■■未定義》


読める言葉が含まれていた。


《結果》も、《選択》も、《帰る》も、青年が知っている言葉だった。


それでも、一つの文章としては理解できない。


戻ることと帰ることが、なぜ異なるものとして並べられているのか。《その先》が何の先を示しているのか。欠けている部分に何が入るのか。


考えようとするあいだにも、言葉同士の関係だけが組み替わっていく。


《保持された結果は、終端に到達していない》


《到達していない終端は、結果より前に成立する》


個々の言葉は読める。


だが、青年の拒否を受け入れたという意味には見えなかった。


結果は残っている。


終端には届いていない。


その二つを同時に成立させたままでは、これまでと同じ処理を続けることができない。流入する情報は、その状態をどこへ置くのか定められず、複数の配置を重ねていた。


一つでは、保持された結果が《処理》の外側へ置かれる。


別の一つでは、結果そのものが《終端》として扱われる。


さらに別の配置では、結果を残したまま《起点》だけが新しく生じていた。


どの形も長くは保たれない。


線が重なり、分かれ、成立する前の配置へ戻る。


そこに迷いや逡巡があるようには見えなかった。何かを考え直した末に、別の方法が探されているのでもない。


既存の処理へ収まらないものが加わり、それを処理できる形がまだ定まっていない。


青年には、そう見えただけだった。


「選び直すんじゃない」


青年は言った。


返答はない。


幾何学的な輪郭も、青年へ向き直ったような変化を見せなかった。それでも青年は、先ほどまで結果が消されようとしていた位置を見続けた。


「佐伯さんが帰ったことも、そのあとに生きた時間も残す」


言葉が何かへ届いているとは思わない。


「向こうにいた人が選んだことも、俺がここまで来たことも、なかったことにはしない」


返答を求めて口にした言葉ではなかった。


人間の人生を理解させられるとも思っていない。


それでも、青年が自分の考えを形にするには、声にするしかなかった。


「その結果が、間違っていたとしても」


青年は一度言葉を止めた。


間違い。


その表現が正しいのかは分からない。


期待された終端と一致しなかっただけで、処理そのものは完了していた。その構造の中では、それは失敗ですらないのかもしれない。


だが、人間にとっては、その結果から時間が続いている。


佐伯は帰還したあとも五名を捜し続けた。


失われた記憶を抱えながら、家族と暮らした。


美琴は母の選択を知り、それでも行くなとは言わなかった。過去を捨てることも、現在の家族を捨てることも求めず、帰るためにできることをするように伝えた。


一度選んだ結果の中で、また選んだ。


青年自身も同じだった。


十三分について知ろうとしたこと。


佐伯と会ったこと。


神崎から危険を告げられたあとも、青森へ行くと決めたこと。


どれか一つを起点へ戻して選び直したのではない。すでに起きたことを抱えたまま、その先で次を選んできた。


「結果が出たら、そこで終わるわけじゃない」


青年は、言葉を探した。


《起点》


《入力》


《処理》


《結果》


《終端》


これまで読み取った五つの概念では、人間が生きる時間を最後まで表せない。


結果の先に終端がある。


終端へ届かなければ起点へ戻る。


その構造には、結果のあとに続くものがなかった。


「結果の先で、もう一度選べる」


青年は言った。


「前の結果を消さずに、その結果を持ったまま、次を選ぶ」


声はどこにも響かない。


音として届いているのかも分からない。


だが、言葉に伴って青年の内側に生じたものが、それまで流入していた情報と重なった。


佐伯の帰還。


失われた五名。


別世界に残った青年。


欠けた記憶。


二十七年の時間。


現在の家族。


青森へ来た青年自身。


それらは順番に並ばなかった。


一つの結果から次の出来事が生じたという因果も、人間が選んだという意味も、それまで認識してきた処理の形には当てはまらない。


青年の認識から離れた瞬間、すべてが別の形へ変わった。


人間。


時間。


記憶。


選択。


責任。


どの言葉とも一致しない。


それでも、消去されずに残った結果と、その先で新たに生じる変化との関係だけが、一つのまとまりとして切り離された。


青年は、その形を読むことができなかった。


記号ではない。


文章でもない。


《入力》と呼んできたものにも一致しない。


だが、流れ込む情報へ重なったあと、それまで存在しなかった位置に残り続けていた。


《結果は入力であるため、結果ではない》


文章に近いものが現れる。


《保持された結果の後に、起点は開始されている》


《選択されない選択によって、処理は継続する》


青年には意味を確定できなかった。


自分の考えが正しく伝わったことを示しているのか。


まったく異なるものへ変換されたのか。


言葉や思考とは無関係な情報が、偶然同じ時間に流れ込んだだけなのか。


どれも確かめられない。


ただ、先ほどまで起点へ向かっていた線は、同じ場所へ戻らなくなっていた。


保持された結果の一部から、別の線が延びる。


線の先に、新しい配置が生じる。


それは《起点》に似ていた。


しかし、これまで認識した起点とは重ならない。何も生じていない開始状態ではなく、すでに存在する結果を内側に含んでいた。


《結果を含む起点は起点ではない》


以前と同じ文章が現れる。


その直後、別の関係が重なった。


《起点ではない結果から、入力が成立する》


二つの文章は互いを打ち消さない。


起点としては成立しない。


それでも入力は生じる。


青年が示したものが、その矛盾した位置へ置かれているように見えた。


「そうだ」


青年は言った。


返事をしたわけではない。


問いかけられてもいない。


「最初に戻らなくても、そこから先へ進める」


その言葉も、意味のまま受け取られた様子はなかった。


音は消え、思考は形を失う。


残ったものだけが、人間の認識では捉えられない値へ変わり、それまでの処理へ加わった。


《入力 識別不能》


一瞬だけ、そう読めた。


次に現れたときには、同じ位置が別の文章へ変わっていた。


《未成立結果による成立条件を確認》


《保持された差異を処理条件へ配置》


《終端に含まれない継続を照合》


どれも、青年の考えを正しく表しているとは限らない。


《識別不能》が、何に対する判定なのかも分からない。


それでも、その入力は排除されなかった。


起点へ戻されることもない。


既発生の結果と重なったまま、処理の内側に残っている。


幾何学的な輪郭が大きく変わった。


外形が別の姿になったのではない。


これまで同じ位置へ重なり続けていた線と面の関係が、初めて異なる方向へ分かれた。


《起点》から《入力》へ続いていた形。


《処理》を経て《結果》へ至り、《終端》と一致しなければ再び《起点》へ戻っていた形。


その反復の途中に、別の関係が加わる。


《結果》から、未知の入力へ。


未知の入力から、まだ名前のない処理へ。


その先に何が生じるのかは見えなかった。


新しい終端もない。


成功を示す表示もない。


反復が止まったとも判断できなかった。


従来の形は残っている。


起点へ戻る線も消えていない。


ただ、その線が閉じる前に、結果の先から別の処理が始まりかけていた。


複数の配置が同時に成立する。


一つでは、未知の入力が形式不一致として外れる。


別の一つでは、処理へ加わった直後に起点へ戻される。


さらに別の配置では、既発生の結果を保持したまま、その先に新たな結果が生じていた。


どれも確定しない。


成立しては崩れ、別の条件へ置き換わる。


青年には、それが何かを試しているように見えた。


自分の考えが採用されたのではない。


理解されたとも言えない。


既存の処理へ収まらない入力が加わり、その入力を含む形が成立するか、複数の配置が重ねられている。


そう暫定的に捉えることしかできなかった。


《結果の後に結果は存在しない》


《結果の後に入力が成立する》


《入力された結果は保持されている》


《保持された結果は、次の結果において失われない》


文章は一つの意味へ収まらない。


だが、先ほどまでとは方向が違っていた。


結果を消して起点へ戻すのではない。


結果を残したまま、その先へ別の入力を加える配置が、一つの形として成立しかけていた。


青年がそう理解した瞬間、すべての景色が消えた。


佐伯も、美琴も、別世界の青年も見えない。


一九九九年の地下区域も、止まった道路も、動かない時計もなかった。


残ったのは、幾何学的な輪郭と、そこへ重なる複数の処理だけだった。


従来の反復。


青年から切り離された未知の入力。


その二つを含む、まだ成立していない新しい形。


青年は何も言わなかった。


ここから先は、言葉を重ねても答えにはならない。


相手が何をしているのかも分からない。


ただ、結果を起点へ戻す線は閉じていなかった。


その途中で、別の線が生じ続けている。


一つの配置が崩れる。


次が重なる。


さらに条件の異なる形が加わる。


同じ処理の再実行ではなかった。


何かが成立したわけでもない。


それでも、既発生の結果を残したまま、その先へ進む形があり得るかを確かめるように、これまで存在しなかった処理が始まっていた。


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