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境界線 ―1999、世界は十三分止まった―  作者: 夕花
第三部『継続』

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分かれた十三分

二つの時刻記録は、まだ画面に残っていた。


一九九九年七月十八日。


《16:42》


片方では、その時刻から十三分間、世界が止まった。


もう片方では、何も止まらなかった。


青年は並んだ記録を見たまま、しばらく考えていた。


「だったら」


神崎が視線を向ける。


「二つを比べればいいんじゃないですか」


神崎は何も言わなかった。


青年は画面を指した。


「同じ日で、同じ時間なんですよね。こっちは止まって、佐伯さんがいた世界では止まらなかった」


そこで一度言葉を切る。


「違うところを全部調べれば、何で片方だけ止まったのか分かるかもしれない」


神崎はすぐには答えなかった。


画面に残された二つの記録へ視線を戻す。


「全部、というのは難しいでしょう」


「資料が足りない?」


「はい」


神崎が操作すると、二つの時刻記録の横に別の一覧が開いた。


一方には、青年が先ほどまで見ていた二十七年前の資料群が並んでいる。


観測記録。


各地域から集められた報告。


日本国内の調査資料。


青森県八甲田山周辺の記録。


地下区域で取得された映像、音声、通信、位置情報。


それ以外にも、確認済みの資料だけで画面の表示範囲を超えていた。


「こちらには、かなり残っています」


神崎が言った。


青年は一覧を見た。


それは前の調査で、嫌というほど確認した量だった。


世界が十三分止まった。


その事実があったからこそ、世界中で記録が集められた。


異常とは関係のない情報まで含めて保存され、そこから必要なものが選別されていった。


結果として、二十七年後の今でも、当時の《16:42》前後を複数の記録から追うことができる。


神崎がもう一方を開いた。


表示された項目は、明らかに少なかった。


佐伯の聴取記録、向こう側で確認した日時、同じ座標に存在していた異なる構造。さらに、佐伯が持ち帰った情報のうち、現在も確認できる記録がいくつか残っている。


そのほかは、ほとんどが空白だった。


青年は眉を寄せた。


「これだけですか」


「現在、比較に使用できるものは」


「向こうの世界にも調査局はあったんじゃないんですか」


「存在していたかどうかも含めて、こちらには記録がありません」


神崎の答えは短かった。


青年は画面を見る。


考えてみれば当然だった。


佐伯は向こう側の世界を調査するために行ったわけではない。


気づいたときには、自分がいた場所とは違う世界にいた。


そこで世界中の資料を集めたわけでもない。


二十七年前の新聞を探したわけでもない。


各国の記録を持ち帰ったわけでもなかった。


佐伯が戻ってきたとき、人間側が得られたのは、彼女自身の記憶と持ち帰った記録、そして向こう側で実際に確認できたもの。


それだけだった。


「同じ条件では比べられない」


青年が言った。


「はい」


神崎は二つの資料群を並べた。


左側には大量の記録。


右側には限られた資料。


数だけを見れば、比較になっていない。


「こちらでは、当時の世界規模の記録を確認できます」


神崎が左側を示した。


「《16:42》以前の記録も、その後の記録も残っています。日本国内については、青森へ至るまでの調査経路も確認できる」


指が右側へ移る。


「ですが、佐伯さんがいた世界について確認できるのは、佐伯さん自身が持ち帰った情報と証言が中心です」


「向こうの世界がどうなってたか、全部は分からない」


「分かりません」


「日本以外で何か起きていたかも」


「確認できる資料がありません」


青年は黙った。


二つの世界。


その言葉だけを聞けば、同じように二つの資料が存在するような気がしていた。


だが実際には違う。


片方は、自分たちが今も暮らしている世界だ。


二十七年間、記録が積み上がり続けている。


もう片方は、佐伯が一時的にいた世界。


こちらへ持ち帰ることができた情報だけが残っている。


「じゃあ」


青年は腕を組んだ。


「世界全体を比べるのは無理ですね」


「はい」


神崎は即答した。


「少なくとも、現在ある資料では」


画面には、二つの一覧が残っている。


片方だけが圧倒的に多い。


青年はその差を見ながら、少し考えた。


「でも、十三分停止がなかったことは分かってる」


「それは確認されています」


「同じ日だった」


「はい」


「《16:42》もあった」


「あります」


青年は右側の記録を見た。


まったく何もないわけではない。


佐伯がいた場所、その日時、座標、構造。そして、向こう側では時間が止まらなかったという記録が残っている。


「全部は比べられない。でも、同じところなら比べられる」


神崎がわずかにうなずいた。


「その方が正確です」


青年は二つの資料群を見比べた。


世界そのものを丸ごと比較することはできない。


だが、同じ日付、同じ時刻、同じ座標という共通項はある。両方に存在する情報だけを取り出せば、比較はできる。


「それなら」


青年が言った。


「まず、両方にあるものだけ並べればいい」


「そうします」


神崎は画面を切り替えようとして。


指を止めた。


「その前に、呼び方を決めましょう」


青年は神崎を見る。


「呼び方?」


「このままでは記録上の区別が煩雑になります」


神崎は二つの資料群を指した。


「『こちらの世界』『佐伯さんがいた世界』という表現を比較項目ごとに使い続けるのは適切ではありません」


青年は少しだけ考えた。


「今まで決まってなかったんですか」


「必要性が低かったので」


神崎は淡々と答えた。


「これまでは、佐伯さんの証言上に存在する別の世界として扱えば足りました。二つを並列に比較する段階には入っていません」


青年は画面を見る。


確かに。


今までは、向こう側で佐伯に何が起きたのかを追っていた。


向こうにいた青年。


五つの反応。


佐伯の帰還。


どれも、佐伯が経験した出来事の中にある。


だが今は違う。


世界と世界を並べようとしている。


「便宜上」


神崎が新しい比較資料を作成する。


画面上に二つの欄が現れた。


左側。


《α》


右側。


《α′》


青年はそれを見た。


「アルファ?」


「現在、私たちがいる側をα世界」


神崎が左側へ識別情報を付ける。


一九九九年七月十八日。


《16:42》


十三分停止あり。


続いて、右側。


「佐伯さんが移動した側をα′世界とします」


一九九九年七月十八日。


《16:42》


十三分停止なし。


青年は表示を見比べた。


「α′って」


神崎が青年を見る。


「αから分かれた世界って意味ですか」


「いいえ」


返答は早かった。


「関係性を示す名称ではありません」


神崎は二つの識別欄を示した。


「現時点で比較対象になっている二つを区別するための記号です。α世界が先に存在したとも、α′世界がそこから分岐したとも確認されていません」


「じゃあ、本当に名前だけ」


「はい」


「調査局が決めた世界の分類とかでもない?」


「違います」


神崎は画面へ視線を戻した。


「少なくとも、これは私たちが比較のために付ける識別です」


青年はもう一度、二つの文字を見る。


α。


α′。


たった一つの記号が付いただけだった。


それでも、それまでより二つの世界がはっきり分かれたように見えた。


今いる場所と、佐伯がいた場所。


止まった世界と、止まらなかった世界。


それらを毎回言い換える必要がなくなる。


だが。


名前が付いたからといって、関係が分かったわけではない。


「これで、α′がαから分かれたって後で分かったら」


青年が言う。


「そのとき考え直します」


神崎は平然と答えた。


青年はわずかに笑った。


「適当ですね」


「暫定的な分類に、確認できていない意味を持たせる方が問題です」


「それはそうですけど」


神崎は比較画面を整えた。


左。


α世界。


右。


α′世界。


その下に、それぞれ確認できる資料だけが配置されていく。


青年は眺めながら、違いに気づいた。


α世界側には、時間、地域、観測、通信、青森、地下区域と項目が次々に増えていく。


一方、α′世界側に残るのは、佐伯の証言、日時、座標、構造、持ち帰られた記録だけだった。


それ以上は増えなかった。


「やっぱり、かなり偏ってますね」


「ええ」


「これで比べて、意味ありますか」


神崎は少しだけ間を置いた。


「比較できないものを比較しなければ」


青年は画面を見る。


「ないものは、ないままにしておく」


「はい」


「向こうに記録がないから、異常がなかったとはしない」


「その通りです」


青年は第三章で聞いた言葉を思い出した。


記録が少ないことと。


異常がなかったことは同じではない。


世界が変わっても、その原則は変わらないらしい。


神崎はα′世界側の項目を一つ開いた。


佐伯の聴取内容。


一九九九年七月十八日。


《16:42》


時刻は継続。


その隣に、α世界側の記録。


同じ日付。


同じ時刻。


十三分停止。


「まず、両方に存在する情報だけを抜き出します」


神崎が言った。


「日時」


一つ。


「座標」


もう一つ。


「それから、双方で比較可能と確認できる通常記録」


項目が整理されていく。


青年はその様子を見た。


世界全体を比較するわけではない。


できないからだ。


向こう側には、こちらと同じだけの記録がない。


だから、分からないところを埋めるのではなく、残っているところだけを見る。


青年はαとα′の欄を追った。


「思ったより少ないですね」


「少ない方がいい場合もあります」


「どういう意味ですか」


「比較できない情報まで混ぜれば、結論の方が増えます」


神崎が答える。


「必要なのは、説明を作ることではありません」


青年はわずかに目を細めた。


前にも聞いたような言葉だった。


二十七年前。


大量の記録を前にした調査員たちも。


答えを作るのではなく、何が起きたかを判断するために情報を残した。


今やっていることも、変わらない。


ただ。


対象が世界二つになっただけだ。


神崎が比較条件を確定する。


画面から、片方にしか存在しない項目が外れていく。


報道。


世界各地の観測記録。


α′世界側に対応する資料がないものは、今回の比較対象から除かれる。


残ったのは。


日付。


時刻。


座標。


そこに紐づく、限られた記録。


青年は画面を見た。


二つの世界。


比較できるものは、思っていたほど多くない。


けれど。


ゼロではなかった。


一九九九年七月十八日。


《16:42》


そして。


青森地下区域に対応する座標。


同じ数字が、αとα′の両方に残っている。


青年はゆっくり息を吐いた。


「ここからなら、比べられる」


神崎がうなずく。


「はい」


二つの世界すべてを知ることはできない。


だが、同じ日、同じ時刻、同じ座標。


そこからなら、何が同じで、何が違ったのかを一つずつ確認できる。


神崎が次の比較項目を開いた。


青年は、並んだαとα′の記録へ視線を戻した。





神崎が比較条件を確定すると、画面から多くの項目が消えた。


残ったのは、双方に対応する記録が存在するものだけだった。


青年は並んだ二つの欄を見る。


左側。


α世界。


右側。


α′世界。


先ほどまで感じていた情報量の差は、少しだけ目立たなくなっていた。


比較できない資料を外したからだ。


それでも、残された項目は多くない。


「まず何から見ますか」


青年が尋ねた。


神崎は最上段を開いた。


α世界――一九九九年七月十八日。


α′世界――一九九九年七月十八日。


同じ日付が左右に並んだ。


「日付」


神崎が言った。


「これは一致しています」


すでに何度も確認している。


だが。


こうして二つの世界の記録として並べると、少し違って見えた。


「もっと違っててもおかしくないですよね」


神崎が青年を見る。


「何がですか」


「世界が違うなら」


青年は二つの日付を指した。


「日付とか。時間の数え方とか」


神崎はすぐには答えなかった。


「違っていても不思議ではない、と考えることはできます」


「でも、同じだった」


「確認できる範囲では」


神崎は言葉を限定した。


青年は小さくうなずく。


それでいい。


今調べているのは、世界が同じだった証拠ではない。


比較できるものが、本当に同じなのか。


それだけだ。


神崎が次の項目を開く。


時刻。


α世界――《16:42》


α′世界――《16:42》


また同じだった。


青年はしばらくその二つを眺めた。


「ここまでは同じ」


「はい」


「でも、このあとが違う」


神崎はすぐには次へ進まなかった。


「まだそこまでは見ません」


青年が神崎を見る。


「分けるんですか」


「先に、同じと確認できるものを整理します」


青年は画面へ視線を戻した。


確かに。


違うところを探そうと思えば、十三分停止が真っ先に目に入る。


だが、それでは第三章で分かったことを繰り返すだけになる。


今必要なのは。


その差が、何の中に存在しているのか。


それを確かめることだった。


神崎が次の記録を開いた。


青森県八甲田山地下区域。


座標情報。


青年は少し身を乗り出した。


見覚えのある数字が表示される。


α世界側。


二十七年前に調査局が到達した地下区域。


続いて。


α′世界側。


佐伯が向こうで確認した記録。


青年は左右を見比べた。


「同じ?」


「比較上は同一座標として扱えます」


「場所も同じなんですね」


「座標は、です」


神崎はすぐに付け加えた。


青年はその言葉に気づく。


「構造は違う」


「はい」


神崎が記録を切り替える。


α世界。


八甲田山地下区域に存在する人工構造物。


α′世界。


同じ座標に存在する、異なる構造。


青年は以前見た記録を思い出した。


佐伯が向こう側で確認していた場所。


同じ位置なのに。


こちら側とは一致しない内部。


「同じ場所に、違うものがある」


青年が言った。


「少なくとも、座標上は」


「これも変ですね」


神崎は答えなかった。


青年は自分の言葉を考え直す。


変ではある。だが、それが何を意味するのかは分からない。


同じ座標だから同じ世界から分かれたとも、構造が違うから最初から別の世界だったとも言えない。


確認できるのは、同じ数字で示せる位置があり、そこに存在するものが異なるという事実だけだった。


「座標が同じなら」


青年が言う。


「基準も同じってことですか」


「そこまでは言えません」


神崎は答えた。


「こちら側の座標と対応する位置として記録できている。それ以上の意味は確認できません」


「世界の仕組みまで同じとは分からない」


「はい」


神崎は画面上の項目を整理した。


日付。


一致。


時刻。


一致。


座標。


対応可能。


構造。


不一致。


青年はその並びを見た。


「同じものと、違うものがもう混ざってる」


「そうなります」


「世界が違うって言っても、全部が違うわけじゃない」


神崎は少し考えてから答えた。


「少なくとも、全部が比較不能というわけではありません」


青年はその言い方にわずかに笑った。


「相変わらず慎重ですね」


「必要なので」


即答だった。


青年は画面に戻る。


二つの世界と呼ぶようになっただけで、どこか完全に切り離されたもののように感じていた。


だが実際には、日付も時刻も同じで、座標も対応させることができる。そこまでは比較できる。


そして、同じ座標に存在する構造だけは違っていた。


「これだけ見ると」


青年が言った。


「似てる世界に見えますね」


神崎はその言葉をすぐには肯定しなかった。


「似ている、という評価をどこまで広げるかによります」


「日付と時間と場所が同じなら、かなり似てると思いますけど」


「それらが一致していることと、世界全体が同じ構造を持つことは別です」


青年は口を閉じた。


その通りだった。


比較できているのは、ほんのわずかな部分だけだ。α′世界の国や都市、人間、歴史、社会――そうしたものを青年たちは確認できていない。


佐伯が世界全体を調査したわけでもない。


今ある情報だけで。


二つの世界がどの程度似ているのかを決めることはできない。


「じゃあ」


青年は言葉を選んだ。


「少なくとも、完全に比べられない世界ではない」


神崎がうなずいた。


「その表現なら問題ありません」


青年は二つの欄を見る。


α世界。


α′世界。


名前を付けたときには、二つがはっきり分かれたように感じた。


今は少し違う。分かれてはいるが、比較できる。同じ基準を置ける場所がある。


それが、かえって不気味だった。


もし。


何もかも違っているなら。


十三分停止が片方にしかなかったことも、世界が違うからで済むのかもしれない。


けれど。


同じ日。


同じ時刻。


同じ座標。


そこまで揃っている。


その中で。


一つだけ、大きく違うものがある。


青年は画面の《16:42》へ視線を戻した。


左右に同じ時刻が並んでいる。


その数字までは。


同じだった。


神崎が時刻記録を開く。


α世界。


《16:41》


その次。


《16:42》


青年は知っている。


ここから先。


世界は十三分止まった。


神崎はまだ、先を表示しなかった。


代わりにα′世界側を開く。


《16:41》


《16:42》


青年は画面を見る。


ここまでも。


同じ。


「この次ですね」


青年が言った。


「はい」


神崎が答える。


青年は二つの《16:42》を見比べた。


数字は同じだった。


日付も同じ。


比較できる座標もある。


それなのに。


ここから先だけが違う。


一方は。


十三分。


止まった。


もう一方は。


そのまま進んだ。


青年はゆっくり息を吐いた。


「今まで、違う世界だから違ったんだと思ってました」


神崎が青年を見る。


「今は?」


「逆です」


青年は二つの記録から目を離さなかった。


「同じところがあるから、十三分だけ違うのが気になる」


神崎は何も言わなかった。


画面には。


α。


α′。


二つの世界。


同じ日。


同じ時刻。


対応する座標。


そして。


まだ開かれていない。


《16:42》の次。


青年はそこを見つめた。


二つの世界で。


最も大きく違っていた十三分が。


そこから始まっていた。



## Block3 似た変動


神崎が《16:42》の先を開いた。


α世界。


一九九九年七月十八日。


十三分停止の直前から、その後にかけて残された観測記録。


画面には複数の数値が時系列で並んだ。


青年には、その一つひとつが何を意味しているのかまでは分からない。


ただ。


普段ならほとんど動かない線が、ある時刻を境にわずかに揺れ始めていることだけは見て取れた。


「これが、止まる前の記録ですか」


「正確には、停止前後の時間帯に残っていた観測変動です」


神崎は答えた。


青年は横目で見る。


「原因じゃない?」


「分かっていません」


即答だった。


神崎が別の記録を重ねる。


青森。


別の観測地点。


さらに、当時保存された複数の記録。


同じ形ではない。


数値も違う。


変化が始まる時刻にもずれがある。


けれど。


何も起きていないときの線とは違っていた。


「似てる」


青年が言った。


神崎は画面を見たまま答える。


「共通する特徴はあります」


「同じじゃないんですか」


「同じではありません」


神崎が一つの記録を拡大した。


「観測条件が違います。地点も違う。取得した機材も完全には同一ではありません」


「じゃあ、比べられない?」


「そうではありません」


神崎は重ねていた記録から、いくつかの項目を外した。


残った線だけが画面に広がる。


「比較できる範囲で、似た変化が確認されている」


青年はその言葉を頭の中で繰り返した。


似ている。だが、一致ではなく、同じ原因とも限らない。


それでも、十三分停止の周辺にこうした変化が残っていたことだけは確かだった。


「これが大きくなって、世界が止まった可能性は?」


神崎は首を振らなかった。


だが、うなずきもしなかった。


「可能性として考えることはできます」


「証拠はない」


「はい」


青年は画面を見る。


線は《16:42》へ近づくにつれて揺れている。


そして。


その先には、十三分停止に関する記録が続いている。


「止まった瞬間は?」


「通常記録だけで、その瞬間の状態をすべて追うことはできません」


「じゃあ、この変化がそのまま停止につながったかも分からない」


「はい」


「十三分停止そのものと、その前後に残った変動は分けて考える必要があります」


「変動があったから止まった、とはまだ言えない」


「はい」


青年は椅子の背にもたれた。


分かったことが増えるほど。


原因から遠ざかっている気がする。


十三分停止。


その前後に変化があった。


だが。


変化が原因かどうか分からない。


そもそも、変化そのものも一種類ではない。


「α′のほうには?」


青年が尋ねる。


神崎は少し間を置いた。


「同じ条件で比較できるだけの記録はありません」


やはり。


そこへ戻る。


α世界には大量の記録がある。


α′世界には、佐伯が持ち帰った限られたものしかない。


止まらなかった世界に。


停止直前と同じ変化があったのか。


なかったのか。


それすら、今の資料だけでは確定できない。


青年は二つの欄を見た。


α。


α′。


「止まったほうには変化がある。でも、止まらなかったほうに変化がなかったとは言えない」


「その通りです」


「それじゃ、比較にならないですね」


「完全な比較にはなりません」


神崎は言った。


「ですが、α世界側の記録だけでも確認できることはあります」


「何ですか」


「十三分停止の周辺に、通常時とは異なる観測変動が残っている」


青年は画面へ視線を戻した。


そこまでは事実だ。


それより先は、まだ仮説にすぎない。


神崎が記録を少し巻き戻す。


《16:42》の直前。


いくつかの線がゆっくりと動き始める。


青年は目を細めた。


「これ、前にも見た気がします」


神崎の手が止まった。


「どこで?」


青年はすぐに答えられなかった。


記憶を探す。


青森。


地下施設。


観測地点。


これまで見てきた記録は多い。


似た線を見たことがあるような気がした。


だが。


どの記録だったのかまでは思い出せない。


「……分かりません」


青年は首を振った。


「ただ、なんとなく」


神崎は否定しなかった。


「感覚は記録と分けましょう」


「分かってます」


青年は苦笑した。


神崎の手が止まった。


「……?」


青年が見る。


「どうしました」


「いえ」


神崎は短く答え、端末へ視線を戻した。


そのときだった。


画面の端で。


小さな表示が動いた。


青年は最初、過去記録の一部だと思った。


だが、線は今も伸び続けている。


「これ」


神崎が視線を向ける。


青年が画面を指した。


「今のですか」


過去記録とは別の欄――現在の観測値に、わずかな変化が現れていた。


神崎の表情が変わる。


ほんの少しだけ。


「現在値です」


青年は椅子から身を起こした。


線は緩やかに上下している。大きな変化ではなく、警告も出ていない。画面にも異常を示す文字は表示されていなかった。


ただ、先ほどまでほぼ一定だった値が、静かに動き始めている。


「機器の異常ですか」


「確認します」


神崎が別の画面を開く。


現在時刻。


通信状態。


機器稼働状態。


どれも継続している。


青年は無意識に壁の時計を見た。


秒針が動く。


一秒。


次の一秒。


普通に進んでいる。


「止まってない」


青年がつぶやく。


「今のところは」


神崎は画面から目を離さない。


現在値の変化はまだ続いていた。


一つだけではない。


別の観測項目にも。


小さな揺れが現れる。


それぞれの値は違う。


変化の幅も違う。


だが。


神崎は過去記録を横へ並べた。


一九九九年七月十八日。


《16:42》直前。


青年の視線が止まる。


似ている。


先ほど見ていた線と、今伸びている線。完全に同じではない。


それでも、動き方には重なる部分がある。


「これ……」


青年は言葉を失った。


神崎が過去と現在の表示を見比べる。


一度。


二度。


表示範囲を変える。


時間軸を合わせる。


比較できない項目を外す。


それから。


「一致ではありません」


神崎が言った。


青年は画面を見る。


「でも」


「共通する変化はあります」


その声は、いつもと変わらない。


だからこそ。


青年の背中に冷たいものが走った。


「一九九九年と?」


「停止前後に残された記録の一部と、です」


神崎は言葉を限定する。


「同じ現象とはまだ言えません」


青年は時計を見る。


秒針は動いている。


一秒。


二秒。


三秒。


部屋の外から、誰かの歩く音が聞こえる。


空調の音。


端末の駆動音。


何も止まっていない。


それでも。


画面の線だけが。


二十七年前へ近づいていく。


「これ、もっと上がったら」


青年が言う。


神崎は答えなかった。


答えられないのだと分かった。


同じ変化なのか。


どこまで進むのか。


その先に十三分停止があるのか。


誰にも分からない。


現在値が、もう一度大きく振れた。


青年の呼吸が止まりかける。


画面の横。


現在時刻。


数字が変わる。


数字は一秒ずつ進み続ける。


通信状態。


正常。


記録。


継続。


別の端末も動いている。


照明も消えない。


青年は自分の手を見る。


指を動かす。


動く。


「神崎さん」


「はい」


「もし止まったら」


青年はその先を言えなかった。


止まったら。


自分たちは気づくのか。


十三分の中で。


何かを見るのか。


それとも。


二十七年前と同じように。


何も知らないまま。


次の瞬間には十三分が消えているのか。


神崎は現在値を追ったまま言った。


「まだ、止まるとは決まっていません」


青年は時計を見る。


秒針が動く。


さらに一秒。


変動は強くなっていた。


過去記録と並べると。


似ている部分も増えている。


けれど。


同じではない。


一九九九年の記録にはある変化が。


現在にはない。


現在だけに出ている揺れもある。


完全には重ならない。


「違うところもある」


青年が言った。


「あります」


「じゃあ、やっぱり別物かもしれない」


「それもまだ分かりません」


神崎が答える。


青年は思わず息を吐いた。


何一つ。


断定できない。


それでも。


今起きていることだけは消せない。


現在の観測値に。


二十七年前と共通する変化が出ている。


突然。


線の振れ幅が小さくなった。


青年が身を乗り出す。


「下がってる?」


「はい」


神崎が現在値を確認する。


先ほどまで広がっていた揺れが。


少しずつ狭くなる。


一つ。


また一つ。


別の観測項目も元の範囲へ戻っていく。


青年は時計を見る。


まだ動いている。


秒針は止まらない。


通信も切れない。


端末も動いている。


部屋の外の足音が遠ざかっていく。


それから。


現在値は。


ほぼ元の範囲へ戻った。


神崎はしばらく画面を見ていた。


青年も何も言わなかった。


警告音は鳴らなかった。異常な文字列も、意味の分からない表示も現れない。


残ったのは、通常の観測記録だけだった。


現在時刻。


連続。


通信。


継続。


観測値。


一時的変動。


その後。


通常範囲へ復帰。


青年は時計を見た。


「……止まらなかった」


神崎がうなずく。


「はい」


青年は過去記録へ視線を移した。


一九九九年。


《16:42》


そこには。


十三分の停止がある。


そして。


今。


似た変動があった。


けれど。


世界は止まらなかった。


「じゃあ」


青年はゆっくり口を開いた。


「今のは、何だったんですか」


神崎はすぐには答えなかった。


過去と現在。


二つの記録を並べる。


「分かりません」


やがて。


そう答えた。


「ただ」


神崎が現在の記録を保存する。


「比較対象は増えました」


青年は画面を見る。


一九九九年。


α世界。


十三分停止あり。


そして。


現在。


α世界。


似た変動。


十三分停止なし。


同じではない。


再現でもない。


原因が分かったわけでもない。


それでも。


今まで存在しなかった記録が。


一つ増えた。


青年は二十七年前の波形と。


たった今残された波形を見比べた。


似ている。


けれど。


結果は違った。


世界は。


止まらなかった。



## Block4 分かれた十三分


しばらく。


誰も画面を動かさなかった。


二十七年前の記録。


たった今、残された記録。


二つの波形が並んでいる。


似ている。だが、結果は違う。


青年は現在時刻を確認した。


時計は進み続けている。


何事もなかったように。


空調の音も。


廊下を行き交う足音も。


端末の駆動音も。


一度も途切れていない。


「今のって」


青年が口を開いた。


神崎は画面を見たまま待っている。


「α′世界と同じじゃないですか」


神崎の視線が青年へ移った。


「何を同じと考えていますか」


「止まらなかったことです」


青年は現在の記録を指した。


「一九九九年のα世界では、こういう変化があって、そのあと十三分止まった」


続けて。


α′世界側。


「α′では止まらなかった」


最後に。


現在。


「今も、似た変化が出た。でも止まらなかった」


神崎はすぐには答えなかった。


青年は自分の言葉を考える。


三つ。


並べれば。


確かにそう見える。


一九九九年のα世界――観測変動あり、十三分停止。


一九九九年のα′世界――時間継続、十三分停止なし。


現在のα世界――過去と共通する観測変動あり、十三分停止なし。


「同じ、とは確認できません」


やがて神崎が言った。


青年は小さく息を吐く。


「やっぱり」


「α′世界については、同じ観測項目を同じ条件で取得した記録が不足しています」


神崎はα′側の欄を開いた。


表示される資料は少ない。


「一九九九年のα′世界で、現在と同じ変動が起きていたかどうかは分かりません」


「でも、止まらなかった」


「それは確認されています」


青年は画面を見る。


神崎が現在記録を拡大した。


「そして、現在のα世界でも停止しなかった」


「はい」


「この二つは事実として分けて扱うべきです」


青年はうなずいた。


同じではない。


だが。


同じ結果ではある。


世界は。


止まらなかった。


「じゃあ」


青年は過去のα世界側を見る。


「一九九九年だけ、何か足りなかったんじゃなくて」


言葉を止める。


逆だ。


「何か、余分にあった?」


神崎は否定もしなかった。


「その可能性はあります」


「今の変化だけじゃ、止まらない」


「そう断定するには、まだ材料が足りません」


「でも」


青年は現在の記録を指した。


「似た変化があったのに、止まらなかった」


「はい」


「だったら、あの変化だけで十三分停止が起きる、とは言えないですよね」


神崎がわずかにうなずく。


「少なくとも、単純には結びつけられなくなりました」


青年は三つの記録を見た。


一九九九年のα。


一九九九年のα′。


現在のα。


今まで。


十三分停止の周辺に変動があった。


それだけなら。


その変動が世界を止めたのかもしれない。


そう考えることはできた。


だが。


現在。


似た変化が起きた。


世界は止まらなかった。


その事実が。


一つの説明を弱くした。


「じゃあ、一九九九年には」


青年はゆっくり言った。


「今はない何かがあった可能性がある」


「可能性としては」


神崎が答える。


「ただし」


青年は先回りした。


「それがあるとは決まってない」


「はい」


「何なのかも分からない」


「はい」


青年は苦笑した。


「言うと思いました」


神崎は気にした様子もなく、比較表を更新した。


画面の中央に。


三つの項目が並ぶ。


一九九九年・α世界。


一九九九年・α′世界。


現在・α世界。


青年はそれを見る。


不思議な並びだった。


世界は二つしかない。


だが。


比較する事例は三つになった。


「こう見ると」


青年が言った。


「今のほうが、α′に近いですね」


神崎はすぐに否定した。


「結果の一部だけなら」


「停止しなかった」


「それだけです」


「分かってます」


青年は肩を落とした。


けれど。


その一つが。


今は重要だった。


α世界で。


過去と共通する変化が起きても。


十三分停止は起こらなかった。


それなら。


一九九九年の十三分は。


何によって決まったのか。


青年は画面上の《16:42》を見る。


同じ日。


同じ時刻。


α世界は止まった。


α′世界は進んだ。


そして。


二十七年後のα世界も。


進んだ。


「変な感じですね」


「何がですか」


「今まで」


青年は少し考えた。


「α世界は止まった世界で、α′は止まらなかった世界だと思ってた」


「便宜上はそう分類しています」


「でも今、α世界も止まらなかった」


神崎は黙った。


青年は続ける。


「もちろん、一九九九年じゃないし、同じ条件でもない」


「はい」


「それでも」


青年は現在の記録を見る。


「『α世界だから止まる』わけじゃない」


神崎がわずかに目を細めた。


「その言い方なら、少なくとも現在の記録とは矛盾しません」


青年は椅子に深く座り直した。


十三分。


二つの世界を分けているように見えたもの。


だが。


本当にそうなのだろうか。


世界が止まったから。


二つが違う世界になったのか。


それとも。


最初から何かが違っていたから。


片方だけが止まったのか。


「神崎さん」


「はい」


「十三分が、世界を分けたんでしょうか」


神崎の手が止まった。


青年は画面から目を離さない。


「αとα′が、もともとは同じだったとして」


言ってから。


自分で気づく。


「……いや。それも分からないか」


「分かりません」


「でも、もし同じだったなら」


青年は続けた。


「十三分停止が起きたことで分かれた可能性もある」


「仮説としては」


「逆もある」


神崎は答えなかった。


青年は二つの《16:42》を見る。


「すでに違う世界だったから、片方だけ止まった」


「はい」


「どっちかは、まだ分からない」


「確認できません」


青年は口を閉じた。


十三分停止が。


原因なのか。


結果なのか。


それすら。


まだ決められない。


画面の中では。


α世界とα′世界が並んでいる。


記号は近い。


一つの点が付いているだけ。


だが。


その間には。


十三分という差がある。


「一九九九年のα世界にあって」


青年が言った。


「α′や今の記録では、まだ確認できてないものを探せばいいんですか」


神崎はすぐには肯定しなかった。


「まずは、その可能性を調べるべきでしょう」


「何から?」


神崎が比較表を閉じる。


代わりに。


別の資料群が表示された。


青森県八甲田山地下区域。


青年は目を細めた。


見慣れた場所。


何度も。


ここへ戻ってくる。


「また青森ですか」


「一九九九年のα世界で、十三分停止後に最も重要度を上げた調査地点の一つです」


神崎が資料を開く。


地下区域。


調査班。


六名。


佐伯真紀。


そして。


今も所在が確認できていない五名。


青年はその一覧を見る。


「でも、この人たちが消えたのは」


言いながら。


時系列を思い出す。


十三分停止のあとだ。


「十三分が起きたあとですよね」


「はい」


神崎は即答した。


「六名が十三分停止を起こした、という順序にはなりません」


青年はうなずく。


そこは間違えてはいけない。


十三分停止のあと、青森の異常が絞り込まれ、地下区域が見つかった。その後、六人が入り、佐伯だけが戻った。


「じゃあ、何を見るんですか」


神崎は少しだけ間を置いた。


「共通する条件がなかったかどうかです」


「十三分停止と、六人に起きたことに?」


「はい」


青年は眉を寄せた。


「原因が同じかもしれない?」


「そこまでは言っていません」


また。


慎重な線引き。


「一九九九年に青森で記録された異常と、その後六名に起きた事象に、共通する観測条件がなかったかを確認します」


青年は六名の記録を見る。


佐伯。


残された五人。


一九九九年。


α世界。


世界が止まり。


そのあと。


この六人が地下へ入った。


そこにも。


まだ見落としているものがあるのかもしれない。


青年は画面を見た。


「五人も、もう一回見るんですね」


「必要でしょう」


神崎の声は変わらない。


青年は少しだけ視線を落とした。


五人。


佐伯の記憶の中に残っている反応。


向こう側の青年。


そして。


今も。


どこにいるのか分からない人たち。


現在の観測変動は消えている。


世界は止まらなかった。


だが。


そのおかげで。


調べるべきものが一つ減ったわけではない。


逆だった。


十三分停止を。


観測変動だけでは説明できなくなった。


その分。


まだ見えていない条件を探す必要が出てきた。


青年は最後にもう一度。


三つの比較記録を見た。


一九九九年・α世界。


停止。


一九九九年・α′世界。


継続。


現在・α世界。


継続。


答えはない。


ただ。


問いだけが変わった。


なぜ。


片方だけが止まったのか。


それだけではない。


十三分の差が。


世界を分けたのか。


それとも。


世界が違っていたから。


十三分が分かれたのか。


青年は青森の資料へ視線を戻した。


その先に。


五人の名前が並んでいた。


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