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境界線 ―1999、世界は十三分止まった―  作者: 夕花
第一部『門』

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11/23

門の向こう側

翌日。


時間異常調査局の地下駐車場には、朝の冷たい空気が流れていた。


白い照明に照らされた車両。


積み込まれる観測機材。


慌ただしく動く調査員たちの姿。


それでも。


以前の調査とは、どこか違っていた。


青森地下都市へ向かった時とは違う。


あの時、彼らは何も知らなかった。


地下に何があるのか。


そこに何が残されているのか。


ただ、答えを探していた。


だが。


今回は違う。


すでに、向かう場所は示されている。


待っているものがあることだけが分かっている。


青年は、車両の横で冊子を見つめていた。


地下都市から持ち帰ったもの。


そして。


あの夜、表示された座標。


何度確認しても、結果は変わらなかった。


次の観測地点。


そこは、青年の日常のすぐ隣に存在していた。


街があり、人が暮らし、時間だけが変わらず流れている。


だからこそ。


青年には違和感があった。


なぜ。


そんな場所が選ばれたのか。


「準備は終わりました」


声に振り向く。


神崎だった。


「出発します」


青年は短く頷いた。


車両へ乗り込む。


ドアが閉まる音。


エンジンが低く響く。


ゆっくりと車両が動き出した。


窓の外を、見慣れた景色が流れていく。


街並み。


道路。


歩いている人々。


何も変わらない日常。


しかし。


青年には、それが妙に遠く感じられた。


数日前まで。


自分はただ、時間異常調査局の一員として任務を行っていた。


異常を調べる側だった。


だが。


今は違う。


自分自身が、調査対象の中に含まれている可能性がある。


その事実が、消えずに残っている。


「気になりますか」


隣に座る神崎が言った。


青年は窓の外を見たまま答える。


「……はい」


少し間を置く。


「自分が、なぜ反応するのか」


神崎は黙っていた。


否定もしない。


肯定もしない。


その沈黙が、今の状況を表しているようだった。


「現地で確認します」


神崎はそれだけ言った。


青年は視線を落とす。


膝の上に置いた冊子。


表紙には、何も書かれていない。


だが。


もう分かっていた。


これは単なる記録ではない。


何かを示すために残されたものだ。


そして。


自分たちを、次の場所へ導いている。


車両は街を抜ける。


建物が減り。


景色が変わっていく。


やがて。


目的地までの距離を示す表示が変化した。


青年は窓の外を見る。


そこにあるのは。


特別な場所ではない。


ただの日常の延長にある風景だった。


しかし。


地下都市で見た光景が、頭から離れない。


《13》


あの数字が示していたもの。


観測対象。


見られている存在。


もし。


本当に自分がその対象なら。


この場所も。


最初から選ばれていたことになる。


車両は速度を落とす。


前方に、調査地点が見えてきた。


青年は冊子を閉じた。


そして。


静かに息を吐く。


次に待っているものが何なのか。


まだ分からない。


ただ。


ここから先は。


自分自身が向き合わなければならない場所だった。





目的地へ到着した時。


空は薄い雲に覆われていた。


特別な場所には見えなかった。


街の一角。


人の生活があり。


車が行き交い。


遠くから、日常の音が聞こえる。


しかし。


「設置を開始します」


調査員の声が響く。


車両から機材が運び出される。


青森地下都市で使用したものと同じ観測機材が並べられていく。


青年は周囲を見渡した。


ここが。


観測地点。


そう言われなければ、ただの場所にしか見えない。


「反応確認まで、少し時間がかかります」


神崎が言った。


青年は頷く。


待つ時間が長くなるほど、青年の中に嫌な予感だけが残った。


何も起きていない時間ほど、不安は消えなかった。


だからこそ、過去の記録を確認するしかなかった。


数十分後。


最初の解析結果が表示された。


「……おかしいですね」


解析担当の職員が画面を見る。


青年と神崎が端末へ近づく。


「何かありましたか」


神崎が尋ねる。


職員は表示されたデータを指した。


「この地点の時間変動値です」


画面には、現在の観測結果が表示されている。


「通常範囲内ではあります」


一瞬。


誰もが安堵しかける。


しかし。


職員は続けた。


「ただし」


画面が切り替わる。


そこに表示されたのは。


過去の時間異常記録。


1999年7月18日。


世界各地で発生した十三分間。


その後に記録された複数の異常地点。


そして。


今回の観測地点。


「変動の波形が一致しています」


青年の視線が止まる。


「一致……?」


「はい」


職員は慎重に説明する。


「発生した時間の長さではありません」


「異常が起きる直前の状態です」


画面上に並ぶ複数の記録。


だが。


その直前だけ。


同じ変化を示していた。


時間が止まる前兆。


「つまり」


神崎が言う。


「この場所も、過去の異常地点と同じ状態にある」


職員は頷いた。


青年は画面を見つめた。


青森地下都市。


過去の調査記録。


そして。


この場所。


別々の出来事だと思っていたものが。


同じ線の上に存在している。


「地下都市は、この地点を知っていた」


青年が呟く。


神崎は答えなかった。


だが。


否定もしなかった。


その時。


別の端末から通知音が鳴る。


「周辺データに異常反応」


調査員が報告する。


全員の視線が集まる。


表示された数値。


時間変動。


わずかな揺らぎ。


しかし。


その位置は。


青年が立っている場所だった。


「……」


青年は足元を見る。


何もない。


普通の地面。


普通の空気。


それでも。


地下都市で感じたものと同じ感覚があった。


誰かが見ている。


そう思った瞬間。


端末の画面に、新たな表示が現れた。


解析不能。


その下に。


ひとつの数字。


《13》


青年は息を止めた。


地下都市で見たものと。


同じ数字。


しかし。


今回は。


施設の中ではない。


自分がいる、この場所で表示されていた。





《13》


その数字が表示された瞬間。


青年の周囲から、音が消えた。


車の走行音。


風の音。


遠くから聞こえていた人の声。


すべてが、薄い膜の向こう側へ遠ざかっていく。


異変に気付いたのは。


青年だけだった。


目の前には、観測端末がある。


調査員たちもいる。


神崎も、すぐ隣に立っている。


それなのに。


世界だけが、自分から少しずつ離れていくようだった。


「……」


青年は画面を見る。


《13》


地下都市で見た数字。


冊子に残されていたもの。


そして。


今、この場所で表示されたもの。


違うことがある。


ここには。


地下施設も。


閉ざされた空間もない。


ただの街の一角。


人が暮らす場所。


日常の中にある場所だった。


それでも。


《13》は現れた。


「……どうしました」


神崎の声が聞こえる。


しかし。


その声は、遠かった。


青年は答えようとして。


言葉が出なかった。


視界の端で。


何かが揺れていた。


画面ではない。


空間そのものだった。


「……見えている」


無意識に呟く。


「何がですか」


神崎が尋ねる。


青年は画面を指した。


「《13》です」


神崎が端末を見る。


数秒。


だが。


表情は変わらなかった。


「……何もありません」


その言葉を聞いた瞬間。


青年の背筋が冷えた。


地下都市では、確かに記録へ残った。


だが今回は違う。


目の前にあるはずの《13》を、見ているのは青年だけだった。


それが、また現れている。


「端末を確認します」


神崎が調査員へ指示を出す。


複数の職員が確認する。


しかし。


結果は同じだった。


異常なし。


通常観測。


《13》の記録は存在しない。


その時。


青年は気付いた。


違う。


今回は。


見えているだけではない。


自分の周囲から。


世界との距離が離れていく。


神崎の姿は見えている。


だが、そこにいるという確信だけが薄れていく。


「……神崎さん」


声を出す。


「もし」


息を整える。


「自分が、ここから消えたら」


神崎の視線が変わった。


「何を言っていますか」


「分かりません」


青年は周囲を見る。


人がいる。


車がある。


音もある。


だが。


すべてが少しずつ遠ざかっている。


「でも……」


言葉を続ける。


「今までと違います」


その瞬間。


端末が警告音を発した。


全員が振り向く。


「時間変動、急上昇!」


調査員の声が響く。


表示される数値。


現場全体の空間が揺らぐ。


しかし。


青年だけは別のものを見ていた。


画面の奥。


存在しないはずの表示。


《観測対象》


その文字。


そして。


次の瞬間。


世界が反転した。


音が消える。


光が消える。


足元の感覚がなくなる。


青年は、とっさに手を伸ばした。


だが。


掴めるものは何もなかった。


「……」


声を出した。


しかし。


自分の声すら聞こえない。


そこには。


何もなかった。


暗闇ではない。


空白。


足元がない。


上も下も分からない。


音がない。


光もない。


それでも暗闇ではなかった。


何も存在しないのではない。


存在という概念だけが抜き取られている。


自分が立っているのか、落ちているのかすら判断できなかった。


青年は理解した。


ここは。


消えた場所ではない。


切り取られた場所だ。


世界から、自分だけが切り離されている。


戻れない。


その考えが浮かんだ瞬間。


初めて恐怖を感じた。


もし戻れなければ。


自分は消える。


そう思った。


だが。


それ以上に怖かった。


自分を知っている人間から。


最初から存在しなかったことにされることが。


その時。


遠くで音がした。


機械音。


ではない。


何かを確認するような音。


そして。


声ではない言葉が届く。


《対象反応確認》


青年は息を止めた。


対象。


その言葉。


自分に向けられている。


次の瞬間。


強い衝撃が走った。


世界が戻る。


音が戻る。


光が戻る。


青年は膝をついた。


「……!」


誰かの声が聞こえる。


「大丈夫ですか!」


周囲に調査員が集まっている。


時間を見る。


数秒しか経っていなかった。


周囲の時計では数秒。


しかし青年にとっては、永遠にも感じる時間だった。


神崎が近づく。


「何がありました」


青年はすぐには答えられなかった。


自分は。


今。


どこにいたのか。


説明できない。


ただ。


一つだけ分かった。


あれは幻ではない。


観測されていた。


自分が。


「……見ました」


青年は呟く。


「何をですか」


神崎が問う。


青年は画面を見る。


そこにはもう。


《13》も。


《観測対象》も。


存在しない。


それでも。


確かに残っていた。


自分だけが知る感覚。


「自分は……」


言葉を探す。


「見ている側じゃない」


沈黙。


そして。


続ける。


「見られている側です」


神崎は何も言わなかった。


ただ。


その表情には。


以前にはなかった緊張が浮かんでいた。


その時。


再び端末が反応する。


今度は。


全員が確認できる表示だった。


《観測対象》


一瞬だけ。


画面に文字が浮かぶ。


そして消える。


だが。


今度は記録にも残った。


誰もが見た。


青年だけの現象ではなくなった。


神崎は画面を見る。


「……始まった」


小さく呟く。


青年は顔を上げる。


「何がですか」


神崎は答えなかった。


ただ。


遠くを見るように言った。


「十三分の続きです」





現場には、まだ異常発生直後の空気が残っていた。


数秒前まで。


画面に表示された文字。


《観測対象》


それは。


全員が確認した。


青年だけが見えていたものではない。


記録されない現象ではない。


誰も声を出さなかった。


だが。


誰も画面から目を逸らさなかった。


「……記録を確認します」


解析担当の職員が声を震わせながら端末を操作する。


画面には。


先ほどの観測結果が表示されている。


時間変動。


空間揺らぎ。


そして。


一時的な未登録反応。


「反応値は……」


職員が言葉を止める。


「通常の時間異常とは違います」


神崎が画面を見る。


「何が違う」


「発生地点です」


職員は表示された地図を指した。


そこには。


この場所が表示されていた。


正確には。


青年が立っていた地点。


「異常は、この地点を中心に発生しています」


青年は息を止める。


自分が原因なのか。


その考えが浮かぶ。


しかし。


すぐに否定する。


違う。


自分は何もしていない。


ただ。


見ただけだ。


「違います」


神崎が静かに言った。


青年が顔を上げる。


「君が発生させたわけではありません」


「……では」


神崎は画面を見る。


「反応した」


短い言葉だった。


だが。


その意味は大きかった。


「時間異常が発生したのではなく」


神崎は続ける。


「時間異常と、君の間に接点が生まれた」


青年は黙って聞いていた。


接点。


その言葉が。


今までの出来事を繋げていく。


青森地下都市。


読むことのできた記録。


存在しない表示。


そして。


先ほどの空白。


すべて。


同じものだった。


「1999年の記録を出せますか」


神崎が指示する。


解析担当が古いデータを呼び出す。


画面に表示される。


《1999年7月18日》


世界各地で発生した十三分間。


誰もが知っている異常。


しかし。


その記録の中に。


一つの共通点があった。


「これは……」


職員が表示を拡大する。


「十三分の直前です」


複数の地点。


複数の時間。


異なる場所で起きた現象。


だが。


その直前だけ。


同じ反応を示していた。


「観測」


青年が呟く。


職員が頷く。


「はい」


「十三分が発生する前から、何かが観測していた可能性があります」


青年の胸がざわつく。


地下都市で聞いた言葉。


観測。


対象。


見られている存在。


「つまり……」


青年は画面を見る。


「観測対象というのは」


言葉を選ぶ。


「異常そのものではない」


神崎が頷いた。


「そうです」


では、なぜ自分が観測対象なのか。


青年は息を吐く。


青年は、自分が恐れていた答えとは違うことに気付いた。


世界を変える存在でもない。


異常を生み出す存在でもない。


ただ。


境界が揺らいだ瞬間を、認識できる位置にいた。


「だから」


神崎が言う。


「君だけが見えた」


青年は視線を落とす。


納得できる部分がある。


だが。


まだ残る。


一番大きな疑問。


「なぜ、自分なんですか」


その問いに。


神崎はすぐには答えなかった。


周囲の音が遠くなる。


やがて。


「現時点では、確定した答えはありません」


神崎は言った。


「ただ」


画面に映る1999年の記録を見る。


「君は、十三分が起きた瞬間から続いている何かと、接続している可能性があります」


青年の指が止まる。


1999年。


自分がまだ知らなかった時間。


遠い過去。


それなのに。


今の自分へ繋がっている。


「同じ時間軸上に存在している」


神崎は続けた。


「その可能性が高い」


青年は空を見る。


普通の街。


普通の日常。


その下で。


二十年以上前から続いていたもの。


それが。


今。


自分の前に現れている。


しかし。


まだ分からない。


なぜ。


誰が。


何のために。


観測しているのか。


そして。


あの空白の場所で。


自分を見ていたものは何だったのか。


その答えは。


まだ境界の向こう側にある。


「……戻れたんですね」


解析担当の職員が小さく言った。


青年は顔を上げる。


「え?」


「先ほどの反応です」


職員は画面を見る。


「通常なら、記録上は空白になります」


「ですが」


表示されたデータ。


そこには。


わずかな時間差が残っていた。


「戻ってきた記録があります」


青年は息を止める。


切り取られた時間。


消えたと思った瞬間。


しかし。


完全には消えていなかった。


「観測対象」


神崎が静かに呟く。


「それは、境界の向こう側へ行ける存在という意味ではありません」


青年を見る。


「境界に触れても、完全には失われない存在なのかもしれません。」


青年は答えなかった。


その言葉が。


安心なのか。


それとも。


さらに深い恐怖なのか。


まだ分からなかった。


ただ。


一つだけ理解した。


十三分は。


終わっていない。


そして。


自分は。


その続きを見るための位置にいる。





調査地点には、まだ機材が残されていた。


しかし。


先ほどまでとは空気が違っていた。


誰もが。


同じものを見た。


《観測対象》


あの表示。


青年だけではなく。


この場にいた全員が確認した。


記録にも残っている。


それは。


今までとは違う変化だった。


「解析結果が出ました」


青年と神崎は端末へ向かった。


そこに表示されたのは、今回の観測結果と過去の記録との比較だった。


一九九九年七月十八日。


十三分間の時間異常。


その後に発生した複数の異常地点。


そして。


今回の場所。


「一致しています」


職員が言った。


「時間変動の種類ではありません」


画面に波形が表示される。


「異常発生前の状態です」


青年は画面を見る。


時間が止まった瞬間ではない。


その直前。


境界が薄くなる瞬間。


そこに。


同じ反応が存在していた。


「つまり」


神崎が言う。


「十三分は突然発生した現象ではない」


青年は黙って聞いていた。


「その前から」


神崎は続ける。


「何かとの接点が生まれていた」


青年の中で。


これまでの出来事が繋がる。


地下都市。


冊子。


《13》


そして。


先ほどの空白。


すべて。


同じものを示していた。


「では」


青年はゆっくり口を開く。


「観測対象というのは」


言葉を選ぶ。


「異常の原因ではない」


神崎は頷いた。


「そうです」


「では……自分は、何なんですか」


神崎はすぐには答えなかった。


だが、すでに示された事実だけでも。


青年が恐れていたものとは違っていた。


自分が何かを起こしているわけではない。


世界を変えているわけでもない。


ただ。


境界が揺れた時。


その変化を感じ取れる場所にいる。


それだけなら、まだ受け入れられた。


しかし。


問題は、その先だった。


自分は。


一度。


向こう側へ触れた。


時間から切り離された。


存在しない場所へ落ちた。


それでも。


戻ってきた。


「……自分は」


青年は呟く。


「最初から、ここに繋がっていたんですか」


神崎はすぐには答えなかった。


「可能性としては高い」


「君が異常を生み出しているからではありません」


「十三分が発生した時間と」


神崎は続ける。


「君が接続している可能性がある」


一九九九年。


自分がまだ知らない時間。


二十年以上前の出来事。


しかし。


同時に。


新たな疑問が生まれる。


もし。


自分を観測対象としているなら。


誰が。


何のために。


観測しているのか。


そして。


なぜ。


十三分の時から。


今まで続いているのか。


「神崎さん」


青年は尋ねる。


「向こう側には」


言葉が止まる。


だが。


聞かなければならなかった。


「何があるんですか」


神崎は答えなかった。


ただ。


遠くを見る。


「まだ確認できていません」


短い返答。


「ですが」


神崎は続けた。


「君が見たものは、入口だった可能性があります」


入口。


その言葉が。


青年の中に残った。


地下都市で辿り着けなかったもの。


記録に残されていたもの。


そして。


先ほど表示されたもの。


すべてが。


一つの場所へ向かっている。


青年は静かに息を吐いた。


青年は、画面に残った《13》を見る。


怖くないわけではなかった。


自分が何なのか。


なぜ選ばれたのか。


まだ何も分からない。


それでも。


以前の自分なら、答えを知らないまま離れていたかもしれない。


異常は調査するもの。


自分とは関係のないもの。


そう思っていた。


しかし。


もう違う。


青森地下都市で消えた調査隊。


残された記録。


そして、自分が見たもの。


それらを知らないふりをして生きることはできなかった。


「……調べます」


青年は静かに言った。


神崎が見る。


「何をですか」


青年は画面を見る。


「自分が何なのかを」


青年は続けた。


「そして、あの日……十三分の日に何が起きたのかを」


少し間を置く。


「青森地下都市に何が残されていたのか」


「なぜ、あの人たちは戻れなかったのかを」


むしろ。


ここからだった。


十三分の意味。


観測している存在。


そして。


境界の向こう側。


それらは。


まだ残されたままだった。





夜。


時間異常調査局の照明は、まだ消えていなかった。


調査結果の整理。


取得データの確認。


新たに発見された記録の保存。


すべてが終わるまでには、まだ時間が必要だった。


青年は一人、解析室に残っていた。


机の上には、地下都市から持ち帰った冊子。


画面には、今日確認された観測記録。


そして。


《13》


何度見ても。


そこにある意味は変わらない。


青森地下都市で見たもの。


残された冊子。


そして、今日起きた現象。


それらが示していた答え。


自分は観測対象。


少なくとも、それだけは分かった。


しかし。


それは答えではなく。


次の疑問への入口だった。


青年の中には、まだ一つの違和感が残っていた。


なぜ。


あの地下都市は。


自分たちを待っていたように存在していたのか。


なぜ。


冊子は、自分の前に残されたのか。


なぜ。


自分だけが。


誰より先に《13》を認識できたのか。


答えは出ていない。


その時。


解析室の端末が反応した。


通知音。


青年は顔を上げる。


通常の通知ではなかった。


保存した覚えのないデータが、一つだけ増えていた。


画面に一つの表示が現れる。


《観測開始》


青年の指が止まる。


次の瞬間。


画面が切り替わった。


そこに表示されたのは。


一つの時刻。


《23:31》


青年は時計を見る。


現在時刻。


23時31分。


偶然。


そう思うことはできなかった。


地下都市で見た時刻。


消えた調査記録にも残されていた時刻。


世界が止まった《16:42》とは異なる接続点。


《23:31》


その瞬間。


部屋の空気が変わった。


音が遠ざかる。


照明がわずかに揺れる。


青年は立ち上がった。


まただ。


青森地下都市で感じたもの。


世界の境界が薄くなる感覚。


目の前の画面。


その表示が変化する。


《23:31》


その下。


新しい文字が現れる。


《観測地点接続》


青年は息を止めた。


しかし。


今回。


表示された場所は違った。


地図。


座標。


そして。


一つの名称。


それは。


これまでの調査記録に存在しない場所だった。


「……」


声が出なかった。


その時。


端末の奥から。


低い音が響いた。


機械音。


いや。


それだけではない。


何かが開く音。


青年の視線の先。


画面に新たな表示が浮かぶ。


《門》


その一文字だけだった。


青年は動けなかった。


門。


その言葉を。


自分は知っている。


地下都市で。


記録の中で。


何度も近づきながら。


決して辿り着けなかったもの。


それが。


今。


こちら側へ向けて表示されている。


端末の表示が消える。


残ったのは。


最後の一行だけだった。


《観測は次の段階へ移行する》


青年は暗くなった画面を見つめる。


ここまでの調査で辿り着いた答え。


自分は観測対象。


それは間違いではない。


だが。


それは。


始まりに過ぎなかった。


観測している存在。


門の向こう側。


そして。


十三分が本当に何だったのか。


その答えは。


まだ境界の向こうにある。


青年は静かに冊子を閉じた。


次に向かう場所。


そこにあるものは。


過去の記録ではない。


門は、向こう側に存在するものではなかった。


境界そのものが、こちら側へ向けて開き始めていた。

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