第29話 謁見式の余韻
王宮を後にした馬車は、ゆっくりと石畳を走り出した。
謁見式を終えたばかりのキリアは、座席に腰を下ろすと同時に大きく息を吐いた。
「はぁ……
王宮での謁見なんて勇者になった日以来だったけど……
王様、やっぱり怖かったなぁ……。」
苦笑いを浮かべながら、キリアは胸に手を当てた。
その鼓動は、未だにざわつき落ち着かない。
「ははは。そうだな。
私ですら、あの威圧感には未だに慣れん。」
ダルタディオが肩を竦める。
「私はあまりお会いする機会はありませんが……
さすがは帝国の王ですな……。」
セルドリクも真面目な顔で頷いた。
キリアは窓の外を眺めながら、胸の奥に残る緊張をほぐすように深呼吸した。
「そういえば、王様の言ってた……
守護獣……?って、なんなのかな?」
キリアが疑問を投げかけると、セルドリクが静かに答えた。
「おや、ご存知ないですか?
では、少しお話しいたしましょう。守護獣というのは──」
そう言って彼は、この世界に伝わる神話の一部を語り始めた。
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遥かな昔、魔王が世界を統べた混沌の時代。
苦戦を強いられた原初の五大勇者と世界を憂い、転生神が遣わしたとされる神獣がいた。
その力は魔王が誇る四柱の古代種を凌ぎ、五大勇者と共に魔王を撃ち倒すと、その命と引き換えに魔王を封印したとされる。
のちに世界を守護したその神獣は、“守護神獣“として全人類に称えられたのである。
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「この神話に基づいて、帝国に多大な貢献をした従魔は“守護獣“と称されるのです。
この世界で、守護獣と呼ばれる従魔は数える程しかおりません。
これからご指導いただく、辺境伯ガイアス様の従魔もその一体です。」
セルドリクの話に、キリアを目を見開きその淡紅の瞳を輝かせた。
「すごいすごい!
さすが、僕の自慢の相棒だ!!」
声を高らかに喜びを滲ませるキリア。
彼女はそのままスッと立ち上がると、窓から顔を乗り出し荷台のリックに声をかける。
「やったね、リック!大出世じゃないか!」
「ガルッ!ガルルッ……!」
──危ないよ!キリア!──
リックは慌てた様子でキリアに向けて吠えた。
セルドリクも慌ててキリアの裾を掴む。
「キリア様!?
危険です……!す、座ってください!」
「はははっ!
あのじゃじゃ馬姫に気に入られただけはあるな!」
ダルタディオは豪快に笑い、座ったキリアは頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「あははは……」
一方その頃、王宮の客間──
謁見式を終え、帰り支度を待つ貴族たちが騒めいていた。
飛び交う声には猜疑と困惑が渦巻いている。
「守護獣とはなんだ……?」
「ご存知ないのですか!?
遥か昔……五大勇者を支えたとされる神獣の呼び名ですよ!」
「最弱勇者の従魔などには過ぎた称号だろう……!」
「その呼び名はいけません!
王の耳に触れれば一大事ですぞ……!」
「王も何を考えておられるのか……」
「あのような美しい娘を囲い込むとはな……
デュランダールめ……上手くやりおって……」
そこは、醜い嫉妬や侮蔑の声が低く飛び交い、空気は重々しく濁っていた。
その中でただ一人、他とは違った気配で沈黙している男がいた。
──辺境伯、ガイアス・グランジェット。
彼だけは、他の貴族たちとは違った理由で言葉を失っていた。
「……あの従魔……
リック、と呼ばれていた……」
ガイアスは謁見の間で聞いた従魔の名を思い返していた。
亡き息子と同じ名前──
忘れようとしても、あの日の光景が瞼に焼き付いて離れない。
偶然なのか、それとも運命の悪戯なのか。
悲しみが埋める胸の奥に、言葉にならない不思議な感情が広がっていた。
──その翌日。
デュランダール公爵家の執務室では、ダルタディオとキリアが向かい合っていた。
「さて、キリア。
早速で悪いが、今後のことについて話そうか──」
ダルタディオは書類を手に取りながら言った。
「まずは、君の操魔の力を正確に把握する必要がある。
そこで、操魔士の名門として名高い、グランジェット家に指導を依頼した。」
「グランジェット……?」
キリアが首を傾げた瞬間──
リックがビクリと体を震わせた。
「グルルッ……!?」
──グランジェット!?──
耳を立て、目を大きく見開く。
──家族に、会える……?──
そんな想いが彼の胸に込み上げた。
だが同時に、自分が“魔獣”である現実が心を締めつける。
「クルルル……」
リックは悲しげに喉を鳴らし、床に伏せた。
「リック……?
急にどうしたの?」
キリアはそっとリックの頭を撫でた。
リックは慌てて“なんでもない”と言うように軽快に喉を鳴らし、キリアの手に頭を寄せた。
「……?」
キリアは首を傾げながら、リックの頭をそっと撫で続けた。
ダルタディオは、そんな二人を見て優しく微笑んだ。
「心配はいらん。
グランジェット家は帝国でも屈指の名家だ。
君たちの力を正しく導いてくれるだろう。」
キリアは小さく頷いた。
「……うん。頑張ります!」
──翌日の朝。
セルドリクの案内で、キリアとリックはラトーダ領へ向けて旅立った。
馬車はデュランダール公爵領を離れ、広大な草原を抜けながら北へと進む。
「ラトーダ領かぁ、どんなとこなんだろう?」
「魔獣が多い土地ですが、名門グランジェット家が治めている安全な地です。
キリア様とリックなら、何も問題はないでしょう。」
「そうだね!楽しみだなぁ。」
セルドリクが微笑む。
キリアも、微かな胸の高鳴りと共に微笑んだ。
荷台のリックは、草原をじっと見つめながら馬車の揺れに身を任せていた。
大好きな家族に再会できることは素直に嬉しい。
しかし、自分は話すことができない。
例え話せたとしても、信じてもらえる道理はない。
「グルルルルッ……」
──もう僕は家族とは呼んでもらえない──
俯くリックの胸には、そんな想いが鈍く渦巻いていく。
今の彼にとって、キリアだけが唯一の居場所だった。
旅の途中、一行はカルシオーネの街に立ち寄ることになった。
今後は、気軽に帰って来られるかわからない。
少し道を外れることになるが、キリアが街の住民に挨拶ができるようにと、セルドリクが計らってくれた。
馴染んだ景色がその視界に映り始める頃。
街が近づくにつれて、キリアの胸はそわそわと落ち着かなくなっていった。
「まさか……
公爵家の令嬢として街に帰るなんてね。
街を出る前は、夢にも思わなかったな……」
キリアは胸に手を当て、少し緊張したように苦笑いを浮かべた。
「そうですな。
私もお迎えにあがった時には知りませんでしたからな。
ダルタディオ様にも困ったものです。ははは。」
セルドリクも呆れたように笑っていた。
こうして──
キリアの新しい人生は、取り巻く微かな影を滲ませながらも、静かに動き始めていた。
その先に待つのは、魔獣となったリックの、人間だった頃の家族との邂逅。
運命の歯車は、まるで神の悪戯のように、ゆっくりと回り始めていた。




