第8夜「殺意」
俺は男と正面から向かい合う。目の前の相手は本物の兵士の佇まい。僅かな隙もない。地面に倒れる彼女にも時間はない。
そして俺は剣に触れながら会話を始める。今度こそは一切の警戒を怠らずに、鈍らず緩まずに。
お互い横に歩きながら、少女から離れられるように誘導する。それを男も分かっているのか、笑いながら受け入れる。
「あんた、何を・・・」
「え? 何って、用済みの女を始末しただけだが?」
「は?」
「彼女の役目は君から証言を取り、ここに誘き出すことだった。それが終わったから切り捨てた。結果は大成功。君の動揺した反応を見れて、私の疑念は確証に変わった。やはり君が昨夜の剣士だな。」
「どうして斬る必要があった!」
「・・・この件、帝都中央からは内密に済ませる命令が下されてな。僅かでも事情を知った者は生かしてはおけんのだ。それに、国のために死ぬのだ。帝国民としては本望であろう。」
「・・・お前は、お前たちは。」
「それに、ほら、目的の存在も釣れた。」
「何を言って・・・っ!?」
その瞬間、俺はまたしても目を見開いた。銀髪の男、ベルビルが指を指した方向。そこには血を吐き出した少女が、その裂かれた胸元を押さえるルテナが。
いつの間にか現れたルテナは少女の溢れ出ていた血も気にせずに、その傷口を素手で押さえつけている。その目はどこか優しく、高みから見下ろしつつも、慈愛に満ちていた。
「何を呆けているのアルトラ。早くしないとこの子、死ぬわよ。」
「───っ!」
「だ、そうだな。君の話なら後でゆっくり聞こう。昨夜は仕留め損ねたからな。まずは君の手足を切り落とす。」
そしてベルビルは剣を構えて向かってくる。その動きを見つめて、俺も反射的に剣を取り出して構えるが、その時、ふとルテナに視線を移した。なぜかそうするべきだと思った。
ルテナは少女の胸を押さえつつ、しかしその瞳は俺を見つめていた。
彼女はあの夜も、先ほども俺に言った。
───お前を見ていると。
もしかしたら、まだ俺は試されているのだろうか。彼女にとって、俺はまだ。
それならばあの時と同じく、俺は力を示すだけ。向かってくる脅威を払い除け、敵を討ち取る。
そうだ、この場に必要なのは少女への歩み寄りでも魔女への労いでもない。
どんな状況でも冷酷に戦えるような、国を取るような圧倒的な力だ。
「やってみろよ。ゴミ屑が。」
俺は再び男に向き合って、剣を低めに構える。すると男は笑みを浮かべつつ、こちらに応じるように、血塗れの剣を高く構えた。
「ふっ、いい殺気だが、これで三度目だ。今度は一切加減しないぞ!」
「───死ね。」
「ははっ!」
そして殺し合いは始まる。俺とベルビルは同時に飛び出し、鉄の剣を衝突させる。
空気に響く甲高い男、衝突した剣は大きな火花を散らし、重なり合う。
「はっ、やはり強いじゃないか! いいぞっ、もっと楽しませてくれ!」
「───っ!」
ベルビルは余裕の笑みを見せつけ、惜しみなく剣を振りかざす。先ほどの試合とは比較にならないほどの剣速、密度、気迫。やはりこの男、本物だ。
その一方で俺の表情は一貫して険しい。この緊迫した戦いは拮抗しているが、こちらが防戦気味である。
「ふん、緩い!」
「くそっ!」
この状況を打開するべく、俺も本気の斬撃を放つも、男には難なく防がれ、軽々しく剣は弾かれる。
瞬間、強い衝撃が腕に響き、鈍い痛みが蓄積する。こいつの剣は一振りでもとても鋭く重い。もし食らったら───
「───ぐっ!?」
「はっ、もっと斬って───っ!?」
まぁ右肩に一発食らってしまったわけだが、それと同時に俺はお返しの一振りをベルビルの脇腹にお見舞いする。
相手の攻撃を受けつつ、吸収しつつ、こちらは姿勢を傾けながら、僅かに間合いを踏み込む。そして相手の動きに合わせて、お互いの速度を完璧に重ね、影に隠れた懐からのカウンター。幼い頃、あの実家で仕込まれた技術の一つだ。少しはまじめに取り組んでおいてよかった。
そして俺と男は距離をとって呼吸を整える。お互いに予想外の負傷。しかし、それは男にとっては十分すぎる効果になった。
「・・・この返し、この動き・・・まさかお前、王国の、王宮の人間か?」
「違う。俺はアルトラ・アーデ。ただの帝国学生だ。」
「アーデ家か。あそこは確か・・・まぁいい。無粋だったな。俺としたことが戦いの最中に会話など。」
「俺は構わないよ。これから死ぬ相手と言葉を交わすのは嫌いじゃない。」
「君は面白い男だな。概ね同意だが、私は見た目に反して律儀な人間でね。帝国兵士は何よりも品格を重んじる。命を燃やす戦いにおいて、下衆な探り合いは───しない!」
「っ!?」
その瞬間、男の銀髪は揺らめき、目の前には霞んだ残像が。突然と豹変した速度に俺はその姿を見失うも、反射的に剣を胸の前で固定し、寸前のところで反応する。
再び交わる剣と剣。単純な力の押し合いはさすがに骨が折れる思いだ。
「そろそろ君には死んでもらうぞ!」
「お生憎、まだ俺は死ねないな!」
俺は精一杯の笑みを張り付けながら男の剣を押し返し、相手の間合いに浅く踏み込む。そこから軸足を狙って剣を流すも、やはりこの男には完璧に防がれる。
出口のない迷路を歩いているような気分だ。安っぽい恐怖は不安はないが、ほのかな苛立ちは蓄積されていく。勝気な性格の悪いところだ。
「・・・ちっ。」
「───アルトラ。」
「?」
だがしかし、俺が見せかけの攻防を演じていると、こんな状況でも平然としていた魔女が囁いてくる。こちらには耳を貸す余裕もないのだが、ルテナに泣き言は通じない。
「力が欲しいのならば、自ら意識しなさい。この場を生き抜く覚悟を、その腕の刻印を。」
「何を言って───」
「よそ見か?」
「───っ!?」
俺が僅かに視線を移した瞬間に、男の刃が顔の前を通り過ぎる。目と鼻の先で避けられたが、前髪を少し切断された。一体あの女はどっちの味方なんだ。
「───意識、意識ね。まったく、あの女は。」
それでも俺は復唱するように、一人小声で魔女の言葉を呟く。毎度毎度、意識しろ、覚悟しろなど、まったくもって抽象的な助言だ。考えるな、感じろとでも言いたいのか。
「先に言っておくが、君を殺したら、次はあの女だからな。」
「?」
「これは将軍からの直々の命令の一つ。漆黒の魔女を捕え、殺すこと。君たちはただの過程だ。」
「・・・過程。」
俺の中で、その言葉が引っかかる。こうも帝国に狙われているルテナの立ち位置よりも、今はその一言が。
「過程・・・ふっ、そうだったな。こんな戦い、俺にとっては始まりにしか過ぎない。俺には立ち止まっている暇はない。」
だからこそ、俺は頭によぎったルテナの顔と共に微笑み、再び剣を構え、そして大きく横に払って見せつける。
今度こそは鈍らないように、己の敵を確実に殺すために。現状、与えられた力の使い方など分からずとも、今できることを全力で。
「どうした? 怖気付いたか?」
「逆だ間抜け。今から俺はお前を殺す! この一振りで、お前の命を刈り取り、滅ぼす!」
「・・・若いな。ならば応じよう。こちらも全力で、今から君を斬り刻む。その少女と同じように、君の胸を深く貫く。」
ベルビルは真剣な顔で宣言すると、剣を胸よりも高い位置で構えた。
きっとそのまま高速で突っ込んできて、本気で俺の胸を貫くつもりなのだろう。その剣からは尋常ではない殺気が放たれている。
「そうか。それは痛そうだな。」
「・・・ベルビル・ローゼンターグだ。」
「アルトラ・・・アーデ。」
こちらが感情のこもっていない言葉を述べると、褐色の男は少しだけ不可解そうにしながらも、己の名を名乗った。
ゆえに俺も堂々と応じる。その人間性や立場はどうであれ、今はお互いに剣を向け合っている。これが譲歩できる最低限の敬意だ。
暫しの間、静寂の時が流れる。
俺たちはお互いの姿を瞬きせずに見つめ合う。それを高みから静かに見守るのは、漆黒に身を包んだ一人の女。
「「───っ!?」」
そして、俺たちは完全に同じタイミングで動き出す。お互いに保たれていた距離は一瞬で詰められ、一秒後にはどちらかが死んでいる未来が確定する。
最初の衝突と同じく、俺は地面を掠めるような位置からの剣捌き。男は胴体を隙だらけに曝け出すような高みからの突進、振り下ろし。
「なっ!?」
しかし俺は目を見開いて僅かに身構えてしまった。なぜなら男の初撃は冷静に受け流そうとしたが、それは初めから失敗してしまったから。
俺が正面から男の凶器を受けようとすると、その剣の軌道は驚くほど湾曲し、捻じ曲がる。
その間、男は何も驚くことなく俺を見下ろしている。これは経験の差が出た。
俺は男が最後まで隠し持っていた剣技を見抜けなかった。たとえ何が襲ってきても対処できると思ってしまっていた。
ゆえに刃は突き刺ささる。咄嗟に重心を逸らして避けようとしたが、ベルビルの剣は俺の右肩を抉るように突き刺さる。
その瞬間、鈍く鋭い痛みに襲われ、瞬間的にも腕の感覚を失う。
だからこの先の展開は容易く読めてしまう。このまま俺は肩に突き刺さった剣を一瞬で抜き取られ、姿勢が傾いたところを一刀両断。それでお終い、この戦いも、俺の命も・・・俺の、命───
「ぐっ、うぉぉぉぉあああ!!!!」
その時、俺は痛みと衝撃を吐き出すように雄叫びを上げながら剣を手放し、空中に置く。そして、その刹那の間で男の剣を右手で掴み、力を込めて叫び続ける。
その瞬間、腕の刻印は燃え上がるように熱く反応して侵食が広がる。全身に熱が駆け巡り、細胞の運動が加速する。
そして膨張し続ける力を、そのまま右手に伝えて、肩に突き刺さった剣を粉々に砕く。
「なっ、なんだとっ!?」
ベルビルは驚愕していた。それは俺が躊躇なく素手で刃を掴んだことに。その剣が俺に押さえつけられ、男の力でも抜けなかったことに。
そして、数々の戦場を共にしたであろう鉄の剣が、俺の手によって砕かれたことに。
「らぁぁぁぁぁぁ!!」
「まっ───」
男がようやく見せた最初にして最後の隙。それを俺が見逃すはずもなく、空中に置いておいた、否、すでに落下していた自分の剣を、負傷しているはずの右手で掴み取る。
そして、男に後退りする猶予すら与えずに、俺は剣を両手で握りしめ、振り上げた。
その瞬間、男の胴体は、顔は、その肉は見事に引き裂かれ、鮮やかな血が溢れ出る。
「や、やるな、アルト、ラ───」
その一振りは骨の芯までには届かなかったが、その刃は確かな致命傷を与えた。
男は大量の血を吐き出しながら仰向けに倒れる。それは二度と立ち上がることはないような勢いだった。
「は、はは、腕、痛くは、ないな。なんか、気持ち、わる───」
俺は浅くない傷を負いつつも、最後まで立っていた。
だからこそ、この確かな勝利の余韻に浸りたかったが、その時、急な眩暈と倦怠感に襲われて、俺は力なく仰向けに倒れた。
もう立ち上がる余力もない。というか、すでに意識も、もう、なかった。
勝敗は決したが、結果としては両者共倒れ。斬り伏せられた男に息の根はないが、少年には命の鼓動がある。
しかし、急な力の行使と出血、緊張の緩和により意識を失い、今は動きそうにもない。
「あらあら。やっぱり坊や。まだまだね。」
そんな情けない勝利の姿を、ルテナは真っ直ぐに見つめていた。ゆっくりと彼のもとに歩み寄るも、そこには特に何の感情もない。少年への感傷も、落胆も、称賛も。
その時はすでに重傷を負っていた少女の止血は終えていた。しかしルテナは別に少女に対して治療を施したわけではない。
ほんの少しだけ力を使って、単に体外に流れ出る血を止めただけ。
その少女が死んだところで、彼女には無関係であるから。今の彼女が唯一気にかけるのは、己の力を刻んだ少年だけ。それ以外はどうだっていい。誰が死のうとも、魔女には関心がない。
「あら?」
そしてルテナが地面に倒れる少年を見下ろしていると、周囲からは慌ただしい足音が迫る。
それでもルテナは何も慌てずに、黒く長い髪を手で払いながら耳を澄ませると、静かに小さく微笑んだ。
「はぁ、すごい数。まぁ仕方ないわね。いいわ。今回は特別に、私が力の使い方を見せてあげましょう。」
魔女は笑いながら少年に話しかけるが、もちろん返答はない。もちろん彼女も求めてはいない。これはちょっとした確認だ。
そしてルテナは美しく微笑みながら、ぞろぞろと集まった兵士たちを優雅に眺める。
「ふふふ、その命、もらうわね。」
そして魔女は恐ろしい笑みを浮かべ続け、右手を静かに横に払う。
その力なき一振りは、剣を構えようとしていた兵士たちの首をはね飛ばし、その命を彼らの瞬きに合わせて刈り取った。それは彼らの脳が斬られた事実を認識することすら叶わない刹那。彼らの血すら首から吹き出すのを忘れるほど。
そして次々と倒れる司令塔なき胴体、地面に転がる頭部に彼らの意識は残る。
終わりゆく命、最後に彼らが見たのは、自分たちを恐ろしく冷たい表情で見下ろす、美しい魔女の姿だった。




