第25話 試される夏前
梅雨が明けきらない六月末、潮多工業の校内にはどんよりとした空気が漂っていた。
廊下を歩く生徒たちの顔は沈み込み、教室の机の上にはいつになく分厚い参考書が並んでいる。
そう――期末テスト。
「……マジかよ。テストなんて聞いてねぇぞ」
教室に入るなり、ゴウキが机に突っ伏した。
「お前……入学して三か月も経って、初めて気づいたのか?」
ジンキが冷ややかに突っ込む。
「だって俺、潮多来るつもりなかったし。第一志望は共学の進学校だったんだぞ。女子多いし、モテモテの予定だったんだ……」
「で、落ちてここに来た。だからバカって言われるんだ」
「うるせぇ! 俺だって本気出せば……」
その瞬間、ゴウキの視線は教科書に落ちた。
開かれたページの数式が、まるで暗号のように見えてくる。
「……おいジンキ。これ“X”って誰だ?」
「変数だ」
「いや、名前だろ。Xって外人の名前だろ」
「お前は黙ってろ」
ジンキもまた、鉛筆を握りながら眉間にシワを寄せていた。
父が元世界王者のボクサーで、冷静沈着な雰囲気を纏う彼は、周囲から“頭良さそう”と誤解されがちだ。だが実際は、漢字テストで「情熱」を“ジョーネツ”と書いてバツを食らうレベルである。
「おいおい、ジンキもダメじゃねぇか……」
「うるさい。俺は理科だけは得意だ。運動と筋肉の仕組みは好きなんだ」
「そんな偏り、なんの役にも立たねぇ!」
そこにコウスケが顔を出した。
「お前ら、マジでやばいな……。補修確定コースだぞ」
「……で、お前はどうなんだよ」ゴウキが問い詰める。
「俺? まぁ普通。赤点は取らん。平均点よりちょい上ぐらいだ」
「なにぃ!?」
「やっぱ参謀ポジは俺だな!」
「なんで勉強力で参謀ポジ決まるんだよ!」
教室に笑いが広がった、そのとき。
「……仕方ねぇな」
低い声と共に、椅子を引いて立ち上がったのは香田だった。
冷静でクールな彼は、学年の中でも一目置かれる存在だ。
「俺が教えてやるよ。テスト前に潰れられたら、せっかく“最強の双天鬼”と名を上げてんのにダサいからな」
「香田ぁ! お前、頭いいのか?」
「見りゃわかるだろ」
ゴウキが興奮気味に机を叩く。
「やっぱ頼れるなぁ! なぁジンキ!」
「……あぁ、助かる」
だが、横でノートを広げているコウスケは内心焦っていた。
(やばい……まただ。参謀ポジがどんどん奪われていく……! 俺が頭使ってこいつら支えるはずだったのに!)
―
放課後、校舎裏のベンチは即席の勉強会場になった。
香田は黒板代わりに大きなノートを広げ、ペンを走らせる。
「まず数学だ。ゴウキ、“X”は名前じゃない。未知数だ。わかんねぇ数字を“X”で表して計算するんだ」
「未知数……? なんだそれ、カッケェじゃねぇか」
「いや、カッコよさで理解するな」
ジンキはジンキで、英語の教科書を開いて頭を抱える。
「“This is a pen.”まではわかる。だが“apples”の“s”ってなんだ」
「複数形だ。リンゴが一個じゃなくて複数あるってこと」
「……くだらねぇルールだな。殴るときは一発でも十分だ」
「喧嘩基準で考えるな!」
コウスケは一応ノートを取りつつも、やはりモヤモヤしていた。
香田が的確に指導し、双天鬼が「おお、そういうことか!」と素直に感心している様子が悔しいのだ。
(俺が教えてやれば「すげぇなコウスケ!」ってなるはずなのに! これじゃ完全に“副参謀”だ! いや、そもそも参謀って二人必要ねぇだろ!)
香田はそんなコウスケの心中を知るよしもなく、黙々と教え続けた。
―
数日後――期末テストが始まった。
教室に緊張感が張り詰め、鉛筆の音だけが響く。
ゴウキは額に汗を浮かべながら、なんとか答案用紙を埋めようと必死にペンを走らせる。
(……やべぇ、全然わかんねぇ! でも香田が言ってたのは……なんだっけ!?)
ジンキもまた、眉間に深いシワを刻み、鉛筆を噛みながら奮闘していた。
(クソ……文字が踊って見える……! ボクシングなら全部回避できんのに!)
コウスケは比較的落ち着いて答案を埋めていき、香田は余裕で見直しをしている。
―
そして――結果発表の日。
教室に答案が返却され、全員が一斉に点数を確認する。
「お……おおおおおおおっ!!」
ゴウキが叫んだ。
「ギリギリ! ギリッギリで赤点免れたぁぁぁ!」
「……俺もだ」ジンキも安堵の息を漏らした。
「補修回避。勝った……!」
「勝ち負けで言うな。テストだぞ」コウスケが呆れる。
香田は静かに答案を鞄にしまい、ため息をついた。
「……俺の教え方が良かったんだな」
「おぉ! 香田最高!」
「マジで助かった!」
双天鬼二人が肩を組んで喜ぶ姿を見て、コウスケの心はさらにざわつく。
(やっぱりこいつ、参謀ポジ狙ってる……! やべぇ、このままじゃ影が薄くなる……!)
―
そして終業式。
通知表を受け取り、校長の退屈な話を聞いたあと、生徒たちは一斉に解放感に包まれた。
ゴウキは机に突っ伏しながら、隣のジンキに声をかける。
「よっしゃ! 明日から夏休みだな! なぁ、ジンキ!」
「あぁ。久しぶりに実家に帰れる。父さんや母さんに顔見せねぇとな」
二人の瞳は、いつもの喧嘩の時とは違う輝きを放っていた。
殴り合いでも暴力でもなく――普通の少年らしい期待。
コウスケはそんな二人を見て、ふっと笑った。
(……やっぱりこういう顔してるときが、一番“普通の高校生”だよな)
香田は窓の外の夏空を見つめ、静かに呟いた。
「……夏は、何か起きるもんだ」
潮多工業の夏休みは、まだ幕を開けたばかりだった。
ここまでお読みくださり感謝です!
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をポチッとお願いします。励みになります!




