第10話 夜風に溶ける声
タコ公園は、しんと静まり返っていた。
地面にはガリバーが崩れ落ちたまま、わずかに唸り声を漏らしている。周囲を固めていた二年生たちは顔を真っ青にしていた。
ゴウキが肩を回しながら口を開く。
「よし……あとは九人だな。さっさとやるか」
その言葉に二年生たちは一斉に身を竦ませた。
「じょ、冗談じゃねぇ!」
「バケモンだろあいつら!」
「こんなん相手にできるかッ!」
蜘蛛の子を散らすように、夜の路地へと逃げていった。
靴音が闇に溶けていき、やがて残ったのは――倒れたガリバーと、三人だけ。
ジンキは首を鳴らしながら、つまらなそうに辺りを見渡した。
「……ふぅ。で、女の子はどこにもいないのか」
その肩がわずかに落ちる。
「おいおい、この状況でそれかよ」
ゴウキは苦笑しながらも、ジンキのらしさに笑った。
「……ッ! すっげぇ……すっげぇよお前ら!!」
コウスケが飛び跳ねるように興奮していた。
目をキラキラさせ、拳をぶんぶん振り回しながら叫ぶ。
「一年で! あのガリバーをッ! しかもタイマンで倒すなんてッ! こんな漫画みてぇなことあるかよッ!」
ゴウキとジンキは顔を見合わせ、同時にため息をついた。
「……なんか、うるせぇのが一人混じってんな」
「……だな」
―
その夜。
ゴウキは自宅アパートの狭い一室で、布団に寝転がりながらスマホを耳に当てていた。
画面には「父ちゃん」の文字。
「おぉ、ゴウキか。どうだ、学校は」
受話口から聞こえる声は、大きくて豪快。トラックのエンジン音を背負ったような勢いがあった。
「ん? まぁ……悪くねぇな」
ゴウキは頭をかきながら、少し笑う。
「それよりさ、ジンキと同じだったんだよ」
「おぉ! ジンキもか! あいつも結局、拳ひとつで他県で生きてみてぇって思ったんだな!」
父は嬉しそうに豪快に笑った。
「いや、ちょっと違……」と言いかけたが、まぁいいかと飲み込む。
そのとき、電話の向こうで別の声がした。
「ちょっと! ちゃんとご飯食べてるの? カップ麺ばっか食べてんじゃないでしょうね!」
「あ、母ちゃん……」
ゴウキの声がふっと緩む。
母の声は久しぶりだった。
わずかな叱り声も、今は心地よい。
「食べてるよ、母ちゃん」
「ほんとに? 栄養バランス考えて食べなさいよ。体だけは資本なんだから」
受話器越しに聞こえる何気ない会話が、じんわりと胸に染みていく。
小さいころから聞いてきた、家庭の匂い。
ゴウキは布団に沈み込みながら、目を細めた。
「……なんか安心するな」
思わず漏れた言葉は、誰に向けたものでもなかった。
―
一方、同じ頃。
ジンキもまた、自室の暗がりでスマホを耳に当てていた。
画面には「父」の文字。
「……そうか、ゴウキと一緒か」
父の声は低く、落ち着いていた。
かつて世界のリングで戦った男の声は、今もどこか背筋を伸ばさせる響きを持っている。
「うん……」ジンキは少し照れくさそうに答える。
「……まぁ、あいつとなら大丈夫だろう」
電話の向こうで、父はしばらく黙った。
そして唐突に問いを投げた。
「……彼女はできたか?」
「ぶっ……! な、なに言ってんだよ父さん!」
ジンキは慌てて声を上げる。
「し、知ってたの!? 俺が……そういうの求めてるって!」
受話器越しに、父が低く笑った。
「フッ……バレバレだ」
「ぐっ……!」
顔を赤くするジンキ。
そこへ背後から別の声が響いた。
「アンタねぇ、母さんみたいな人を捕まえなさいよ。私以上の人はそうそういないんだから」
「ちょっ……母さんまで!」
ジンキは枕に顔を埋め、思わず笑ってしまった。
父と母、二人の声が重なる。
久しぶりに聞く家族のやりとり。
それだけで心が温かくなった。
「……ははっ」
笑いながら、ジンキは天井を見上げる。
「なんか、安心するな……」
―
こうして、二人はそれぞれの部屋で、別々に電話を切った。
しかし胸に抱いた感情は同じだった。
――久しぶりに聞いた両親の声は、どこか安心させてくれた。
――この場所でも、やっていける。
窓の外には春の夜風が吹き抜けていた。
街灯の光に照らされ、二人の部屋に同じように影を落とす。
豪鬼と迅鬼。
二人はまた一歩、同じ道を歩き出していた。
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