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その九

噂好きの女将の話によると、若旦那は確かに気落ちしている様子を見せるのだそうだが、どういうわけか最近頻繁に若い娘が若旦那に面会に来ているという。

時には母か侍女と思しき老いた女を連れ立ち、日によっては泊まることもある。

事情が事情なだけに、誰も口に出して聞けずにはいたが、周りではみんなこれが後添えになるものと思っているようだった。


この娘というのが濃紫が言っていた女だろうと二人は確信を持った。

二日とあけずに母子は相模屋に来るというので、その日は暮れるまで張り込んでみたが、ついぞその娘は現れなかった。


時折、女将に「あれが若旦那だ」と教えてもらった、小洒落た身なりの、だがきりりとした面構えの男が通りに出てはにこにことして客や人足を見送っている。

大店の若旦那でありながら近所の人間が度々親しげに男に話しかけ、男も楽しげに話していた。

どこぞの子供達が近くで戯れるのを目を細めて眺め、子供たちの飛ばした鞠がぶつかって落ちた椿の花びらを拾いあげると、その蕾を労わる様になでていた。



二人はそれを眺めながら何かを話すこともなかったが、どうやら考えていることは同じだったようで、視線を合わせるとどちらともなくうなずいて、岐路につくことにした。

「清次郎殿、花魁に教えるか?」

喜市は襟元にまいた布に口元をうずめ口にしつつも、何かが頭の中で引っかかっているようで、もう群青になった空をじっと見ていた。

高いところでもう星がちかちかと光りはじめ、傍らを乾いた藁が風に流されてかさかさと転げてくる。

清次郎も先ほどから、むう、と眉間にしわを寄せたまま考え込む一方だ。

「あれが若旦那であれば、何だかとてもそんな事をしそうな方には見えないんだがなあ」

と言う喜市の言葉にかぶせ

「ああ、全くもって同感なのだ。はたしてただ外面が良いだけなのだろうか。あの女将さんも若旦那にはこれと言って悪評もないと申していたしな」

と言うとまたもや、むう、と黙り込んでしまった。


結論は出ないままであったが、まだ原因の娘を見る事がかなわなかったこともあったので、今日のところは花魁には教えないでおくことにしよう、と決めた。


その夜、約束通りの時間にどこからともなく濃紫はどこからともなく現れた。

しかし、昼間のようにしれっと喜市が

「明日に必ず全て分かる手筈である」


と伝えると、がっかりした様子ではあったが

「わかりんした」

と承知してくれた。

清次郎殿は嘘が下手だから、と請け負ってくれた喜市に感謝しながら、清次郎は濃紫に向き直り、すまなかったと深々謝るとどこで摘んだのやら、花が三つほど咲いた蝋梅の小枝を袖から出し濃紫の隣りにかざすように差し出し、見比べるように交互に目をやると、ふっと笑みをこぼした。


「綺麗だと思ったのだが、流石に花魁にはかなわぬな。しかし、よい香りだぞ。」

ついと目の前に差し出された小枝に、濃紫は驚いたような顔をしたが、すぐに弱弱しく口許を緩ませ、白い手を蝋梅に伸ばした。

しかしその手を蝋梅はするりと擦り抜けてしまう。


悲しげにほほ笑む濃紫に、清次郎はしまった、と蝋梅をつかむ手をぐっと握ったが、しかし濃紫は再び蝋梅の花弁に触れるように両の手を近づけ、守るように包むとしっとりと囁いた。


「もしわっちの墓がわかりんしたら、いつかその蝋梅、手向けてくれぬじゃろか。」

余りに寂しそうなその微笑みは、さながら凍った空に張り付く月のようだった。

清次郎は蝋梅を傍らに在った猪口に挿し濃紫の前に置くと

「承知した。約束しよう。」

と、うなづいた。

あまりに真摯な光を宿すその目に濃紫が何を感じたのかは知れなかったが、微笑みに温もりを戻したようにみせるとそのまましばらく蝋梅を見つめ

「また明日参る」

と夜の闇に溶け込むように消えた。

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