公爵令嬢イリュージュ・ハンダリは婚約破棄物語のモデルである
これで終わりです。
男爵令嬢ドリーム・ヒロイーンは平民上がりであった。元は養護施設で育っていたが、慰問で訪れた男爵夫婦が気に入って引き取った。気に入った理由は容姿である。余りに美しい容姿に「こんな娘が欲しかった!」と引き取ったのだ。
そんな男爵家は身分の割には裕福で、既に後継者は成人・結婚し、次期男爵夫妻として執務経験を積んでいる。ドリームを引き取ったのは、悪く言えば道楽だった。
さて。
ドリームは折角のチャンスを無駄にする気は無かった。幸い頭は悪くなく、貴族令嬢として重ねた努力は実りつつあった。しかしドリームが引き取られたのは、貴族院入学まで僅かで、どうしても教育が全て間に合った訳では無かった。
その為、そのまだ拙いマナーや、抜け切らない、或いは隠し切れない平民故の感性が見るからに残っていた。それは「事情を慮れる良識有る貴族だから、眉を顰めない」程度のもので、一部の良識や常識の無い貴族には蔑まれ、別の一部の好奇心旺盛な貴族には興味を齎す姿であった。ーー勿論、その類まれない美貌が一番の注目の理由であったが。
「君が『棘ギフト』か。」
「美しいが棘がある花」と言えば薔薇だ。そんな薔薇を人に贈る際は、棘を処理しなければならない。棘を処理しないまま、人に贈るのはとんでもない無作法なのだ。それに習って揶揄する言葉だった。
「棘を処理しない薔薇のギフト」を略して「棘薔薇ギフト」。それから意地悪く美しさを示す薔薇を無くした「棘ギフト」。それは美しさと平民上がり故の未熟なマナーで(嫌な)注目されたドリームへの嫌味な呼び名だった。
それを好奇心と無神経で本人にハッキリと使ったのが時の王太子マッゾキャストだ。しかもそれだけではない。
「おお! その嫌悪の表情、新鮮で面白い!!」
聞こえる様に言われ続けた陰口だ、意味も分かっているし、当然、腹が立つ。そしてそうした感情を押し殺し、優雅に微笑む事を咄嗟に出すにはまだまだ淑女教育の時間が足りていない。
「ほら、もっと見せよ。」
ニイ、と笑って顔を覗き込んでくる。明らかに淑女と紳士の距離ではない。マッゾキャストからすれば、ドリームは毛色の珍しい犬猫の様なものだったのだろう。
「ちょ、お止め下さいっ!」
腰に手を伸ばし、自らに寄せるマッゾキャストにドリームは顔色を変える。
(王太子王太子王太子……、コイツは王太子! 何かあったら首が飛ぶ!! 物理的に!!!)
そう自身に言い聞かせて、自分を抑えるドリームだったが、感情は爆発寸前であった。
「まあ! あちらは殿下と……、棘ギフトですわ。あんなに殿方に密着して……。嫌ね、身分を弁える以前の問題ですわ、はしたない。」
「殿下には公爵家の婚約者がいらっしゃる事、ご存知ないのかしら。」
ーーぶちぃっ!!!!
故に極めつけに耳に入った令嬢達の陰口に、堪忍袋の緒はキレた。いとも簡単に。彼女は大きく息を吸った。
「いい加減にしやがれっ!!!」
……話は変わるが、施設育ちのドリームは逞しい。男子程ではないが、貴族からすれば力仕事になる様な事も当然の事として行っていた。そして何だかんだで親の居ない子供は後ろ盾もなく、迂闊な事をすると一般的な平民より危険な事になる。特に性別が女性となれば尚更の事。よって彼女の居た施設では護身を教えていた。更に施設長が元衛兵であった事から素養が有ると見込めば、かなり本格的なものともなった。
そしてーー、ドリームは素養がある側だった。
一陣の風を感じる間も無く、悪口令嬢達は、衝撃を食らって後ろにすっ転んでいた。
「「へぎょっ!!!???」」
所詮は貴族も人間だ。そんな格言が浮かぶ様を見せた令嬢達はすっ転んだまま、起き上がって来ない。気絶しているからだ。
そんな令嬢達の元へズンズンとドレスを捲し上げて歩いて来たドリームは、令嬢達を物理的に黙らせた人型の物体を掴み上げた。
「おらあっ!!! こんのクソ王子ィィィッ!!!!!!!!」
令嬢達の上へ乗っかった人型の物体ことマッゾキャストは胸倉を捕まれ、その頬を張られる。それも平手ではなく拳で、しかも1発や2発処ではない。最早、打ち首待ったなしだと思われるが、キレてるドリームは眼中に無い。
「テメェが暇なのは知ったこっちゃあねぇが、私に付き纏って巻き込むんじゃねぇっ!!! こちとらややこしい事に首突っ込む気はねえんだ!!! 泥棒猫なんて以ての外!!! 大迷惑だっつーの!!!!!!」
そしてここは人通りが少ない場所なんかではない。普通に多くの学生達が存在している。そしてその全てが突然始まった暴行事件に右往左往している。殆どの坊っちゃん・嬢ちゃんは暴力に対しては、冷静な判断が取れないのだ。そこにドリームの怒りが飛び火した。
「序に今、見学してる暇人共!! てめえ等の目は節穴かっ!!? 慣れない人のマナーに口出しておいて、下品な陰口は止めませんってかっ!!! 下品な陰口で人馬鹿にする為なら捻じ曲げる事実の観察を怠りませんってかっ!!!! こんなクソ王子いるかっ!!! テメェ等、受け取れやっ!!!
」
ぶん殴った王子をまた更にぶん投げようとしたドリームだったが、その腕を捕まれた。
「止めなさい。ここで逆らうなら君を庇えない。」
キレて反逆と言われても仕方ないドリームを止めたのは怪我で騎士を引退した体育教師。彼を連れて来たのは……、
「申し訳有りませんわ、ヒロイーン嬢。」
マッゾキャストの婚約者である、イリュージュ・ハンダリ公爵令嬢であった……。
それから月日は経ち。
ーーイリュージョ・ファンタジ公爵令嬢、貴様との婚約を破棄する!
ーー貴様はこの可憐なドリム・ヒロイン男爵令嬢に醜悪な嫌がらせをした!! その性根、救い難い!!!
ーー殿下、一体何のお話ですか? 私には身に覚えが、
ーーしらばっくれる気かっ!?
ーーいえ、ですから、
ーーお願いです!! イリュージョ様!! 罪を認めて下さいっ!! 私は謝って頂きたいだけなんですっ!!!
ーーおお、ドリム、何と慈悲深い……っ!!
差し出されたページを見て、ドリームは叫んでいた。
「何よコレぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!!!!!!????」
「何と申されましても。先程言った通り、今、民達の間で流行っていると言う娯楽小説ですよ。」
涼やかにお茶を呑む、身なりに似つかわしくない気品を放つ女性に、叫んだ女性は目をひん剥く。
「そんな事聞いてんじゃないわよっ!!! これ、私らの事じゃんっ!!!」
「調べて見た処、作者は最近デビューした方だそうよ、家政の合間に書き上げたとかで。……私達と同年代の方ですわ。」
「あらあら、落ち着いて」と言わんばかりでおっとりと説明する。
「さっさと不敬で取り締まりなさいよっ!!! 王妃様!!!」
その様子に苛立った女性は捲し立てるが、涼やかな女性ーー王妃と呼ばれた側ーーの態度は変わらない。
「あら、嫌だ。そんな私情で動ける訳ないでしょう? これだから平民上がりの方は……。ああ、失礼したわ、平民上がりだからと言って、『泥棒猫』になる訳ではありませんものね。」
それどころかニッコリと微笑む。
「ちょっと誰が『泥棒猫』よ!! 後、王妃様の癖に『泥棒猫』なんて下品な言葉使って良いと思ってんの!!?」
「あらあら、確かこの言葉は貴方から教えてくれたのではなくって? 確かーー、『泥棒猫はゴメンだわ』? いえ、『泥棒猫みたいな事しないわよ』でしたっけ?」
「言い方なんていちいち覚えてないわよっ!!! それに教えたなんて事してないわっ!!!」
「あらあら、お顔が真っ赤だわ。頭に血が上り過ぎると健康に良くないわ。もう若くないのだから気を付けないと。」
「誰がそうさせてると思ってんのよっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
立て続けに怒鳴り続け、最後の一押しとばかりの大声を出したせいか、大きく息を吐き、ゼイゼイとソファに座り込む。それを見つめる王妃イリュージュは、「これで『お茶よ』と茶葉をそのままカップに詰めて出して来た仕返しにはなったわね」とか、何処かの嫁姑戦争みたいな事を思っていた。尚、直ぐ様メイドがちゃんとした茶を入れてくれたが。
「はあ……、それで? 態々こんな不敬物持って来て何がしたい訳?」
「読んで下さいな。」
「は?」
「読んで下さいな。貴方の速読ならそんなに時間は掛からないでしょう?」
「…………………………………。」
読んでいるとは思えないスピードでページを捲くる。そして……。
「何このじれじれ恋愛!!!??? 蕁麻疹出るわよ!!!」
「民達に流行ってるこの小説、今は貴族内に出回りだしたわ……、トリプルの卒業式が原因で。」
「さては愚痴りに来たな、アンタ。」
トリプルの内心なんぞ知らん。だが王妃が八つ当たりしに来たのは分かった。当事者の1人である王妃の愚痴を、同じく当事者の1人である糞国王はまともには聞かないだろう。そして最後の当時者足る彼女は何も知らない……、なんて事は許せなかった訳だ。
「仕方ないわねー、、」
仲は決して良くはないが、付き合いは長く、情も有る。
byマッゾキャスト
ーー素晴らしい!! あんなに私を興奮させるとは……! 新しい扉を開いた気分だ!!!! 君は本当に面白いよ。そのキレのある拳をもっと私に!!!!
byドリーム
ーー私に触るなああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!
byイリュージュ(ドン引き)
ーーまあ殿下。女性への見る目がお有りですわね。処で何時も素敵な贈り物や丁寧なエスコート……、お気遣い頂き誠に有り難く思いますが、申し訳無くも思いますわ。婚約を解消致しましょう。是非ともヒロイーン嬢とお幸せに。父や国王様の説得は私が。
(意訳/うわあ、関わりたくなーい! 100年の恋も冷めるわ。)
byドリーム
ーー不良債権を押し付けるな婚約者の癖にっ!!!!
byマッゾキャスト
ーーははは!!! イリュージュが冗談を言う様になるなんて! ドリームは影響力が凄いよね!! ははは!!! あ、ドリーム、王妃になれるのはイリュージュだけなんだ。そして私に新しい価値観を教えてくれるのは君だけだ。ああ!! 私は幸せ者だ!! 愛する女性2人に出逢えるなんて!!! しかも君達は仲が良い!!!
決して逃げられぬ者同士として。彼女は王妃の愚痴に付き合うのであった……。
お読み頂きありがとうございます。大感謝です!
前回での評価、ブグマ、イイネ、大変嬉しく思います。重ね重ねありがとうございます。
☆
イリュージュ・ハンダリ。後の王妃。トリプルのお母さん。卒業式に参加していた彼女世代の臣は全員、トリプルが題材にした物語の正体に気付きました(笑)。
イリュージョ・ファンタジの変形。響きは似せました。
☆
ドリーム・ヒロイーン
ドリム・ヒロインの変形。まんま(笑)。
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マッドキャスト王太子
トリプルのお父さん。マゾの英語を耳で聞いたら、こう聞こえました。




