第二十話:そして彼は手に入れた/失った
目が覚めたとき、俺は宙吊りになっていた。
真っ暗だ。
手足にごちゃごちゃ物が当たる。凹凸、円筒、ボタン、トリガー。手に触れているものはグリップだ。
体をシートに固定するベルトが俺を吊り上げている。
俺は機躰の中にいた。
『誰か、聞こえるか?』
グリップの根元にある無線機のスイッチを入れ、声を吹き込んだ。
返事はすぐに来た。
『隼人! 大丈夫か?』
アンジェリカだ。
安堵と不安を織り混ぜた声音に、心配が逆流する。
俺は、大丈夫じゃない状態だったのか?
『俺の方は大丈夫だ。お前は?』
『問題ないぞ! 他の、強制停止した機躰も一号丸が回収してる。みんな無事だ。あたしたちも、もうすぐ二号丸に着くからな!』
『それはよかった』
何かあったらしい。
ごうごうと“ステラ”が噴かすジェットの唸りが、装甲に響く。
アンジェリカは他の相手と通信を始めたらしい。無線機は沈黙した。
何も見通せない暗いバイザー。
接続したままのはずのヘルメットには何も映らない。
この向こうにある何かを感じることはできなかった。
両手を離し、ヘルメットを脱ぐ。
接続が断たれる衝撃は一切なかった。暗闇に閉ざされた狭い精密機械があるだけだ。
機躰はもう動かない。
脱け殻だ。
ここに怪獣はもういない。
自分の手を見下ろす。
グローブを剥がして、生身を露にした。
肌に覆われた、手のひらと五指。
握って、開いた。
感触が直に神経に刺さる違和感はある。
だが、これが本来の姿なのだろう。
どうやら俺は、自分の体を動かせるようだ。
世界が割れる轟音がした、あのとき。
GZ型が今にも熱線を吐くその瞬間、人類の執念とGZ型の質量が氷床を割った。
轟音は、氷の陸が動く音。
転覆する氷山に足を滑らせ、GZ型が悲鳴のように熱線を吐いた。
白い刃が迸り、海を切り裂いて空に伸びる。
光の柱はすぐに消えた。緑の雲は起きなかった。
咽喉と背骨や全身の熱を操作する熱伝導器官が、ひび割れた金網をこするような音色をあげる。GZ型はもしかしたら声帯を持たないのかもしれない。
GZ型は自ら凍りついていた。
熱線という莫大な排熱のあとの、膨大な熱の吸収――冷却。
それに海水が耐えきれず、瞬く間に凍りついたのだ。
その枝がGZ型の全身へと及んでいく。いくらもがいても振り払っても、氷の出元は自分自身だ。
氷の浮力でバランスを崩し、GZ型はもはや自力で海から出られない。
GZ型の全身を覆う氷は、その体温に融解し、それ以上の速さで凍結する。
肩を覆い、腹を包み、足に巻きつく。
流氷に浮かぶGZ型は、やがて、動くことをやめた。
ゆっくりと体を丸めていく。
凍結と融解を繰り返した透明な氷が、繭のように、卵のように、GZ型を包んでいく。
動きを止めた氷の揺りかごは、静かに沈み始めた。
音もなく、波を立たせることすらなく、まるで海が最初からこのためにあったかのように。
GZ型は沈んで消えた。
やがて海流に乗って、より深い海溝へと流れていくだろう。
冬眠するように。
命の熱を守るように。
これが、本来の姿なのだろう。
――GZ型はどこから来たのか。
分からない。
だが、どこにも行っていないことは確かだ。GZ型の恒温が地球のサイクルに含まれているのだから。
地球上でGZ型の熱量反応を探せない場所は二つある。
溶岩と、深海だ。
GZ型の質量が火山から這い出したら、噴火を誘発しないはずがない。
GZ型は遥か昔から、そして今までもずっと、海にいた。怪我と出血が、海流に乗って世界中で怪獣を勃発させたのだ。
何がGZ型を目覚めさせたのかは分からない。
案外、どこかの深海調査船が不用意に切り裂いたのかもしれない。まるで映画のゴジラのように。
なんであれ、GZ型は目覚めた。
南極基地に来たのは、ここが技術発展の最前線だと気づいたのかもしれない。他ならぬ仔らの犠牲によって。
だが、それももう海の底だ。
『終わったんだな』
アンジェリカがつぶやいた。
それに振り返ろうとして、
――ぎょろり、と。
眼球を裏からわしづかみにされて、無理やり動かされる。
周囲を見回し、機躰がぽとぽと落ちていく光景『を気にも留めず、海の上にいる自分』を確かめた。そして『首が』『動かせないことに気づく』。
死ぬ、と思った。
身体の中の腕を動かして、頭の中の頭がかぶるヘルメットを外そうともがく。
胃袋を随意に動かそうとするかのようだった。指先とは別の指先が頭とは違うバイザーに触れて、引き剥がす
その前に、
背部装甲が弾け飛んだ。
まるで脱皮をするように。
ずるりと杭ごと腕を引き抜き、頭を出して、腰を捻って足を蹴った。装甲がバラバラに吹き飛んでいく。
首に刺さった電極に気づきすらせず、落ちる鉄塊を踏み台に、跳躍。コードが弾け飛
――脳みそがひっくり返されピザみたいに延べ棒で伸ばされシャリを握るみたいに軽やかに叩いて突き戻された。
空っぽの頭蓋骨にぶちこまれた粘体の重さに耐えきれず、目ん玉が吹き飛んで跳ね返り、鼻と耳と口とあらゆる頭髪の毛穴から、体液が噴水みたいに溢れて死んだ。
――だが、まあ。
どうやら俺は、死んだわけではないようだった。
目玉は眼窩に収まっていて、顔が濡れていることもなく、“ステラ”に運ばれてここにいる。
あのとき何が起こったのかは分からない。おそらく永遠に分からないままだろう。
しかし、確かに『何か』が起きた。
あの場にいた機躰――その中核を為す怪獣たちが、GZ型の凍結と同時に、突発的に『活性化』した。
機躰というシステムは、怪獣の活動レベル上昇を検知し、枯殺剤を自動投与。結果、怪獣を死に至らせた。機躰が停止した原因はそれだ。
だが、例外が二つあった。
復活の瀬戸際にいた俺の雪虫は、自動投薬された枯殺剤が『気付け薬』となって、完全に甦生した。
生きた怪獣と接続し、怪獣の側から接続をぶち切られた例は他にない。俺が本当に無事なのか、誰にも分からないだろう。
もうひとつだけ例外があった。
『見えてきたぞ……って、隼人からは見えないか。もうすぐだからな!』
アンジェリカ。
彼女の機躰だけが、GZ型の影響下にあって変化を見せなかった。
その理由が“ステラ”に、彼女の意思にあるかどうかなんて、分かりっこない。その可能性は限りなく低い。
だが、そうであればいい、と。
そう思う。
がたん、と衝撃が全身を襲った。腰部以下の中身がぐちゃぐちゃにされたから、緩衝装置が一切働いてない。
マスター権限による外部操作でコックピットハッチが開く。
薄く切り裂かれた光を見上げ、不意に不安が込み上げてきた。
俺は、覚えているつもりだ。
自分の名前が『隼人』だということも、苗字を失う“傷痕”であることも。
厚木の練兵施設で拓也とつるんだこと、そうと知らずアンジェリカと試合をしたこと、自由で不自由な南極基地で過ごした日々も。
「隼人!」
澪との、思い出も。
下半身を失った機躰は空を仰いでいる。
ハッチの形に切り取られた青空の傍らから、細い影が覗き込んでいた。
黒目がちの瞳を泣きそうに潤ませ、こぼれる言葉をこらえるように唇を引き結んでいる。鼻梁が寒さで赤くなり、小さな肩から伸びる腕をハッチの縁に乗せて、俺を見つめていた。
彼女を見ると、自然に口の両端が持ち上がる。
細い頬に髪がかかっている。分厚いファーコートを着ているが、それでも少し寒そうだ。
今にも泣き出しそうな顔を拭ってやりたい。
実際そのつもりで腕を伸ばして、体を縛るベルトに阻まれた。
代わりに、掲げた手を両手で捕まえられる。
グローブ越しにも伝わる熱に、深い安堵が胸を満たす。
「『きみ』が『澪』か」
澪の顔が少し変わった。
分かる。眉や口を動かした、『表情』というやつだ。
嬉しかった。
『澪を見ても思い出せないのではないか』、と。そればかりが怖かった。
「隼人……? どうしたの?」
強張った声。怖がらせてしまったようだ。
苦い気持ちを、口の端に乗せる。眉がぎこちなく寄ったせいで、目許が強張った。
「少し、ショック症状が残ったみたいだ。大丈夫、『機躰に乗る前後以外は、だいたい全部覚えてる』から」
新たな“傷痕”。
人間というものを、綺麗にくりぬいたように丸ごと忘れた。
エピソード記憶は残っている。『いつ』『誰と』『何を』したのかは分かる。
だが、澪を初めとして、拓也やアンジェリカの、『人間の顔も容姿も思い出せない』。
けど、『大丈夫』だ。
どう感じていたかは覚えている。相手が誰か、見れば『分かる』。
ただ、『機躰と自分が別個体だと思わせる記憶』は、『ことごとく』ひび割れていた。
「……具体的には、今の俺には、機躰に『乗ろうとする』記憶がない。いつの間にか接続していて、帰投したあとはいつの間にか基地にいる」
接続する『知識』はある。
だが『それをした記憶』がない。
お陰で、このベルトの外し方すら分からない。バックルを押せば外れるはずなんだけど。
澪の手が震えた。
「じゃあ……それじゃあ、さ……」
まるで蛇の眠る壺に手を入れるかのように、怖々と。
「接続してない間に、『機躰のなかで交わした会話』は、覚えて、る……?」
それは、『なんだか妙な質問』だった。
『狭苦しい機械の密集』を見回し、『肩をすくめて』澪に笑う。
「『話をするには、向かない場所だと思うけどな』」
ふっ、と。
澪の手から力が抜けた。
「……澪?」
ぐったりとうつむいて、澪は返事をする気配がなかった。澪の手を握り返しても反応がない。
まるでショック症状に襲われたかのように、生気が失われている。
「澪? 大丈夫か、澪!」
「ねぇ、隼人」
澪は顔をあげた。
まるで別人を演じるような、他人のような優しい微笑。
「隼人はさ。親しい人が死にそうなところを助けたとき、嘘をつく?」
困惑した。『質問の意味が分からない』。
ただ、それが重要な問いだということは分かった。
戸惑いながら、正直に言う。
「嘘なんて、つけるわけないだろ、そんなときに」
分かっていた、というように澪はうなずく。
目を伏せて、それから、小首を傾げた。
「お帰り、『隼人』」
これまでのやり取りが急になくなったような、距離のある態度。
だが、考えてみれば『澪はいつもそうだったかもしれない』。
笑って、応える。
「『ただいま』、澪」
『俺』の返事に、澪は泣き出しそうな笑顔を見せた。
――うん?
――泣き出しそうな笑顔って、それは妙な表現だな。
――社会性にも毀損があるのかもしれない。気を付けたほうが良さそうだ。
――『澪』に『だけ』は、『嫌われたくない』。
第一章完結です。
アマチュア強権を発動、盛大に露骨に強引にパロディ。
SF的なリアリティレベルを低く設定していましたため、確実に科学的に正しいと言えない事象に関しても断定的な表現を使ったことをここに注釈いたします。




