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桟橋に――そして船上都市ビグシープに鳴り響いたのは大きな鐘の音だった。けたたましく何度も打ち鳴らされる警鐘の音を聞き、桟橋で作業していた水夫たちが仕事を投げ出して大型平面船へと上がっていく。
この鐘の音は都市全体へ何かを知らせている――だが、それが何なのかは判らない。
桟橋を見渡すと、上に登る水夫とは別に交易船に駆け込む商人たちの姿も見えた。そういえば、ウルヴァンを案内してきたはずのシエラの姿もすでに見えない。
ウルヴァンからはビグシープとは別の場所に行くように言われたが、どうやらそれは俺だけの話ではないようだ。
鳴り止まない警鐘の音に急かされるように、交易船が次々に出航して行く。そして、全十二隻の大型平面船の合間を縫うように停泊していた小・中型船舶が、蜘蛛の子を散らすように大海へ進み出した。
『海の子たる我らがビグシープの民よ聞け! 南から巨大な災厄が迫っている、討伐船団でも足止めしかできないだろう。大船長らは北西から北東の三方向へ舵をとれ! 子らは親に離れることなくついていけ!』
警鐘の音が止まり、続いて聞こえてきたのはビグシープ全体に響き渡るウルヴァンの声だった。魔道具で拡声し、複数の場所から音声を流しているのだろう。
『大海が世界中を繋げるように、我らの魂もこの海で繋がっている! どこへ行こうとも、我らは同じビグシープの民! さぁ錨を上げろ、船出の時だ!』
ウルヴァンの声に呼応するように、大型平面船の船首付近から釣り下がっている巨大な鎖が動き始めた。
錨を引き上げているのだろう――つまり、あの警鐘の音が知らせているのは、船上都市ビグシープを解体し、それぞれが一隻の巨大船舶として航海に出るということだ。
ビグシープの南から迫る迷宮竜に対し、北へ進路をとって逃げるのは正しい選択だと思う。
フィルトニア諸島連合国はその名の通り、複数の島から成り立っている。一度北に進路をとり、迷宮竜の北上を躱しながら南下すれば、他の港へ辿り着くことも難しくはないはずだ。
船着場と繋がる十二番船の錨が海上に上がり、間も無くこの巨大船も動き出すことだろう。桟橋の波は激しくうねり出し、住人たちの喧騒がより大きくなって行く。
この選択が最善のはずだ……迷宮竜を討伐するには、この大海を覆い尽くすほどの大船団が必要になるだろう。
ビグシープまで一日かからない距離にまで迫っている。そんな大船団を集める時間はどこにもない。
できることはただ一つ、逃げることだけだ。
俺も船を出そう。
このまま桟橋にUボートを停泊したままでは、他の船の出航を邪魔してしまう。
司令塔の上からUボートのリモートコントロールモードを意識し、水上航行で離岸させていく。
十二番船の船着場に入港していた討伐船団の戦闘船も動き出した。
ウルヴァンは大型船や小型船が逃げる時間を作るため、数隻の戦闘船を率いてビグシープを出航する。その船出は、二度と戻れないものかもしれない。
相手がドラゴンの力を取り込んで暴走する迷宮だと知っても、臆することなく身を盾にする行為には敬意すら感じる。
Uボートをゆっくりと船着場から出し、進路を東にとってビグシープから離れて行く。
しばらくはここで様子見だ。
やがて、ビグシープを構成していた大船団はウルヴァンの言葉通り三つに分かれ始めた。
北西と北東に進む船団よりも、まっすぐに北上する船団が一番大きいようだ。
その様子を見ながら、携帯電話を取り出してバーグマン宰相へと繋ぐ。
『――儂じゃ』
「シュバルツです」
『シュバルツか、何か進展があったか?』
「進展と言っていいのか判りませんが、ビグシープが先ほど都市から船団に姿を変えました」
『退避を選んだか、恐れを知らぬウルヴァンとは思えぬ英断だな……話せたのか』
「えぇ、都市の商人の伝手で会うことができました」
『そうか……それで、錨を上げた船団をどう動くのじゃ』
「その件で連絡をしました。大船団は北西から北東の三方向に分かれて退避していますが、一番大きな船団が真っ直ぐ北上しています」
『なるほど、海洋騎士団をアマールの南に展開させよう。それで、お主はどうするつもりじゃ?』
「もう少し、迷宮竜の動きを監視するつもりです」
『そうか……前に言っていた準備とやらは進んでいるのか?』
「ほぼ完了しています……が、万全を期すために無属性魔石がもっと必要です。ビグシープで調達するつもりでしたが、この事態でそれも出来ませんでした」
『わかった。それはこちらでなんとかしよう』
「お願いします」
迷宮島が迷宮竜へと変貌を遂げたとき――いや、北界のエルケイネスが降り立っときから、あの強大な力を倒すための方法は限られていた。
移動を開始した迷宮竜を追跡しながら、残された手段の方法と実現性を考え、Uボートの中で下準備を進めて来た。
下地はすでに完了している。あとは十分なCPとベストなタイミング、それと――俺の整理が済めば、迷宮竜を仕留めるための準備が全て完了する。
この異世界に落とされてから現実化して来たことすべてが真実ならば、この先に行うこともまた、現実となるはず。
そうでなければ、迷宮竜を止める手段は何も残っていない。
バーグマン宰相との通話を終え、一先ずは動向を静観するためビグシープが存在していた海域に残った。
大船団が北の海に姿を消した数時間後――司令塔に両肘を掛け、討伐船団が向かった方角をじっと見続けていると、水平線の彼方が赤く焼けた。
始まったか――。
迷宮竜と討伐船団が激突し、巨大な炎翼が空を焼いているのだろう。
今頃、討伐船団は炎と氷の暴雨に曝され、命をかけて僅かばかりの時間を稼いでいる。
自分でも驚くほどに冷静に――冷酷に赤く染まった空を眺めていた。これは判りきっていたことだ。
VMBのシステムと同化し続け、この世界にとってチートとしか思えない力を手にいれたとは言え、世界の救世主でも英雄でもない。俺はどこまでいっても迷宮の主でしかない。
俺はこの力で、俺が守りたい場所と人を守る。
しかし――ウルヴァンには悪いがここはその場所ではない。
『ママ、怖い』
気づけば、ユミルが発令所から器用に梯子を登って司令塔に顔を出していた。
「怖いって……殺気でも滲み出てたか?」
梯子の穴からユミルを持ち上げ、Uボートの甲板に降ろした。
「キュ〜!」
Uボートの船内は狭い、まともに動き回ることも出来なかっただろう。ユミルは司令塔を飛び出して甲板上を駆け回り、尻尾の先端から氷槍を海に撃ち出しては噴き上がる水柱に喉を鳴らして遊び出した。
その姿を少しだけ眺め、再び視線を水平線の彼方に戻すと、天高く立ち上がる黒い影が見えた。
迷宮竜の頭だ――進む勢いが弱まっていないところを見ると、討伐船団は早々に潰されたか……。
そうなると――次の問題は迷宮竜の行き先だ。
北上する大船団を追うのか、それとも南下してフィルトニア諸島連合国の本島へ向かうのか。
行く先を見極める大きなポイントはその二つだったが、このまま北上を続けるなら、迷宮竜の目標はあくまでもビグシープの大船団か、その先にある――オルランド大陸、それも海洋都市アマールということになる。




