番外編 (麗しの父)
佐藤 良規。
彼には溺愛する娘がいる。
幼い頃は泣き虫の甘えたがりで、抱きしめてあげると花が咲いたように満面に笑う子だった。
妻を早くに亡くし、娘だけは何があっても守り抜こうと決めていた。
いつからか笑わなくなり、塞ぎ込むようになってしまった。
やはり母親がおらず寂しいのだろう。
間抜けにもそう考えており、友人の勧めもあって環境を変える手段として家庭教師を付ける事にした。
少しずつ、けれど確実に表情が戻っていく様子に安堵する。
きっとまた、あの笑顔が見られるだろうと。
彼女の安寧が自分の幸せなのだ。
「取り巻き排除した方がいいですよ」
ふらりと現れて唐突に告げられた一言。
娘の家庭教師である彼は、外見こそ良いが風変わりな大学生だった。
「どういう意味だい?」
「そのままですよ。いい加減目障りなんで」
何の話か全く解らず眉を顰めれば、彼の瞳からスッと色が消えた。
「楓を傷付けてるのはアンタか」
吐き捨てられた言葉に固まった。
そんな自分に彼はこれまで娘が受けてきた仕打ちを事細かに教えてくれた。
容姿が似ていないのは血の繋がりが無い為。
お前がいるから幸せになれない。
妻の不義によって生まれた。
そう、あらゆる言動で罵倒され続けてきたと。
しかもそれは、自分の周囲にいる者達が行ってきたのだと。
最初は何かの間違いではないかと否定をしたが、その度に冷たくなっていく眼差しに嘘はないと知る。
思えば、娘が落ち込んだ日は必ず誰かがいた。
怯えたように部屋へ駆け込んだ時は、友人が娘に挨拶して直ぐだった。
閉じこもる時は必ず来客中ではなかっただろうか。
裏付けるように蘇る記憶にぞっとした。
今まで、娘を害して来た連中を傍に置いていた事実に。
己の愚かさに青ざめる。
「俺、愚鈍は嫌いです」
感情を一切排除した冷淡な声。
この日、この瞬間に竜崎 琉夜から最後通告を突き付けられた。
害なす連中を片付けても湧いて出て来る。
うんざりしながら、これまでの事を娘に謝罪する方法を一心に考えて数年。
娘は竜崎に傾倒していき、気付けば会話のない親子になっていた。
どうすればいいか悩んでいる内、逞しく育った娘は進路でさえ事後報告で相談もなかった。
不甲斐ない。
その一言に尽きる。
いつかまた笑い掛けてもらいたい。
笑顔を見る為の方法を考え、自分の職業がデザイナーである事を思い出した。
何か作って贈り物をしよう。
しかし、簡単に受け取って貰えないだろう。
ならば妻の物をリメイクして衣服を作ろう。
いつか娘が大人になった時に役立てばと遺しておいた物なのだから。
どんなものを作ろうかとそればかりで頭が一杯で、完全に不注意だった。
小さな悲鳴でハッとした時には、水溜りに尻餅を付いた女の子が制服を台無しにしていた。
「すまない。怪我はないかい?」
「は、はい、大丈夫です」
手を貸し立ち上がった彼女は目尻を下げて汚れた制服を見つめている。
どうしたものかと思案し、制服が娘と同じ物と気付いた。
悲しげな表情に娘の姿が重なって見えて、家に招き着替えを提供することにした。
「少し待っていて」
言い残し着替えを探しに行くが、そこで年頃の女の子に着せる物ってなんだと考えた。
自分のものはサイズが違う。
娘のは・・・部屋に入る事すら叶わない。
結果、妻のものなら大丈夫だろうと適当な服を貸し出した。
「あの、起きて下さい」
リビングのソファーで着替えを待つ間、徹夜続きがたたって眠ってしまったらしい。
揺り動かされ目を開けると真っ先に白のワンピースが視界に飛び込んできた。
妻によくこうして起こされていた。
それを真似た娘も小さな体で起こしに来てくれていた。
遠い昔。
妻なのか、娘なのか、混濁する意識で定かではないけれど、夢であっても嬉しかった。
幸せな瞬間が戻ってきたのだと。
確かめたくて手を伸ばし頬に触れた。
次の瞬間、大きな物音で完全に目が覚めた。
その先に真っ青な顔で硬直している娘の姿があった。
「カエデ」
何事かと名前を呼ぶと一気に瞳が潤んで泣きそうに歪んだ。
え?
と思う間に踵を返し行ってしまった。
事態が飲み込めずいると、体に掛かる不自然な重みと温もりに意識が向いた。
半身乗り掛かってる見知らぬ女と、その女の頬を撫でている自分。
驚愕と混乱で手を引き身を起こす。
「ご、ごめんなさい、重かったですか?」
頬を染め不可解な発言をする女は無視することにした。
記憶を遡り女が先ほど転ばしてしまった女子高生だと認識する。
制服しか記憶になかった為に直ぐには一致しなかった。
それから、寝惚けてしでかした己の行動を思い出した。
目撃した娘の様子も。
「カエデ!!」
慌てて家を飛び出した。
走り回りあらゆる場所を捜したけれど見付からない。
もしかしたらと帰宅するが娘の気配は無く、リビングの机に差出人不明の置き手紙だけがあった。
お礼と後日服を返しに来るとの内容だったが、どうでもよくて捨て置いた。
携帯に電話すれば残された鞄の中から応答。
どこをどう捜せばいいのか解らない。
自分は娘のことを何一つ知らない。
事実に打ちのめされて、震える手で竜崎に連絡をした。
娘のことは何があってもコイツだけには頼りたくなかった。
なのに、彼しかいない。
それは更に追い討ちをかけてくる。
娘が見付かったとの連絡を受け竜崎宅へ訪れた。
「帰れ」
「カエデは無事なのかい?!」
「心以外はな」
あまり向けられる事のない冷たい眼差し。
いつもなら怯んで逃げてしまうが、今回ばかりは引き下がれない。
「会わせてくれ」
「ははっ。救い難いな、アンタ」
「話がしたいんだ」
「今は無理だろ。ボロッボロだからなぁ」
さも嬉しい事のように話す竜崎。
言葉通り娘は酷く傷付いて泣いているに違いない。
出て行く時の泣き顔が脳裏に蘇る。
そんな顔をさせたかったのではないのだ。
ただ誰より幸せになって欲しかっただけ。
幸せにしてあげたかっただけなのに。
「どうか、頼むから・・・」
「楓次第だからなぁ。まあ、近況報告はしますよ。義務だから」
アンタに一切の興味が無いと語る態度に今度こそめげてしまった。
結局その日は娘を一目見ることすら叶わなかった。
週が明けても帰って来ない。
流石に耐えきれず竜崎に連絡するが、娘の意志を尊重し当面は預かると言われた。
納得出来ない。
そもそも、独り身の男と大切な娘が寝食を共にするなど許せる筈がない。
『連絡させるから、御自分で説得したら如何ですか?』
娘から絶対的な信頼を寄せられているこの男が憎らしい。
しかし、彼がいなければ話す事すら出来ないだろう。
役に立たないプライドを捨て、彼からの提案をのんだ。
約束通りに娘から電話があった。
待ち望んだ愛おしい声。
何とか誤解を解こうとしたけれど、その事は聞きたくないと拒絶されてしまう。
為す術が無い。
このままでは娘を失ってしまう。
『お願いがあります』
「何だい?何でも言ってごらん!」
『暫く竜崎先生の所でお世話になるので、学校側の了承を得るのに協力してもらえませんか?』
これ以上の衝撃があるだろうか。
娘は今、竜崎の為に口も利きたくないだろう父親に頭を下げているのだ。
それ程までに彼は必要とされているのか。
自分ではなく、彼が。
「・・・帰って来てくれるのかい?」
情けなく震えた声を出してしまった。
電話の向こうで息を飲む気配がして、短い沈黙が続く。
『もう少ししたら帰りますから』
だから時間が欲しいと思いが伝わってくる。
これ以上は娘を追い詰めてしまう。
だから願いを聞き入れるほか無かった。
時間は大分かかったけれど娘は帰って来てくれた。
暫くの間、メールも電話も出てくれない時期があって落ち込みもしたが・・・
妬ましい相手から娘の様子を報らされるよりは、傍にいてくれるだけで充分だった。
深まる溝と取り戻せない信頼を痛いくらい目の当たりにさせられたけれど、竜崎に全てを奪われるよりずっとマシだ。
「卒業したら家を出ます」
そう聞かされた時、言葉を尽くして娘を引き止めた。
己の愚かさや軽率さを必死で謝罪した。
やり直すチャンスを欲しいと懇願した。
「ごめんなさい。もう決めた事です」
痛みを耐えるように顔を歪め発せられた言葉が突き刺さる。
今更全てが遅すぎた。
これまで同様、娘は独りで何もかもを決めてしまった。
一切の弁明を許されず、自分は最愛の彼女に捨てられてしまったのだ。
それ程までに娘を傷付け続けた己を憎まずにいられない。
未練がましく卒業式に出向いたけれど、娘の晴れ姿を祝ってやれない事に吐き気がする。
だって、この日が最後だ。
この日が終われば娘は家を出て行ってしまう。
手放しで喜んで送り出すなど出来ない。
捨てないでくれと縋り付けば娘を引き止められるだろうか?
そんな事を考えていると何やら周囲が慌ただしくなっていた。
「良規さん!来てくれたんですか!」
何故か自分の名前が呼ばれて振り向くが、覚えのない女子高生が美形の男達を引き連れて近付いて来る。
先程の騒めきは彼等によるものだろう。
それだけ異質に目立つ存在だった。
「嬉しいです!」
やたら距離を詰めて来たと思えば腕に抱き付かれる。
なんだ、この破廉恥女子高生は。
腕を引き後ろへ下がるが、相手は首を傾げただけで親しげに話し掛けるのを止めない。
意味が分からない。
誰だ、この女は。
どうして自分の名前を知っているのか。
知人か同僚の身内ではと記憶を辿り、そういえば1年位前からちょろちょろしていた小娘がいたと行き当った。
顔を思い出せない為、同一人物かは定かでないが。
そうだとしてもコレは無い。
卒業生らしいが、ならば娘と同級生。
非常識で不愉快な振る舞いに辟易して視線を逸らすと思いがけず娘と目が合った。
彼女もこの騒ぎを見ていたんだろうか。
理由はどうあれ、話し掛けるチャンスだと足を進めると同時に娘は身を翻し行ってしまった。
未練の欠片もなく正門を目指す後姿から目が離せない。
最愛で自慢の娘。
門を出たら二度と振り向いてはもらえない。
激しい焦燥に突き動かされ走り追い掛けるが、視線の先で何処からか現れた白衣姿の男に足が止まる。
娘と短い会話をして送り出した後、ゆっくりこちらに向かって来た男は竜崎だった。
「ははっ、懲りないなぁ、アンタ」
今の彼は至極上機嫌だと判る。
「泣いて縋り付いても無駄だと思うぞ」
「・・・君には感謝している」
妬ましく憎らしいが、娘が立派に育ったのは彼の存在があったからこそだ。
「ははっ、はははっ!俺に礼?アンタ、救いようがないな」
一頻り笑い、気が済んだ頃に竜崎は再び喋り出した。
「知ってるか?楓は父親がそれはもう、大好きなんだ。周りに罵詈雑言を浴びせられても恨む事すらしない。憎む代わりに自分の価値を下げる位に好きで好きで仕方が無い」
初めて聞かされる胸の内に愕然とする。
「だから、アンタがヘマしてくれて助かった」
愉しげな竜崎を前に、あの日の泣きそうな楓が蘇る。
「連絡取れない時期があっただろう」
「まさか」
「楓はずっと待ってたからなー、大好きなパパが迎えに来るの」
だから着信拒否にしてやったと笑う。
「会えなかったのは楓が嫌がったからじゃないのか・・・?」
「はははっ」
「君に渡していた手紙は?」
せめてもと何度も書いては竜崎に託していた楓への手紙。
一度も返事は無く、それでもそれしか出来る事が無かったから書き続けていたのだ。
「燃やした」
あっさり返った言葉に思考が怒りで染まった。
胸倉を掴み首を締め上げる。
「カエデはっ、カエデは何も知らないのか!」
「知らないなー。連絡寄越してた事も、何度も迎えに来た事も、手紙を書いてた事も。アンタがどれだけ必死だったか、楓は何1つ知らない」
またも笑い出す竜崎が不愉快で絞める力を強めた。
「父親に捨てられた」
「ふざけるな。君が仕向けた事だろう!」
「アンタが愚鈍で助かった。俺に頼らず学校にでも乗り込んで逢いに行けば良かったのになぁ」
そうすれば手遅れにならずに済んだ。
楓が切望している間に自力で強行突破すれば、こんな結果にはならなかったのだと竜崎は笑う。
狂気を滲ませた瞳に今度ばかりは怯まなかった。
「娘は取り返す」
「ははっ。出来るものなら御自由に」
自分はこの男によって排除されたのだ。
異常なまでの執着に娘は囚われている。
ならば、自分が娘を救い出さなければならない。
どれだけ時間が掛かっても。
最愛の娘の為なら如何なる苦労も厭わない。
彼女の安寧だけが望みで存在理由なのだから。