開戦
「皆の者」
幸村が笑った。
「客人じゃ」
上田領境。
街道の向こうには、三つの旗を掲げた軍勢が並んでいた。その数、およそ二千五百。王命を受け、上田へとやって来た討伐軍である。
対する真田軍は五百。
五倍の兵力差を前に、六文銭の旗が風に揺れていた。
「随分と大勢の客人でございますな!」
清海が金棒を肩に担ぐ。
「兄者、宴の飯は足りますかな?」
伊三が敵軍を見ながら尋ねると、幸村が笑った。
「飯はないが、矢と槍をたらふく馳走して進ぜよう!」
「おお! それならば足りましょうぞ!」
清海が豪快に笑う。
「兄者、食えぬではないか」
「伊三!」
鎌之助が呆れた顔で二人を見る。
「やはりお主らは木偶の坊じゃ」
「なんじゃと!」
「某らのどこが木偶の坊じゃ!」
「全部じゃ!」
「全部!?」
「静かにせい」
六郎の一言で三人が黙った。
幸村は笑ったまま、敵軍を見ていた。
◇ ◇ ◇
「敵はどれほどだ?」
王国軍では、馬上の貴族が真田の陣を眺めていた。
「五百ほどかと」
「五百?」
隣の貴族が笑った。
「こちらは二千五百だぞ。五倍ではないか」
「農民まで混じっているぞ」
長い槍を持つ上田の民兵を見て、もう一人の貴族が鼻を鳴らす。
「農民に槍を持たせたところで兵にはならん。正面から押し潰せばよい」
すぐに命令が飛んだ。
「盾兵! 前へ!」
王国兵が動き始める。
左手に盾、右手に槍。盾を並べ、その隙間から槍を突き出した兵たちが足並みを揃えて進んでくる。
ザッ、ザッ、ザッ。
まるで一枚の壁が迫ってくるようだった。
その後ろには弓兵と騎兵。
さらに、杖を手にした者たちの姿があった。
◇ ◇ ◇
「……あれか」
幸村が目を細める。
「ああ。魔術師だ」
いつの間にか佐助が横に立っていた。
領都を取った後、佐助は街にいた魔道具職人から、この世界の戦について聞き出していた。
兵がどのような武器を使い、どのように戦うのか。そして、魔法が戦場でどのように使われるのか。
「話の通りじゃな」
「ああ。だからこっちも、話の通りに準備した」
その言葉を待っていたかのように、王国軍から魔術師たちが前へ出た。
「魔術師!」
貴族が剣を上げる。
「放て!」
杖が一斉に掲げられ、先端に光が集まっていく。
上田兵たちが息を呑む。
やがて光は炎となった。
「撃てぇ!!」
幾つもの炎が空を走る。
幸村の軍扇が前へ振られた。
ドドン! ドン!!
陣太鼓が戦場に鳴り響く。
「盾ぇぇぇ!!」
小助の号令で、上田兵が一斉に盾を掲げた。
次の瞬間、炎が降り注いだ。
ドォォォン!!
爆炎と土煙が上がり、熱風が戦場を駆け抜ける。
「直撃だ!」
「終わったぞ!」
王国兵から歓声が上がった。
「農民が魔法を防げるものか!」
貴族も笑う。
だが、煙の中で何かが動いた。
やがて土煙が流れ、その向こうから盾が現れる。
焼け、焦げてはいる。
それでも、上田兵は立っていた。
盾の表面には淡い光が残っている。
「な……」
王国の魔術師が目を見開いた。
「防いだ……?」
◇ ◇ ◇
「熱っ!」
上田兵の一人が顔をしかめる。
「盾を離すな!」
小助が叫んだ。
完全に防げたわけではない。盾は焼け、腕は痺れ、爆風で倒れた者もいる。
それでも戦列は崩れていなかった。
「効いたな」
佐助が笑う。
「対魔の結界と申したか」
「ああ。何発も食らえば保たねえ。強え魔法なら、あれでも抜かれるそうだ」
領都の魔道具職人から佐助が聞き出した、魔法から身を守るための術。
それを上田の職人たちが盾に施していた。
幸村が頷く。
「十分じゃ」
防げると分かっていれば、兵は立っていられる。
◇ ◇ ◇
「何をしている! もう一度だ!」
王国軍の貴族が怒鳴った。
「撃て!」
魔術師たちが再び杖を掲げ、光を集め始める。
その時。
戦場から少し離れた小高い場所に、一人の男が腹這いになっていた。
筧十蔵。
その手には種子島。
「……なるほど」
十蔵は魔術師たちを見つめた。
幸村から与えられた命は一つ。
『お主は好きに動け』
ならば、好きに動く。
十蔵が種子島を構え、杖を掲げた魔術師へ狙いを定めた。
「そいつは少々、厄介じゃな」
火縄が落ちる。
ドォン!!
乾いた轟音が戦場を切り裂いた。
一人の魔術師が倒れ、手にしていた杖が地面を転がる。
「なっ!?」
「何だ!?」
「どこからだ!」
残った魔術師たちが慌てて周囲を見回す。
「魔法か!?」
「詠唱は!?」
「何も見えなかったぞ!」
集中が切れ、集まりかけていた光が消えていく。
十蔵は何も答えない。
種子島を下ろし、次の弾を込め始める。
「……次」
◇ ◇ ◇
「魔術師を守れ!」
王国軍から声が飛び、盾兵が魔術師たちの前へ移動する。
それを見て、幸村が僅かに笑った。
「十蔵め。好きに動けとは申したが」
「本当に好きにやっておりますな」
六郎が答える。
「よい。それでこそ十蔵じゃ」
だが、王国軍も止まらない。
「歩兵! 前へ!」
盾兵を先頭に、槍兵がその後ろを進む。魔術師を守りながら、王国軍は再びゆっくりと距離を詰めてきた。
ザッ、ザッ、ザッ。
「来るぞ!」
小助が叫ぶ。
幸村が軍扇を前へ振った。
ドドン! ドン!!
「進めぇぇぇ!!」
「応!!」
小助の号令と同時に上田兵が一歩前へ出て、長槍を一斉に構えた。
その長さを見て、王国兵が僅かに足を止める。
「……長い」
「止まるな! 盾を上げろ!」
「所詮は農民だ!」
王国軍が再び進む。
小助は幸村を見た。
幸村は何も言わず、敵との間合いだけを見ている。
王国兵の顔が見えるほどに距離が縮まった。
盾が迫る。
槍が迫る。
そこで幸村の軍扇が前へ振られた。
ドドン! ドン!!
「進めぇぇぇ!!」
「応!!」
上田兵が踏み込み、長槍を一斉に突き出す。
ガガガガン!!
槍先が盾を叩き、王国兵の足が止まった。
「押せ!」
「止まるな!」
後ろから次々と兵が押してくる。
王国兵も槍を突き出すが、上田兵には届かない。
「槍を引け!」
小助の号令で長槍が戻る。
幸村の軍扇が、再び前へ。
ドドン! ドン!!
「進めぇ!!」
「応!!」
再び長槍が走り、王国軍の盾を叩く。
一人が倒れれば、後ろの兵がすぐに穴を埋める。
王国軍も前へ出る。
ドドン! ドン!!
「進めぇ!!」
「応!!」
槍が伸び、盾が鳴る。
再び太鼓。
ドドン! ドン!!
「進めぇ!!」
「応!!」
また槍が伸びる。
太鼓が鳴るたび、上田兵は一つになって動いた。
王国兵たちは、まだその音を恐れてはいなかった。
ただ、その音は確実に耳へ残っていった。
ドドン。
ドン。
真田の太鼓の音が。
◇ ◇ ◇
それでも王国軍は崩れない。
前の兵が倒れれば後ろの兵が出て、盾を並べ直し、槍を揃えて再び進んでくる。
魔法を防がれ、見知らぬ武器に魔術師を撃たれても、その歩みは止まらなかった。
真田軍、五百。
王国軍、二千五百。
正面から押し続ければ、数の差は確実に真田軍を削っていく。
幸村は迫る敵を見つめると、軍扇を自らの胸へ引いた。
ドン! ドン!
太鼓の音が変わった。
「下がれ! 槍を乱すな! 一歩じゃ!」
小助の号令で上田兵が一歩下がる。
ドン! ドン!
「下がれ!」
また一歩。
それを見た王国兵が声を上げた。
「下がったぞ!」
「押している!」
「奴らが下がっているぞ!」
歓声が広がる。
貴族が笑い、剣を前へ突き出した。
「やはり農民ではないか! 全軍前進!」
王国軍が前へ出る。
上田兵が下がれば、王国兵が追う。
一歩。
また一歩。
「進め!」
「押し潰せ!」
王国兵の足が次第に速くなる。
盾も槍も前へ。
勝っている。
そう思っていた。
◇ ◇ ◇
幸村は笑っていた。
王国兵は左手に盾、右手に槍。
正面からなら堅い。
だが、前を向いたままでは、その盾は右側から来る敵を防げない。右へ盾を向けるには、身体ごと向きを変えなければならない。
それも、隣の兵と肩を並べた密集の中で。
王国軍の右翼。
幸村から見れば左。
その先の木々の陰には、まだ一兵も動いていない軍勢がいた。
望月六郎。
そして、かつて日の本一の兵として幾つもの戦場を渡り歩いた歴戦の者たち。
望月隊。
六郎が幸村を見る。
「殿」
「うむ」
幸村は王国軍から目を離さない。
「よう食いつくのう」
王国軍がまた一歩前へ出た。
真田が退いていると信じて。
さらに一歩。
幸村が軍扇をゆっくりと上げる。
まだ、太鼓は鳴らない。
王国兵は知らない。
今日、何度も聞いたあの音を。
やがて夢の中でさえ、聞くことになるとは。




