噂のFランク
ギルドの酒場で、冒険者たちが噂していた。
「聞いたか? あのFランクの新人、もう5階層まで行ってるらしい」
「嘘だろ。Fランクで5階層って、普通は自殺行為だぞ」
「しかもソロだ。パーティなし」
「化け物かよ……」
カウンターで換金手続きをしていた蓮の耳に、その会話は筒抜けだった。エコーの耳飾りの効果で、ギルド中の会話が聞こえてしまう。便利だが、たまに聞きたくないことまで聞こえる。
「レンくん、有名人だね!」
クラフトが嬉しそうに言った。アナライザは淡々と補足する。
「正確には『異常な新人がいる』という警戒の噂です。好意的な評価ではありません」
「水を差すなぁ……」
リリアがカウンター越しに声をかけてきた。
「神崎さん。そろそろ昇級試験を受けませんか? 実績だけ見れば、Eランクを飛ばしてDランクへの飛び級も可能ですが」
「面倒だからまた今度——」
「ランクが上がれば探索制限が緩和されます」
アナライザに遮られた。
「合理的に考えて、昇級試験を受けるべきです。現在のFランクのままでは6階層以降の探索許可が得られません」
「……それもそうか」
蓮が渋々頷いたその時、ギルドの扉がバンと開いた。
「おい、Fランク」
赤毛の大男——ガルドが、腕を組んで立っていた。背後に「鉄の牙」の二人。
ギルドの空気が変わった。冒険者たちが興味深そうにこちらを見ている。
「5階層まで行ってるって話、本当か?」
「まあ、はい」
「じゃあ証明してみろ」
ガルドが一歩前に出た。その目に敵意はない。むしろ——試すような、真剣な光があった。
「5階層のボス、『岩鬼将軍』。俺たちは昨日挑んで負けた。あの化け物をどっちが先に倒せるか——勝負だ」
酒場がざわめいた。「鉄の牙」は5階層のボス攻略に挑んだのか。しかも負けている。Dランクのパーティが苦戦するボスに、Fランクが挑む?
蓮は面倒くさそうに頭を掻いた。
「別にいいけど。俺が勝ったら、二度と絡んでくるなよ」
「上等だ」
クラフトが蓮の腕を揺さぶった。
「わー! 初めての対決だ! 燃えるね!」
アナライザが静かに呟いた。
「不必要な競争です。……ですが、ボスのデータは取得したいですね」
結局、全員が行く気だった。
* * *
5階層。ボスエリアの手前。
「鉄の牙」が先に突入した。蓮たちはガルドの了承のもと、少し離れた位置から戦闘を観察する。
岩鬼将軍は——でかかった。
体高五メートル。その名の通り、鬼の形をした巨大なモンスターが、岩でできた鎧を何重にもまとっている。手には蓮の身長ほどもある石の棍棒。一振りで地面が砕ける。
「アナライザ、観察データを取れるだけ取っておいて」
「了解。遠距離観測分析モードで稼働します」
「鉄の牙」は三人で連携を取って岩鬼将軍に挑んだ。ガルドが正面から斬りかかり、仲間二人が左右から攻撃する。チームワークは悪くない。
だが——剣が通らなかった。
ガルドの剣が岩鎧に激突するたび、金属的な衝撃音が響くだけ。傷一つつかない。
「硬すぎる……! チクショウ!」
岩鬼将軍が棍棒を振った。ガルドはかろうじて回避するが、衝撃波で吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。仲間の一人が庇い、もう一人が回復アイテムを使う。
十五分の攻防の後、「鉄の牙」は満身創痍で撤退してきた。ガルドの肩鎧が砕け、額から血が流れている。
「くそっ……あの鎧、ビクともしねえ。攻略法が見えない」
蓮はガルドの隣にしゃがみ込み、回復ポーションを差し出した。
「お前ら、いい動きしてたよ。連携も上手い。ただ——」
「ただ?」
「力で殴って壊すだけが攻略法じゃない」
蓮は立ち上がった。
「見ていてくれ」
* * *
ボスエリアに足を踏み入れる。岩鬼将軍が蓮を見下ろした。赤い目が一瞬、蓮の小ささを確認するように細まる。
蓮は動じなかった。
「アナライザ。岩鬼将軍のフル分析。鎧の地質組成、層構造、再生パターン、核の位置、弱点——全部出せ。バッチモードで」
「了解。バッチ分析モード——起動。フルスキャン実行中」
アナライザの瞳が輝き、数秒で結果が返ってきた。
「分析完了。岩鎧の組成は花崗岩ベース。硬度は最高クラスです。通常の打撃や斬撃では破壊不可能。ただし——関節部に石灰岩が使われています。石灰岩は酸に弱く、水溶性があります」
「関節が弱いのか」
「はい。肩、肘、膝、首の関節部が石灰岩です。ここを溶かせば、岩鎧は自重で崩壊します。そして核は左胸内部。鎧厚は十二センチ。鎧が崩壊すれば、核に直接到達可能です」
「よし。——クラフト」
「はいはい!」
「二つ作ってくれ。まず、酸性の液体弾を五発。石灰岩を溶かせる濃度で。形状は投げやすい球体。割れたら中身が飛び散る構造」
「アナライザ、石灰岩を溶かすのに必要な酸の種類と濃度は?」
「硫酸水素ナトリウム水溶液が有効です。濃度は——」
「了解了解、数字はアナライザから直接もらうね。——酸性弾、五発!」
クラフトの手から虹色の光が弾け、五つのガラス球が生み出された。中に透明な液体が揺れている。
「次。関節が溶けた後に核を一突きできる貫通槍。素材はクリスタルゴーレムの核。硬度を最優先で。長さは二メートル、先端の直径は五ミリ以下」
「結晶素材の槍ね! 最硬でいくよ!」
虹色の結晶槍が形を成した。4階層のゴーレム戦で使ったものより、さらに鋭く、美しい。
「準備完了。——アナライザ、関節部の位置をリアルタイム表示。ターゲットは右膝と左肩を優先」
「了解。ターゲットをマーキングしました。ボスの攻撃予測も並行出力します」
岩鬼将軍が動いた。棍棒を振り上げ、咆哮する。洞窟が震えた。
「来ます。正面から振り下ろし——三秒後」
蓮は横に跳んだ。棍棒が床を砕く。その衝撃を利用して、蓮は右膝の関節めがけて酸性弾を投げた。
ガラス球が砕け、酸が石灰岩に染み込む。
ジジジ、と嫌な音がした。関節の石灰岩が泡を立てて溶け始めている。
「効いてる! 二発目!」
左肩にも投擲。同様に溶解が始まる。
岩鬼将軍が片膝をついた。右脚の関節が溶けて、岩鎧を支えきれなくなったのだ。巨体がぐらりと傾く。
蓮は残りの酸性弾を両肘の関節に叩き込んだ。
パキパキパキ、と亀裂が走る音がした。岩鎧が——崩れた。
腕の鎧が脱落し、胴体の鎧にも亀裂が広がっていく。関節なしでは重い鎧を維持できない。設計上の弱点を突いたのだ。
左胸の一部が露出した。内側から赤い光が漏れている。
「核、見えた——!」
「核まで直線距離〇・五メートル、角度二十三度! 攻撃チャンス——今です!」
蓮は結晶槍を構え、全力で突いた。槍先が崩れかかった鎧の隙間を突き抜け、核に到達する。
ズン、という重い感触。
岩鬼将軍が絶叫した。全身の岩鎧が一斉に砕け散り、光の粒になって消えていく。
静寂が戻った。
足元にドロップアイテムが散らばっている。その中に——紫色に輝く大剣があった。
「エピック級装備です」
アナライザの声が静かに響いた。
「岩鬼将軍の大剣。レアリティ:エピック。攻撃力は現在の短剣の四倍以上——マスター、おめでとうございます」
「エピック……!」
「レンくん、見て見て! 紫色に光ってるよ! すごい! エピックだよ!」
クラフトが飛び跳ねている。蓮も興奮を抑えられなかった。エピック装備——しかもボス初討伐のご褒美だ。
さらに、もう一つ。小さな石が転がっていた。表面に「???」と浮かんでいる。
「未鑑定のスキル石です。鑑定しますか?」
「いや……今はまだいい。何か、大事な気がする」
蓮はスキル石をポケットにしまった。理由は説明できない。ただ、この石はまだ使うべきじゃないという直感があった。
* * *
ボスエリアの出口で、ガルドたちが待っていた。
ガルドは蓮を見た。殴られたような顔をしていた。
「……嘘だろ。あの化け物を、こうもあっさり」
「あっさりじゃないよ。情報があったからだ」
「情報?」
「お前たちが先に戦ってくれたおかげで、俺のパートナーがデータを取れた。お前たちの勝てなかった十五分が、俺の勝利の下地になった」
ガルドは一瞬黙り、それから乱暴に笑った。だがその目は笑っていなかった。悟り、のようなものがあった。
「力だけじゃ勝てない、か。……そりゃそうつだ。俺があの鈎に十五分斬り続けて傷一つつけられなかったのに、お前は一度も剣を振らずに勝った」
「……お前、何者なんだよ」
「ただのFランクだよ。——今日までは」
蓮はギルドカードを見せた。ガルドが目を見開く。
「昇級試験、受けることにした。どうせなら飛び級で」
* * *
ギルドに戻り、蓮は昇級試験を受けた。実績審査のみで合格。EランクどころかDランクへの飛び級が認められた。
リリアがギルドカードを差し替えながら、どこか嬉しそうに言った。
「Dランクおめでとうございます、神崎さん。これで6階層以降への探索も可能になります」
「ありがとう。世話になったな、Fランク時代」
「短いFランク時代でしたね……」
蓮がギルドを出た後、リリアは奥の部屋に向かった。
重い扉の向こうに、白髪の老人が座っていた。ギルドマスター。
「マスター。報告があります。Fランクの神崎蓮がDランクに昇級しました」
「ほう。例の"化け物Fランク"か」
「はい。それと……彼が使う"使い魔"ですが、通常の召喚獣とは明らかに異なります。分析型と生成型の二体。どちらも高度な知性を持ち、人語を話します」
ギルドマスターが目を細めた。
「"AI"——か。伝説にある"機械の精霊"かもしれんな」
「機械の精霊……ですか?」
「古い文献にある。ダンジョンが生まれた時代の遺物。人に仕え、世界を変える力を持つ精霊——だが同時に、世界を滅ぼしかけた存在でもある」
ギルドマスターは窓の外を見た。ダンジョンの黒い塔が、夜空を背景にそびえている。
「注意して見ておけ。あの少年と、あの精霊たちを」
リリアは静かに頭を下げた。
——蓮はまだ知らない。自分のそばにいるバディたちが、この世界の最も深い秘密と繋がっていることを。




