第8話 エリシア、貴族学園へ入学する
春の王立ルクセリア貴族学園は、祝祭のようなざわめきに包まれていた。
花壇のチューリップが風に揺れ、若葉の匂いがまだ少し青い。
私を乗せた馬車が、学園の門の前にゆっくりと止まり、御者が扉を開ける。
私は一人、静かに地面へと足を下ろした。
朝の空気はまだ少し冷たく、石畳の堅さが靴越しに伝わる。
石畳の並木道には、新入生達の色とりどりのドレスや制服が入り交じる。
新しい出会いに胸を弾ませる者。
久しぶりの再会に声をあげる者。
門の内側は、小さな社交界のような賑わいだ。
馬車が到着するたびに視線が集まる。
家格の高い者が降りれば、そのざわめきは一段と大きくなる。
私が降り立った時も、ざわめきはあった。
が、生徒たちは私に対して、一定の距離を置いている。
音も、色も、動きも。過剰なほどの賑わい。
私はその中を静かに見渡しながら、足を進める。
校舎近くには、すでに人だかりが出来ていた。
その中心に、レオン様の姿がある。
色鮮やかなリボンを揺らす令嬢達に囲まれ、レオン様は、楽しげに笑っている。
そして、レオン様の隣には親しげな女性がいる。
真っ赤な髪の一部を、きれいに編み込みで結わえ、殿下の髪の色と似た金色のリボンをつけている。
マルグリット様だ。
以前より背が伸び、笑い方も少し大人びている。
同性の私が見ても、ドキっとするような雰囲気がある。
そんなマルグリット様に、レオン様が笑顔を投げかけている。
レオン様の優しいまなざしと、片えくぼを見るのも久しぶりだ。
私に向けられたのは、確か半年前。
でもあれは、笑顔ではなく、苦笑だったかもしれない。
◇
「エリシア。君って何を考えているか分からないよね」
最近は、ほとんど交流のなかったレオン様だったが、王宮内でバッタリ遭遇したときに、突然言われた。
「嬉しいのか悲しいのか、感情が見えないよね」
レオン様が、私を見ながら笑っている。
「王太子妃教育では、考えや感情を顔に出してはならないと言われておりますので」
私は、微笑みながら言った。
「それはそうだけどさ。
それにしても、感情が見えなさすぎだよ」
「それは、見えなくしているからです」
「いいや。それって、見えないんじゃなくて、そもそも感情がないってことだろ?
マルグリット嬢が言ってたよ」
私は、レオン様の言葉に固まってしまった。
最近のレオン様が、マルグリット様と親しく交流をしているのは、噂に聞いていた。
しかし、まさか直球で、マルグリット様のことを言ってくるとは。
レオン様は、大したことを言っていないかのように続ける。
「マルグリット嬢は、エリシアを心配しているんだよ。
熱い思いがないのに、僕の理想についていくことが出来るのか?負担が大きくて大変そうって言っていたよ」
私の微笑みが冷たく固まっていることも知らずに、レオン様は一人で喋り続けている。
「僕が描く理想には、熱い思いが必要なんだよ。
エリシアは、僕の語ることに色々と言ってくるけど、それって、国民を思う熱い気持ちや感情がないからなんじゃないのか?」
「……」
私は微笑む以外の反応をすることが出来なかった。
「エリシアに感情があれば、僕の理想を否定しようなんて思わないはずだ」
レオン様はそう言うと、言いたいことだけ言って満足したように立ち去った。
私は、顔に微笑みを張り付けたまま、立ちすくんでしまった。
太陽のような笑顔を見せていた、私が知っているレオン様は、もういなくなってしまった。
数字と違って、人の心は計算できない。
……だとしても、この誤差は大きすぎる。
◇
「エリシア様。ごきげんよう」
思考が、ふと途切れた。
背後からかけられた声に、私はゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、見覚えのない数名の令嬢たち。
整えられた髪に、新品の制服。
緊張と期待が入り交じったような、いかにも入学したばかりの面もち。
ただ、その目は、どこか測るように、こちらを見ている。
『婚約者なのに、王太子の隣にいないのは何故?』という視線。
私は、王太子妃教育で学んだ微笑みをする。
「ごきげんよう」
完璧な角度で礼をする。
令嬢たちは、戸惑ったような表情をしながら、その場を立ち去って行った。
視線の端で、殿下が笑う。
距離が出来たことだけは確かな事実。
レオン様の隣に私がいないのは、見て明らかなとおり。
3年前は、レオン様は私を追いかけてきてくれた。
今は自分が追いかけなければ、交わらない。
そして、いまの私は、レオン様を追いかけようとは思わない。
「レオンハルト様、入学式の会場はこちらですわ」
マルグリット様が、自然にレオン様の袖をとる。
レオン様が、一瞬だけこちらを見た。目が合う。
ほんのわずかな逡巡。
けれど次の瞬間、レオン様は笑ってうなずき、そのまま歩き出す。
校舎の鐘が鳴る。
新しい生活の始まりを告げる音。
私は視線をあげた。
白い塔の上。朝の光を受けて、王家の旗が高く掲げられていた。
布は風を受けて大きくはためく。
その紋章は揺れながらも、決して形を崩さない。
変わらないもの。
そこにあるべきもの。
私は、ほんの一瞬だけ、それを見つめる。
レオン様が、私の言葉を少しでも聞き入れるという姿勢に、変わる可能性はあるのだろうか。
(私があなたに労力を費やす価値、あるのでしょうか?
――これからの3年間で判断いたしますわ)
私は一歩、前へ踏み出し、入学式の会場へと向かった。
ためらうことなく。
本日21時頃に第9話を更新予定です。




