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紅いドラム  作者: 國栖治雄
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 罵詈雑言

「あなた最低よ。男らしくないわ」

 開口一番そう言われて、オレは一瞬ボケッとした。

 その夜の最初のステージを、あまり調子よくやりすぎ、左手の中指がつったようになってしまって、イライラしていたところだったからうんざりしてしまった。

 その女は、舞台からカウンターへ降りてきたオレの前に不意に現れて、ちょっとキンキン響く高い声で、それだけ言うと振り返って出て行こうとした。

 オレは客や仲間の前でそんなことを言われたことに気がついて赤面した。急に腹が立った。

 オレはその女を戸口の手前でつかまえ、「痛いわよ」なんて叫ぶのを構わず、カウンターに連れ戻してきて座らせた。

「何か飲むか」

「もう飲んだわ」

「オレのおごりだ」

 女はしばらく考えて、ジンフィズを注文した。

「礼は言わない。あたりまえよ。ひとでなし」

 口調は相変わらず強かったが、膨れっ面にはまだ幼さが残っていた。

「君は何者だい。なんでオレが最低のひとでなしなのか、説明してもらおう」

 オレはどこかであったことがあるのかと、彼女の顔をまじまじと見つめた。

 ふんわりと先を撥ね上げたヘアースタイルの丸顔で、丸い大きな目が印象的な顔立ちの整った可愛い系の美人と言って良さそうな少女だった。

「穏やかじゃないね。何があったんだい」

 レイが大きな顔をニコニコさせながら口を出した。彼の肩の後ろからサラが覗いていた。

「この人、十九になったばかりの女の子を騙したのよ」

 彼女は、まっすぐに大人たちに宣言した。

 オレはため息をつく以外になかった。何が何だか、さっぱりわからない。きっとどっかが間違っている。

 マスターがオレの手の中にグラスを突っ込んでくれ、オレはそのウイスキーを一気に飲み込んでむせた。

 その間に、その女はレイの方を向いて恐山のイタコも恥ずかしくなるような厳かな調子で、下劣な悪魔に魅入られた哀れな少女のことを話し始めた。

「ちょっと待ってくれ」

 オレは少女の肩をつかんでこちらを向かせた。彼女は敵意を剥き出しにして、オレの手を叩くように振り払った。

「気安いのよ。触らないで」

「悪かった」

 とっさに謝ってしまって、オレは悔しさに唇をかんだ。いったい何の落ち度があって、オレはこんな目に遇わなくちゃちゃいけないんだ。

 オレはグラスを食べちまいかねない勢いであおったが、ウイスキーはもう残っていなかった。

「頼むからオレにも理解できるように話してくれないか。悪者はオレなんだろ」

「そうよ、あなたが犯人よ。心当たりがないっていうの」

 オレの脳細胞の中で、まさか涼子のことなのかと思い当たったが、とりあえず白を切ることに決めて、首を力強く横に振った。

「だから最低だって言うのよ。男らしくないわ。絶対許せない」

 オレはちょっとカッとなった。

「許せないって、誰が君なんかに許してもらわなくちゃならないんだ。バカ」

 正直なところ最後のバカだけは余分だった。これは親父からの後天的な遺伝だ。親父もオレもあまり悪意を込めないで、いや、ときには全く善意で、むしろ習慣的に、バカ、とやっちまうんだが、受け取るほうにとっちゃそうは聞こえない。

 案の定、その女は怒った。

「バカって言ったわね。バカはそっちよ」

 それで万事はめちゃくちゃになっちまった。


 レイが中に割って入り、サラとジムが少女を奥の空いたボックスへ引っ張っていき、カウンターには沈黙が来た。オレはマスターの冷やかすような意地悪い眼差しを相手に、もう二杯グラスを空けた。

 熱くなった頭が後頭部から徐々に冷えてきて、オレは胸の奥で熱っぽく涼子のことが甦ってくるのを感じていた。何が起こったのかわからないが、涼子に何か起こったに違いない。

 そう思い当たると、オレは落ち着いて酒なんか飲んでいられなくなった。

 待てよ、とオレは考えた。涼子の事だったら、立場良くなるか悪くなるかわからないにしろ、何が起きているのか聞いてみたい。


 ダブルのグラスを手にして、腰を浮かせながら、一瞬ためらったが、オレは腹を決めて、土下座してでも教えてもらおうと立ち上がった。

 今はっきり オレは涼子を愛していることを感じていた。

 誰にでも誰にでもいいからそのことを口に出して言ってやりたかった。


 その女はまゆみと名乗った。どんな字を書くのかは聞かなかった。それどころじゃないなかったからだ。

「涼子、涼子って気安く呼ばないでよ。あんたなんかにはもったいなくて悲しくなるわ」

 まゆみは本気でそう思っているらしかった。

 情けなくて悲しいのはオレの方だ。

「まゆみさん、ちょっと聞いてくれる」とサラが厳しい口調で言った。

 まゆみは、大人の女の落ち着いた言葉に、ちょっと緊張を感じたようだった。

 まゆみは真顔になってちょっとかしこまってサラを見た。さすがに貫禄が違うなぁ、とオレは変なところで感心した。

「涼子っていう人がどんな人かは知らないけれど、この人にもったいない女の人がいるとは思えないわ。それは、ちょっと子供っぽいし、おっちょこちょいかもしれないけど、本当にいい人なのよ」

 オレはサラを抱きしめてキスしてやりたくなった。レイの顔を見て、オレは思っただけで行動にはもちろん出なかった。

「そうかしら」とまゆみは自信なげにつぶやいて、オレを改めて見上げた。

 たった今まで漲らせていた敵意は、すっかり影をひそめていた。た。単純だけどかわいい女だとオレは恨みも忘れてそう思った。


 まゆみが怒り狂ったのは、聞いてみればくだらない誤解からだった。

 四日前、まゆみは涼子のアパートを訪ね、隠してある予備の鍵で中に入って待っていた。ところが涼子はその夜、帰ってこなかった。

 当たり前だ、オレのアパートで涼子は、オレの腕に頭を載せて眠っていたんだ。

 朝になって帰ってきた涼子は、高校時代から姉妹のように親しく付き合ってきたはずのまゆみに何一つ訳も話さず、いくら尋ねても何も答えなかった。

 まゆみは傷ついた。裏切られ、友情は踏みにじられた。

 それからの三日間、涼子はまるで気が狂ったみたいで、うつろで、無表情で、まゆみの入る隙はなかった。

 自分のこと以上に心配してあげているのに、そんな涼子の態度は不可解で、許しがたいと、まゆみは思った。

 今日の英米文学史の教室で、涼子は何かを探しているみたいで、落ち着かない。

 そのうち、誰かを見つけたようだったが、それから様子がますますおかしい。知らない素振りをしているが、その誰かがあの夜の犯人に違いない、とまゆみにはぴんときた。

「すると君は、オレの後を学校からずっと尾行してきたのか」

 まゆみはオレを見つめてこっくりした。勝ち気そうな大きな瞳が、オレにはかわいいと思えるようになっていた。

「男らしくないとか、最低だとかとオレを罵るために」

 オレはちょっと呆れて彼女の顔を見た。

「そりゃまたごくろうさんなことだ」

 レイはいまにも大声で笑い出しそうだった。

 まゆみはちょっと頬を赤らめて、みんなを見回した。

「あなたが何者なのか知りたかっただけよ。別にあんなこと言うつもりはなかったんだけど」

 まゆみはふふふと笑ってみせた。

「ちょっと酔っ払っちゃったかな」

 人騒がせな女だ。どうも他人がびっくりしたり、真剣になったり、深刻になったりするのを眺めて喜ぶタイプらしい。それに移り気だ。もう、まゆみの興味はどうやらジムの方へ移っているようだった。

 オレはまゆみに、涼子と会うにはどうしたらいいのか尋ねようとして 話の糸口を待ったが、彼女はジムの言うことに笑い転げていて取り付く島もなかった。

 そのうち、ステージからオットーの叩くスネアとハイハットの音が小さく聞こえてきて、レイとジムは条件反射的な素早さでステージに戻った。

 オレは一番後に立ち上がり、サラと一緒にみんなのグラスをカウンターへ運んだ。

 ジムがアルトサックスのリードを慣らしていた。まだ竹が硬くて、四分の一音くらい音程がずれている。

 気がつくと、まゆみは、サラを手伝って灰皿とコースターを両手に持ってオレの後ろに立っていた。

「いつ涼子に会える」とオレは聞いた。

「明日」とまゆみはいたずらっぽい瞳でオレに笑いかけた。「ここで。夜」

 オレは、学校ならどこで会えるかと聞きたかったが、その暇はなかった。

 おざなりの酔客たちの拍手が、オレたちを急き立てた。

 レイとジムがオットーの周りに集まって、最初のナンバーを相談していた。

 オレはなんとなくウキウキした気分で、ピアノに前に座って、レフトアローンのメロディーを思い出して弾き始めた。最初のフレーズが終わると、オットーのドラムがジムのアルトともにさりげなく入り込んできた。

 レイのベースはいつ入ってきたのかわからないくらい自然に寄り添ってきた。

 その夜、オレたちは結成以来、稀な乗り方をしていた。


 オレは日付と曜日に全く無関係に暮らしているせいか、いつの間に冬になったのか気づかなかった。

 ところが、その日が十二月の十日で、オットーのおふくろさんの誕生日だった。

 オットーから、毎年この日はお母さんのためのコンサートを、昼からやっつけるんだと聞いていたのに、すっかり忘れていた。

 忘れていたのはオレ一人じゃない。ジムだって忘れていた。朝一〇時にオレはレイにたたき起こされた。

「レイ、仕事はどうしたの」

「今日は休みだ」

 レイは馬鹿力でオレの布団を情け容赦なく引っ張っがし、ついでにオレを床に蹴り落とした。きっとボロアパート中に響いたことだろう。もっとも、オレを除く住民はみなまじめに出勤していて、どこからも文句は来なかった。

 オレがいくら寝坊だって、安らかに眠っていられるはずがない。オレは一番良い背広を着せられて、我ながらおぼつかない足取りで、ジムの、というよりジムの女のアパートへ行って、ネグリジェ姿の〝あいつ〟に丁重に断って、オレ以上に寝惚け眼のジムを引っ張り出してGOODMANSへ向かった。


 GOODMANSは様変わりしていた。

 まるで五〇年前に飾り立てたクリスマスツリーがそのまま残っているような、陰気な、それでいてけばけばしい飾り付けが始まっていた。オレはその後ずいぶんしてから、安キャバレーの開店前の風景を見たが、それに近い光景だった。

 何人かの会ったことのない男女が数人、店の中をうろうろしていた。

 サラがジーパン姿で天井へ金モールを貼り付けながら、「遅いわよ、顔洗ってらっしゃい」とオレたちに呼びかけた。つまり、ひと目でわかるほど、オレたちは起き抜けの寝惚け顔をしていたらしい。

 マスターは巨大なガラスの金魚鉢に、いかにも甘ったるそうなパンチを作っていた。

 オットーはといえば、まめまめしく、知らない人が見たら盲目だと気がつかないほどてきぱきと、ドラムをセットし、ポジションを決め、太鼓の皮の張りを微妙に調整するのに余念がなかった。

 オレとジムは、たった一本オレのポケットに残っていたハイライトを回して吸いながら、そんな様子を漫然と眺めていた。

「オットーの顔色が良くなったような気がするね」とオレが言うと、ジムはフィルターぎりぎりになったハイライトを、名残惜しそうに吸って、吐き出した煙が消えていくのを眺めてうなずいた。

「一時になったら始めるぞ」

 レイがサラの細い腰を両手で支えながら、オレたちに言った。


 十二時を過ぎると、オレたちはリハーサルを始めた。

 サラとオットーは正装に着替えるために地下へ降りていった。

 リズムセクションのない打ち合わせは簡単に終わった。GOODMANSは、オレが初めてここに顔を出した時のように新鮮だった。時間が経って、オレの頭の中が幾分すっきりしてきたせいかもしれないが、今日のGOODMANSにはいつものいい加減で投げやりな雰囲気がなく、いかにも真面目に音楽に取り組んでいる人間の熱意が満ち溢れていた。

 オットーが選んだ白い薔薇の花が配られ、オレたちの胸を飾った。

 マスターの姿が見えなくなったと思ったら、電光石火の如くに黒のタキシードに一番見てくれの良さそうな白い薔薇を付けて現れた。

「近頃は、薔薇なんてのは一年中あるんだってね」などとジムに話しかけた。

「よく似合うよ」とジムに声をかけられると、本当はそう言ってもらいたかったんだとばかりに、顔中をくしゃくしゃにして笑い、そそくさとカウンターに潜り込んでグラスを磨き始めた。

 ジムとレイが調弦を始め、オレは嫌になるまでAの音を叩き続けた。

 思い返してみると、オレたちは完全に音合わせをして演奏()ったことなんかないんじゃないかって気がしてきて、今日は特別な日なんだなと改めて考えたりした。ジムのアルトサックスはリードの竹を替えたばかりで、硬いためにどうしても b-flatより若干音程が上がり気味だ。とりあえずギターのチューニングを先にしておいて、何枚かのリードをゆっくり傷つけないように噛むという、なんとも原始的な作業を始めた。

 オットーがサラに手をとられて、地下の楽屋からさっそうと出現した。濃いグレーのスリーピースには、かすかな白いストライプが入っていて、小柄だけども細身のオットーにはよく似合った。

 サラのほうは純白のイブニングドレスに、一人だけ赤い薔薇を胸につけ、いかにも紅一点にふさわしい。

 みんな、いつになく硬い表情でステージに登った。

「緊張するなあ」とオレは自分を励ますようにつぶやいた。

「当たり前だよ」ジムはオレに小声で言った。

「今日はスポンサーの前で演奏()るんだぜ」

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