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「神様って、実は神様じゃないですよね?」
帰宅してから開口一番、神様が朝ドラの感想を言おうと口を開くのを無視してそう尋ねる。
神様は驚いたように少し眉を上に持ち上げ、それから至極楽しそうに笑った。
「何だ、もう気付いたか。案外莫迦に出来ぬな」
悪びれる様子もなければどうやら私は知らず知らずのうちにこの神様もどきに馬鹿にされていたらしい。最近少しづつではあるものの打ち解けてきていたと思っていただけにちょっとショックである、と同時に見損なった。きっと私は公園の鬼に言われなければ気付かなかっただろうし、この神様も私がこうして聞かなければ言い出すつもりすら無かったのだろう。つまり、この神様はずっと気付かないであろう私を馬鹿にして眺めていたのだ。それを笑って許せるほど私は心が広くない。
「いやなに、そんな顔をするな。少しばかり揶揄っただけのことであろう?そもそも儂は神などと名乗った覚えは無いぞ」
しかめっ面の私に対し神様はその優美な笑みを崩さずに斯様に宣うのである。
「は?何言ってんですか」
「儂は汝等人間が神と呼ぶ存在である、と言ったのだ。事実として祭り上げられることも珍しくは無かった」
「それが?」
「神であるとも、鬼ではないとも、儂は一言も言っておらぬであろう?」
確かに引っ掛けではあるが論理は成り立つ、が、したり顔で言ってのける神様に腹が立つ。そんな顔も大変美しくはあるのだが騙されていた立場としてはその美貌すらも苛立ちを増やす要因でしかない。
「それで納得すると思ってるんですか?」
「ぬ、駄目か?」
「あなたの目には私が相当単純で馬鹿に見えているんですね」
実際、相当単純で馬鹿だったのだけれども。しかし馬鹿にプライドが無いわけではないのだ。馬鹿にされれば当然気分は良くない。
とは言え、私が神様もどきにに出来る仕返しは高が知れている。一番効果的なのは追い出すことだとは思うのだが、同じ女という性別であっても彼女の方が背丈はあるし力も恐らく強いだろう。加えてまじないを使える神様もどきを追い出すのは難しいと思う。多分口先も相手の方が上手だろうから丸め込まれそうだし、そうでなくともこの神様もどきと大々的に口論を繰り広げようものなら見えていない両親に独り言の多いヤバい娘だと思われかねない。
でもそれであっさり引き下がってしまうのは正直かなり癪だ。
「もう怒りました、神様にはツナマヨ買って来ません」
神様もどきを少しでも悔しがらせたいと思いついたままに言ったがこれこそどうなのだろう。ツナマヨを食べなければ死んでしまうわけでもあるまいし、まだどうにかこうにかして追い出す方法を考えた方が建設的な気がする。そもそも神様もどきの姿を見えない人間が大半なのだから食べたければ私からの提供を待たなくとも簡単に万引きできてしまうだろうし。目の前の彼女が泥棒は犯罪であるなんて殊勝なことを考えるような性格や価値観でないことはこの一週間である程度理解している。それで?と言われてお終いだろう。
「むっ…それは、ちと困るな…」
だが予想に反して神様は少し動揺を見せた。てっきり意に介さず開き直るとばかり思っていたので少々意外である。
いや、そもそも神様には万引きをするという概念が無いのかもしれない。どうやら神様は食事はあまり必要無いようであるし、有れば食べる、無ければ無いで済んでしまうのだろう。こたつの上に蜜柑があれば食べるけど無くなったからといってわざわざこたつから出て取りに行くほどではないときの心理状態に近いものを感じる。それでも多少の執着を見せるくらいにはツナマヨが気に入っているようだ。
「致し方あるまい。ほれ、これで機嫌を直せ」
そう言うが早いか、返事を待たずに神様は畳んだ扇子の先端を私に突きつけた。そして空気の流れを無視したそよ風が頬を撫でる。この感覚は、アレだ。一週間前に神様を神様と誤認するのに貢献したまじないだ。
この一週間目当てのゲームアイテム瑠璃の杖が手に入っていないので本来ならば欣喜雀躍してガチャを回したいところであるが、どや顔で笑うこの神様もどきの前で、誤解のもとになったこのまじないで喜ぶのは大層癪である。
「なんでそれで機嫌が直ると思ったんですか?」
「むむっ…駄目か?」
不機嫌を前面に出して睨みつければ流石に焦った様子で神様がわたわたと意味の無い動きをしてみせる。美人に似つかわしくない動作ではあるが、これはこれでどことなく幼い神様の性格が滲み出ているようで不思議と違和感はない。
「ぬう、無欲というのも考えものだな。…ならば人の子よ、汝は何を望む?」
私の不機嫌の理由が分からなかったらしい神様がなおも不遜な態度を崩さずに尋ねてくる。意地みたいなものだし特に何かを望んでいるわけではないが、強いていうならば。
「謝って下さい」
私の発言が予想外だったのか神様はその綺麗な赤い目をぱちくりと瞬かせる。そして如何にも不可解そうに眉を寄せた。まあ、この神様もどきに理解してもらえるとは思わなかったが。
「謝罪か?そんなものが何になる?そんなものより儂の呪いのほうがよほど、」
「ツナマヨ」
「分かった分かった!儂が悪かった!これで良かろう?だからさっさと機嫌を直せ!」
慌てて謝る神様に溜息を吐き出した。物で釣らなければまともに謝ることすら知らないのか、コイツは。さっきどことなく幼いと思ったが、これではまるで子供そのものだ。外見は絶世の美女であるのに倫理観が中学生以下である。なんとも残念な美人だ。
「時に、人の子よ。汝は儂が神であると完璧に勘違いしておったのに何故鬼だと気づいたのだ?」
勘違いさせておいてよくもまあしゃあしゃあと。
「今日たまたま他の鬼の人に会ったんですよ。その人から聞いたんです」
鬼なのに人とはこれいかに。自分で言っていて頭の中がややこしくなりそうである。
「ほう」
神様もどきが扇子を広げ口元を隠す。隠れていない目元だけでも美人なのが分かるのは全体の造形美もさることながらパーツの一つ一つが完成された美しさを持っているが故なのだろう。
「…人の子、その者は何か言っていたか?」
「あなたのこと、不遜なやつだって言ってました」
「他には?」
「え?…んー、特に無かったかと」
「ならばよし」
あ、良いんだ。不遜な人格をしている自覚はあるのか。いや、そう言われてよしと言えるほどなのだから寧ろ自分の不遜な態度にプライドすら感じていそうである。正直どうかと思う。もっと謙虚に生きて良いんじゃなかろうか。
ゲームを起動しながら、そうえいばと口を開く。
「神様じゃないなら、あなたのことはなんて呼んだら良いんですか?」
ゲームを起動した目的はガチャを回すためだ。私は無課金主義ではあるが、今は少しばかり状況が違う。神様のまじないでリアルラックを底上げされているのにガチャを引かないなんてとんでもない。流石に黎明の剣が二本出るなんてことは無いだろうし、何より私が望んでいるので今度こそピックアップされている瑠璃の杖が出るに違いない。だから増えた通信料金については月末に大人しく親に怒られるとしよう。
「生憎と、汝に名乗る名を持ち合わせておらぬでな」
ガチャのことで頭がいっぱいになっていたので神様の予想外過ぎる返答に咄嗟に言葉が出てこなかった。え、何コイツ態度悪い。
返事に困って、へー、と適当に相槌を打ってからガチャを回す。仮にも一週間共に過ごしてきて名前すら教えるつもりが無いとか。何で?人に教えたくないような名前なのだろうか。え、それにしたって態度が悪い。もっと他にマイルドな言い方があっただろうに。神様が言ってやったみたいな顔をしているのも解せない。なんでそんな誇らしげにクソみたいなことを言ってのけるんだ、コイツは。
その数秒後、狙った通り瑠璃の杖が画面に映し出されたことによりそんな諸々が頭から吹き飛んだ。