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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
104/110

30

 木立の刀が空を切る。風の音と共に空振りに終わった刀を素早く返し、もう一振り、する前に。


「ぐ、がっ!」


 腹に衝撃を受け一瞬の浮遊感。その後不様に体が地面を跳ねる感覚が数回続いた。痛みに悶える暇も無く木立は素早く跳ね起きて体勢を立て直し、敵の鬼、瑠璃を視界に収める。

 直後に木立の側頭部に鈍い衝撃が襲った。脳が揺れ、視界が傾きながら歪んでいく。

 地に伏した木立の頭を踏みつけようと瑠璃が片足を上げた瞬間。


「はああっ!」


 水鞠ががら空きになっている瑠璃の背後から切りかかった。一切迷いの無い斬撃は瑠璃の背中を肩から袈裟切りにする。人間であれば動くこともままならなくなる、放置すれば死に至るような重傷。瑠璃はその傷を瞬き一つの間に修復するとこの傷を付けた人間、水鞠を視界に入れた。

 標的が自分に移ったことを感じた水鞠は構えを直す時間も惜しみ踏み込んだ足を軸に瑠璃の首を狙って切っ先を、


 ばき、と何かがへし折れるような音がした。


 水鞠が振り抜いたつもりの刀は瑠璃に届くこと無く水鞠の手からすり抜け地面に落ちる。何が起きたのか分からず呆然としたのはほんの一拍。


「あああああああああああああああああああああっ!!!」


 水鞠が絶叫する。その両腕は関節を無視して明後日の方向へ折れ曲がっていた。

 刀が落ちた。拾わなければ。この腕でどうやって。刀を使えず腕を使えず、それでも戦わなければ。勝たなければ負けてしまう。刀を使わず戦え。勝てるまで戦え。勝て。水鞠は極限状態の中で精神力のみで思考から激痛を追い出し、未だ喉から溢れ出ようとする悲鳴を呑み込もうと息を吸い込む。

 吸い込んだ息は次の瞬間、水鞠の鳩尾に瑠璃の拳がめり込むのと同時に吐き出された。何が起きたのか分からないまま水鞠の視界は暗くなっていく。意識が途絶えるのに伴って水鞠が倒れた音を最後に場が静まり返った。


「もう少し加減をしろ。治すのが追い付かんのじゃ」


 うんざりとした声が静寂を破って瑠璃を咎める。声の主、蜜柑を視界に入れると瑠璃は一つ舌打ちをした。


「僕に言われても困る。文句があるならこいつらに『手加減する必要は無い』と助言の一つでもくれてやったらどうだ?」

「分かっていて言っているのじゃから質が悪い」

「それに僕は十分手を抜いている。証拠に一度もコイツを使っていない」


 言いながら瑠璃は懐からキセルを取り出し端を口に含む。そこから一息吸って、ふっと、術式にも満たない煙を吐き出した。その仕草に蜜柑は心底辟易する。実際に瑠璃はこの場に来てから今の今までキセルを取り出してすらいなかった。つまり術らしい術を使わずに体術のみで二人を圧倒したということだ。並みの鬼ならばまずあり得ない。


 鬼の肉体は人間より断然強靭に出来ている。弱いとされている蜜柑でさえ成人男性程度の腕力を持ち合わせているのだ、一般的な鬼など普通は人間が敵う相手ではない。

 だから人間は術で肉体を強化し体術を学んで鬼と戦うのである。勝てない相手に勝つために。

 不幸中の幸いと言うべきか鬼が身体強化の術や体術に興味を持つことはほとんどなかった。まともな鬼ならば自分より弱い人間に術や体術を習うことなどするはずがない。強くなることが目的ならそんな面倒なことをするより自分の術を極め他の鬼の角を取って霊力を増やした方が効率が良いからだ。


 では人間と同じように術で体を強化し体術を会得する、そんな面倒な鬼が現れたらどうなるか。


「さながら悪夢じゃな」

「寝言は良いからさっさと直せ。僕は早くこれを終わらせて妃芽の側に戻りたい」

「ならもう終わりじゃな。こやつらはもう戦うどころではないじゃろう」

「困ったことにそれだと繧繝がお前を付けたことに整合性が取れない。繧繝の思惑に興味は無いが、それを理由に妃芽が軽く見られることは我慢出来ないんでね」


 蜜柑は溜息を吐き出した。繧繝、日下部実晴の鬼となってから十年ほど。実に平和な日々だった。どうやらそんな日々とはお別れらしい。瑠璃の顔を見た瞬間から分かっていたことではあるのだが。


「『癒せ』」


 蜜柑が触れている箇所から淡く暖かな光が溢れ出し木立を包み込む。それから数秒ほどで脂汗が浮かんでいた木立の顔色が良くなり浅かった呼吸が静かになった。

 蜜柑の天恵『治癒』。文字の通り傷を癒すことが出来る。治癒の天恵自体は他の天恵と比べれば比較的見つかりやすく等級も様々ある。蜜柑のように対象に触れなければ発動出来ず、回数制限があり、治せる傷にも限度があるのであれば三級に区分される。それでも守護四役管轄内において治癒の天恵を持つのは現在蜜柑だけなので何かと重宝されてきた。


「昔と比べて治療出来る回数は増えたか?」

「天恵と術を一緒にするなと何度も言ったはずじゃ。霊力が増えたからと言って回数が増えるわけじゃないのじゃ。そもそも我の霊力はお前と最後に会ったときからほとんど変わっておらぬ」

「向上心が無いな」

「我は今を生きるのに必死なのじゃ。過ぎた向上心など身を滅ぼす毒でしかない」

「甘えだな。それを毒とするか妙薬とするかは本人の裁量の問題だ」

「そんなものは妙薬ではなく劇薬と言うのじゃ」

「使い道次第ということか」

「そんな話はしておらぬ」


 蜜柑は話しながら木立の負傷を治し終えると続けて水鞠の治療に入る。そうして治しながら傷の程度が伝わってくると蜜柑は再びうんさりとした心境になった。怪我の程度が酷いからではない。その逆、この二人の怪我が大変治しやすいのである。骨は折れているが砕けてはいない。内臓や大きな血管に損傷がない。出血もほとんどないから失血死の心配もない。傷をくっつける程の力しか持たない蜜柑にとても配慮された怪我である。繧繝衆の術使い二人を相手取ってもそんな配慮が出来る程度に瑠璃には余裕があるということだ。

 おそらく手加減ではない。瑠璃はおそらく無意識でこれをやっている。怪我の程度が酷くなればその分蜜柑の天恵に負担がかかり治せる回数が減ってしまう。瑠璃はそれを無意識で避け、殴る回数を増やしているのだ。


(本質はそう簡単には変わらぬものじゃな)


 早く主の下に戻りたいと口にしておきながら実際のところ骨の髄まで染み込んだ闘争本能に抗えずにいるのだろう。如月妃芽とどの程度行動を共にしているのか蜜柑は知らない。如月妃芽と言葉を交わしたことも無い。だが今まで見た彼女の仕草や発言などからして日和見で平和ボケしていそうな小娘という印象だった。正反対の主に対してよくぞ今まで不満を表に出さずにいたものだ。


「終わったぞ」


 治療を終えた蜜柑が二人から離れると瑠璃がキセルをくわえた。ふっと吐き出された煙は気を失っている二人の上で渦を巻き、一纏まりになったところで煙が一瞬で水に変わり二人に降り注ぐ。


「ぅ、っ!」

「ぁ、がっ!」


 突然のことにすぐに跳ね起きる水鞠と木立。水鞠は状況を理解する前に落としたままだった刀を拾って構え、木立は頭が状況を理解してから刀を構える。

 稽古という建前はもう二人の頭の中には無かった。相手は乙級程度の霊力しかないのに自分たちを簡単に殺せるような鬼で、その鬼は使役の術で縛られていない。こちらを殺しこそしなかったがそれがどうした。猛獣が野放しにされている状態なのだ。いつその気まぐれが終わるとも分からない。この鬼はここで殺さなければならない。最悪刺し違えてでも角を折る必要がある。この鬼は繧繝衆にとって脅威に成り得る鬼だ。


 瑠璃はそんな水鞠と木立の殺気を正面から受けて、はっと鼻先で笑う。


「僕の目の前で昼寝をするとは良い御身分だな。……続きをしようじゃないか」


 そうして第二ラウンドが始まった。

誤字修正しました。

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