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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
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28

 瑠璃が実晴の用意した案内に従って辿り着いたのは敷地内でも特に開けた一角だった。

 妃芽の通う学校のグラウンドほどの広さ。公共の場でもない塀の内側の空間としては異様に広く感じる。庭園のような庭木や玉砂利は一切見当たらず、むき出しになっている地肌は固く踏み固められ草一本生えていない。修練場のような所なのだろうと瑠璃は推測を立てる。難癖をつけるために全く関係ない場所に案内されたり罠を張ったり程度のことはするかと思ったが、どうにもその気配は無い。なめられていると捉えるべきか、拍子抜けと捉えるべきか。

 一通り目視で周囲の地形や使用されている術を確認した後、瑠璃はそれまで無視していた気配の方向へ声を掛ける。


「久しぶりだな」


 開けた一角の端、何をするわけでも無くぽつんと立っている角を持った少女。

 日下部実晴の鬼、蜜柑は苦々しい表情で口を開いた。


「悪夢じゃ。何でお前がここに居るのじゃ。何で来たのじゃ。折角暫しの安住を満喫しておったのに」

「ご挨拶だな、一度は主を同じくした間柄じゃないか。思い出話の一つでもしようとは思わないのか」

「その主が死んだ原因を忘れたのか?随分都合の良い思い出じゃな」

「お互いにとってアレは仮宿だった。未練があるわけじゃないだろう」

「未練は無くとも後悔はあるし恨みもある。お前が唆さなければアレは戦乱に身を投じることなどなく、我も数十年は安穏と過ごせたのじゃ。すべてを台無しにした、お前がじゃ」


 蜜柑の愚痴を聞き流しながら瑠璃はわざとらしく周囲を見回す。ここが修練場で、蜜柑を寄越すという実晴の言葉通りに彼女がここに居るのだから指定された場所に誤りは無い。つまり相手方がまだ来ていないということになる。


「ところで、肝心の指導相手の姿が見えないが」

「待ち合わせか?ならお前の分が悪い。繧繝衆の術使いは鬼を軽視する傾向が他所より強いのじゃ。繧繝の命令といえども待ち合わせの相手が鬼だと知れればすっぽかされることも珍しくはない。我もここの人間はともかく、繧繝衆の本家に行けば同じような扱いじゃよ」

「よくそんな場所で宿を求める気になったな」

「思うところが全く無いと言えば嘘になるんじゃが、ここは天狼の縄張りの内じゃからな。居心地の悪ささえ我慢出来ればここ程安全な場所はないのじゃ。それに実晴はあれでいて存外話の分かる男じゃからな」


 蜜柑が安全と言うなら天狼と言う鬼はこれほどまでに鬼を拒絶していながら鬼が縄張りの中に入っても何もして来ないと思って良いのだろう。

 この地に来てから感じていた不快感。自分の身を弱者としてたとえるのは癪だが蛇に睨まれた蛙のような心地をずっと感じている。この縄張りは他の鬼を拒んでいるのに全く入れないようにしているわけではない、それでいて入ってきた鬼を殺したり追い出したりするわけでもない。何を目的としているのか分からなくて不気味でさえある。


「その戦いを避ける姿勢は相変わらずだな。鬼としての誇りがまるでない」

「お前は戦いこそが鬼の本分とでも言うのじゃろう。実に鬼らしい鬼じゃ、我には一生涯理解出来ない考え方じゃな。此度はあの純朴そうな小娘を誑し込んで一騒動起こす気か?」


 ちょっとした軽口の応酬。蜜柑の記憶にある瑠璃の行動原理からすれば軽口の範疇の発言。

 しかし次の瞬間、蜜柑は身が竦むほどの殺気を感じすぐさま身構えることになる。すぐに殺気の出どころを探り、それが目の前に居る腐れ縁の鬼だと気付くと目を疑った。


「…。旧知だから一度目は大目に見てやるが、まさか小娘と言うのは我が主、如月妃芽のことを差してはいないだろうな?」


 旧知と言う言葉を使いながらも慈悲を掛ける気は更々無いとでも言うような冷たい声音。もし次の言葉を間違えれば命が無いと簡単に確信出来た。

 だからこそ、蜜柑は信じられないものを見たと言うように目を見開く。


「驚いた。仮宿ではないのか」

「そうだと言っている」


 半ば独り言のような呟きにもすぐさま返事が返ってくる。その口調は先程のような命の危険を感じるほどではないが不機嫌がありありと滲んでいた。それほど主を仮宿呼ばわりされたのが不愉快だったのだろう。蜜柑が知っているかつての瑠璃とはまるで別の鬼のようだ。


「如月妃芽は僕にとって終の主だ。わざわざ危険に晒すつもりは無い。心配せずともここより安全な場所が確保出来れば出ていくつもりだ」


 蜜柑はまじまじと瑠璃を観察する。その姿かたちは蜜柑の記憶にある鬼となんら変わりは無い。しかし蜜柑の記憶の中にあるこの鬼は戦いこそを存在意義とし争いを起こすことはしても避けるなんて考えもしないような奴だったはず。まして戦いを避ける理由が人間の主だなんてとても信じられない。


「お前、主に求める最低限として術か武を極めていることと言っていたが…」


 如月妃芽を部屋へ案内した時のことを思い出す。実にひ弱そうな人間だった。あんな貧弱な霊力量では術を極める以前にそもそも扱えないだろう。武術にしたって貧相な体格に素人と呼ぶことさえ烏滸がましい体捌きでは期待できるものではない。

 そのことに言及すると瑠璃は面白くなさそうに、ふん、と鼻を鳴らした。


「忘れろ」

「は?」

「分別も碌に付かなかったころの戯言だ、今すぐ忘れろ。冷静に考えれば僕が術も武も極めていれば良いだけの話で主に求める素養としては不適切だ」

「その条件の折れ方が既に冷静さを欠いておるのじゃが…」

「別に冷静さを欠いたわけでも条件を折ったわけでもない。変わっただけだ」

「変わった?何がそこまでお前を変えたのじゃ?」


 蜜柑に問われてから瑠璃は少しだけ考え、すぐに結論へたどり着く。

 何が自分を変えたのか。そう考えたときに思い当たる出来事は二つ。


「一度は妃芽が手を叩いた時。二度目は今の名を賜った時」

「…何の話じゃ」

「今お前が聞いた僕が変わった理由だ。世界が変わる瞬間を見た、それだけだ」


 蜜柑は瑠璃の返答に対し怪訝そうに眉を寄せる。


「説明になっていないのじゃ。詳細を話せ」

「ただの自慢話だ。説明をしてやったつもりは無いしその必要も感じない。焦らずともその内分かる」

「やれやれ、自分勝手なところは相変わらずじゃな。そういうところこそ変わっていてほしかったものじゃが」

「僕の話はどうでもいい。…蜜柑」


 乱暴に話を中断すると瑠璃は蜜柑の前まで近づき手を差し出す。差し出された手を見た蜜柑は握り返すことをせずに渋い顔で一歩下がった。


「僕と来い。お前の力を妃芽の為に使え」

「断る」

「お前が安全を必要とするなら妃芽のついでに守ってやる」

「断ると言っている。お前の側よりこの地に居る方が遥かに安全じゃ、我の経験則がそう言っている。実晴が方針を大きく変えるか繧繝が代替わりしない限り我は動くつもりは無い」

「…気が変わったらいつでも聞こう」

「その前に人の話をちゃんと聞け」


 瑠璃が空手を引っ込め視線を建物の方へと向ける。蜜柑もつられてそちらに意識を集中させるとこちらに近づいてくる気配に気が付いた。

 自己中心的な瑠璃にしてはあっさりと勧誘の手を引っ込めたと思ったが、どうやら自分を引き抜こうとするところを第三者に見られたくなかったのだろうと蜜柑は推測する。現繧繝の鬼の引き抜きが露見すれば瑠璃の主である如月妃芽にも累が及ぶのは簡単に想像できる。その上で蜜柑に口止めをしないのは蜜柑の口からなら言っても影響が無いと考えているのか、蜜柑が言わないと考えているのか。


「来たようだな」

「早かったな」

「早い?時間の感覚は正確にするべきじゃないか?」

「お前だって今さっき来たばかりじゃろう」

「教わる相手が教える相手を待たせる時点でそれは遅刻だ」

「暴論じゃな、お前が遅刻する時があれば使うとしよう」


 そんな会話をしている内に廊下の角を曲がって表れた人影が二つ。

 滝澤水鞠と桐島木立。この二人の顔ぶれを見てから蜜柑はようやく状況を理解する。そもそも実晴から来た連絡には『修練場に行け』としかなかった。そこにやって来た瑠璃、瑠璃の口から出た『指導相手』という言葉、そうしてやって来たのはよりにもよってこの二人。

 話の流れに察しがついた蜜柑は心の中でそっと二人に手を合わせる。


「あれ、なんでみーちゃんが居るんすか?」

「実晴の命令じゃ、ここに来いとな。詳しくは知らん」

「奇遇っすね、自分たちも繧繝様にここに来るように言われてるっす。とっておきの先生を用意したから相手をしてもらうようにって」


 そこで瑠璃に視線が集まった。普段から顔を合わせる面子の中に居る異物。つまるところ実晴が言う『とっておきの先生』はこの鬼を差していることになる。

 瑠璃はそんな集まる視線を無視して蜜柑に話し掛ける。


「お前、そんな犬猫のような名で呼ばせているのか」

「仕方ないじゃろう、既に知ってるかもしれぬがアレには道理に沿った説得など通じぬ」


 まさかアレ呼ばわりされているのが自分だとは考えもしないのか、水鞠は目の前で交わされる二人のやり取りに不思議そうに小首を傾げるだけである。この察しの悪さと普段のデリカシーの無さを考えれば水鞠がこの場に呼ばれたことは必然とも言えよう。

 蜜柑にとって分からないのは一緒に呼ばれている木立の存在だ。器用な人間とは言いにくいが真面目で仕事熱心、繧繝衆の中では比較的まともな人間である。少なくとも水鞠のように呼吸と同時に喧嘩を売りに行く人間ではないはずだ。

 蜜柑がそう考えていた矢先、木立が少し苛立った様子で口を開く。


「おい、青鬼。オレたちは繧繝に言われたからこの場に来ている。だが素人が連れ歩く野良同然の鬼に教わるようなことがあるとは到底思えん。時間の無駄になるようなら早々に戻らせてもらう」


 木立の発言から一拍、瑠璃が口元に弧を描く。

 それを見た瞬間蜜柑は猛烈な寒気を感じた。予感と言うか気配というか。瑠璃が不機嫌になる前触れ、或いは既に不機嫌になった後の独特な空気。

 木立の発言のどの部分が地雷だったのだろうか。先程同様主を貶されたことなのか、それとも終の主を定めたのに野良同然と言われたことなのか、蜜柑がよく知っていた瑠璃とはあまりに感性が変わりすぎていて断言できないが確実に地雷を踏みぬいたことだけははっきりと分かってしまった。同時に納得する。恐らく木立の鬼を軽視する態度が露骨に出た結果この場に呼ばれることになったのだろう。


「どのような話を聞いてここに来たのかは知らないがどうやら誤解があるらしい」

「誤解?」

「僕がこれからお前たちに叩き込むのは術や戦い方じゃない」


 瑠璃が笑顔の下に隠している殺意に気づいているのは恐らく蜜柑だけだろう。その証拠に瑠璃の霊力の流れに揺らぎが生じたのに水鞠と木立は戦闘態勢すら取ろうとしていない。既に二人は後手に回されているのだが当人たちはそれに気付くことすら出来ていないのだ。


「躾と身の程だ」


 瑠璃が言い終わるが先か、蜜柑は溜め息を吐き出した。どうやら疲れる一日になりそうである。

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