-0- プロローグ
新暦0032年 7月 極東 弧状列島
見渡す限りの砂漠である。
かつて、自然に囲まれた国と称された島国の末路がここにはあった。
人の姿はとうにない。
ただ、地平線上に歪な形を残す高層ビル群が、陽炎に揺らぎ、煌めいていた。
その時、突如としてビル群に大きな影が落とされ、都市は暗がりへと沈んだ。
――雲ではない。
傾き、崩れたビルの窓には、天空に浮かぶ島々の姿が映っていた。
「盗人だ!捕まえろ!」
ある夏の日の昼下がり、路地裏の静けさを破るかのように怒号が鳴り響いた。
――この辺りは、ここセレスティア島の中でも治安が悪いことで知られていた。
そのせいか、裏通りを歩く人間はほとんどいない。
足を止めた人々の脇を、一人の少女が走り抜けていく。
「どけぇっ!」
「うわっ!」
直後、彼らは道の端へ突き飛ばされた。
彼らの眼前を、男たちが駆け抜けていき、やがて通りには静けさが戻っていった。
あまりにも唐突な出来事に、残された人々はみな、呆気にとられることしかできなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
「そのブツはうちの組のもんだ!返しやがれ!」
追手の先頭を走る男が叫ぶ。
「だから違うんです!」
少女の手に握られたペンダントは、きらきらと銀の輝きを放っている。
「ならとっとと止ま――」
次の瞬間、鈍い音があたりに響いた。
少女は転倒した痛みに顔をしかめる。
「まったく手こずらせやがって……」
追いついた男たちは肩で息をしていた。
「...っ」
少女がようやく顔を上げると、たった今衝突した人物と目が合った。
――正確に言うと、それは人ではなかった。
夏にもかかわらず着ている黒いレザーコート、そこから覗く金属的な輝き、そして彼女を覗き込む赤い光。
「...っ!」
思わず少女は飛びのいた。
彼女はこの機械人から、どこか不気味で、異様な雰囲気を感じ取っていた。
「ご...ごめんなさい!前...見てなくて」
少女は立ち上がって深く頭を下げる。
この無法地帯で彼女にできることはそれだけである。
「…いったい何の騒ぎだ」
その機械人は少女から、追手の頭領らしき男へと視線を移した。
「これはこれは、探偵さんじゃねぇか!ちょうどいいところに!」
どうやら二人は知り合いのようである。
ますます少女の眼は泳いでいた。
男は地面から先ほどのペンダントを拾い上げようと身をかがめる。
「あ...ちょっ――!」
少女はペンダントを取り返そうとしたが、男の仲間がすかさず取り押さえた。
「この間盗まれたって相談したのがこれですぁ。これでボスも―――」
「以前見たものと模様が違うな」
間髪容れずに探偵が言った。
「あ?…...確かに、こりゃボスのじゃねぇぞ」
男たちの間に微妙な沈黙が流れる。
男たちの視線がゆっくりと少女へ向けられた。
少女を取り押さえていた男は、慌てて彼女から手を放す。
「すまねぇ、嬢ちゃん。誤解だった」
「悪かった、許してくれ」
男たちは謝罪もそこそこに、足早に立ち去っていく。
止める間もなく、男たちはいなくなっていた。
騒ぎにつられて集まった野次馬も一人、また一人と姿を消していった。
ついに、路地裏には座り込んだままの少女と、その前に立つ探偵の二人だけになった。
先ほどまでの喧騒は嘘だったかのように、セミの鳴き声だけが響いている。
少女の前に、手が差し伸べられた。
「え...?」
彼女は困惑して探偵の顔を見る。
しかし、探偵は何も言わずに手を突き出すだけである。
「あ...」
ようやく彼の意図を理解した少女は、その手を取った。
「っ...!!」
予想以上に強い力で引っ張られ、彼女は危うくまた転ぶところだった。
「この辺りの人間じゃないな」
服の汚れをはらう少女に、探偵が声をかけた。
「え?あ...はい」
「何をしに来たのかは知らないが、あんたにとってここは危険すぎる。早く帰れ」
そう言って探偵は少女に背を向け、歩き出した。
しかし、彼女の足は動かなかった。
「あ...あの...!」
探偵が足を止め、振り返る。
「その……さっき探偵さんと呼ばれてましたよね。」
「そうだが」
少女は一呼吸置いた。
「私の依頼を受けてもらえませんか?」




