第1話 終わらせない者
第一章 終わらせない者
「――まだ、終わってない」
そう言ったとき、目の前の“それ”は、確かに死んでいた。
呼吸はない。鼓動もない。
世界の流れに従うなら、ここで終わるはずだった。
なのに。
それは、そこに残っている。
消えずに。流れずに。
まるで、終わりだけを置き忘れたみたいに。
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「……対象確認。残留体」
凪は、淡々と告げる。
声に感情はない。
ただ仕事として、事実を並べる。
崩れかけた建物の奥。
音のない空間に、ひとつだけ“在り続けているもの”。
人の形をしている。
だが、人ではない。
終わることのできなかった存在。
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「終わらせろ」
耳元で、通信が短く鳴る。
上からの命令。
いつも通りの言葉。
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凪は、わずかに目を細めた。
視線の先。
少女が、座っている。
壁に背を預けて、足をぶらつかせながら。
まるで、誰かを待っているみたいに。
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「……来た」
少女が、顔を上げる。
その声は、不思議なほど自然だった。
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凪は、足を止める。
一歩、踏み出しかけて。
止める。
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おかしい。
対象は残留体のはずだ。
意思は希薄。反応も鈍い。
そういうもののはずなのに。
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「遅かったね」
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少女は、軽く笑う。
責めるでもなく、喜ぶでもなく。
ただ、そこにいる。
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凪の中で、何かが引っかかる。
記録にない違和感。
知らないはずの距離感。
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「……対象、対話可能個体に変更」
淡々と報告する。
声は、まだ冷静だった。
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「対話なんて、いらないでしょ」
少女は言う。
少しだけ首を傾げて。
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「だって」
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まっすぐに、凪を見る。
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「あなたは、終わらせに来たんだから」
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沈黙。
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その通りだ。
迷う理由はない。
ここで終わらせる。
それが正しい。
それが仕事だ。
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凪は、刃に手をかける。
抜けば終わる。
いつも通りに。
正確に。
何も残さず。
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なのに。
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「……ねえ」
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少女が、先に口を開く。
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「これって、“終わり”なの?」
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――その言葉で、世界がわずかに歪む。
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記憶の奥に沈んでいた何かが、浮かび上がる。
同じ声。
同じ間。
同じ問い。
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凪の手が、止まる。
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「……お前は」
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言葉が続かない。
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少女は、少しだけ考えるように視線を逸らしてから、
また、凪を見る。
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「まだ、思い出してないんだ」
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責めない声。
ただ、事実を置くように。
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「でもいいよ」
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小さく、笑う。
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「答え、もらってないし」
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その瞬間。
凪の中で、何かが決定的に崩れる。
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思い出す。
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かつて、自分が終わらせた存在。
任務として。
迷いなく。
何も残さず。
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そのはずだった少女。
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「……澪」
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名前が、零れる。
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少女は、ほんの少しだけ目を細めた。
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「うん」
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それだけで、十分だった。
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凪は、刃を抜く。
遅れた判断。
だが、間違いではない。
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終わらせる。
今度こそ、完全に。
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だが。
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「……あのままで、よかったのに」
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澪が言う。
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「終わったなら、それでよかったのに」
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優しい声だった。
だからこそ、深く刺さる。
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凪の動きが止まる。
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「あなたが終わらせたのは、“わたし”じゃないよ」
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沈黙。
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理解する。
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終わっていなかった。
そして、自分は
終わらせていなかった。
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それでも。
今度は、終わらせるべきだ。
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刃を、振るう。
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はずだった。
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「……終わらせない」
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気づけば、そう言っていた。
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その瞬間。
世界の“終端”が、わずかにずれる。
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空気が歪む。
流れが、噛み合わなくなる。
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澪は、静かに目を開ける。
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「……そう」
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それだけを言って、
また、元の場所に座る。
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何も変わらないみたいに。
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でも。
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確かに、何かが変わっていた。
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凪は、刃を下ろす。
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通信の向こうで、声が荒れる。
「おい、どうした。処理は」
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凪は、短く答える。
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「……未処理」
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そして、少しだけ間を置いて。
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「対象は、残す」
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沈黙。
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それが、
すべての始まりだった。




