07 籠の中の小鳥
ところ変わって、天国の別の神殿。
寝殿造りの木柱が、まるで鳥籠の檻のように立ち並ぶ向こうで、ひとりの少女が機織りにいそしんでいた。
その少女は、立ってもなお床につくほどの長い黒髪で、彫りの浅い穏やかな顔。
薄紫の瞳にほっそりとした顎。
農耕民族風の、大人しげな顔立ちであった。
身体つきは華奢で、細身の身体を重そうな十二単に包んでいる。
その生地は落ち着いた藍色ながらも、光を受けると無数の星がそこにあるかのようにキラキラと瞬いていた。
……コトリ。
小鳥がついばむような、最後のひと織りを終えた少女。
機織りというのは普通、生地をつくるものだが、少女の使っていたものは特別製で、生地だけでなくそのまま縫製も可能となっている。
少女がその装置を使って織り上げていたのは、幻の布『天の川』をふんだんに使ったニットキャップだった。
側面にはデカデカと『ヘルロウ』の文字が入っている。
「ピョッ。我ながらいい出来だわ。これならヘルロウも喜んでくれるかも」
少女が出来映えに喜んでいると、いかにも召使いといった感じの中年女が部屋に入ってきた。
「失礼します、ケージバード様。今日もヒコスター様から、素敵なお手紙が届いておりますよ」
召使いは両手いっぱいの手紙の束を、嬉々として差し出す。
しかしケージバードと呼ばれた少女は振り返りもしない。
「ピヨッ、いつも言ってるでしょう。その手紙だったらいちいち知らせなくていいって。いつもの所に置いておいて」
ケージバードの言う『いつもの所』は、竹で編んだくずかごであった。
召使いはやれやれと溜息をつく。
「もう、ケージバード様ったら……。せっかくヒコスター様がこうして送ってくださっているのですよ。一通くらいは読んでさしあげても……」
「気が向いたら読むってば」
「また、そんなことをおっしゃって……。ヒコスター様はとても人気のある殿方なのですよ。勇敢で紳士で、抱擁力もある……。あの大きな胸に抱かれたがっているレディは大勢いるというのに、なにが不満なのですか」
「ピヨは男の人には興味ないの」
「また、そんなことをおっしゃって……。いまその手に持っていらっしゃるのは、ヘルロウ殿へのプレゼントなのでしょう?」
「ピヨッ、ヘルロウは別だもん。ピヨの特別な天使だもん。いつかは側近にするんだもん」
「でもそうやって、ケージバード様がいくら御寵愛をかけていても、ヘルロウ殿は会いに来るどころか、贈り物の返事ひとつ寄越さないではないですか」
「ピヨョ……。そうなのよねぇ……。ピヨは毎月、ヘルロウに贈り物をしているのに……。ヘルロウってば、ピヨに会いに来てくれないんだもん」
ケージバードはこの天国でも有名な、機織り専門の『創造神』である。
彼女だけが織ることができるといわれる『天の川』の生地は、すべての神々の憧れの的。
しかし彼女は、その布を織ることはあまりしなかった。
ゼウスの機嫌を取るために、年に一度くらい編んで、贈り物をする程度であった。
そんな彼女が、毎日のように『天の川』を織り、毎月のように縫製をするようになったのは……。
そう、ヘルロウのためである。
かつて、ケージバードは滅多にしない外出でヘルロウと出会い、ひょんなことから知り合いになった。
いつもは人の心にズカズカと踏み込んでくる男たちが大嫌いな彼女であったが、ヘルロウの土足だけはなぜか受け入れられた。
そして、いつしか悩みを打ち開けるようになった。
ヒコスターがしつこくて、困っている。と……!
そこでヘルロウは、とあるクラフトでヒコスターを遠ざけ、年に一度しか会わなくていいようにしてやった。
そのクラフトがあまりにも見事だったので、ケージバードはすっかりヘルロウに惚れ込んでしまう。
当時、ヘルロウは信心を稼がないので天使として落ちこぼれており、いろんな創造神のところを転々としていたのだが……。
その身柄を、ケージバードは周囲の反対を押し切って召し抱えてしまったのだ。
ヘルロウはあまり気乗りがしなかったのだが、他に行くアテもなかったので承諾。
『ケージバード派』の一員となった。
男子禁制だった秘密の花園に、初めて男の天使が加わったという事実は、当時の天国を大いに騒がせたものである。
そして、それからである。
ヘルロウがいくら信心を稼がない天使であっても、派閥を追い出されることがなくなったのは。
このことからもわかるように、主神であるケージバードは、末端の天使であるヘルロウをいたくお気に入りであった。
しかしそこまでヘルロウのことがお気に入りなのであれば、ヘルロウが堕天することを、許すはずもないのだが……。
ケージバードは天国の神々のなかでも、有名な『引きこもり姫』である。
そのため、ヘルロウが堕天したことを、いまだに知らない。
いや、正確には『知らされていない』。
理由は、彼女は内弁慶な性格でありながらも、思い込んだらかなりの一途。
ヘルロウが堕天したことを知ったら、いったいどんなことをするかわからないので、彼女たちの家臣たちは示し合わせて内緒にしているのだ。
家臣たちはヘルロウの堕天を秘密にしながら、ヘルロウのことを忘れさせようとしていた。
大の男嫌いだったケージバードが、男に興味を持ってくれたのはいいのだが、相手はよりにもよって天使。
家臣たちはなんとかして、その男への興味を、熱烈アタックしてくれている男神に向けようとしていたのだ。
ちなみにではるが、ケージバードがヘルロウ宛に送っている『天の川』の衣装は、配送を頼まれた家臣がこっそり処分している。
なので、それらがヘルロウの手に渡ったことは一度たりともない。
家臣たちはその贈り物を、ヒコスターにラブレターの感謝の気持ちとして送り、両者の間柄を既成事実化しようと目論んだこともあったのだが……。
それは、できなかった。
なぜならば、ケージバードの編んだものにはすべて、デカデカと入っていたからだ。
『ヘルロウ』という、悪魔の4文字が……!
しかし家臣たちはなんとかして、ヘルロウの存在をケージバードの中から抹消したがっていた。
そのため、ことあるごとにこんな提案をする。
「ケージバード様からの御寵愛を無視するだなんて、なんて不敬なる天使なのでしょう。いっそのこと、堕天させてしまってはいかがですか?」
すでに堕天してしまったヘルロウのことを告げるために、彼女自身がヘルロウを堕天するように仕向けていたのだ。
しかし、当の女神は頑固であった。
「ピヨッ!? ヘルロウを堕天だなんて、とんでもない! ヘルロウは『ケージバード派』の大切な黒一点なのよ! ヘルロウが地獄に堕ちるようなことがあったら、ピヨもいっしょに地獄に行くわ!」
これが言葉ばかりでないことは、幼い頃から彼女を育ててきた家臣たちは、身に染みて知っている。
引きこもりのくせに妙にアグレッシブなのだ。
「で……ではせめて、『天の川』の贈り物を止めてみてはいかがでしょう? ゼウス様ですら年に一度しか手にできぬものを、最下級の天使に毎月のように贈るだなんて……」
「だってぇ、この機織り機、ピヨのためにヘルロウが創ってくれたんだもん。ヘルロウが創ってくれた機織り機で、ヘルロウのためのものを織って、なにがいけないの?」
「ううっ……で、では……! せめて、せめて……! ハンカチ一枚でもよいので、ヒコスター様への贈り物を織ってみてはいかがでしょうか……!? ヘルロウ殿と違って、ヒコスター様はこんなにもケージバード様のことを想ってくださっているのですよ!?」
召使いはもう半泣きであった。
しかしケージバードはにべもない。
「ピヨーッ!? あんな全身タイツ男への贈り物なんて編んだら、大切な機織り機が穢れちゃうわ! ヘルロウのクラフトのおかげで、やっと離れることができたっていうのに! あんな変態への贈り物なんて、ゼッタイに編みたくない! ヘルロウ、ピヨを守って!」
少女は逢えない淋しさを紛らわせるように、そばにあったヘルロウを模したぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめていた。




