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大鷲の国  作者: サトミアキラ
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終章

 無人の廃村で、オズウェルは両親の墓を参った。

 空は灰色の雲が垂れ込めている。墓石の陰に、雪の積もったあとが薄く残っていた。吹きすさぶ寒風に頬を殴られながら、彼は墓前に立ちつくした。

 人も、家畜も、なにもいない。生活の匂いも、音もない。あるのは山間を通り抜ける風の音だけだ。

 一時間あまり、そうしていただろうか。

「若君。そろそろ参りましょう」

 ダレルが静かに促した。

 オズウェルは胸に手を当てて、最後にもう一度、両親に祈った。

 彼らは山を切り出した採掘場に向かった。

 入り口付近の岩場を、一頭の山羊が登っていった。通路を進んだ先の突き当たりの壁に、人ひとりがようやく通れるぐらいの穴が空いていた。奥から空洞音が反響する穴に、オズウェルとダレルは背中を屈めて入っていった。

 岩を砕いた通路は、途中でいくつかの広い空間と繋がっていた。

 天井の切れ目から風の音が嵐のように聞こえた。雲がとてつもない速さで流れている。人の足で山を越えられない理由のひとつが、この風だった。山肌に爪を立てる人間から、あっという間に体温を奪っていく。何人もの調査員が山に挑み、そして死んでいった。

 悩む父に、穴を掘ればいいと、六歳だったオズウェルは言った。

 難色を示した大人たちのなかで唯一、ガントだけが、やってみようと答えた。それから十四年間、彼が穴を掘り続けてきたのだと思うと、オズウェルは目の奥が熱くなった。

 三つ目の空間に出たとき、彼は目を瞬いた。地面を日差しが照らしている。頭上を見上げると、亀裂の向こうに透けるような青空があった。風はやんでいた。

 光に照らされた場所に、石でひっかいたような跡が残っていた。

〈この先〉

 彼は振り返ってダレルと目配せを交わし、穴の先へ進んだ。

 道の先に、折れたつるはしが転がっていた。オズウェルは思わずそこまで駆けつけて、膝をついた。

 地面に刻まれた文字を、震える指でなぞる。


〈おかえり オズウェル〉


「……ガントおじさん」

 立ち上がり、オズウェルは走った。

「ガント!」

 出口が白い繭のように見えた。彼はその中に飛び込み、目映い光に目を細めながら息を呑んだ。

 眼下に深く、広大な森が広がっている。鳥の鳴き声に空を振り仰ぐと、絶壁の岩棚から鷹が飛び立つところだった。翼を広げたシルエットが風を切って舞い上がり、太陽の周りを旋回していた。

 だがどこを見渡しても、人の姿らしきものはない。

「ガントは言っていましたよ。これが約束した最後の仕事だと」

「最後の……」

「ディラン様や、あなたが夢見た最果ての地に、ガントもまた夢を見たのでしょう」

 オズウェルは、地平を眺めるダレルの横顔を見つめた。老人は袖から出した笛をくわえ、口の端をあげた。彼の鈍色の瞳にあったのは、まごうことなき興奮の光だった。

「――わたしも見たい。ナイジェルが人の世の王ならば、オズウェル。〈王の選定〉を終わらせるあなたは、冠なき王だ。どうか立ち会わせてくれ。神代の大鷲とまみえる瞬間を、どうかわたしに!」

 耳を貫くような笛の音が鳴った。

 岩棚からいっせいに鷹が飛び立ち、断崖から山羊たちが駆け下りていった。蹄が岩を砕く地響きと、けたたましい羽音が辺りを埋め尽くした。

 耳鳴りが去るのを待って、オズウェルは耳から手を離した。あとに訪れた静寂の不穏さに、彼はつい、隣にいる魔道士を見た。ダレルは星を見つけた子どものように、空を指さした。

 崖の一帯に影が落ちた。

 オズウェルはダレルの指さす先を見上げた。

 それは、太陽のなかで翼を広げていた。

「大鷲!」

 羽ばたきで散った焦げ茶色の羽根が、ひらひらと森に落ちていく。逆光の黒い影が近づくにつれて、全身をなぶる風が強くなった。崖から落ちないよう足を踏ん張り、閉じかけた目を大きく開いて、オズウェルはその姿を仰ぎ見た。

 茶色い羽毛、先端が黒ずんだ嘴。彼らのいる山の頂に降り立った巨鳥は、伝承の中で語られてきた大鷲そのものである。丸い金色の瞳は、山向こうの外つ国からやって来た異邦人たちの挙動をつぶさに観察しているようだった。

 オズウェルは岩棚をつたって崖を登った。

 ヨームの初代国王ユリウスは、この大鷲から輝石を賜り、国を興したという。生まれを辿れば一介の山羊飼いに過ぎなかった青年が、どのようにして神代の獣と邂逅を果たしたか。いずれの文献にも、歴史家の想像以上のことは記されていない。

 だが、オズウェルは思う。

 物事に意味を求めるのはいつも、人の側なのだ。ユリウスが大鷲から輝石を賜ったことと、国を興したことは、本来分けて考えるべきことなのである。

 〈冠なき王〉などいない。

 ここには一人の人間と、大鷲がいるだけだ。

「俺の名はオズウェル! ヨームレイフの末裔だ!」

 言葉が通じるという確信があったわけではない。だがこれ以外に〈王の選定〉を終わらせる方法を思いつかなかった。

 オズウェルは大鷲を仰いで声を張りあげた。

「はじめに、あなたの土地に許しもなく踏み込んだ非礼をお詫び申し上げる。だが、もしもユリウスのことを覚えているのなら、どうか聞いてくれ!」

 自分を見下ろす大鷲の前で、彼はヨーム建国の歴史と、先代の王が遺した〈王の選定〉、そして己の半生を語った。十四年のあいだに溜め込んできた思いのたけを、解き放った。

「コル・ファーガルに隠されてから、俺はずっと考えていた。〈王の選定〉は誰のためのものなのか。王とはなんなのか。サナンを知って、王という象徴的な権威など、本当は必要ないのではないかとさえ思った」

 タイソンから学び、オズワルドと意見を交わし、エマと出会って外の世界を知った。オズウェルは少しずつ変わっていった。

 この国は、全てを壊して作り直すほど腐ってはいない。

「ヨームはいずれ、王を必要としない国作りに取り組んでいくだろう。だけど、それはあくまで先のことだ。国が、人が変わるには時間が必要なんだ。これから変わっていくために、俺たちにはまだ王が必要なんだ!」

 何年も、何十年も、人生をかけて。

 オズウェルは願いを込めて大鷲に両手を伸ばした。

「どうか、ナイジェル王子のもとへ飛んでくれ!」

 しばらくじっと話を聞いていた大鷲が、不意に動いた。嘴の先が目の前に迫る。オズウェルは金色の丸い瞳を見つめ返した。

 大鷲はゆっくり首を傾け、耳元でささやくように嘴を開いた。

『なつかしい わがとも ユリウス の すえ』

 太いだみ声で、大鷲はそう言った。

『おぼえた …… おぼえたぞ オズウェル』

 笑うようにガラガラと喉を鳴らす。

『やくそく しよう …… ゆきどけ の はる の ひ に』

「ありがとう!」

 大鷲が翼を広げた風圧で、オズウェルはダレルがいるところまで転げ落ちた。羽ばたきの風を受けて外套がはためく。

 影が頭の上を飛び去っていった。

 起き上がり、彼は空の彼方へ遠ざかる翼を眺めた。

 雪解けの春の日に、たくさんの人が、あの雄大な姿を目にするだろう。

 ナイジェルは大鷲と邂逅を果たし、そして王は告げる。

「選定は成った。輝石を抱く鉤爪と、ヨームの民に誉れあれ」

ここまで読んで下さってありがとうございました。

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