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私はしばらくの間、ペンギンと一緒にお茶を飲みながら人の街を見下ろしていた。
なんとなく……だけど、このペンギンは一緒にいる人間を安心させる何かがあった。
「ねぇ……ペンギンさん」
私は私らしくもなく尋ねてしまう。
「何かな、お嬢さん?」
それにペンギンは微笑みながら答える。
「貴方は……私をどうしたいの? 助けたいの? このまま自殺させたいの?」
このペンギンが尋常の存在でないことはわかる。さっきは「肯定すること」が仕事みたいなことを言っていたけど、その先に何かしら目的があるはずだ。
「別にどうしようとも思わないよ。君が否定したいなら、それを肯定するのが私の仕事だからね」
「……?」
どうも彼の言うことがわからない。「否定することを肯定する」? 私の頭はごっちゃになりそうだった。
「だから」
ペンギンは飲み終わったティーカップをコトリと置くと、その翼で私を指す。
「君が自ら消え去りたいと思うほど、君自身を否定するその感情まで含めて……私は君の全てを肯定しよう、と言っているだけだ」
「……つまり、貴方は私を自殺させたいのね?」
一瞬、じりっと身構える。ペンギンの空気はまるで変わっていないが、なんだか急に恐ろしくなってきた。
「いいや? まだ君は勘違いしているようだね」
悪戯っぽい声でペンギンは続ける。
「肯定するも、否定するも……全ては君の決断だ、と言っているんだ。こうと決めたなら、他人……あるいは他ペンギンの存在程度で、その決断を揺るがすんじゃない。だけど君が決めたことなら私はそれがどちらであっても肯定しよう」
「…………」
「君、私が扉を開けて入って来た時……ホッとしただろう?」
「!」
ペンギンに心を見透かされ、私はギクリとする。
「誰か他の人に無理矢理止めてもらえれば……自分の意思に反して止めてもらえれば、自殺なんてしなくて済む。そう思っただろう?」
「……さ……ぃ」
「自殺しよう、という意思はあっても……迷いが残っていたんだろう? 死ななくて済む理由があれば、それに越したことは無い、なんて思っただろう?」
「……ぅ……る……ぃ」
「あるいは、私がフェンスから軽く突き落としてくれることを期待していなかったかい? 他人の責任で死ねるなら、それはそれでとても楽だ……そんな願望が心をよぎっただろう?」
「うるさい、黙れ! ペンギンなんかに私の苦しみがわかってたまるか!」
「わかるわけないね。他人事なんだから」
激昂して放たれた言葉をいともあっさり肯定され、私は一瞬毒気を抜かれる。
その虚を突いて、ペンギンは旅行鞄を抱えてひょいっとフェンスを越えて向こう側に行ってしまう。
「そろそろ時間なので失礼させてもらうよ。短い時間だけど、なかなか楽しかった」
どこからか取り出した懐中時計を眺めつつ、ペンギンが呟く。私は再びペタリとその場にへたり込んでしまった。
「……ペンギンさん……」
思わず私が声を出すと、ペンギンは優し気な眼差しで振り返った。
「……一つだけ、言っておこうかな」
ドアノブに翼を伸ばしながらペンギンは付け足すように言った。
「君の人生に何があったかなど、私は知らないし尋ねない。ただ、『自分の人生を肯定するか否定するか』を他者に委ねることだけは、君の人生で何があったとしてもやってはいけないことだ」
「…………」
「既に決まっているなら、踏み出せばいい。まだ迷っているならとりあえず生きてみることを勧めよう。……そちらを選ぶなら、君が肯定するか否定するかを決断する時、私は再び現れるかもしれないね」
そして、ペンギンは器用に鉄扉を開くと、初めからいなかったかのようにあっさりと姿を消した。
私はしばらくその場に座り込んでいた。手にはいつから握っていたのか、「南極一番地 肯定ペンギン」とだけ書かれた名刺があった。
数分か、数十分か、夢のような時間を思い返してから……私はその名刺を細かくちぎってビル風に流した。
「……ハッハハハハハ! ……馬鹿みたい」
ペンギンごときに肯定されるまでもなく、私の心の中は既に決まっていたのだ。このビルの、外側か、内側か、どちらに踏み出すのかなど。
そして、私は一歩足を進めた。