第二十一話
どうして、もがけばもがく程深みにハマってしまうのだろう。
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打ち合わせ終了後__
夏目「先輩、お疲れ様でした」
朔「あぁ、お疲れ」
夏目「深瀬さん、火傷大丈夫でしたかね?」
朔「なんともねぇだろ」
最近の夏目は俺の顔色を伺うように、あの人の話題を振ってくる。
(不安にさせてるんだろうな…)
あれから、夏目の家にも行っていない。
憂さを晴らすように夏目を抱く自分を心底軽蔑したからだ。
俺は夏目を大切にしたい。
俺があの人にされたような傷を夏目には負わせたくない。
だから、俺の中の苛立ちが落ち着くまで夏目とは距離をとっていた。
朔「俺、便所いってくる」
夏目「あ、はい」
俺は夏目だけを見ていればいい
夏目だけを大切にしたい
あいつだけを守れればいい…
そう思っているのに…
***
女性社員「深瀬さん、飲み物どうぞ」
”パシャン”
朔「…っ!」
深瀬「ぁっつ…」
女性社員「きゃ、す、すいません!」
柏木「澪っ!!!大丈夫?!」
朔「………」
***
(どうして、俺の身体は俺の言う事を聞かないんだよ。くそ…)
あの時、本当は誰よりも早くあの人の側に駆け寄りたいと思った。
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トイレ__
深瀬「あ…」
こういう時に限って、一番会いたくない人と出くわす。最悪だ。
朔「……」
深瀬「……」
言葉は交わさなかった。向こうもそのつもりらしい。
”ポタ…ポタ…”
(澪の手から水が滴り落ちる音)
先程、珈琲が掛かった場所を冷やしていたんだろう。
手から水滴がダラダラと垂れている。
(片手が使えないから上手く冷やせないのか…)
人の気配を感じて慌てて裾を下ろしたのか、腰回りの白い肌が少しだけのぞいていた。
その光景は今の俺には毒のようだ。
この人に触れたいという欲が俺を狂わせそうで…
朔「……火傷、痛むのか?」
深瀬「えっ?あー、ちょっとね」
朔「水ボタボタじゃねぇかよ。柏木に手当してもらえば?」
深瀬「陽介は、心配し過ぎるから」
「………」
少しの沈黙
深瀬「んじゃー、俺は行くね」
そう言って、俺の前から立ち去ろうとする行く手を阻む。
”ダンッ!”
(入り口の壁に手を当てる音)
朔「まだ、話の途中なんだけど」
深瀬「びっくりしたー。手、どかしてくんない?」
朔「また俺から逃げんの?」
深瀬「……」
一瞬、彼は目を伏せ
朔「何か言えよ…」
深瀬「昔のことだろ?」
笑顔でそう答えた。
朔「昔?あー、そうだよな。俺があんたに捨てられて苦しんでる時、あんたはどこにいた?
俺が毎日のように悪夢にうなされてる時、
あんたは誰と寝てた?
俺があんたを必要としてる時、
あんたはあいつと宜しくやってたのか?」
深瀬「……」
朔「答えろよ…せめて、俺にちゃんと理由くらい言ったらどうだ?」
深瀬「…悪かったと思ってる。本当に」
苛立ちが治らない。
どうすれば、この腹の底から溢れ出る苛立ちを止められるのか自分でも分からない。
深瀬「でも、俺は一度も後悔はしてない」
何度も夢に見た鋭く綺麗な瞳が俺を真っ直ぐ見据えて、そう言った。
この目で何度、俺だけを見て欲しいと望んだか…
俺がどれ程この人の背中を追い求めて…
俺がどれだけ、
この人を手に入れたいと望んでいたか…
この人はちっともわかっていない。
朔「…その髪色、全然似合ってねぇよ」
”ガンッ!!”
(朔が壁を殴る音)
俺は壁を強く殴ると、その場を立ち去った。
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デスク__
夏目「あ、先輩おかえりなさい」
朔「ん…」
夏目「もう、上がりますか?」
朔「悪い。俺やっぱり今日中に仕上げたいのあるから先帰ってくれ…」
夏目「そ、そうですか…」
夏目の声から明るさが薄れていく。
分かってる。また不安にさせた。
朔「…ごめん、これが全部済んだら夏目のところに帰るから」
夏目「はい。待ってますから」
夏目は必死に笑みを浮かべて、退社して行った。
(最低だな…俺…)
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夜のオフィス__
いつのまにかデスクの上で眠っていた。
ふと、香る甘いラムネのような香り…
見慣れないカーディガンが肩にそっと掛けてあった。
持ち主は言われなくても、分かっている。
辺りを見渡すが、人影は無い。
俺は立ち上がり必死にあの人の姿を探した。
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屋上__
階段を駆け上がると、あの人が夜空を見上げていた。月明かりに照らされているその横顔があまりに綺麗で
一瞬、時が止まったかと思った。
(見つけた)
その光景を見て、ふと昔を思い出す。
***
(過去の回想中)
朔「月、好きなんですか?」
君は学校の屋上で寝転びながら、よく月を見上げていた。
澪「んー、好き」
朔「案外ロマンチストなんすね」
澪「ロマンチスト黒帯だからね?俺」
朔「なんすか、それ(笑)」
澪「1番好きなのは水溜まりの中に反射した月なんだ…でも、いつでも見れないだろ?」
朔「あー、そうですね。雨上がりとかじゃないと…ってか、そんなのが1番?満月とかじゃなくて?」
澪「逆さの月だからだよ…」
朔「えっ?逆さの月?」
澪「うん。だってさ………」
***
逃げられないように静かに近づく。
…
…
…
朔「…あんた、ここで何してんの?」
深瀬「わっ?!びっくりしたー」
朔「……これ、あんたのだろ?」
カーディガンを差し出した。
深瀬「あー、違うかな?」
朔「嘘つくなよ。これ、あんたの香りがする」
深瀬「…そこ、置いといて。余計な事してごめんな」
俺の方を見ずに彼は答えた。
それが心底気に入らない。
朔「…こっち見ろよ」
深瀬「嫌だね」
朔「…見ろって」
深瀬「しつこいぞー」
もう限界だ。
もう…限界なんだよ。
俺は……
俺は……
朔「……俺を見てよ」
朔「澪さん…」
深瀬「……頼むから、そんな声で俺の名前を呼ばないでくれ…」
震える声。
再会して初めて、
この人のこんなに苦しそうな表情を見た。
俺は澪さんに近づいて行く。
この人に触れたら…
俺は、もうきっと後戻りができない。
深瀬「駄目だ。それ以上こっちに来るな」
朔「どうして?」
深瀬「頼むから…」
朔「俺は…あんたに触れたい」
深瀬「来ないでくれ」
朔「いやだ」
深瀬「…っ」
”ダッ”
(澪が走り出す音)
朔「逃がすかよっ!」
”グイッ”
(澪の腕を引き寄せる音)
俺から逃げようとする澪さんを無理矢理腕の中に押さえ込んだ。
血が逆流するような感覚と興奮。
どれ程、この人にもう一度触れたいと思ったか。
どれ程、腕の中に閉じ込めたいと願ったか…
深瀬「やめろ…朔」
朔「もう、止められねぇよ」
俺は乱暴にそのまま澪さんの唇を塞いだ。
深瀬「やめ……っ…ん…」
(足りない…全然足りない…)
この人はまるで俺を狂わせて溺れさせる甘い毒だ。
触れたら、もう抗うことはできない。
それが分かっていたから、この人に触れる事ができなかった。
(もっと欲しい…もっと…もっと…)
腕の中でもがく澪さんを無視して、貪るようなキスをする。
(足りない…足りないんだよ…)
”ドンッ!!”
(澪が胸を突き飛ばす音)
深瀬「っ、朔!…やめろって!」
胸を強く突き飛ばされ引き離される。
でも、俺は直ぐにまた澪さんの温もりを求めようとした。
深瀬「だめだ…来るな」
朔「どうして」
深瀬「…ハル君が泣いちゃうよ」
澪さんがそう呟き、その言葉で俺は我に帰った。
夏目の泣き顔が脳裏に浮かぶ。
深瀬「今のは無かった事にするから」
乱れた服を整えながら、そう告げる澪さん。
深瀬「だから、朔も忘れて」
朔「簡単に言うんだな。忘れろって…」
深瀬「……」
朔「あんたにとっては簡単だったんだな…俺を忘れるのは…」
深瀬「もう、朔とは会わない」
朔「……」
深瀬「…傷つけてごめんな」
朔「……」
深瀬「あ、そうだ。その髪色似合ってるよ。
最後に伝えれて良かった」
そう言って澪さんは俺の前から消えた。
朔「あんたは何度でも躊躇うことなく、俺の前から簡単に消えられるんだな…」
俺はまた、あの人に捨てられた気分だった。




