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89.兆しの輪郭-1

 オスカーが、帰っていった。

 それを理解した瞬間、本能的に感じていた恐怖心が和らぐ。

 口から飛び出そうなほどに暴れ回っていた心臓の鼓動が少しずつ、落ち着いていくのを感じた。


(なんで、だろ……影の中にいた時は、全然大丈夫だったのに……)


 ゆっくりと立ち上がれば、皆がこちらを見ている。

 申し訳ないと思いながら、ロゼッタは笑顔を顔に貼り付けた。


「すみません、何か……急に怖く、なっちゃって」


 ヴェルシエラが、口を開く。


「無理して笑わないの。怖いって思った時点で、影に隠れとけば良かったのに……」


「何となく……その場から動かず、真っ直ぐ立って、笑顔で迎えなきゃって、強く思ったんです」


「……」


「結局できなかったんですけどね、えへへ……」


 何故、そんなことを思ったのだろうか。

 あの本能的な恐怖心といい、絶対に何かしら理由があるはずだ——。


 思考を、回す。

 その瞬間。クロウに軽く頭を叩かれた。


「ッ!? なんで叩くの!?」


 痛くはない。

 そして「なんで」と言いつつ、そこそこ発生しているやり取りだ。


 ……もう流石に、理由は分かっていた。


「せっかく何か思い出しそうになってるんだから……ほっといて、いいのに……」


 クロウに頭を叩かれる時は、何かを思い出しそうになっている時だ。


 忘れているということは、()()()()()()()()なのだとは思うが……パズルのピースが1つだけ抜け落ちているようで、どうしても気になってしまう。


 だから、邪魔をしないで欲しい。


 そんな意図を込めてクロウを見上げると、彼はこちらを見下ろしながら眉間にシワを寄せていた。


「とてもじゃねぇが、テメェは何かを思い出していい状況には見えねぇんだよ。黙ってしばかれてろ」


「うぅ……」


 これは当分の間、阻止され続けるに違いない。

 それにしても、「黙ってしばかれてろ」はなかなかに酷いと思う。


 クロウが離れていったタイミングでレヴィに視線を向けると、彼女は彼女で苦笑していた。


「そういうやり取り。誤解の元は、そういうやり取りです」


 それは、「ロゼッタはクロウのことが好きだ」と勘違いされた騒動の話である。

 この場面で引っ張り出さなくても、とロゼッタは思う……が、これはあえて話を変えようというレヴィなりの気遣いだ。


 その気遣いをありがたく受け取りながらも、ロゼッタは反論する。


「今のは仕方ないじゃないですかぁ……」


「ふふ、それもそうですね」


 そう言ってくすくすと笑うレヴィの口調は、完全に敬語に戻っていた。

 何なら、女子会後に拠点で会った時にはもうそれだった。


(なんでだろう……?)


 ロゼッタは、それをずっと思っていた。

 ちょうど良い。話題を変えようとしてくれた彼女の優しさに甘えることにした。


「女子会の後からずっと思ってたんですけど、レヴィさんは話し方、もっとフランクな感じで良いのに……」


 レヴィの本来の口調は、少年を彷彿とさせる中性的なもの。

 それを知っているがゆえに、今の敬語口調には違和感を覚えてしまう。


 指摘してみると、レヴィは「あー……」と声を漏らしたあと、言葉を続けた。


「アンジェさんの家では出ちゃったから開き直っただけで、やっぱり「誰かと話す時は、とにかく敬語を使いなさい」っていう、

 パパの教えが抜けないんですよね。他の人がいると、どうしてもこうなっちゃいます」


 距離を置かれているような感じがして寂しくもあるが、逆に「レヴィの本来の口調を知っていて、自分にはそれを使ってもらえる」という状況には特別感があって、少し嬉しかった。


「うーん、仕方ないですね。レヴィさんの喋り方、好きなんですけど……」


「それなら、また女子会しましょう」


「……そうですね」


 レヴィの素の話し方を聞くには、女子会をするしかない。

 謎の方程式が爆誕してしまったが、女子会そのものは本当に楽しかった。


 ……またできるのであれば、それはそれで嬉しい。


(万が一にでも血生臭くなったら嫌だし、闇オークション潜入作戦の前に、漫画は全部返しに行こう……)


 オスカーがやってきた事情は聞いていた。

 それに伴い“闇オークション”というものに侵入して売られる予定になっていた奴隷の人々を助けてオークションを阻止すると同時、関係者を捕縛するという話も聞いていた。


(エスラさんたちも参加するっていう話だったし……間違いなく、今までで一番重大な作戦だから)


 どうやら、闇オークションの開催自体は毎年恒例だったようだ。

 しかし昨年まではダミー情報を掴まされ、規模の小さな重要度の低いイベントを潰すことしかできていなかったらしい。


 しかし、今回はオスカーの協力により、高確率でこれが本命イベントだと判断できている。

 絶対に、失敗できない作戦だ。


 ……だからこそ、ロゼッタは思う。


(なんで、オスカーさんのことを「怖い」って思っちゃったんだろう……)


 オスカーはステフィリオンのために、これでもかと動いてくれている。

 しかも、かつてはラザラスのことも助けてくれた。


 なのに、どうして。


「……」


 レヴィがせっかく違うことを考えさせてくれていたのに、結局、元に戻ってしまった。

 頭を横に振るい、ロゼッタは少し離れた場所で椅子に腰掛け、ぼんやりしているラザラスの元へと向かった。


(お、推しと対面したからかな……)


 原因不明の恐怖に襲われながらも、ある程度は話を聞くことができていた。

 だからこそ、“おっさん案件”が変なタイミングで効力を無くしていたことについては、ロゼッタも把握していた。


 ロゼッタはラザラスの近くに行き、心ここに在らず状態の彼に話しかける。


「ラズさん」


「!」


 すると、ラザラスは驚き、肩を揺らす。

 その後は何事もなかったかのように、やんわりと微笑み返してくれた。


「もう大丈夫そうか?」


「はい」


「……良かった」


 心の底から、良かったと思ってくれているのが伝わってくる。

 それを申し訳なく思っていると、ラザラスは「そういえば」と話を切り出した。


「影の中にいたとはいえ、ロゼは何ヶ月か前にオスカーさんと対面してたよな? あの時は大丈夫だったのか?」


 それは、ロゼッタ自身も抱いた疑問だった。


「うーん、あの時は全然大丈夫で……何なら、余裕が無くなるラズさんを余裕で見てたというか……」


「な、なんだよそれ!? 恥ずかしいな……相当な醜態晒した記憶しかしない……」


 そう言って、ラザラスは頭を抱えてしまった。

 ……違う意味で、申し訳なくなってしまった。


 黙ってやり取りを聞いていたらしいルーシオが、ロゼッタとラザラスの傍にやってきた。

 彼は、ロゼッタからほんの少しだけ距離を取りつつ、口を開く。


「……。影にいれば、あれくらいの年代の人間と出会っても大丈夫か?」


(あれくらいの年代……なるほどね。オスカーさん“に”じゃなくて、年齢的なものに反応した可能性。普通にあるよね……)


 言われてみれば、ラザラスが事務所の社長であるカミーユと電話で話を始めた時には警戒心こそあったが、特に心理的な負担はなかった。


 今回はオスカーの年齢に対して恐怖心を抱いたのかもしれない。

 それなら「対面さえしなければ大丈夫だ」とロゼッタは判断した。


「大丈夫です。その、放送局であのくらいの年代の人には、これでもかとすれ違ってますし、

 それこそ、近所の果物屋さんのおじさんと会話をしたこともあるんですけど……むしろ、気を遣わせてすみません」


 ステフィリオンとしての活動中に遭遇することは無かったが、放送局では定期的に出会っている。

 何なら、かなり近くに来られても問題無かった。


 つまり、今回が異常だっただけだ。

 ロゼッタの問いに、ルーシオは「良かった」と呟いた。


「言われてみればそうだよな。オスカーさんに限らず、大御所って色んな分野にいるわけだから。でも、本当に無理すん——」


 ルーシオのスマートフォンが鳴った。電話が掛かってきたようだ。

 彼は相手を確認した後、ロゼッタを見る。


「オスカーさんだ。悪い、ちょっと席外す」


「あのー……もし良かったらそれ、“スピーカー”って奴にしてもらえません? どこまでなら大丈夫か、普通に気になるんで……」


 影の中で声を聞くのは大丈夫なのだが、“影の外”はどうなのだろうか?


 一度、この手の症状に対する自覚が無かった頃にカミーユに対してやったことはあるが、オスカーを相手に試したことはない。


 ……ただ単に、あの頃は精神的に余裕があっただけなのかもしれないが。


(サイプレス拠点とティスル拠点行く前だったし、色んな人の事情を聞く前でもあったからね……)


 ラザラスが負傷したブライア拠点での出来事も相当ではあったが、それ以上にサイプレス拠点とティスル拠点に対しては、ありとあらゆる意味で最悪な思い出しかない。

 ゆえに、何かしら精神的な変化が生じている可能性は、否定できない。


 今後待ち受けている作戦のことを考えると、リスク回避のために事前に試しておきたかった。

 

「ん、了解」


 ルーシオはOKサインを出した後、改めてオスカーの許可を取るために席を外した。

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