崩れた体
きらりと月の光を反射しているそれは、アランさんがいつも腰に帯びてはいるものだが、実際に使っているところを見るのは初めてだ。
「とりあえず家まで走れますか?!」
「は、はいっ」
頭を何度も振って答えた。逃げなくちゃいけないとはわかっているものの、この状況に足が思うように動かずに苛立つ。
わたしを庇うように先を行かせ、アランさんはぴったりと私の背中にくっついてくる。
後ろから空気を切り裂くような音がしたと思うと、何かを叩く音がした。振り返って今何が起きているのか現状を把握したくはあったが、流石に今それをするべきではないとわかる。
すぐそこに家の扉が見えているのに、すごく遠く感じる。
ようやく扉の前に着いたと同時に、自動で扉が開かれた。雪崩れ込むように家の中に入ると、後ろからアランさんも入り、リリーが素早く扉を閉めた。
「体勢を低くして、窓には近づかないようにしてください。矢を射られるかもしれない。近くに騎士が待機しているので、この騒ぎを聞いて駆けつけて来るはずです」
アランさんの言葉にわたしとリリーが同時に頷く。ローズはリリーが庇うようにして抱きしめていて、じっとしたまま動かない。
騎士が近くで待機しているのなら、きっとすぐに駆け付けてくれるだろう。だからそれまで少しの辛抱だ。
ふと、先ほどの騒ぎは診療所のほうにも聞こえていただろうか、と今更思い至った。多分狙いはわたしなので、診療所に居る子供たちが害を与えられることは無いだろうが、それでももしものことを考えると落ち着かない気持ちになる。
「玄関から少し下がって」というアランさんの指示に従い、しゃがみこみながら扉から離れた。
アランさんは変わらず扉前から動くことなく、剣を構えている。
そんなわけはないのに大きく呼吸をすれば、それが扉の向こうの人にも聞こえるかもしれないと、浅い呼吸を繰り返してじっと動かずにいた。
ピアノ線のようにピンと張り詰めた空気に、動けば肌が切りつけられてしまいそうだ。
やがて聞こえてきた複数の足音に体が強張った。リリーの腕の中で動かずにいたローズが音を聞いてびくっと体を震わせる。すかさず、リリーがその小さな体をぎゅっと抱きしめた。咄嗟に手を伸ばしてリリーの背中に触れる。
それがリリーを安心させるための行動だったのか、自分が心を落ち着かせるための行動なのか、自分でもよくわからない。
全員が息を詰め、扉の向こうに意識を向けているのがわかった。
「副隊長申し訳ありません!遅くなりました!」
威勢の良い声に、リリーの腕の中のローズがまたびくっと体を震わせた。
どれだけの時間経ったのか正確にはわからないが、随分長い間息を殺していたような気がする。
扉の向こうの声はどうやら味方であることがわかり、肩の力を抜けば、アランさんが振り返って頷いた。
アランさんが扉を開くと、すぐに人が入ってくる。その視線がまっさきに向けられ、その目にこちらを心配しているものを見つけ、詰めていた息を細く吐き出した。
「お怪我はありませんか?」
「私達は家の中に居たので全然……」
「わたしもアランさんに庇ってもらったので」
真っ先にわたしとリリーに向かって問いかけられた。ちらりとだけ振り向いたローズは、けれどまたその顔をリリーのお腹へと押し付けて隠してしまった。
扉から入ってきたのは見慣れた騎士服を纏った青年二人だ。
「敵は」
アランさんが剣を鞘に収めながら問いかける。その声はまだ緩んだ様子がない。
「はい、一人は木の上にいるところを捕縛しました。もう一人は逃走中でしたが、その、……追跡中です」
妙に歯切れの悪い返答に違和感はあったものの、アランさんは頷いて流した。
「あの、子供達は大丈夫でしたか」
「ええ、誰も怪我はしていないようです」
にこやかに応対してくれた青年の言葉に、ひとまず胸をなでおろす。
急襲であったものの、どうやら誰一人怪我をすることがなかったようだ。全てアランさんのおかげだと声をかけようとし、扉前に居るアランさんへと視線を向ける。
「アランさん?」
アランさんの様子がおかしく見え、思わず声をかけた。だがアランさんから返事はない。
肩が上下に大きく動く様子は明らかに変だった。
よく見ると額に汗をかき、何かを耐えるように目をきつく瞑っているのがわかった。
尋常ではない様子に胸がざわついた。
「副隊長?」背後で騎士の一人が声を上げた。
「アランさん!!」
目の前でアランさんの体が崩れるように前に倒れていく。叫ぶような声が喉から飛び出た。手を伸ばしながら走るものの、重い音を立ててアランさんが床の上に倒れた方が早かった。




