第二話
「いいよ、これで」
夫は淡々と言った。
「…でも、そろそろ替えたいのよ。なんとなくくたびれてる感じしない?」
絵里はこれまでに何度かカーテンを新調したいと夫に言ってみた。
家の事に関心が薄いせいか、この手の事は二つ返事で了解してくれるのだが、このカーテンだけは譲ろうとしなかった。
無断で替えたら怒るかしら…昼食の後片付けを済ませると幼稚園のお迎えの時間になっていた。絵里は、義母から頼まれた液体肥料の商品名が書かれたメモをポケットにしまうと、車で家を出た。
六歳になったばかりの長男雄太は来年小学校の入学を控えており、次男の颯太は幼稚園の年少だ。時が経つのは早いものだと、絵里はしみじみと感じていた。
幼稚園に着くと、こどもを迎えにきた母親達が誰からともなく立ち話を始めるのだった。
二時になり、こどもが母親の元へ帰ってきても井戸端会議は終らない。
「ほんと 早いよね。来年は小学生だもの」
望美はこどもの鞄を肩にかけながら言った。
絵里と望美は地元の高校、大学で一緒だった幼なじみのような友人だ。
当時、望美は諫早の実家に住んでいたが、結婚後に長崎市内へ移り住んでからは絵里の長男と望美の一番下のこどもが同い年だったこともあって交流の機会が増えていた。同じ幼稚園に通わせる事になったのも手伝い、この頃はこうして望美と世間話をするのも日課のようになっていた。
「この間までおむつしてたのに…来年は大変だわ。ランドセル買ったり物入りだし、お稽古事も始めようかと思ってるの」
絵里と望美はそれぞれのこどもの手を引きながらゆっくりとした足取りで歩いていた。
「うちなんて主人が結婚するの遅かったから、颯太が二十歳になる頃には隠居かな、なんて言ってる」
絵里は笑いながら言った。
「えー、そんな事無いよ〜 若いじゃない、全然いけるよ」
望美は絵里の夫を褒めあげた。絵里には自慢の夫だ。
「家ではオヤジそのものよ」
一応、謙遜するが古くからの友人に羨ましがられると絵里はまんざらでもない気分だった。
「絵里の旦那さんは素敵よ。品もいいし、どこへ出しても恥ずかしくない感じよね」
望美は絵里の夫のファンだった。が、ひとしきり誉めた後、急に声を潜めて
「……でも、モテるんじゃない?」
望美が言った。
「…どうかな。 …仕事仕事で…仕事の事しか頭にない人だから…」
絵里は曖昧な口調で呟いた。
「気をつけたほうがいいよ。……会社の女の子とか、大丈夫?」
絵里は幼稚園の門からやや離れた場所に置いてある車に向かいながら
「まさかぁ」
笑いながら受け流した。こども達がふざけ合っているのに気を取られつつ上の空で
「…うーん…帰りは遅いかなぁ。けど、いつも仕事だし…」
絵里が答えた。
「……あのさぁ、これ言おうか迷ってたんだけど…」
不意に望美が真面目な顔で口ごもった。
「なに?…」
絵里は望美に訊き返すと、こども達が道の真ん中でじゃれ合っている姿が視界に入ってきた。
「……ほーら! ふざけないでっ 車が来るでしょ!」
大きな通りではないが時々車が通りかかる。遊び出すと注意力が欠如するこども達が気がかりで、やや声を張り上げて安全確認をするよう促した。絵里とは対照的に、望美はそう言ったきり黙ったままだ。
「なによ」
そんな望美に絵里は次の言葉を催促する。
「……まぁ、そんなことないよねっ」
考え込むような表情をしていた望美だったが、絵里の目を上目遣いで見つめると、今度は気持ちを切り替えるように明るい声で応じた。
「なにが?」
一人で納得してる望美が何を言おうとしていたのか絵里には分からない。
「ごめん、勘違いだと思うから」
望美は自分の言った言葉を打ち消すように明るい声で詫びたが、絵里は言いかけて止めるその様子を可笑しく感じて笑いながら言った。
「…ねぇ、乗ってく?」
幼稚園から歩いて十分ほどの場所に住んでいる望美を送ろうと、声を掛けると
「いいの?」
「今日はお義母さんに買い物頼まれたの。ホームセンター寄らないといけなんだけど、通り道だし、乗って」
絵里は気さくな感じで言い、こども達三人を後部座席に乗せ、望美が助手席に乗りこむのを確認すると、空き地の前に停めてあった車のエンジンをかけた。