プロローグ
「おはよう、目白さん」
「はい、おはようございます。ほらっ、海斗くんも」
「あぁ、おはよう」
雲一つない晴天の下で神谷海斗の名前を呼んだのは隣にいる目白結衣だ。学業成績一位、誰もが認める美貌を持つ生徒全員が憧れる存在なのだ。
そんな目白との関係はというと、生徒会の会長副会長といった具合だ。出会いは二年前の入学式での一目惚れなのだが、今や親しい間柄になり交際をするまでに至った。
「も〜、ちゃんと挨拶してよね。これも仕事なんだから!」
「ごめん、ちょっと考え事をしてた」
「悩み事なら一人で抱え込まないでよね」
頬を膨らませた彼女は腕を組み、ムスッとした態度を取る。
交際に一手目を出したのは驚くべきことに目白からだった。当然、好意を抱いていた神谷は即答をした。しかし、何の取り柄もない神谷が目白と付き合っていることに対して妬ましく思っている人も少なからずいる。
「あら、杉見さん。おはようございます」
「お、目白さんは今日もかわいいね。ほんと何で神谷が付き合えてるのか分かんねぇな」
流れるように嫌味を言う彼は二人と同じクラスにいる中心的な存在だ。ラグビー部ということもあり筋肉質な体には少なからず魅力を感じる人もいる。
「……今日も頼むな」
そう言い残すと杉見は上機嫌に校内へと歩いていった。と、同時に神谷の脳裏が焼き切れるようなノイズが走る。
「海斗くん、顔色が悪いみたいだけど大丈夫?」
いつの間にやら目白は神谷の顔を覗き、温かみのある視線を送っていた。知らないうちに顔色が悪くなっていたのだろうか。
「全然大丈夫だよ」
「ならいいけど……」
朧げに何か言いたそうな彼女を前に校舎から朝休みの終了を告げる音が聞こえてきた。授業の準備をするために二人は足早にその場を去ったのだった。
「起立、礼」
気弱な返事が教室に響くと生徒は各々の帰路に向かう。ようやく学校生活という拘束が無くなったとクラス全員が思っている。ただ一人、神谷を除いては。
「海斗くん。じゃあいつもの場所で待ってるね」
「うん」
短く頷くと神谷は重い足を力づくに動かして旧体育館へと向かう。
「やっと来たか」
中に入ると杉見たち含めて男女五人ほどの人がすでに集まっていた。彼らの目線はまるで獲物を見つけた猛獣のように飢えており、普通ならば目を向けることさえままならない。
当然、神谷も例外ではなく体育館に入ってわずか数歩で立ちすくんでしまった。同時に集団の先頭に立つ杉見は神谷目掛けて助走をしながら言う。
「じゃあ今日も頼むぜ」
「ブアッ!」
ラグビーによって鍛えられた本気のストレートを神谷は避けることなく顔面に受ける。
「ハハハハハ! おいおい、杉見。そんなに本気で殴ったら死んじまうぜ!」
取り巻きたちは無様にも床に転げ落ちる神谷を見て、大笑いする。ぼやけた視界で彼らを見つめる神谷は常に怒りを持っていた。
杉見という大きな盾の後ろに隠れながら、自らのことを笑い合っているからだ。当然、この体育館は普段使うことはない場所なのだから誰も助けに来ることはない。
「ふー。明日もよろしくな」
満足げな声を漏らしながら杉見一行は体育館から堂々と出ていく。一人取り残された神谷はというと、鼻血が止まらず、まぶたは青くなり、おまえに全身がズキズキと痛んでいる。
ふらふらと力なしに立ち上がった神谷はバッグに入っているティッシュを取り出すと真っ先に鼻へと突っ込む。それからある程度の処置を済まし、荷物を持ったその時。
「海斗くん! どうしてそんなっ……」
「なんでここに……?」
勢いよく扉が開いたかと思うと、息を切らした目白が入ってきたのだ。どうして自分のいる場所を見つけられたのか衝撃を受け、思わず心に思っていた声が漏れる。
「いつもどこかに行って、怪我して帰って来るから変だと思ってたらの。今日だって朝から顔色悪かったし。やっぱりこういうことだったのね!」
「それでここに来たのか。じゃあ帰ろうか」
数秒で冷静さを取り戻した神谷は淡白に返答すると手を差し伸べる。だが目白は酷い姿に成り果てている神谷をそのまま見過ごすわけには行かないようで、差し伸べられた手ではなく腕を捕まえる。
「はぐらかさいで海斗! 本当のことを話してよ……」
普段は神谷のことを優しく『海斗くん』と呼ぶのに今回は『海斗』と呼び捨てで言う。これだけで目白がどれほど重大なことだと捉えているかが分かる。
聞いたことがないほど凛々しく圧のある声に言葉が詰まる。その気持ちを紛らわせるために強引に足を進めると。
「話せないことなの……?」
弱々しい声に我を取り戻す。彼女の目からは涙が流れていたのだ。今まで自分のことを心配して流れたことのない神谷は胸の奥がじんじんと痛む。
「俺が結衣と付き合ってるのをよく思ってない人がいるんだけだよ。でも結衣には被害は及んでないから。心配なんてしなくてもいいよ」
「どうして…………」
「……え?」
「どうしていつも私を頼ってくれないの! 生徒会選挙の時だって! そんなに私を信頼できないの!?」
目白は普段の温厚なイメージを覆すほど嗚咽しながら叫ぶ。確かに神谷は生徒会選の時も夜中まで学校に残り原稿を書いたり広報活動の準備をしたこともある。
学期末の大掃除はもちろん、書類まとめなども全て自分一人でやっていた。胸に刺さる指摘されると、神谷の心の中にある何かが崩れ落ちた気がした。
「もう俺のことは放っておいてくれ」
「待っ!」
目白の手を無理やり引き剥がした神谷は走って体育館から出る。強引に引き剥がしたせいで地面に尻餅をついた彼女のことも気にせずに。いや、気にしたくなかったのだ。
「傘、持ってないな……」
門前に来るまで気付かなかったが、外で雨がしんしんと降っていた。一瞬、貸し出し傘を借りることも考えたが、傘は一本しか残っていない。
目白も今日は傘を持っていないのを知っていた神谷は、ゆっくりと家へと向かった。いつも通る道は真っ暗に見える。
「海斗くん!」
下を向いて歩く神谷の後ろから目白の声が聞こえて来たような気がした。
ドンッ!
が、気付いた時には何も感じることができなかった。
「んん……」
再び目を覚ました神谷は、真っ白で他には何も無い異次元な空間に違和感を覚える。
「ようやく起きましたか」
寝ぼけている自らの耳にどこからか女性の声が聞こえてきた。目を擦りながら声がする方向を見てみると、奥に誰かが座っていることだけが分かった。
女性は大きな白い翼を広げるとゆっくりと近くに寄って来た。その姿を見た神谷は反射的に寄ってきた女性に聞く。
「あなたは天、使……?」
「いえいえ、私は女神ですよ。天使は下の方にいます」
「じゃあその背中に付いている羽は?」
「これのことですか? これは魔法というか幻想というか……何とも言えないものですね」
女神は背中に付いている白くて柔らかそうな羽をパタパタさせながら言った。
「話は変わるけどここは?」
「ここは天界ですよ」
「じゃあやっぱり俺は死んだのか……」
ため息を交えつつ、神谷は肩の力を抜き自分の人生を振り返る。けれど、追い詰められていた相まって、何も思い出すことができなかった。
「それであなたを異世界へ招きたいのです」
「なんで俺が?」
「可哀想だったからですよ。気まぐれですね」
「え?」
そういう風な転生とかって自分が特別だったとかいうことじゃないのだろうか。少なくとも生前、かなりのオタクだった神谷が見てきたものとは雲泥の差だ。
「どうします?」
「行きます」
ここで行かないと答える人がいるのだろうか。異世界転生なんて夢のまた夢かと思っていたことだ。
今は神谷の目の前に、夢を叶える選択権がある。こんなにも素晴らしいものを前に棄権する訳にはいけない。
「詳しい事はこの紙に書いてあるので読んでくださいね」
女神は反則的にかわいい笑顔を見せ、ふわふわとした羽の中から紙を取り出す。受け取った紙に書いてあることを見て神谷はどんどんと項目にチェックを入れていった。
「女神様の名前は何ですか?」
「私ですか? 私は……ミカエルと申します。以後お見知り置きを」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
軽い自己紹介をしている間に神谷は全ての項目にチェックを入れ終えると、紙をミカエルに渡す。
「ふんふん……わかりました。では早速」
ミカエルはチェックを入れた紙に目を通すと両手をパーにして差し出してきた。二、三秒後、足元が白く光り出し辺りはほんのり暖かい空気に包まれた。
ミカエルは優しく温かい眼差しをこちら向けて更に言う。
「紙を見たから分かると思いますけど、神殺し。これを成し遂げることを目指して下さいね」
「ああ、分かっていますよ。女神様」
明るく暖かい光と共に神谷は異世界へと飛び立った。もうこれまでのような後悔ばかりの人生は送るまいと決めて。
こんにちは!
白神かぐやと申します。気に入っていただけたり、この先が気になる!という方がいましたら応援よろしくお願いします。




