Neun.杳
新任教師……間中と取り引きをし終えた私は、部屋から出てすぐに、廊下に立っていたゆうちゃんに思い切り抱き着いた。
「……姫?」
「……」
ああ、駄目かもしんない。
ゆうちゃんの声にひどく安心する。
私も大概、幼馴染みたち色に染められているなあ。
少し離れていただけでここまで不安になるのも、近くにいるだけで心から安堵できるのも。
彼らだからこそ、だよね。
「大丈夫でしたか?何もされていませんか?」
「……ん」
「それは何よりです。あの似非教師と二人きりなんて、僕は気が気でありませんでしたよ」
ゆうちゃんが額を合わせてくるので、私はくすくすと笑った。
言葉の割に、ゆうちゃんは怒ってない。
「……やっぱり聞いてたんだ、私と間中の話」
「彼には姫との話し合いが終わるまで手出しするなと念を押されてましたが、聞き耳を立ててはいけないとは言われてませんでしたので。あの室内にあらかじめ盗聴器を仕掛けておいたんです」
流石はゆうちゃん。
予想はしてたけど、幼馴染みの中でも随一の腹の黒さは惜しみなく発揮されてる。
「……姫の言葉、とても嬉しかったですよ。
“弱肉強食の世界ですもの、私の幼馴染みが潰されたのなら彼らはそれだけの存在だったということ”って。
僕たちを信用して下さっていることが明白で。姫の期待にはナイトたるもの、従順に答えなければなりませんね?」
私の意図は他人には不可解でも、幼馴染みには伝わってくれるからそれでいい。
まあ、私のさっきの言葉に、
“なんせ私の幼馴染みなんだから、潰されるわけがないでしょ?”
との含意もあることにゆうちゃんが気づいてくれたことは、正直心嬉しいけど。
これが長年幼馴染みをやっている賜物ってやつかな。
「それに、姫も僕らのやろうとしている趣旨を理解してくれたようで、痛み入りますね」
「……」
やっぱり、と私は溜息を吐く。
「もうこんな真似しないでよ、面倒だから」
「もちろんです」
彼らは時々、私を試すようなことをする。
今回もまた、そういうことだ。
果たして私がどうでるか、それを知りたいがために賭けのことを黙っていたのだろう。
結果は幼馴染みたちの期待に添えたというわけだ。
ご希望通りの展開。
「じゃあ、ゆうちゃんが指揮官じゃないんだね」
「ええ、僕だったら、なによりも大切な姫を渦中へ放り出したりしませんよ。お察しの通り主導権は彼が握ってますので、少々強引なところもあるやもしれませんが、なにを差し置いてでも、姫の御身は守ってしんぜますのでご安心ください。
例え精根尽きようと……いえ、この命尽き果てようとも、ね」
言ったねゆうちゃん。
私、約束を違う人は嫌いよ?
きちんと有言実行、してくれるんでしょうね。
『―――じゃあセンセイ。貴方が幼馴染みたちの代わりに私を満足させてくれるのなら、喜び勇んでこの身を差し出しましょう。
それこそ、贖罪の山羊のように……』
大人の世界も巻き込んだ、楽しい楽しい奪い合いのゲームの始まりだ。
気分的にはスケープゴートよろしく間中の思惑に乗っかる私だが、まさに飛んで火に入る夏の虫……灯りに誘われ身を滅ぼす蛾のなんと憐れで痛快なことかと、面倒に思いつつもちゃっかり楽しんでたりする。
幼馴染みの意図が分かりさえすれば、後は簡単だ。
むしろ面倒なのは、間中なんぞの相手ではなく……。
「ね~、ふうちゃん、いつまでそうしてるつもり」
私はやたらと腰回りに抱き着いて離れないふうちゃんに、盛大なため息をついて苦言を漏らす。
こうなるだろうな、とは思ってたんだよ。
うん、だって、幼馴染みの中で一番我を通そうとするのはふうちゃんくらいなもんだ。
例え“姫”の望みでも、嫌なものは嫌。
ふうちゃんはそれを如実に態度で表す。
飄々としているように見えて、実際は誰よりも童心を忘れていない。
「ね、姫、やめようよ。俺やだよー。あいつと姫が一緒にいるところを見るだけで、噛み殺したくなる」
「それって、私を?」
にこり、とふうちゃんを振り返って蠱惑的に微笑むと、やつも目尻を下げて笑った。
「……そうだよ」
瞳に暗澹たる色が宿る。
敢えて挑発した節もあるから、ふうちゃんが私を押し倒して、首にそっとその手を巻きつけてきても、私は文句の一つも言わなかった。
まあ、下がふわふわのカーペットで良かったかな。
もう少ししたらゆうちゃんが部屋の模様替えをするとか言ってたし、なんて思いながら、すぐ近くにあるふうちゃんの綺麗な顔をぼんやり眺める。
「あいつら頭おかしいよねえ。俺だったら姫を大切に囲って、誰の目にも触れさせないのに。片時だって離さない。
あんな男に少しの時間でも姫をやるくらいなら、今ここで、姫を俺だけのものにしたいくらいだよ」
しかし、気道を圧迫する手に、力が加わることはなかった。
ふうちゃんはあいつらと言うけど、私からしてみれば、ふうちゃんを含めた幼馴染み全員、頭がイカれてんじゃないかと思う。
私の何が、彼らの琴線に触れたのか。
出会ってからかなりの歳月を共にしてきたのに、未だその答えは分からない。
どうしてここまで執着されるのかと、本当に今更すぎる疑問が脳裏に浮かび上がってきて、考えることの馬鹿馬鹿しさに自嘲が漏れた。
―――幼馴染みの中で一番最初に出会ったのは、ふうちゃんかたいちゃんか、いずれかだった。
あの頃はまだ、ふうちゃんもたいちゃんも、自分のアイデンティティーを隠すように、互いに髪型や格好を綺麗に真似ていた。
だから初めに会ったのが双子のどちらなのか未だ見当もつかないが、なんとなく、本当になんとなくだけど、察しはついている。
殺意の篭った瞳。
あれを私に向けていたのは、おそらく……。
ふうちゃんは、そんな私を目敏く見抜いたように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「初めて会った日、きっと、姫に出会うために俺と大雅は今まで生きていて、姫に俺たちの持てるすべてを捧げることこそが、爾今、生きる意味なんだって天啓を授かった気がした。そう、そうだよ。神も仏も陳腐なこの世界すらクソ喰らえに思っていた俺が、姫に出会ったことを運命に感じたんだ。
息をするのがどういうことなのか、その時ようやく分かった」
双子が生まれ落ちて、最初に与えられたのは生母の死だった。
それも、実の父親による外因死。
詳しくは私も知らない。
知ろうとも思わない。
ただ、父親の手によって母親を奪われたばかりでなく、双子は数多くいた異母兄弟たちと命を賭けたサバイバルゲームを強いられることになり、空腹を満たすためにはまず他者を蹴落とすことだと、閉鎖的な処世術を身に着けたそうだ。
興味がないと言っているのに、笑顔のゆうちゃんが教えてくれた。
……ほ~んと、うん、ゆうちゃんは腹のうちが真っ黒黒だよね。
殺伐とした事情なんて知りたくもないのに、ていうかこれ、明らかに私みたいなヤングレディーに聞かせる話じゃないし、どうせならひた隠しにしておいてよって感じだし。
そんなこんなで暴力団の次代の頭と呼ばれるポジションを勝ち取ったふうちゃんとたいちゃん。
「いつか父親を失脚させてやるのが夢だったんだけど、姫に出会ってからは、なんて小さな目標なんだろうと馬鹿馬鹿しくなっちゃって、大海を知らないってこういうことなんだよねぇ、きっと。もちろん、おとーさまにはお早めのご退場を願うけど、ね」とも本人が言ってた。
ね、じゃないよ。
首を傾げても、ちっとも可愛くない。
肉親に対する一切の情け容赦のない双子にほとほと呆れながらも、どーぞ私と関係のないところでご勝手に、と思ってしまう私もまた、傍から見れば非情なのだろう。
「ふうちゃん」
「何?俺の姫サマ」
「……喉乾いた」
言外に邪魔、早く私の上から退いてと訴えれば、ふうちゃんはニコニコと笑って私の上半身を起こしてくれる。
その後、何故か飲料水を口移しで飲まされ、何のためにコップがあるのか、ふうちゃんは今一度考え直した方がいいんじゃないかな。