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花奴隷調律譚  作者: 駒草
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第7話

第6話


 すっかりお馴染みとなった闇奴隷商の馬車が、手慣れた調子で我が家の前に停まる。

 扉を開けると、商人は前回の引きつった愛想笑いとは打って変わり、今や「最高のカモ」を見つけたと言わんばかりの、実に浅ましい満面の笑みを浮かべていた。

 

「旦那様! 旦那様! お待たせいたしました! 今日はもう、旦那様好みの『極上の壊れ物』が入荷いたしましたよ!」

「おや、ずいぶんと早かったね」

「へえ、何しろ裏のルートで『使い物にならなくなった最高級品』が出たと聞きましてね、他所に回る前に叩き落としてまいりました!」

 

 商人が大仰に荷車の幌を跳ね上げると、そこに横たわっていたのは、久々の「男型」の植物人間だった。

 だが、その状態はルージュの時よりもさらに陰惨で、徹底的に「尊厳」をへし折られた姿をしていた。

 

 かつては巨木のように猛々しかったであろうその身体は、全身に黒い「枯死の斑点」が広がり、まるで焼き払われた森の残骸のようだった。

 胸元に咲いているはずの花は、強酸性の薬品を流し込まれたのか、あるいは物理的にねじ切られたのか、花弁の大部分が失われ、焼け焦げた黒い切り株のような無惨な痕を晒している。

 

 最も凄惨だったのは、彼の頭部だった。

 美しいはずのつる草の髪が、頭皮ごと強引に引きちぎられており、そこからどす黒い樹液が絶え間なく滲み出て、彼の顔半分を汚していた。

 四肢には、肉に深く食い込んだまま錆びついた「拘束具の破片」がそのまま残されており、動こうとするたびにその破片が傷口を抉るようになっている。

 

「……なるほど、これはいい。実に見事な壊れっぷりだ」

 

 私がうっとりとその無抵抗な肉塊を見つめると、商人は「やはりこの旦那の趣味は理解できん」と小さく身震いしながらも、誇らしげに胸を張った。

 

「こいつは、ある過激な地下闘技場で『絶対王者の盾』として使われていた戦闘用の上位個体でしてね。どれだけ傷ついても死なないことをいいことに、客の娯楽のために四肢を切り刻まれ、最後は退屈した主によって、その自慢の花と髪を焼き払われたそうです。脳の術式も完全に破壊され、今はただ息をしているだけの木偶ですよ」

「結構。買い取ろう」

 

 私は金貨の詰まった袋を商人に投げ与えると、その重い、ボロボロの男型を抱き抱えた。

 腕に伝わる重みは、生きているというよりは、乾燥して立ち枯れた大樹のようだった。かすかに漏れる呼吸からは、血の匂いと、焦げ付いた植物の酸っぱい悪臭が漂っている。

 

 ──よし、私の時間だ。


 まずは、肉と同化しかけていた錆びた金属片の除去からだ。私は魔力のメスを極細の針状に成形し、彼の緑の脈管を傷つけないよう、骨にまで達していた鉄屑を一本ずつ丁寧に、肉から「剥離」させていく。金属が抜けるたび、彼の身体がビクンと反射で跳ねるが、私はその痛みの拒絶すら愛おしく抑え込んだ。

 

 薬品で完全に炭化していた胸元の傷口には、細胞を強制再生させる高純度の培養液を惜しみなく、溢れるほどに注ぎ込む。

 ジュウ、と不気味な音を立てて死んだ組織が剥がれ落ち、生々しい肉芽が盛り上がってくるのを確認すると、私は失われた花弁の「芯」となる微細な魔力繊維を、指先で一本ずつ、彼の主脈へと編み直していった。

 

 最も心血を注いだのは、頭皮の接ぎ木だった。つる草を失い、脳の術式が露出しかけていた惨めな頭部へ、私は自身の温室で最も気高く育てた最高級のアイビーの若株を宛がった。

 彼のちぎれた神経線維と、アイビーの微細な根を、顕微鏡を覗き込みながら一対一で結合させていく。私の魔力を潤滑油として流し込みながら、一針、また一針と、新たな「髪」を彼の頭皮へと定着させてゆく。

 

 気が遠くなるような、しかしこれ以上ないほど贅沢な三日三晩の密室の作業。私の魔力と完全にリンクした彼の脈管が、やがてドク、ドク、と重々しい鼓動を再開し、体内から黄金色の輝きを透かせ始めた。

 

 四日目の朝、彼を起動する。

 闘技場でただ「肉の盾」とされていた彼の瞳には、光など微塵もなかった。激痛と絶望の果てに、自我のスイッチを完全に切ってしまったような、深い、深い虚無。

 私が彼の傷だらけの顎を持ち上げても、ピクリとも動かない。

 

「……ふふ、まずは身だしなみからだね」

 

 私は彼を丁寧に洗い流し、その頑強な身体に相応しい、深いナイトブルーの、仕立ての良いタキシードを着せた。

 胸元から新しく再生し始めた花は、かつての絶望を吸い込んだせいか、まるで夜の闇を溶かし込んだような、妖しくも美しい「漆黒の花」だった。

 新しく生え揃ったアイビーの髪が、彼の精悍な顔立ちを縁取り、壊れる前よりもいっそう退屈で、美しい美術品へと生まれ変わった。

 

 私は彼を抱き上げ、陽だまりの居間へと連れて行った。

 ソファでは、すでにのんびりのルールに完全に調教されたブラン、ルージュ、ヴィオレットの3人が待っていた。

 ヴィオレットは、新入りが自分と同じようにボロボロだったことに気づいたのか、ハチミツのついた指を口元に当てて、心配そうにその漆黒の花を見つめている。

 

「みんな、新しい仲間だよ。彼の名前は……『ノワール』。夜の闇を纏った、美しい『黒』だ」

 

 私がノワールを大きなソファの中央に座らせると、彼は命令を待つ人形のように、ただ硬直して虚空を見つめていた。

 戦闘用としての本能が残っているルージュが、そのノワールの尋常ではない中身の空虚さを察し、複雑そうな顔で一歩前に出た。

 

「主人……この者は、心が……」

「いいんだよ、ルージュ。怒る元気もないのなら、なおさら、ここでは楽ができる」

 

 私はノワールの前に屈み込み、その大きな、傷だらけの手をそっと両手で包み込んだ。

 

「ノワール。最初の命令だ。ここでは、誰も君を殴らないし、君を盾にすることもない。君の次の任務は……」

 

 私はテーブルの上の銀のトレイから、今日のために用意した、特製の「ハチミツ漬けの甘いナッツ」を一つ摘み、彼の乾いた唇へと押し当てた。

 

「これを食べて、ただ困惑すること。それが君の役割だよ」

 

 ハチミツが唇に触れた瞬間、ノワールの漆黒の花が、微かにピクリと震えた。

 ハチミツの甘みが唇からじわりと染み込んでいく。ノワールの虚ろだったナイトブルーの瞳が、ほんの微かに、本当に僅かだけ揺れた。

 

 彼は与えられたそれが何なのか理解できず、拒絶することすら忘れて、ゆっくりと顎を動かした。シャリ、とナッツが砕け、凝縮されたハチミツのコクと、香ばしい脂質が彼の口内に広がる。

 

 闘技場の砂と、鉄錆と、自分の流すどす黒い樹液の味しか知らなかった彼の身体にとって、それはあまりにも暴力的で、あまりにも優しい異物だった。

 

「……っ……」

 

 ノワールの喉がごくりと鳴った瞬間、彼の胸元に咲く、再生したばかりの漆黒の花が、ぶわりと夜の底のような、深く静かな香気を放った。

 だが、彼は完全にフリーズしている。盾になれとも、死ねとも言われない。ただ、甘いものを口に入れられ、綺麗な服を着せられて座らされている。

 その事実が、彼の壊れた演算能力のキャパシティを完全に焼き切ってしまったらしい。ノワールは口元にハチミツをつけたまま、彫刻のように硬直してしまった。

 

「ふふ、見事な固まりっぷりだね。ルージュの最初を思い出すよ」

 

 私がクスリと笑うと、背後にいたルージュがバツが悪そうに、しかしどこか誇らしげに胸の深紅の花を揺らした。

 

「おいしい……でしょう?」

 

 ここで、すっかり我が家の「甘やかし」に毒されたヴィオレットが、おずおずとノワールの隣に這い上がった。

 淡いラベンダー色のガウンの裾を揺らしながら、彼女は新しく接ぎ木された蔓の指先で、特製の高級培養液が満たされたグラスを、ノワールの大きな手のひらにそっと握らせる。

 

「これ……飲んでみて。痛いの、全部、消えるから……」

 

 ヴィオレットの掠れた、けれど確かな優しい声。

 かつて自分がブランやルージュにしてもらったように、今度は彼女が、自分よりさらに深く壊れた新入りを導こうとしている。そのぎこちない、けれど温かい連鎖が、私の審美眼をこれ以上ないほど満足させてくれた。

 ブランも反対側からそっと近づき、ノワールの漆黒のタキシードの袖口を優しく整えてあげる。

 

「主人様の前では、綺麗にしていなくちゃダメだよ……ノワール」

 

 三人の先輩植物人間に囲まれ、至れり尽くせりの調教を受けるノワール。

 彼はグラスを握らされたまま、右を見て、左を見て、最後に私の顔をじっと見つめた。その瞳の奥の虚無に、初めて困惑という名の小さな光が灯る。

 どうしていいか分からず、大きな身体を微かに縮こまらせ、アイビーの髪を揺らす姿は、まるで嵐のあとに立ち尽くす、迷子の巨木のようだった。

 

「どうだい、ノワール。任務の意味が分からなくて頭が痛いかい?」

 

 私はアームチェアから身を乗り出し、彼のハチミツで汚れた唇を、上質なシルクのハンカチで優しく拭ってあげた。

 

「いいんだよ、何も考えなくて。君のその頑強な身体は、もう誰の攻撃も受け止めなくていい。ただそこに座って、私の目を愉しませる、美しい花になっておくれ」

 

 私がそう言って彼の漆黒の花の根元──その頑丈な鎖骨のあたりを優しく撫でると、ノワールの大きな肩から、すとん、と力が抜けた。

 

 気がつけば、窓の外はすっかり美しい夜の帳が下りていた。

 月光が室内に差し込み、4人の植物人間たちを照らし出す。

 純白のブラン、深紅のルージュ、薄紫のヴィオレット、そして漆黒のノワール。

 私の大きなソファの上は、今や世界で最も贅沢で、最も歪んだ、美しい『花束』へと進化を遂げていた。

 

「よし、今夜はみんなで、このままここで眠ろう。ノワール、これが君の次の『重大な任務』だ。先輩たちに挟まれて、のんびり、深く、眠るんだよ」

 

 私がクローゼットからさらに追加の、ふかふかの毛布を引っ張り出してくると、ルージュが手慣れた様子でそれを広げ、ノワールの大きな背中に掛けてやった。

 ブランとヴィオレットは、すでに眠気の限界を迎えたようで、ノワールの左右の腕に、それぞれ小さな頭を預けてすうすうと寝息を立て始めている。

 両腕に愛らしい重みを感じ、さらに上からあたたかい毛布を掛けられたノワールは、いよいよ見たこともないほど眉間に皺を寄せ、限界突破した困惑の表情のまま、耐えかねたようにゆっくりと、そのナイトブルーの瞳を閉じていった。

 

 部屋の中に満ちる、4つの極上の香気。

 私は特等席に戻り、静かに目を細めた。彼らがこの極楽に溺れ、完全に牙を抜かれ、ただ私のために咲き誇る人形になるまで、私はいくらでも、この贅沢な時間を費やしてあげるつもりだ。


 月光が窓から滑り込み、ソファに重なり合う彼らを青白く照らし出す。

 ブランの白は真珠のように気高く、ルージュの赤は凝固した血のように妖しく、ヴィオレットの薄紫は夜霧のように儚い。そして中心に横たわるノワールの黒は、すべての光を呑み込む深淵のようだった。

 

 新入りのノワールは、生まれて初めて味わう「完全な弛緩」に、まだ戸惑っているようだった。

 眠りの中にあっても、闘技場で培われた肉体の記憶が、微かな家のきしみに反応してピクリと強張る。

 しかし、そのたびに彼の両腕にぴったりと寄り添うブランとヴィオレットの体温が、そして背後からそっと毛布の位置を直してやるルージュの無言の気配が、彼の頑強な肉体からしつこい緊張を削ぎ落としていった。

 

「……ふふ、本当に良い子たちだ」

 

 一番大きな毛布の端をそっと持ち上げ、4人の隙間に滑り込むようにしてソファへと腰を下ろす。

 主人の気配と、その肌から放たれる独自の魔力を感じ取ったのだろう。眠りの中にいた彼らの花が、一斉に歓びの小刻みな震えを見せた。

 

 ブランが寝返りを打ち、私の膝の上に自然と手を乗せる。ヴィオレットは私の衣服の裾を小さな指先でぎゅっと握りしめ、ルージュは私の背後を支えるように、その頑丈な肩をそっと引き寄せた。

 

 そしてノワールは──重いアイビーの髪を揺らしながら、微動だにしなかった。私の近づいた瞬間、彼の胸元の漆黒の花が、ナイフのように鋭く尖って私を威嚇するように逆立ったのを、私は見逃さなかった。

 眠ってなお、彼の肉体は私を敵と認識しているのだ。


 美しい。愉悦に頬が思わず緩んだ。

 

「従順になる必要なんてない。ただ、私の与える贅沢に溺れて、一生困惑していなさい」


 私は眠るノワールの漆黒の花にそっと唇を寄せ、目を閉じた。

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