第24話
春の陽射しが柔らかく差し込む午後だった。
暖炉には弱い火が入っている。ぱちり、ぱちりと薪が爆ぜるたび、居間の空気がゆるやかに揺れた。窓辺ではアズールが本を開いていたが、頁はもう長いことめくられていない。青い花を静かに傾けたまま、心地よさそうに舟を漕いでいる。
ブランはソファで丸くなり、その腕の中にローズがすっぽりと収まっていた。ローズは幸せそうにブランの胸元へ頬を擦り寄せ、完全に深い眠りに落ちている。
ルージュは暖炉の前のラグに背を預け、腕を組んだまま規則正しい呼吸を繰り返していた。ヴィオレットはそのルージュの肩に頭を預け、薄紫の花を小さく窄めて微睡んでいる。
ジョーヌは床に座り込んだまま削りかけの木片を握りしめて首をカクカクと揺らし、壁際のノワールに至っては、いつものように巨躯を静止させたまま、起きているのか眠っているのかすら判別できない。
そんな弛緩しきった空間の中で、ドレだけが頑なに壁際に立ち、険しい顔で室内を睨みつけていた。
「……信じられん」
地を這うような低い呟きだった。
「何がだい」
私が紅茶を口に運びながら尋ねると、ドレは眉間に深い皺を刻んだまま、吐き捨てるように言った。
「この無防備さだ。全員、完全に意識を落としている。今ここで敵襲があればどうする」
暖炉の前で、ルージュが目を閉じたまま不敵に鼻を鳴らした。
「敵が来たら起きる」
「起きなかった場合は」
「その時はその時だ」
ドレが本気で絶句している。私は思わず吹き出しそうになりながら、温かいティーカップを傾けた。
「君は本当に真面目だねえ、ドレ」
「当然だ。生き残るためには、常に警戒を――」
「ドレ」
遮るように、彼の名を呼ぶ。即座にこちらを射すくめる、その真っ直ぐな瞳。
「――命令だ、昼寝しなさい」
沈黙。
実に見事な、水を打ったような沈黙だった。
ドレは数秒、完全に思考回路を停止させたような顔で私を見つめていた。胸元の金色の花が、動揺を示すようにかすかに、しかし硬質に擦れ合う音を立てる。
「……今、何と言った」
「昼寝しなさい、と言ったんだ。これは君に与えられた『任務』だ」
「任務……?」
「君の花は、まだ根が浅い。あの修理を経て、ようやく繋がり直したばかりの脈管だ。起きてばかりいると体力を消耗する。だから大人しく目を閉じて、身体を休めなさい」
ドレが完全に言葉に詰まる。
その沈黙を埋めるように、暖炉の火がぱちりと爆ぜた。
しばらくして、彼はプライドの滲む硬い声で拒んだ。
「……私は平気だ。戦える」
「ここは戦場じゃない。それに、平気じゃないから命じているんだよ」
「私は子供では――」
「ドレ」
私は少しだけ声を落とし、紅茶のカップをソーサーに置いた。ちりんと、冷徹な陶器の音が響く。
「昼寝しなさい」
その瞬間、彼の背筋がほんのわずかに強張った。
戦場で、数え切れないほど浴びせられてきた、抗えぬ絶対の呪縛。
しかし目の前の主人から発せられたそれは、あまりにも穏やかで、優しく、彼にとっては拷問のように意味不明なものだった。
ドレは苦々しげに顔を歪めた。
「……お前の命令は、時々、本当に理解できない」
「光栄だね」
私が微笑んだ、その時だった。
「ドレぇ……」
不意に、ひどく眠たげな声が甘く響いた。ローズだ。
ブランの腕の中でもぞもぞと動いていたかと思うと、半分夢の中にいるような足取りでふらふらと立ち上がり、真っ直ぐにドレの方へと歩いていく。
「おい、危な――」
ドレが慌てて支えようと手を伸ばした瞬間、ローズはその頑強な胸元へと、当然のように倒れ込んできた。
ドレが彫刻のように硬直する。
ローズは完全に安心しきった顔で、彼の腹のあたりに頬を押し当て、すりすりと擦り寄せた。
「ドレ、あったかい……」
「な、なぜわざわざこっちへ来た。ブランのところへ戻れ」
「いい匂いする……金色の、匂い……」
桃色の花が、夢見るようにふわふわと揺れる。ドレの金色の花が、ぼん、と熱を帯びたように大きく開いた。
暖炉の前で、ルージュが片目だけを開けて薄く笑った。
「諦めろ、新入り。ここでは時々、そうやってお昼寝の任務を下される」
「意味が、分からない……」
ドレは深く眉を寄せ、ひどく困惑した顔で私を見た。私はただ、顎をしゃくってソファを示す。
「……くそ」
低く、小さな毒づきだった。
しかし、ドレはローズを引き剥がそうとはしなかった。むしろ壊れ物を扱うような手つきで、その細い身体をそっと横抱きに抱え上げた。
長い外套を翻し、ぎこちない足取りでソファへと歩く。まだ眠りの中にいるブランの隣へ、ローズをそっと下ろしてやり、自身も観念したようにその横へと重い腰を下ろした。
居間には、濃厚で穏やかな香気が満ち満ちていた。
八色の、幾重にも溶け合った花の匂いが、暖炉の熱に温められて、とろりと部屋中に漂っていく。
その中心で、ドレだけが最後まで、その重い瞼を閉じまいと抗っていた。背筋を伸ばし、警戒を解くまいとし、外の世界の緊張をこの部屋に繋ぎ止めようとしている。
暖炉の心地よい熱が。隣り合う剥き出しの体温が。
静かな、無防備な仲間たちの寝息が。
そして、己の体内に満ちる、主人のあの完璧で温かい魔力の残照が。
少しずつ、少しずつ、彼の張り詰めた神経をドロドロとほどいていく。
やがて、ソファに背を預けた彼の身体から、ふっと力が抜けた。
胸元の金色の花弁が、緊張を忘れたように、ふわりと柔らかく開いていく。
そしてとうとう、ドレの長い睫毛が影を落とし、その頑なな瞼がゆっくりと閉じられた。
それはきっと、彼がこの家に来てから初めての――守るべきものも、戦う必要もない、ただ甘やかされるためだけの眠りだった。




