74(前編) 俺、剛武志の極みを訪れる。
本話は長すぎたので、前編と後編に分割します。申し訳ありません。
王都には、5つのエリアを隔てるようにして、人工の川が流れている。
これは人の移動を制限し、王族エリアへの侵入を、難しくする意味合いのほかに、エリア間の物流を、水運に委ねようとする働きがあった。このため、俺たちが剛武志の極みへと向かうには、人工の川を横切るようにして、船を使って移動しなければならない。
拳闘士の養成所がある住民区画は、王都を生活の拠点とする色んな人々が、住んでいる区画になる。商人はもちろんのこと、芸術家や農夫なんかもここで暮らしている。もっとも、農夫は居を構えているというだけで、実際には、農業を営む農地に、寝泊まりすることのほうが多いようだが……。
そんな住民区画の住人の中でも、代表的な階層の人間は、治安の維持に努める憲兵だろう。慣例的に、彼らはまとまって生活しているため、憲兵たちのいるエリアを保安街と呼ぶらしい。俺のような冒険者も、本気を出せば、住民区画の一角に住めるようだが、普通は旅人客窓というエリアに、金を払って宿泊することになる。風の羽根亭や抜山蓋世も、旅人客窓に位置しているといえば、多少はイメージしやすくなるだろうか。当たり前だが、旅人客窓は、商業区画の中にあるエリアのことだ。こことは場所が完全に違う。
「……」
民家の多い割に、住民区画は静かな印象を受ける。
だが、これは、直前までいた商業区画がうるさすぎるだけで、正しい評価をするのであれば、ここは閑静な住宅街というわけではないんだろう。ちゃんとそちらに意識を向ければ、子供たちの叫ぶ声や、談笑する町娘の声などが、俺のほうにまで響いているのが分かる。
「それで、剛武志の極みはどこにあるんですか?」
適当なところに船を寄せてもらって、俺たちは住民区画の中を歩きだす。
ドロシーがなんでもないふうに俺に尋ねて来るが、あいにくと彼女の前では、世界攻略指南も使えない。仕方なく、時折、住民に場所を確認しながら、目的地を目指した。
平民街を抜け、民家の数もまばらになって来ると、それと反比例するようにして、男臭い掛け声が聞こえて来た。
何を言っているのか判然としないが、ろくでもないことだけは確かだろう。頭の中まで筋肉で埋まった人たちが、知的な会話に励んでいようものなら、ちょっとした天変地異の前触れにほかならない。……ところで、俺も十分に馬鹿のはずだが、そのくせ運動性能がごみカスなのは、バグとして報告すべき深刻な事柄じゃないのか? 割に合っていないぞ。責任者はどこだ?
ほどなくして、その建物が俺たちの目にもはっきりと映った。掛け声の発生源は、まさしくここだ。むさ苦しさが、屋敷の外にまで漏れ出しているかのような、不恰好ないで立ちに、自然と俺の頭はくらくらしてしまう。
「拳こそ正しさ! 拳こそ美しさ! 拳こそがたくましさ! 復唱せよ」
「拳こそ正し――」
間違いなく、ここが剛武志の極みだろう。こんな脳筋天国が、世界にいくつもあってはたまらない。
「もっと腹から声を出せ! 拳こそが正義」
この世のありとあらゆる体育会系を、豪快に煮込んで作ったような雰囲気に、俺は圧倒されてしまう。しかし、げっそりとのけぞく俺とは対照的に、ソーニャの目はきらきらと輝いていた。何が彼女をここまで引きつけるのだろうか。陰キャの俺には想像しにくい。
「……ねぇ、ソーニャ。本当に、こんな頭の悪そうな学校に行きたかったの?」
さっきと内容、ちょっと違っているし。
残念だけど、屋敷の中にいる人たちは、俺のほうが賢く見えるような相手だ。誠に遺憾だが、そんなようでは重症だろう。
そうやって、格下を見つけて俺が調子に乗っていれば、ドロシーが冷ややかな視線を向けて来ていた。
「ご主人様って、この人たちを馬鹿にできるほどの人でしたっけ?」
「やめて……現実を思い出させないで。死にたくなる」
俺と剛武志の極みにどれだけ隔たりがあろうとも、ドロシーなどの優秀な人材にしてみれば、ただの誤差でしかない。どんぐりの背比べであることは、約束されていた。
容赦なく心を抉って来るドロシー。
その後ろから、にこやかな表情を俺に向けたソーニャが、力強くうなずいて先の質問に肯定する。
「あたりめぇだろう?」
言うやいなや、開いている門へと、ソーニャがおもむろに駆けていった。
「えっ? ちょっと、ソーニャさん!」
ドロシーの制止も聞かず、あっという間に道場の中へと入ってしまう。慌てて俺たちも彼女のあとを追った。
「頼もう!」
勢いよく門を潜ったソーニャは、開口一番、門下生たちに対して吹っかけていた。
……挨拶って手合わせのことなんだ。
なんという怖いもの知らずなのか。
俺は感心半分、呆れ半分、困惑半分の計50%増量で、相手の反応を窺う。応じたのは、師範代と思わしき年長の大人だった。
「ん? なんだ、入寮希望者か?」
以前の説明で、薄々予想はついているだろうが、剛武志の極みは全寮制の学校にあたる。最大で2年間、みっちりと稽古を積んだのち、拳闘士の予選に参加するのだ。部外者が、この予選に出場するためには、8000枚という途方もない金貨を、参加費として要求されるので、拳闘士という職業は、ほとんど剛武志の極みの卒業生に、独占されているといっても過言じゃなかった。
縁側に突然現れたソーニャを見て、師範代の男が目を丸くしている。あとから、この男の名前がハサウェイであると、俺はソーニャに聞かされた。
「手合わせしてくれ!」
赫々と燃ゆる闘志の炎。その熱に身を任せたソーニャが、前のめりに頼みこむ。正直、俺は気が気じゃなかった。
だが、ソーニャの期待に反して、生まれたのは奇妙な沈黙だ。
次いで、あからさまに馬鹿にしたような爆笑が起こった。
「おいおい、誰かこのお嬢ちゃんに、剛武志の極みがどういうところなのか、詳しく教えたほうがいいんじゃないか?」
「まさか、この王都で、剛武志の極みを知らない者がいるとはな。まだまだ、俺たちも無名だということか。精進せねばなるまい!」
勝手に盛りあがる門下生たちを前に、ソーニャが眉を吊りあげる
「なっ! 今度、予選に出場するやつはどいつだ! その前に、俺がぶっ飛ばしてやる」
いきり立つソーニャを見るにつき、ひとつ大きなため息をついたハサウェイが、背後に控える弟子たちをたしなめた。
「コラ。やめないか、お前たち。……ここにいる者の中に、今度の予選に加わる者は1人もいない。あいつらには、すでに教えるべきことをすべて伝えてある。今頃は、家族のもとで、本番に向けての最後の休息を取っているはずだ」
ソーニャのほうに向きなおって、説明をするハサウェイ。それを受け、ここぞとばかりに、ソーニャが吐き捨てた。
「な~んだ。じゃあ、お前らは大会に出られもしないほど、弱っちいってことじゃねぇか」
心底、つまらなそうに肩を竦めるソーニャ。
この場所に期待していたぶんの失望も、もちろんあるのだろうが、今のは笑われたことに対する、ソーニャなりの意趣返しに違いない。
途端に、今度は門下生たちが憤った。
脳筋としてのプライドが許さないのだろう。女に舐められたままでは終われないと、そう主張するような顔つきを一同がしている。
ハサウェイが勘違いしたところからも分かるが、すでに剛武志の極みへの入寮は始まっている。だが、今、道場内にいる門下生は、入寮したてのぺーぺーとは訳が違う。1年の修行を終えた、正真正銘の経験者だ。
俺の土下座ごときで、この場が鎮まるのか分からないが、俺は地面に額でキスする覚悟を決めていた。わざわざいうまでもないだろうが、土下座をすることに対して、俺はなんら抵抗を持っていない。むしろ、どっちかといえば得意なほうだ。これで、俺の数少ない特技について、2つ披露したことになる。残りは1つ――人目を憚ることなく、声を上げて泣くことができるというものだ。
ハサウェイに寄った門下生が、拳を握り固めながら言う。
「そいつ、手合わせを望んでいるんでしょう? 自分にやらせてくださいよ」
男の台詞に、たちまち、同意するかのような叫びが方々から上がる。その過熱ぶりに、ハサウェイは面倒くさそうに息を吐いていた。部外者の婦女子と戦ったところで、有意義な経験にならないと思ったのか、はたまた、門下生たちを、余計に調子づかせるだけだと思ったのか。いずれにしろ、ハサウェイは、はっきりと首を横に振ったのだ。
しかし、肝心のソーニャは、いたって積極的だ。腕まくりをして、縁側を上がっていってしまう。
「おっ、そう来なくっちゃな!」
心配と諦観をたっぷりと含んだ視線が、俺へと向けられる。本当にいいのかという、確認のための流し目だった。
俺としては、女の子の肉弾戦は見たくないのだが、ソーニャのためを思うのであれば、首肯するしかないのだろう。予選にも出場しない未熟な門下生を相手に、楽に勝てないようでは、土台、拳闘士になることなど夢のまた夢になってしまう。
だが、あくまでもこれは、俺がソーニャの事情を知っているからだ。
8000金貨もの大金を、ソーニャが用意しているとは、露ほども考えていないハサウェイは、彼女のことを完全に門外漢だと思ったようだった。
再び、ひと際大きなため息をついたハサウェイが、明らかに素人向けのルールを宣言する。
「よろしい。では、特別に模擬試合を行おう。ただし、魔法やスキルの使用は、双方ともに禁止だ」
怪我をしないための最大限の配慮に、ソーニャが口を尖らせる。
「俺は、本物の試合を体験してみたかったんだがな」
その感想が、ますます門下生の神経を逆なでしていた。
……あるいは、本気の実践を経験するべく、わざと挑発しているのかもしれない。
「あまり、でかい口を叩くなよ。ここにいるのは、誰もがみなプロを目指している生徒たちなんだ。遊び半分で、剛武志の極みの門を潜る者は1人としていない」
「そうかい。それを聞いて、少しは安心したよ」
ソーニャの減らず口に、不機嫌そうに男が鼻を鳴らす。
まもなく、ハサウェイが腕を上げ、試合の開始を告げた。
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