72(後編) 俺、カリナと共に、シャフツベリー記念コンクールに参加する。
次章のプロットもどきを作成するため、2週間ほどお休みをいただきます。詳しい進捗状況は、活動報告よりご覧ください。
うっかりミスかと、俺たちは目をぱちくりさせる。
でも、それは決して間違いではないらしい。その理由を講評という形で、シャフツベリーがし始めていたんだ。
「全員ぶんを楽しんで見させてもらったわ。残念だけど、今年も多くの人が、勘違いしたままだったようね。このコンクールは、最初から最後までずっと、主催者であるウォルシュに、提出する作品を競うものよ。依頼者に見合ったものを作るのは、絵描きとして当たり前」
そこで一旦、言葉を句切ったシャフツベリーが、カリナを無慈悲に指さす。
「特に、あなた。最悪ね。いったい誰に伝えようとしているの? 見ている人たちを、自分を持てはやす鳴り物か何かだと、思っているんじゃない? これは、不特定の人間が見るコンクールじゃないの。ウォルシュっていう確たる依頼者のいるものよ。それじゃあ、ここからは評価の話ね。知ってのとおり、今朝の風のお告げは『静穏』だったわ」
呆然としたまま、俺はシャフツベリーの嗄声を聞いていた。
風のお告げ。
どこかで聞いたような言葉だと思った。だいぶ経ってから俺は思い出す。なんてことはない。渓華香の店主が言っていたんだ。破壊されたのが水車じゃなくて、風車だったら、風のお告げに影響が出てしまったと。
もっと早くに気がつくべきだったんだろう。それが意味していることに。
つまり、俺が想像していた以上に、風車は和鈴の町と密接に結びついていて、町で暮らすウォルシュとも、当然に深く関係している。風のお告げは、この町に古くからある文化だ。朝方の風車の状態が、その日に取るべき行動の指針として用いられる。
コンクール当日は、羽がゆっくりと回っていた。つまり、静穏だ。
静穏の日に求められるものは、もちろん、それを表現しているものだ。だから、静かさや穏やかさを訴えている作品以外は、初めから問題外になる。和鈴の町に詳しい絵描きたちは、こんなところでつまずかない。風のお告げに対応できるよう、複数の作品を事前に準備するからだ。
シャフツベリーは言う。
「まぁ、風のお告げはできて当然ね。一番、巧拙を分けるのは、香りのルールをちゃんとできているかどうかよ」
2つ目の文化も、和鈴の町ならではのものだった。
そもそも、この町の主要産業はなんだったか?
決まっている。製粉と、芳香料だ。そして、これらは偶然じゃない。風車が製粉業を発展させたように、元々、和鈴の町では花の栽培が盛んだったんだ。第一、ウォルシュがわざわざ渓谷薔薇っていう、花の種類に目をつけたこと自体、その延長線上でしかない。
花の香りは、香水に形を変えれども、依然として市民たちの習慣に刻まれたままだ。この町では、自分の感情を花の香りで表現するという、伝統的な文化が存在している。そのほうが、明瞭な感情を上品に表現できると考えたのだ。
では、絵画の場合にはどうか?
さすがに、絵に直接、香水を振りかけるわけにはいかないので、花の種類と配置が重要になる。
淡々と、シャフツベリーは解説を続けた。
「ウォルシュは『ほっとしている』といったわね。つまり、安堵よ。……見なさい、これが優勝者の絵。ラベンダーは、言わずと知れた孤高の象徴。転じて、孤独や寂しさといった感情も表すわ。これだけじゃ勘違いもいいところだけど、ラベンダーの周りにあるカスミソウが、香りの解釈を一変させているの」
……あの白い花って、カスミソウっていうんだ。
カリナのほうを見られなかった俺は、そんなどうでもいい感想を抱いていた。
白色の花は、一様の捉え方ができないのだという。一例を挙げれば、その花が閉じているのか開いているのかによって、表現される意味が変わって来るのだ。
『家族の団欒』に描かれたカスミソウは、外側に向かうほど大きく開花している。開いた白色の花弁が表すのは楽しさ。
「これは悲しみや寂しさを、楽しみが包みこんでいると言っているのね。間違いなく、安堵の感情を表す最も優れた方法の1つよ」
話を終えようとするシャフツベリーに、横からウォルシュが口を挟んでいた。
「佳作の2つについても、説明してやったらどうだ?」
自分でやればいいじゃないと言いたげに、シャフツベリーが老商を睨んだが、参加者だって、ウォルシュよりもシャフツベリーに批評されたいだろう。それについては自覚があるのか、不満げながらも、シャフツベリーが話を続けていた。
「……『家族の団欒』のほかにも、2つほど悪くない出来の物があったわ。えぇと……名前はなんだったかしら。『花畑の中で眠る猫』と、『風車の近くで佇む老人』ね。どちらも風のお告げはクリアしていたから、そこはどうでもいいわね。問題は香りのルールにあるの」
そう言って、佳作の作品がみんなにも見えるよう、シャフツベリーは机の上で立てていた。
題名どおり、それは花畑の中心に、猫が丸まって眠っているという構図の絵だった。どうして場所が花畑なのかなんて、今ならもう分かりきっている。
「この花は渓谷薔薇。色にグラデーションのある花だから、そのぶん判断も難しいけれど、赤い花が意味するのは基本的に苛立ち。ウォルシュの馬鹿が『ハプニングが起こった』とかいったせいで、変に誤解しちゃったのね。だけど、よく考えて? 風のお告げは『静穏』よ。前提からして、苛立ちなんていうのはありえないの。まるで、ちぐはぐね」
ウォルシュの言葉に引っぱられたせいで、町の風習を統一的に考えられていないことが、見事に露呈してしまっている。
納得だ。
もはやシャフツベリーたちの判断に、俺はただただ敬服するしかなかった。
「次の作品も、『家族の団欒』と同じで、安堵をラベンダーで表現しようとしているわね」
次の作品をシャフツベリーが手に取る。
「だけど、さっきもいったように、ラベンダー単体には、寂しさという意味しかないの。老人の足元で、花弁を散らしている青色のスミレは、きっと悲しみが終わったということを、言いたいんでしょうけど、そういう解釈はしないわ。普通はちょっとした嫌なことが、たくさんあるっていう表現になるの。君は単純に、お勉強不足」
講評を終えたシャフツベリーが、提出された作品を足元に下げていく。これにてコンクールはおしまいだ。出品者への返却は係の人間に任せ、シャフツベリーが会場をあとにする。
周りの絵描きたちが帰り支度を始めても、カリナは動こうとしなかった。いつまでも立ちつくしたままのカリナに、さすがに不安を覚えた俺は、意を決して彼女のほうを振り返る。見えたのは、両目から大粒の涙をぽろぽろと流す、幼気な女の姿だった。
「……私、調子に乗っていたんだ。ゼンキチに旅に誘ってもらえて、ディートリヒさんに背中を押してもらって、なんだか自分はすごい人間なんじゃないかって、思い上がっちゃっていた」
その独白に、俺は喉が苦しくなった。
もしも、カリナが和鈴の町の文化に、興味を示していたならば、きっとこんな悲惨な結果にはならなかっただろう。その意味で、シャフツベリーが痛烈に非難していたように、カリナは文化を知ろうとしなかったのだ。町を飛び出すときに抱いた決意を、確かにカリナは忘れていた。
……もちろん、俺もそうだ。新たな町に行こうというのに、なまけていた。
もっとも、俺が世界攻略指南で調べていたとしても、カリナ自身の成長を考えるならば、答えを教えるだけでは、却って、彼女の将来には悪影響だったかもしれない。難しいことは、正直、俺にはよく分からない。
だけど、最初の失敗が、ここまで鮮烈なものでもいいのだろうかと、俺は息の詰まる思いがしたんだ。
失敗は成功のもととは、よくいったものだ。
俺も半分くらいはそう思う。
でもそれって、適度な失敗の話だろう? 挫折したり、トラウマを持っちゃったりするほど、ミスが大きいようじゃ、成功もクソもない。
「ごめん……」
かける言葉が見つからなくて、俺はついついそう呟いていた。
「なんで、ゼンキチが謝るの?」
ドがつくほどの正論。
空気に耐えられないからって、思ってもいない謝罪の言葉で逃げようとするのは、反則に違いない。
それでもたぶん、俺はカリナに謝らないといけない気がしたんだ。
俺だったら、この事態を防げたなんて、そんな自信家の台詞を吐くつもりじゃない。俺の頭じゃ世界攻略指南を使ったところで、カリナを優勝には到底導けなかっただろう。でも、きっと目の前で、女が涙を流すような状態になったならば、それは男にとって敗北なんだと思う。どれほど自分が無力だったとしても、やるべきことは必ずあった。そう思わないと、自分の生まれた性別を呪う以外に、もうすべがなくなってしまう。
広場に残った俺たち2人のもとへと、壇上からおりて来たウォルシュが近づいて来る。
ポケットから取り出したハンカチを、ウォルシュが俺に向けて差し出す。これで、カリナの涙を拭いてやれということなのだろうか。
俺が受け取るよりも先に、察したカリナが、ごしごしと乱暴に目元を拭ってしまう。
ハンカチを、今度は上半身のポケットにしまいながら、ウォルシュはカリナを見おろして言った。
「儂も『夢(落書き)』の実物は見たことがない。いったい、どこで目にしたんだ?」
それはまだ、グラントリーの父親が、細々と画商の真似事をできていた時代の話だ。
すでに地元の芸術が衰退していたため、モーリッツが商いを続けていくには、町を離れて活動するしか方法がなかった。過酷な選択であったろうが、エオガリアス家の当主として、モーリッツは芸術という文化を、維持することに努めたのだ。
得られるものが何もなかったわけではない。むしろ、彼にとっては、別格の存在を手に入れられたともいえる。別の町にて、のちにグラントリーを生むことになる、女と出会ったからだ。
モーリッツのひたむきな姿勢は、女のみならず、奇妙な縁を次々と結んでいく。金銭的には貧しかったが、人脈にはすこぶる恵まれた。その1つが、『夢(落書き)』の持ち主から、破格の値段で、作品を売却してもらえたことだった。無論、その真面目さが、命の刻を縮めることにはなったのは、わざわざくり返さなくともよいだろう。
カリナは言う。
「売り物だったので、お屋敷に飾られていた期間は、とっても短かったけど、私の中ではとっても印象に残っていたんです」
「なるほどな……」
カリナの説明を聞いたウォルシュは、納得したように小刻みにうなずいていた。
そして、何を思ったか、カリナの肩に手を置いて、真剣な表情を見せていう。
「ついて来なさい」
ウォルシュがこちらを一瞥したので、俺も一緒に来いと言いたいらしい。……俺、別に絵描き志望じゃないんだけど、いいんだろうか?
案内されて到着したのは、赤レンガの建物だった。
2階建て。
下のフロアだけ横に異様に広い。
「上はただの茶屋だ。鍵を取って来るので、少し待っていなさい」
言うやいなや、俺たちを放置して、ウォルシュが外階段を登っていく。中へと入ってすぐに、ドアが開いてウォルシュが出て来る。
向かうのは、1階のほうらしい。
自慢のコレクションでも、披露するのかと予想したが、全然的外れだった。
勝手知ったる雰囲気だったので、てっきり自宅だと思っていたのだが、そこが誤りだったのだ。自宅の鍵なら持ち歩いているだろうし、この建物は、普段はめったに入らないような、倉庫などとも違う。
答え合わせは、1階の裏口を開けると同時になされた。
家主は、俺たちの顔を見るなり、ぶっきらぼうに言い放ったからだ。
「悪いけど、なれ合うつもりはないの」
ほかでもなく、この場所はシャフツベリーのアトリエだった。
端的な台詞に気圧され、俺たちは足が竦んで動けなくなってしまったのだが、そこはウォルシュが仲裁してくれた。
「まぁ、そう言うな。この子がお前のファンであることは明らかだ。儂としても、お前との出会いが、この子にどんな影響をもたらすのか、それを見てみたい」
作業の手を止めたシャフツベリーが、老商のことをまじまじと見つめた。
「……珍しいわね。あんたが、そこまで評価するなんて」
言葉を句切ったシャフツベリーが、今度はカリナに向けて口を開く。
「でも、いいこと? こんなのとつきあうのは、やめておきなさい。こいつは、金に物を言わせて、貴重な文化財を買い占めては、燃やして捨てるっていう変態よ?」
想定外の紹介に、思わず俺は口を挟んでいた。
「それは……いったいなんのために?」
「生きがいだな。みんなに必死に大切にされて来たものを、儂が台無しにするのかと思うと、興奮するだろう?」
ウォルシュの返事に、カリナが露骨に嫌そうに顔をしかめた。
だけど、俺は違う疑問を抱いていたんだ。
この老商が渓谷薔薇を選んだことには、少なからず、和鈴に対する信仰心がある。往年の勇者なんて、まさしく人々から、大切にされて来た存在にほかならない。勇者は対象外なのかと俺が尋ねれば、ウォルシュはぎょっとした表情で、俺のことを見返していた。
「おいおい……。いくら儂でも、勇者に喧嘩を売るほど、心は捨てちゃいないさ。お前、見かけによらず物騒なことを考えるんだな」
……たしかに。
なんで、そんな部分に疑問を持ってしまったのか、俺自身、説明できなかった。普段の俺なら、絶対にこんな些細なことを不思議がったり、興味を抱いたりなんかしていない。希勇の志士の主張が、俺の思っている以上に、頭の中にこびりついてしまっているんだろうか。
「シャフツベリーさんだけが例外なの?」
少しだけ憎しみの込められたカリナの指摘に、ウォルシュは苦笑を交えて応じる。
「いいや。初めは、買った絵を壊そうとした」
それはそれで嫌なようで、カリナの表情は険しい。
「だが、その絵は儂が破壊するまでもなく、独りでに消滅してしまった。……驚いたな。年がいもなく、恋をしたといってもいいかもしれない。以降、儂は彼女の虜だ。今では、いかにシャフツベリーのこしらえた仕掛けをかい潜って、いかに彼女の作品を保存するか。そのことで、頭がいっぱいだ」
みぞおちを押さえながら、恍惚とした表情で語るウォルシュ。
そんな老商を横に叩きながら、シャフツベリーがカリナのほうへと近寄った。
「こんな変態は置いておいて、せっかく来たんだし、あなたの作品の話でもしましょうか。あのオマージュ、悪くなかったわ。あれがこいつ主催のコンクールじゃなきゃ、あたしももっと高い点数をつけていたと思う。自分なりに改善していた点もよかったしね。ただ、あたしなら上下左右正面――それぞれの位置から鑑賞したときに、別の絵が見られるようにしたわ。だから、せいぜい6点ね」
なれ合うつもりはないと牽制しておきながら、なんだかんだ言っても面倒見がいいのだろう。シャフツベリーは丁寧にカリナに説明していた。
あいにくと、メモをできるような紙を持っていないので、カリナは一言一句も聞き漏らすまいと、ふんふん言いながら、シャフツベリーの嗄声に耳を澄ませている。
「シャフツベリーさんなら、どうしましたか?」
「今回の課題の話?」
「はい」
「そうだな……。あたしが描くと、こいつはなんだって喜ぶからな。あんまり優勝者のと変わらないかもよ」
自席へと戻って、シャフツベリーがスケッチ用の紙を手に取る。
「優勝者……」
「そう。キースね」
カリナが一瞬、息を飲む。自分につけられた点数との落差を、にわかに思い出してしまったのかもしれない。
だが、カリナは怯むことなく、会話を続ける。
「すごかったですもんね」
「あいつ、たしか6回目だよ? 毎年、この時期にしかコンクールをやっていないから、優勝するまでに8年くらいかかったんじゃない」
カリナとの雑談を平然とこなしながらも、シャフツベリーは決して手を休めない。
「そういえば、あんた。どうして、今回の感情は『安堵』だったの? 別に、いつもと同じ『期待』とかでよかったじゃない」
「……ん? なんだ、知らないのか?」
尋ねられたウォルシュは、遠慮がちに水車の事件について話す。
「へぇ、そうだったのね。じゃあ、あんたも私のパトロンなんか、している場合じゃないんじゃないの? 水車が壊れちゃったら、仕事にも支障が出るんでしょう」
「儂の渓谷薔薇に水車は関係ないさ。もっとも、組合の連中は泡を吹いていたがね。それも、どこかの資産家が寄付してくれたので、問題がないとかいう話だ」
突然話題にのぼった人物に、心あたりのあったカリナが、名前を声に出してしまう。
「それゼンキチだ」
「えっ……?」
シャフツベリーが、初めて驚いた様子で手を止めた。
「マジ?」
「う、うん……」
顔を見つめて来る彼女に、俺はためらいがちにうなずいた。
「いい後ろ盾を持ったわね。逃がしちゃダメよ?」
本人の前でいうのかと、俺は複雑な心境だった。念を押されずとも、俺にカリナを見捨てるような意思はない。
まもなく、シャフツベリーのスケッチが終わっていた。
彩色は花しかされていないものの、出来栄えは見事というしかない。
早朝――小さな露店の立ち並ぶ道。
柔らかな光に包まれた露店の中を、住民たちがお喋りしながら見て回り、店主はそれを笑顔で迎え入れている。
背景には風車。回る羽根の速度はゆっくりだ。
向かって左、一番手前にある店先には、白いカスミソウがさりげなく咲いている。これらは萎んでいるため、本来は悲しみの表現となる。だが、市場の通りにまで目を向ければ、両脇に桃色のマーガレットが数輪、誇らしげに開いていることに気がつくだろう。
マーガレットをメインに据えながらも、カスミソウという小さな悲しみを添えることで、落ち着いた喜びを表現しているのだ。視線の終着点――市場の中央にあるのは、ひと際小さいヒマワリの花束。もちろん、これはささやかな喜びの代弁だ。露店の向かう先、つまり今ある悲しみが、次第にヒマワリへと変わっていくという意味であり、『家族の団欒』とは、また趣の異なる安堵の表し方だった。
鮮やかな手並みに、俺は感心を通り越して、乾いた笑いしか出て来なかった。
即興で、この腕前。
別格だ。
正真正銘、彼女はすでに埒外の域にいる。
ウォルシュに促された俺は、カリナをシャフツベリーと2人だけにするべく、アトリエを辞していた。いまいち場所の方向が分からなかったが、アトリエからは、すぐに目抜き通りに繋がるみたいだ。これならば、カリナを1人にしても迷うことはないだろうと、俺は急いで宿屋を目指す。
予定外に帰りの遅くなった俺のことを、心配してくれたようで、宿屋の1階にある休憩スペースには、ドロシーたちが揃っていた。
「……カリナさんは?」
ドロシーに簡単に事情を話している最中に、巨乳の女が階段を登っていくのが目に入る。
どうやら、気がつかないうちに、俺はその姿を凝視していたようで、ドロシーが思いきりため息をついていた。
「……ご主人様。いくら大きいのが好きだからって、知らない女性の体をじろじろと見るのは、失礼ですよ」
「えっ、いや――ちょ、違うんですよ」
図星を指された俺は、慌てることしかできない。
そんな俺に、ベロニカが追加の攻撃をして来る。
「ついでに私の体を見るのもやめてくれ、ゼンキチ様。相手が知らない女性でなくともな」
「やっぱり、そういうつもりで見ていたんですか……」
あからさまにドロシーが俺から距離を取り、蔑みの態度を示した。
そんなドロシーを見るにつき、ここでもコズホゥゼが勘違いの発言をしてしまう。
「残念だったね、ドロシー」
「何がですか?」
「ゼンキチは、おっきなお尻が好きだっていう話でしょう?」
臀部じゃねぇだろうと言いたげに、ドロシーが俺を一瞥する。もちろん、俺としては胸が第1だが、尻の魅力が分からないほどお子様ではないため、いかんとも否定しがたい。
そんな俺の心を知ってか知らでか、呆れるように盛大なため息をついたドロシーが、コズホゥゼを見やる。
「……だとしたら、私にどんな関係が?」
「あれ? だって、ドロシーってゼンキチのことが好きだから、一緒にいるんじゃないの?」
ドロシーのイラつきがピークに達し、やがて萎んでいくのが分かった。俺は今夜にでもコズホゥゼに、メイドという大変暴力的な職業について、詳細に解説する決意を固めた。ドロシーの腰回りについては察しろ。
「はぁ……。そうですね。別に、いつまでもご主人様に、雇われている必要もないですし、ここらでお暇をもらうのもいいかもしれませんね」
決して、本気で言っているわけではないのだろうが、それでも俺は飛びあがらざるをえない。
「えっ、ちょ! ドロシーがいなくなったら、残りのメンバーを俺が率いるんですか!? 無理に決まっているじゃないですか!」
「そっか。ゼンキチのほうが、ドロシーを好きなのね」
「死んでください、ホントに」
「……それ、私じゃなくてゼンキチに言っているんだよね?」
「仕える対象を変えるつもりなら、今度はもっと若い男にするんだな。そうすりゃ、性欲に毒されてもいないさ」
銘々が好き勝手に、俺を攻撃しながら喋りだす。
確かに、非は俺にあるのだろうが、それにしたって限度があるだろう。四方からの悪口に対して、俺は抵抗を試みていた。
早い話が、健全な男子ならば目移りしてしまうと、そう主張しようとしたのだ。よりにもよって、エオガリアス家の当主の名前を借りて、俺は抗弁していた。
「あのなぁ! グラントリーだっていつかは――」
だが、それは禁句だ。
しまったと後悔したときには、すでにベロニカの手のひらが俺の眼前にあって、いつでも得意の魔法を、放てるような体勢になっていた。
無慈悲に、ドロシーは許可する。
「どうぞ」
ツアツア火球が直撃。
ドロシーのグーパンチを受けたのと同じなので、当然、俺は気絶した。そのまま3日間、寝込んだのだ。ベロニカの運動性能を考えれば、これでも加減した部類になるのだから、笑えない。
だが、この騒動のおかげで、俺は希勇の志士の問題――すなわち、自分が本物の勇者になれるのか、という事柄について、うじうじと悩まなくて済んだ。この点だけは、ベロニカたちに感謝している。
ようやく体を動かせるようになった日の早朝、俺の寝ている部屋のドアを、ドロシーが激しく叩いた。
「ご主人様、いつまでふて寝をしているんですか。早く起きてください。……仕方ありませんね。扉を破壊します」
「今起きました! すぐ起きました! お早うございます! 今日もゼンキチは元気です!」
いつかあったような出来事のくり返しに、俺は若干の冷や汗を覚えながら、室外に向かう。
ドロシーに促されるまま宿屋を出ると、そこには1人の人間が、姿勢を正しながら俺のことを待っていた。
男か女か分からない美青年。
とまどっている俺を無視して、そいつは明朗に告げる。
「ゼンキチ様でお間違いないですね? タマーラ商会の者です。タマーラより、あなた様に『拳闘士の予選が始まろうとしている』旨お伝えするよう、申しつかりました。確かにお伝えしましたので、これで失礼いたします」
何事かと、慌てておりて来たソーニャのほうを振り返り、俺たちは顔を見合わせてうなずいた。
いよいよ、本題だ。
ここから先は、王都まで全力で向かわないといけない。余計な寄り道はなしだ。
すぐに出発しようと、俺はドロシーに声をかけていた。
それから2週間が経過しただろうか。
俺たちは3つの町を通過して、ついにソーニャの目的地である王都へと、たどり着いていた。
✿✿✿❀✿✿✿
ゼンキチが和鈴の町を出発したのと同時刻、とある貧しい村にて、いかつい顔をした男が1人の若い女に対して、威圧するように声をかけていた。
「今回の賭けには、アマチュアハンディキャップが採用される。よって、引き分けはありえない。ギャンブル上では必ず、どちらかに勝敗がつくことになる。賭けの対象は、相手が剛武志の極みの門下生のときだけだ。いいな、リンクーダ? お前を出場させるために、組織は大量に金を積んだんだ。これで勝てなかったら、分かっているだろうな……。必ず優勝しろ」
自慢するようにして、上等な衣類を身につけている男のことを、リンクーダは睨みつけるように見上げる。
「言われなくとも、分かっている……。あたしは、おままごとをしに行くんじゃない!」
差し出された僅かな硬貨を対価に、リンクーダは完全なる勝利を誓う。
たとえ、それが褒められた行いでなかったとしても、貧困の襲うこの集落では、賭博の不正に加担することでしか、自分の兄弟を養えないのだから。
〈続く〉
※次章 ソーニャ、王都、拳闘士への道(予定)
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




